おじいちゃんの東京の自宅は
戦争でなくなりました。
市谷にありました。
父が外科医だったため
戦争に巻き込まれてゆきました。
東洋では
当時
戦争の鉄砲傷や。爆弾の負傷は
イギリス医学を体得し日本の西洋医学者が、
指導者として
現地の、医師の指導を担当したようです。
戦争中の大陸の新聞には
、大きな見出しで、
日本の外科医の、西洋式医学による治療が
「髭の医師」と「髭の博士」と言う見出しで
父の写真入の新聞記事があったのを思い出します。
敗戦間じか、
帰国を許されて、
韓宇連絡線で帰国したときは
結婚指輪も、ブローチも
わずかなお金も、
乗り物に乗るための手段として
使いながら帰国したと言っていました。
東京は焼け野原、、、
外科用の鋏と手術用の器具を
唯一の財産として
持ち帰ったときは
住む家さえ無く
玉音放送を聴いたそうです。
戦地で3人の子供を失った父母は
戦争の破壊を心にも傷として受けていました。
父は、母の故郷が
無医村だったこともあり
母の心の傷を治療するのは
故郷が一番と考えたのかもしれません。
村の人たちの、唯一の医師として
戦陣外科を学んだ腕は
「居場所がすぐに出来ました。」
母の父に当たる人が
校長先生や、村長さんや、
町長さんを兼任していたこともあり
村人の要請で、医師である娘婿を
疎開先として、いざなったということも
あったのだろう。
母は「失った子供を取り戻すのよ。」
二人の息子と、、、長女。
高齢出産に挑みました。
40歳過ぎて
玉のような男の子を授かりました。
この個の為にも、
10年後、、、鮭の回帰のように
父は東京に帰りました。
戦後の教育こそ
大いなる遺産として
唯一、
戦争を知らない末っ子に
渡せるものだからと、、、言っていた。
子供が生まれてからは
母の情緒も安定して、
村の学校で、
ピアノを弾いたりして過ごせるようになりました。
自宅ではないのですが、
腕の良い、東京育ちの外科医は、
村にとっても宝物のように大切だったのでしょう。
私たちの住む
、廊下や広縁のついた宿舎が提供されました。
村の傷痍軍人も
父の「心の治療」で
造って貰った義足をはいて
片足でも、
片手でも、
出来る仕事につくようになりました。
医療費は「大根」や「魚」
「栗や、ヤマモモ、クワの実」などのときもありました。
大陸の思いでを
語れることが苦痛でなくなったことは
「日本国」という
自国に戻れたことが大きな要素でした。
敗戦間じかの外国では、
国民は豹変して
日本人を迫害する気配を見せたそうです。
言葉では語りつくせない
「自国」の暖かさは
他国で過ごした者の共通の思いだと思います。
ユダヤは国の無かった時代がありました。
そして、いまだに、
安穏としては要られない状況です。
国を護ることの大切さは
一昔前のように
「戦争による戦利品」であってはならないと思うのです。
地球全体が、
地球人の「母国であるところの地球」を
永遠の恵みに満たされた、豊かな自然を護り
世界中の国が
兄弟のように結束して
地球の平和と安全と、協調と、協力を持って
自分たちの国は「地球」だよ!
そう言えたら素晴らしいと思うのですよ。
エネルギー源は太陽光線!
足ることを知って、地球を壊さない共存共栄。
身近な国が、急成長して、
眠れる獅子が
ウサギも狐も、、、あらゆる小動物を
脅かして歩いたら
平和がなくなります。
「国防」とは、、、どういうことなのだろうか!?
世界中に
「日本人が必要とされる居場所」が
あることなのだろうか?
発展途上国や後進国の文化指導者として
日本人保護地区ができることだろうか?
知恵の結集で、
世界の華僑のように
各国に日本人のリーダーが
経済界をささえることだろうか?
それとも、、、tpp
鎖国を持って
独自の緑地帯を保存し続け
「本土という実家」を護り続けることなのだろうか?
私自身
東京で小学校から大学まで卒業して
北海道で、すごした40年ですが、
他人の土地で暮らすことの難しさは感じています。
同じ日本人でも、
集団で入植した地元の人々の
密接なコミュニケーションには
とても、後から入れません。
幸いに、「薬剤師」という免許があったおかげで
地元の薬剤師会を経由して
講習会、勉強会、同好会、フィールドに参加できました。
他国で生きる日本人も、
そこに居場所を確保するためには
特殊技能や、サポート団体のある事が大切だと
痛感した40年間でした。
結婚した当時は
3年経ったら
「東京に帰り、君の家を手伝いをする」
この条件で、結婚したはずが、
北大を卒業した相棒は
北大にとって、
コマンドでもあるのだろうか?
何やかやと、、役が回ってきて
真面目な性格が、
何時しか地元の人に受け入れられて
北海道に「居場所が出来た」のでした。
家内の私は
息子のうち
一人を本州の大学(東京)に出し
どうか、、、そちらで生き残れるようにと
祈るばかりです。
実家を北海道に持った次男。
本籍は東京、
母方の親類も、世代交代の頃となり、
ここから先は
次男が、私の身代わりとなって
生まれ故郷の東京に
「居場所を作って欲しい」と思っている。
息子は医師なので
医療をすることが「即」社会貢献になるはずだから、
息子が医療を続けるためにも
後方に憂いなく自宅を護れるような
よき理解者が現れてくれればと願いながら、
振り返れば
サポートも友人も居ない育児、
全部の時間を仕事以外には使わない
専門馬鹿の配偶者。
ここは、、、日本なのだ!
出来ないわけがない!
ここは自分の国なのだから!
父母が、戦地で過ごした8年間の傷は
筆舌に尽くすことの出来ない
流浪の敗戦であった。
敗戦から立ち直れた日本を信じて
被災地を、もう一度、
大いなる日本の領土として、
島を買い取る気迫を持って
もう一度、、、未来につながる
ここは、、、日本!と
「心の居場所のある復興を!」
祈っています。
アスリートの日本
文化の日本
音楽の日本
精密機械、ロボット、アトム日本
漫画大国日本、、、
アート日本、
こうして並べてゆくと
「心」こそ、、、居場所!
復興の花
きっと咲かせてください。
長い長い、、、独り言。
国は失くしてしまったら
再び手には入らない。
被災を受けても「国という舞台」は残っている。
しかし、、、
原発をことごとく狙われたら
間違いなく、、、日本は住めなくなるだろう。
爆弾の中に国土があるような配置は
いかがなものであろうか?
立て関係の、特殊な人たちだけが利益を追う開発は
自滅にいざなわれているのも気がつかない
ねじれ国会が、外側からの戦略だとしたら?
そろそろ日本は「気がつくべき時」がやってきました。
参議院選挙は国の興亡がかかっています。
もう一度日本!というのは、
ねじれている暇がないということ?!
グローバルな目を持ち
グローバルな感性の中で
日本特有の繊細な、輪廻転生の宇宙区間に
日本は昇華して
世界中に「心の宿」が出来るといいですね。
どんな世の中になっても
「心の居場所は日本の、日本たる、洗練された心」なのかもしれない。
最後に、、、税金のことですが、
頭脳は大食いだと思います。
又、医師は親類縁者、社会から見えない税金用のお金が
湯水のごとくかかってきます。
良い医療を国の財産とするならば、
医師の時間が
「医療だけに費やされる」
医療仕事への閉じ込めてしまう作戦は
見えない損失だと思います。
ひたすら、、、患者さんに追いかけられながら、
実は、ほかの事への時間があれば、
隠れたノーベルは、いっぱい存在していると思うのです。
朝日山動物園のように、
その特性を引き出す政治をして欲しいのです。
無理やり、、、平均値を目指して、
税金を多く負荷するよりも
行動を促し
世界レベルの行動結果を
国の財産としてゆく
マネーロンダリングで
内需を拡大すれば
本当の平等な人生が送れるのではないですか?
社会保護を受けている人の中には
保護のために
働く筋肉が萎えて
お荷物になってゆく人や、
依存性の化け物になってゆく人も居ます。
政治は一歩間違えれば
ブラックホールを製造してしまうのではないでしょうかね?