狛犬を4人の力士が支えているのが特徴だから必見ですよ~
とガイドさんから説明受けたので、聞いたら誰も見たくなる。
だからなかなか撮影するチャンスがやってこない。
桜井市出雲650
いまでも地名に出雲と残されていて、古代、この地に出雲人が暮らしたことから付いた地名です。
垂仁天皇の時代に、出雲の野見宿禰は、当麻蹴速と我が国初の天覧相撲を取り勝者に。
穴師の相撲神社とならぶ相撲発祥の地です。
野見宿禰は土師氏の祖でもあり、
出雲の国から工人を連れ埴輪を作らせたことがこの地の始まりです。
明治初期までこの出雲ムラは、ムラをあげて土人形「出雲人形」を作っていたそうです。
窯元10軒あったという残骸の一つでしょうか。
神様の数えるときの数詞は、柱なので
十二柱とは12の神様を祀ることからつけられた名前です。
よって祭神は
天神七代の神(国常立神、國狹槌神、豐斟渟神、泥土煮・沙土煮神、大戸之道・大苫辺神、伊弉諾・伊弉册神、面足・惶根神)
地神五代の神(天照大神、天忍穂耳尊、瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、彦波瀲武葺不合尊)
古代は神殿が無く磐座を祀る出雲地域の産土神社
三輪山東方1700mの峰の上にあった「ダンノダイラ」
明治の初め頃まで、年に一度全村民が「ダンノダイラ」へ登って、出雲の先祖を祀り偲んだそうです。
他にも見所ありました。
武烈天皇社
武烈天皇の壇場(たかきみくら)を設けた泊瀬列城宮跡ともされていますが、創建は不詳。
第25代武烈天皇(489~507、在位:498~506)は、小泊瀬稚鷦鷯(おはつせわかささぎ)尊ともよばれます。
祖父に当たる第21代雄略天皇は大泊瀬幼武尊(おおはつせわかたけるのみこと)
泊瀬は初瀬、この辺りの地名で、大と小、ふ~ん、何かイワクありげ…。
古事記では在位8年で子を残さず程度のサラッとした記述らしい。
しかし、日本書紀では
「頻りに諸悪を造し、一善も修めたまはず」と暴虐の限りを尽くした非常に悪劣なる天皇として描かれています。
雄略天皇も大悪天皇であり、有徳天皇でもあったようです。
万葉集の最初の歌は雄略天皇で、
日本霊異記の冒頭にも雄略天皇が掲げられているらしい。
ヤマト王権の勢力が拡大強化された歴史的意義を持つ天皇として認識されてたのでしょうか。
その血縁が同じく長谷=初瀬=泊瀬の地に宮をおいた武烈天皇で終了したと。
次に継体天皇へと繋がるまでにいろいろあったんだなと
思いをはせながら十二柱神社をあとにして、最終地長谷寺へ向かいました。