秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
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閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

メタセコイア 昭和天皇の愛した木  

2011-08-21 | 四季折々・色とりどり
大きな針葉樹の下で雨宿りしました。
セミが孵化したしたあとが残ってました。

針葉樹らしく樹形が端正で美しいこともあり、公園や街路樹などとして植栽されているメアセコイア。

セコイア、ラクショウの木とよく似ていて、
今日までどれがどの木か全く見分けがつかなかった。


すべての木に名札つけといて欲しいぐらいです。


この丸い実がなっているのはラクウショウのようです。



ラクウショウ 落羽松(らくうしょう)
沼杉(ぬますぎ)とも呼ばれます。
ラクウショウの名は、秋になると鳥の羽根のような形をした葉が枝ごと落ちることに由来する。
葉は互生(互い違いに出てくる)であるが、メタセコイヤは対生(左右そろって出てくる)
秋に丸くて大きい実ができる。


メタセコイヤを調べて、とても興味深いことを知りました。

1987年(昭和62)の歌会始において、お題の「木」にちなんで昭和天皇の御製

   わが国のたちなほり来し年々に
      あけぼのすぎの木はのびにけり

戦後の復興のシンボルとして、お詠いになったといわれる。


『メタセコイア 昭和天皇の愛した木』(斎藤清明著、中公新書)

1941年(昭和16)太平洋戦争勃発の直前に、岐阜県で植物化石(球果)発見
京大理学部講師三木茂(後に大阪市立大教授1901~1974)英文論文を発表
アメリカの一部に残っているセコイアに似ているので、メタセコイアと名づけた。

1946年中国四川省で発見された未確認植物が北京に届く。
北京植物研究所長胡博士は、三木論文を思い出し標本と論文を比較分析し
結果をメタセコイアの現生種だと発表した。

その生きて発見されたメタセコイアから種を取って苗を作った。
1949年東大小石川植物園で数本発芽し、日本列島に100万年ぶりにメタセコイアが芽生えた。

1949年10月チェイ二―博士から、苗木1本が植物学者として高名な昭和天皇に献上された。
この苗木は、吹上御所に植えられて生長しているという。
日本で一番古いメタセコイヤは、小石川植物園と吹上御所にあり、1949年に植えられたものである。


これを報じた1949年11月11日の毎日新聞の同じ紙面には、
湯川秀樹教授のノーベル賞受賞決定記事があったそうです。

「日本人科学者が戦中に命名した化石植物が、中国で戦後すぐに生きた大木が見つかり、アメリカ人科学者が日本に苗木を届けてくれる。
まず、天皇に。そして、日本各地に植えられる。
メタセコイアもまた、日本の誇りのように思えた。戦後の明るいニュースだった。」
敗戦で失われていた日本人の誇りを取り戻す出来事だったのでしょう。

メタセコイア

ラクショウ

セコイア

互生の葉でも、冬も葉の落ちないものはセコイア。
カリフォルニア州のセコイアは世界一高い木で120m程度もあり、樹齢は約2000年。 
アメリカの先住民はこれでトーテムポールを作ったそうです。

セコイアやメタセコイアなどスギの仲間は1億年以上繁栄して北半球のいたるところに広がってました。
約500万年前ごろから地球の寒い時代が訪れ、氷河が発達したヨーロッパではスギの仲間はすべていなくなってしまった。
日本でもセコイアやメタセコイアは300万年前に絶滅し、生き残ったのは屋久杉で有名なオモテスギの1種類だけだそうです。