片づけの名手の本がベストセラーになっていますね!
いいことですよね!
片づけることは、時間を作る事でもありますし。
何よりも、
雑ぜればごみ、、、
整理して分類すれば貴重品になる事もあるし。
振り返れば、、
「薬剤師になるまでの実験は、お片付けから?」と
初めはそのように思っていた。
片づけテクニックの連日だった気がします。
大きな意味でも、小さな意味でも!
15種類ぐらいの、金属化合物を
混ぜこぜにした試験管が配られた。
、
一週間後には、分類して、化学式で種類別に表示する事。
入っていた金属名を記し、
必要に応じて再結晶して提示する事もある。
微量を定量して、提示する。
高校生のように、先生がやって見せてくれません。
分類に至った試薬を書き込み、
トーナメントの表のように勝ち残りの金属チームは沈殿として析出するから、
プロセスを化学式で解るように記入して
最後に残った金属を、「優勝チーム」のような沈殿物として回収する。
実験の間は、助手さんが、何人か、アドバイザーになるために、
生徒の間をうろうろしてるだけである。
先生というより、先輩たちというイメージでほんわかしています。
、
教授が教室内にいらっしゃるときの緊張感はありません。
大学では、絶対君主の教授は、実験の結果が提出できるまで
再会しないで、ご自身のお仕事に向かわれます。
実に、合格か落第かを握っている存在なので、
生徒にとっては、
緊張を見せないように頑張っても、
提出した結果の、質問に対しての
問答が終わると、ほっとしたものでした。
分類された結果が間違っていると、
不合格。
結果が合っていると、合格です。
試薬の使い方や、手法や、
一部の実験器具は、ガラス管と、バーナーで
自分流にやりやすい器具を作ります。
加熱か、冷却か、詳細の指導は助手さんが教えてくれました。
助手さんは、女優さんも顔負けの美人が居ました。
器具の洗浄が完全でなかったときに、
誤差が出ます。
教授の入れなかった金属が析出したりすることもあり、
気が付くまでに、
何度も実験を繰り返すこともあった。
しまいには「クロム硫酸」という
なんでも、汚れは落としてしまう薬品に漬け込みました。
何日か、ほーっておいて、水洗いをします。
完了するまでには、、靴下があちこち穴が開きます。
個人差があり、要領の良い生徒は、
早々と、実験室から姿は消えていた。
人生のお片付けは、やはり、
ある種の分類だと思うのですよ。
そして、クリーンにすることが、
時間を貯金することだと、知りました。
お金をかけて、物として、
片付け業者の裁断に任せるのも一手であるが。
毎日、畳一畳分の
雑多な物を引き出して、分類して捨てるのも
過去との対話が出来ておつな物である。
片付けは、アルバムより、
過ぎし日の思い出を具体的に思い出させてくれるので、
若気の至らなさで、分類を間違ってしまい、
処遇を反省させられることもあり。
その時の若くて、
舞い上がって喜んだ事が
忘れたころに、大きなツケになって
追っかけてくることもある。
子供のころ、父からもらった本の中に
「牧野植物図鑑」があった。
当時は、白黒の図鑑であったため、
色を求めて、山歩きが趣味になったものだった。
日大の薬学部の生薬学の授業の事が思い出される。
滝戸教授は、生薬学会の会長もされた先生でしたが、
夏休みに
「100種類の薬草になる植物を、押し葉にして提出せよ!」という
宿題を出してきました。
薬草になる科ならないかはともかくとして、
三つ峠山、から、入って、裏日本の方へと
山を次々と探索しながら歩いた。
7月末から8月10日ぐらいまでの山は素晴らしい。
宿題をする目的が、まったく苦にならず、
山に導かれて、絶景を堪能した。
卒業してからも、
信州の山の夏を楽しんだ。
薬草はともかくとして、
燕尾センノウのオレンジの花に出逢ったときは
一句生まれた。詩も生まれた、。
入笠山では、ヤナギランの花の山に出逢った。
卒業後、東大の薬理の先生方と、鉢伏山にハイキングに行った。
知らぬが仏とは恐れ多いものです。
勤務先の先生方なので、
特に、日本の巨人であることは意識しませんでした。
仕事の延長で、教室全体のイベントだったので、
新参の私も、加わって、ついていきました。
後日、その先生方は、
日本の文化を支えている先生方だと知りました。
結婚して、何気なく新聞で知りました。
文化勲章の受賞を受けられていた。
また、他の大学から、
研究室に来ていらした先生方は、
母校に、戻られ医学部の教授になられていた。
同じ教室に居ても、
メビウスの輪のように、
裏サイドのラボランチは、
先生方との出会いは、ありません。
山という、大自然に放たれた人間界の巨匠の皆が、
まるで、幼稚園の遠足のように
山に抱かれ、解き放たれた笑顔が空に向けられ、
上役も、部下も、一切のこの世のルールはなく
天と地と、山と、小さな人間達という
至高の時間を体験できました。
日大で、教えていただいたことは
実は、学問というよりは、
何者にもとらわれず、
対象の山や、テーマや。興味が湧くものであれば、
とにかく、未知の世界に同行して、
新しいことを感動で吸収するという事だったかもしれません。
だからと言って、学術がなかったわけではありません。
滝戸先生は、植物を化学されて、
たとえば、お茶の葉なども、
中に入っている「タンニン」を。目で見せてくれる
ソノモノズバリ!の分類ができる指導をされていた。
食塩で造られた、レンズと出逢ったのも、実験室でした。
一方、若き日は、牧野博士らと山野を歩いていた
木村勇四郎先生という、知る人ど知るという
大学人の中では重鎮らしいのですが、
こんなおじいちゃまが、
うちのお爺ちゃんだったら最高なのに!
女性との中では人気抜群でした。
授業にいらっしゃったとき、
黒板に「温故知新」と、書かれました。
今なら、その意味の、奥深さが理解できますが、
当時は、、、(^^
おじいちゃまが、年寄りには温かく接遇すれば、
意外なことに、
若者よりも
新しい知識があることをそりますよ
。。。みたいな。。。頓珍漢な感覚で
黒板の字を見ていました。
子、曰く、、故きを温め、
新しいことを知りなさいという事でした。
牧野植物図鑑の分類した膨大な植物群を、
コンパクトに、共通項でくくりだし、
薬学分野の成分の化学式を加え
薬になる植物や、毒になる植物の分類を、
きわめて簡単にやってのけられ、
見分けの決定的な特徴などを
図に書き記して、頭脳の中を、
片づけてくれる授業でした。
ノートは一生懸命とりました。
71歳になっても、
ごちゃごちゃに頭に入っていた植物を
見事に、「薬草」と、見分けられるノートは
今も、時々、めくっている。
同じに見える葉っぱも果実も、
分類の見分けるポイントがある。
さすがに、ゴミとして捨てることはありえない。
今思えば、
薬学で習った片付けることの基礎である分類を
無意識で、日常生活に応用している。
木村先生に引率されて
「春日部の、とある植物の栽培場」へ
見学に出かけた。
感動しました。
薬剤師になる事の、
小さな自覚が緊張感で芽生えた瞬間でした。
それまでは
「物質学に近い。暗記が多い。頭が倉庫のように回転していた。」
このような、
同じに見えるものを、
実に多くの学名で分類するという
視点の、位置を教えていただきながら、
社会に貢献できる、社会性のある判断の為に
多くの物質の知識が必要なんだと、
発想がまるで反転した出来事でした。
覚えさせられる、、、なんで、、ラテン語まで、、、と
心の中で、受け身で覚えていたことが、
全て、、、積極的な自発性が芽生えた。
結婚後の、大きな調度品や、道具の分類は
携帯ラジオを聴きながら、
指先で分けてゆける。
「おカタズケの本」は出版しなくても、
多くの薬剤師は、
きっと!
。。。お片付けが?????!
実践者として、最優秀ではなかろうか?
(^^!
卒業してからは、「オカタズケ」に見えても、
最低条件の仕事の環境を作り
間違えにくい環境のシステムを準備している自分が居た。
孫が高校進学に向かう頃となりました。
私立に通わせるには、
サラリーマンの安月給では
三人の息子は、とても無理!と、、、おもうけど。
爺婆は、終活整理で、
余分なものは、世間様の大きな流れに流してしまったから、
授業料の応援は今から言っておきますよ!
無理だから!、あてにしないでね!
理由は、自分たちにもわからないけど、
大きな流れが、70歳を越した夫婦には
根こそぎなくなるという、不思議な、流れに出逢いました。
「とてつもなく大きな社会のシステムからの人口津波」が来て、
次の世代に流して行くのが、見えました。
次の日本の世代を支える費用になるのであれば、、、と
足跡を残せなかった女性の
姥捨て山と心得て、
深く追求せずに、自ら、出せるものはすべて
社会にお返ししました。
喪失感はありませんでした。
自分では若いつもりで居ましたが、
次の世代は、ところてんのように
世間のシステムが、蚊帳の外に押し出してくるのに
目が覚めました。
私を必要としているのは、
雑用のできる健康体の間だけであることが
掲示板で、見つけたような気がしました。
後は、静かに、坂下りをしながら、
昔の感動にパワーと、微笑みをもらって、
孫子が、もう 、、爺婆を頼りにしないで
自分だけの力で、選ばれてゆき、
周りを巻き込んで、応援されるように
男道で、ばっちり決めてくださいね。
婆は限界まで頑張ったつもりが、
年齢という、時間の厳しさの中で、
タイムアップ!という。。。没収に逢いました。
やり残した感がありますよ。
だって、自分では、若いつもりで居ましたから。
皆に迷惑をかけないように、、これからは、
もともと住んでいた、神様のお宿に帰る支度をせねばね!
紅葉も、ひときわ美しい秋深くなり
萌える淦は
神様からの、激しいラブレターのような気がしていますよ。
明日はもう会えないかもしれない、、、年が認識されたから、、、
遠く離れた、兄弟の顔でも見る機会を作るかな?