花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

国会討論TVの品性

2013-02-26 02:18:49 | Weblog

阿部首相の時代になってから
国会討論会や、質問が 
紳士的になって
視聴している私には

やっと、ねじれが少し
直ってきたように思えます。

名医と藪医の笑い話に
「手術は上手くいった、、、」

、、、で、、、?

患者さんはお亡くなりになった、、、


日本の国会で
自民だの
民主だの

公明だの
威信だの、、、

イデオロギーの押し競饅頭では

肝心要の「日本国」を失いますよね。

朝のNHKの15分ドラマの
「お爺のホテル」を夢見た女の子が

夢だけが先行して
実力や経験や資金も無く、

「場合の数を考慮できる」経験と

玄人筋の落ち着きが無く
夢ばかり追いかける、、、

マニフェスト?、、、乱発です。

愛すべき性格ではあるが
「視点が主観的」な狭量で

ことごとく失敗したり
勇み足をしてしまう。

民主党は
なんとなく、
似ているような気がする、、、
この女の子に。

地方の方には
感動的に、、、
好かれると思う。

しかし、、、本格的に鍛えられた者の
出番が無い、、、と言うより、、、

国内だけでは
大切にしたい感情である。

サザエが
つぼの中で
自分の世界を大切に蓋をして、
小さく、狭く、幸せを求めると、、、

鍋と蓋のついた殻ごと
網の上で、火がつけられることも
想像してしまう。

しかし、、、今、
民主党が、再び、
国会をねじれさせるような
なにもさせない国会にしてしまい

時間をとりすぎると、

日本は、国が護れなくなると思います。

石原知事の時代
東京都が買い上げておけば、、、

刺激することも少なかったと思うし、、、。

1990年代から、
我が家でも、中国の留学生を
お世話させていただいた。

中国では
最先端の
「西洋医学の先生」でしたが

「天安門広場の文字を書かれた書家の作品で、
「赤壁の戦いの一連」を、
プレゼントしてくれたり、、、」

先生が帰国されてから、
私は、北京から、杭州、上海、西安、成都、、、などなど、

4大中医学院や、博物館、五台山、成都の生薬市場や
三国志足跡を尋ねる実習旅行に参加した

道教のお寺、
医心方の原書の発祥の地や
貝原養生集のネタ本?と思しき資料も

博物館に保存されていた、、、
中国の生薬など
医食同源の心を、
地球を大切に出来る中国の心として
受け止めたものだった。

中国への興味は尽きることなく

ユーロ圏の国々との
実習やゼミにも出てみたが
シルクロードの足跡などからは
キリスト教の布教のごとく

地球規模の交流が考えられる資料に出会えた、


尽きない興味を、
留学生の先生は伝えて帰国された。

鑑真和尚で有名な
「唐招提寺」とそっくりな建物が
西安の塀の上にもあり、

日本の心は、すべからく
中国からの影響が大きいと思っている。

最近でも、日本と中国は

最先端医療の医学交流は
民間外交のように

東芝のCTなどが、
中国に広がり、

家電でも
北京のど真ん中に
東芝という看板が光っていた。

中国の知人からは
健康のために、検査を受けたら
日本の医療器械だったと
手紙をくれたりして、

その中には、
中国の切り絵が同封されていた。

日中を友好国と位置づけていたのは
つい、先日のことのように思えます。

しかし、、、

民主党の3年間は、
まるで、文化大革命のように、

がんセンターの20年史も
50年史も
熟読することなく
政治の介入で

スタッフは入れ替わり
私が検査にかかっていた頃の
落ち着きが、引っ掻き回されたようになっていた。

「もう一度、、、日本」

創世記から
努力した熟練の技は

会社の寿命のように
60年では滅びない
、、、
先生と、患者さんの「信頼である。」

患者さんというのは
年をとれば、歳をとった先生の
いつもの姿に、
ほっとする者も多いのですよね。

中国からの検診の集団などもあり
日中友好は、検診分野でも
交流していたのではないでしょうか、、、ね。

15センチ縦横サイズの
腫瘍を、国立がんセンターで見つけてもらい
検診の結果、翌日手術してもらったという
呑気な私ですが、

画像から、腫瘍の中の状態が
まるで、現物を見ているように
言い当てるのですから
説得力が、すごいものがあります。

中国は、まだまだ、
ペットなども、
日本の、技術が必要なはずですよね。

日本は、アメリカとも
中国とも、兄弟だと思うんですよ。

民主党の仙石さんは、
意図していなかったとしても、

三年間で、
中国との国交は、
誤解だらけではないですか?

中国に「誤解される日本」を
表現してしまったのではなかろうか。

中国大陸が、
日本の繊細な
「大気汚染防止の技術」を
使えない状態で開発されると

日本に塵芥が飛んでくるし、

成層圏の雪の芯となる塵も増えてるのだろうか?

札幌は、、、毎日毎日雪が降り
雪掻きで、、、ダウンです。

核戦争をタブーの国際間になれば
世界は皆で話し合い、
美しい地球になるのにね。

中国は、日本の友好国として
アジアの平和を
ともに
リードするのが
大国の行く道ではないでしょうか?

阿部首相の
目覚しい勉強振りに
お体のことが気にかかります。

今、支える後ろが
全力で、国会をねじりからくい止めないと、

日本の未来は
見えない。

孫子の時代
「遺伝子で、設計されたオリジナル人間」しか生きれないという

神の域に介入する科学を
全世界の話し合いで、コントロールし、

もう一度!人間!

祈っています。





たった一つだけ大切にしてきたこと

2013-02-14 01:32:59 | Weblog

人は、心の宝物を持っている。
本人も、気がつかないうちに

大切にしているものが
春風のような
暖かな一瞬を運んでくる。

南紀での疎開中に
防空壕の中で生まれた私は
記憶の中に
B29の音や

マッカーサーのパイプや
世界一の「紳士」と
マッカーサーが感じたであろう
陛下との写真。

祖父は27歳でアメリカに渡った。
青山師範を卒業後

カリフォルニアの
日本人街開発の開拓メンバーであった実兄のもとで

大陸の農業や、酪農、政治、橋の建築など
多岐に学んで、帰国後は叙勲もされていた。

明治20年前後の生まれの祖父の時代
宇宙に行きたいように

夢を膨らませた若者は
太平洋を渡って行った。

3ヶ月も「汽船」に揺られ
嵐を超えてアメリカに渡った。

明治45年ごろの生まれの父母は
ヨーロッパにあこがれた。

父は「イギリス医学」を学び
母は「ドイツのピアニストの指導を受けた。」
おじさんは「ドイツの医学を学んだ。」

戦後の疎開地では
ワシントン大学を卒業した親類が
タバコ屋をしていた。

東京生まれの父と
南紀の生まれの母が

華厳の滝と
那智の滝と
どちらが素晴らしいかということで

えんえんと喧嘩をしていた。

医師とピアニストの組み合わせの父母は
喧嘩のあとは
ダンスで仲直りをしていた。

二人が喧嘩を始めると
なにも聞かないうちに
祖父は娘である母を叱った。
「お前が悪い!」

モダンガールの母は
テニスや水泳やダンス、
本職のピアノを

ライフワークにしていた。

アメリカに長く住んでいた祖父は
敗戦後、南紀に娘の家族とともに
モダンな洋館を建てて
疎開していた。

校長先生、町長さん、村長さん、
ダムの建設など、

周りから、押されて、引き受けていた。

戦前の、若き時代は
校長先生をしていたと
母から聞いた。

朝礼で、
白い手袋をはめて
「朕、、、おもに、、、」と
浪々と読み上げていたという。

母は祖父の渡米にはついてゆかず
新宮高校(女学校)に進学して
作家の佐藤さんの妹さんと同級になり

兄の佐藤さんからも
文学の影響を受けたと言っていた。

その後音大に進み
アメリカの祖父に手紙を書いて
「ドイツ製のピアノを贈ってもらった。」

蓋の両端に彫刻があるオーク色のピアノは
結婚後、戦争で亡くしてしまった。

敗戦後、戦地で3人の子供を失った母。

最後の「韓宇連絡線」で
魚雷のすり抜ける海を運良く渡りきり
故郷の何期の山奥で

復活!

晩年は80歳を過ぎても
音楽大学の後輩と、
ピアノの弟子の皆さんと

コンサートを開いていた。

母という、家庭人は居なかったが
一人の女性の「生き方」を

身近に魅せてくれた母のすがたは
「夢を追い、夢に生きた」

戦後、戦争を知らない弟が生まれた。

「夢を追う人」が育ち
兄弟に、生きる希望を、元気をくれた。

団塊の世代の弟も
今年の3月に定年である。

しかし、、、多くの弟知人が言う。

「お姉さん、、、弟さんには定年がないと思うよ!」
「80歳過ぎても、ピアノの人生を生きていたお母さん」

「夢を追い、夢を実現させ、英雄はどこかで、生きてゆく。」

「お母さん、お父さん、」
「お爺さん、そして、、、弟よ!」

夢をありがとう。
日本は、これからも
「夢を追い、夢に生きる」

周りを元気にしてくれる人材が育つ国

大風呂敷を広げなくたって、

身近なものを、元気にしてくれる人こそ

「たった一つのことを大切にしてきた」証ではなかろうか?

私だってうれしいと思うことはある。

近所の子供たちが
学校から帰ってきたとき

自宅の鍵が、なんらかに事情で開かないといって
「おばさーん、、、」
我が家で、親の帰りを待つことがある。

小さなことかもしれないが、、、
信じてくれる子供たちの

未来の平和を祈るのは
子供たちも、、、私を信じてくれるから。

私が大切にしているたった一つの大切なことは

子供や孫に
生まれてきて良かったと思える未来を祈ることです。

石原さんと安部首相の討論を聞きながら
環境を大切に、

核戦争のない、希望のある地球の平和を
祈っています。

旭山動物園の園長さんの考えが好きです。

きっと、、、核実験を悲しんでいると思いますよ。