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秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

⑳いしきりさん その2

2009-01-18 | 古代史のミステリー
これは瀬戸物でできた小さな亀です。
上乃社の御札池には、満願成就叶った人々が、石切さんに感謝の意を込めて「御札亀」と呼ばれる小さな亀の置物を池の水上に浮かべるらしい。
あまりにたくさんの数で水は見えないぐらいだった。

 

石切劍箭命神社の上之社はひっそりしていましたが、
ここでもお百度参りしている方が何人かおられました。

 

この本殿左横から、山沿いに小さな滝があり、御札池があり、八代竜王社や婦道神社もありました。

縄文か弥生ふうの建物の登美霊社は、
前方後円墳と竪穴式住居を模して建てられたそうです。
 

中に入ることができたので覗いてみると、
正面祭壇の中央に黒い磐座が祀られ、その磐座のまわりに白い幣帛が磐座を取り囲んでいます。

中は薄暗く、とても気味悪く長居はやばい気がしたので早々に退散。

あとで調べてみると、その磐座に祀られていたのは三炊屋媛(みかしきやひめ)、長髄彦の妹であり、饒速日の妃であった女性です。

そしてなぜかわかりませんが、生きた自らの魂を御幣を御霊代として、自我霊尊が祭祀されてるらしい。
多くの人の祈りや思いが、あの空間にとどまっていたのかもしれない。

天孫のニニギが南九州に降臨する以前に、同じように天磐船に乗って饒速日が河内の哮峰に降臨したのを祀ったのが宮山「上之社」。
それにしても不思議な神社でした。



日本書紀や古事記には以下のように書かれているそうです。

そのころ、生駒山麓から奈良盆地にかけて勢力を張っていた豪族が長髄彦で、饒速日はその妹三炊屋姫と娶り、生まれたのが可美真手命です。

ニニギの曽孫にあたる磐余彦(イワレヒコ、後の神武天皇)が南九州から東征してきた。
長髄彦は大和に侵入しようとする東征軍を孔舎衛坂(くさえのさか、東大阪市日下)で迎え撃ちこれを撃退。
この戦いで磐余彦の長兄の五瀬命(イツセ)は脛に矢傷を負いそれがもとで死んでしまう。
磐余彦は、守りの堅い大阪湾側からの侵攻をあきらめ、紀伊半島を迂回して熊野に上陸し奈良盆地の東側から長髄彦を攻めた。

このとき、長髄彦はこう尋ねた。
「自分は天磐船に乗って降臨された饒速日尊を主君として仕えている。天神の子が二人もいるのはおかしい」と。
そこで、お互いに天神の子であるしるしを見せ合うことにした。
長髄彦は饒速日の天の羽羽矢(あまのははや、蛇の呪力を負った矢)と歩靫(かちゆき)を示した。
これを見て、磐余彦は「偽りではない」と言い、自分も同じように天の羽羽矢と歩靫を示した。

⑲いしきりさん その1

2009-01-18 | 古代史のミステリー
大阪と奈良の県境にある生駒山の大阪側斜面に石切劍箭命神社(いしきりつるぎやじんじゃ)があります。

まるで近所のおっちゃんか、知り合いのおばちゃんみたいに「いしきりさん」と呼び親しまれています。
正月4日、15年ぶりぐらいでこのいしきりさんへ詣でました。
それまでお参りしていたのは「下之社」で、少し離れた宮山に「上之社」があることを初めて知ったので現場検証もかねてます。

二駅ほど離れたところに住む友人と近鉄石切駅で待ち合わせました。
二人とも初めて下車した駅だったので、違う改札口で待ちぼうけ。
やっと出会えて、まず探検先「上之社」を探して山を上がっていきました。

社伝によれば、饒速日が天の磐船に乗って河内の哮峰(たけるがみね)に降臨したのを祀ったのが宮山「上之社」です。

  

そのあと坂を下り、現在の本社である「下之社」への参道へ。

 

坂本赤まむし本店をはじめとする漢方薬や草餅、煎餅、団子店にまじって占い屋が立ち並んでいます。

その途中で「石切さん献牛祭」の牛車を展示しているところがあり、
赤や黄色、青といったど派手な5台の牛車に度肝を抜かれました。

 

ちょうど丑年なので撮影しました。
帰ってから調べてみると、毎年7月2日石切さん献牛祭のパレードが行われるようです。
鎌倉時代から江戸時代にかけて盛んとなり、昭和初期まで神社に伝わっていた神事で、昭和60年丑年にこの祭りが復活されたとか。

 

いしきりさんはでんぼの神さんとして有名で、おでき、腫れ物は今や癌にご利益があると、お百度参りする人も引きをきりません。
皆口々に『石切劍箭大神』ととなえながらです。

参拝者心得には『参拝者は石切劍箭大神とお称えください』とあります。
この石切さんの祭神は饒速日尊(ニギハヤヒ)と可美真手命です。
なら石切劍箭大神って誰?でしょう。

「いしきり」がアイヌ語で「長い・足」の意味になり、
縄文言語古代エミシ語による解析では「長い髄の神」だそうです。
神武天皇に刃向かって、兄の五瀬命を死に至らせた朝敵、国賊第一号にランクされた人物が長髄彦。
どうやら石切劍箭大神って長髄彦のようです。

「劍箭」は剣と矢のことで、はるか昔天から降りてこの地を治めた饒速日尊が携えてきた神宝といわれています。

「上之社」でわかったことは、後半で。