75歳になっても、主婦というのは主に合わせた時間配分で家事を進めてゆくから。
家の仕事ばかりしていると、、、呆けてしまうような気がするほどマンネリな毎日であった。
今年の春、、、たまたま北海道新聞の、四面下半分に
北大アカデミー 21世紀は生命科学の時代
前期生募集
いつものように、自分に都合の良い字だけ目に入れて
自分の歳も考慮に入れずに、、、ダメもとで申し込んだのが始まりだった。
昭和42年 生命科学の考え方が、学生の間にも興味を持って討論することが始まっていた。
戦後20年を過ぎて、月にも行けた人間の未来への夢は
宇宙へ向けられて、学生間でも、喧々諤々、意見を述べ合った物だった。
生命の定義が分子レベルから、イオンのレベルになっていた。
人間や動物や植物の、眼に見える動きが生命であった時代から
原子爆弾で広島が、長崎が、、木っ端みじんの破壊ではなくて
人間が元素のイオンになって吹っ飛んでしまった驚愕の事件から
人間が人間で無くなる様な核戦争は
神の域への冒涜に思えた時代の大学生だった。
「人間の定義って?」「イオンレベルで考えなくてはならなくなったぞ!」
元素になって墨になった広島の人たちは、罪もないのに
生身の身体が残らないような、、、人生とは言えない消え方をしたのは
恐ろしいことだ!
何も考えたくないときは、、、学生にしては大金の250円のコーヒーを飲んだ。
御茶ノ水には、「丘」とか、「ミロ」とか「ジロー」とか
喫茶店が結構あっちこっちにあり
話し声にはならなくても、
世界の憂鬱な化学兵器の時代が来ていた。
武器よさらば、、、のヘミング ウェイ、、、はその作品では
ノーベル賞にはならなかった。
「老人と海」、、、誰もが見たと思いたい、、、
骨になった魚を獲物に。かっての海の漁師は
港に帰ってきた。。。。
何とも言えないペーソスのある映画だった。
涙も出ない哀しみと、
人生の時間と、
人間の「老い」
世界は荒波のごとく科学戦争の波が押し寄せ
もう一度、、、
本能寺の変が起きそうな歴史の逆周りを感じてひやーとしたりしていた。
鉄砲では済まされない時代!
海を行く荒波の科学の海を感じたりしていた。
名曲を聴きながら頭を休めに行った思い出がある。
生命が大切だと思うのは、「死んだら終わり」、、、だからではない。
未来に残した孫子の時代に
納得のいく生涯を感じてもらえるような、一生を終わりたい。
原子爆弾で、、、元素に分解されては、、、納得がいかない。
「生命科学論に興味を持ちだしたのは、私の中の怒りだったのかもしれない。」
幸いにして、、、大学の教科書の中には
「生化学」という本が有った。
新延新吉、石川信雄 高取吉太郎 一番ケ瀬尚 共著の
生命理論に案内してくれる強い味方の本があった。
人体でいえば、胃だの,腸だの肝臓だとか、、、
ビルを外から「時計台だよ!」と
ワカリヤスすぎる説明する本ではなくて、
ビルを生命に例えるのはむつかしい。
視点が、、、果たして、、、ビルには、、、心が存在するのかという
中の機能や、事務用品や。各部署や、パソコンやそれを使う人間も含めて
ビルは生き物なのか、、、生命はあるのか、
ビル自体の構築されている元素や材料のイオンの動きまで
全部含めて、、、
「銀河を眺めるように、星の無限の謎に迫るように、宇宙は生き物なのか?」
宇宙は「生命体なのか?」
私たちは宇宙も生命の中でうごめく「ウイルス」以下の生き物なのか?
森羅万象、天地を創造した神の前に、
がん細胞、人間集団を宣言して、核戦争をはじめるのか?
、、、もう、、、なにも心配しなくてもいい。
生きてるから、自分だけが生きていれば
裸になって、パンツ一つで、、、
「そんなの関係ない!」
時代は廻る、
「子供のころから、星空を眺めていた、、、」という
講師の先生の
今年最後の講演会が終了したとき、
質問タイムが有った。
何人かが、、、気楽に質問すると
先生は、、、解りやすく、工夫して、真摯に応えられていた。
質問時間に、シーンとなった天使のお通りの空間が出来た時、
先生に感謝と、面白かった講演に、思わず自分勝手な思いの質問が出てしまった。
「先生は星空の謎を解きながら、無限の宇宙の「化学のパズル」をなさっているとすると、
最後のピースが、見つかって、パズルが完成したとしたら、、、
科学のパズルには、、、同時に心が宿ると、思いますか?」
「私は、心が宿ることが、
生命の誕生につながって、
生命科学の存在につながるように思えるのですが、
科学の探求の先には
「生命科学」という中に「心がうまれるのでしょうか?」
言葉は多少違ったかもしれませんが、、、このような意味の事を質問しました。
、、、、、、
先生はお答えになりました。
「波動で分析する科学だと、、、あるいは心に、、、」
量子科学の世界では、きっといつか、生命科学の心にも、、、あるいはたどり着くかもしれませんね!」
ここで、授業は終わりましたが、
「アインシュタインの世界は、
生命科学の謎に向かって、、、
ベロを出して、
大きなどんぐり眼で
凡人を観ているのかな?」
弟が国立がんセンターの黎明期の時
CTってなんですか?と聞かれた時代に
画像診断に人生をかけていた。
団塊の世代の一員として、医学の分野で
放射線を、又磁気を使って生命と闘ってきた人生を
姉のオカメの目は、ふと思い出すことが有る。
大学生だった私は、生化学や薬理や化学、有機化学のオタクのような時期でもあった。
弟と、科学について、議論したことが有った。
神と、悪魔は縦軸かもしれない。
神として、救いに働く現象を、神だと言い
滅亡に働く現象を悪魔というのかもしれない。
私は、弟の様に、、、頭が良くない。
答えに困ってしまったが、義姉のメンツもある。
科学で答えた。
物理は限りなく大きく見てゆくとしたら
科学は限りなく小さく見てゆく
物理と科学の接点には「放射崩壊」があるだろうから、
光の中の、どの放射線の種類があたるかで
科学の神は変化自由自在の元素をつくり続けるから、
宇宙を創ったのは、、、神ではなくて、、、「光だと思う」。
弟は時々電話をくれる。
お互いに70歳を超えているのに、
私は弟の存在が、人生のメンタルな面の孤独を救ってくれていた。
先日の電話で、、、孫が大学にゆく年になったと話したら、、、
「今でも、、、思い出すのだよ、、、お姉ちゃんと科学や化学屋物理を話したこと。」
弟は国立一期校の医学部に進学して、
放射医学の黎明期に、団塊の世代らしく、終戦からの日本の立ち上がりに
医学の分野で、貢献できたことは、
北海道の留萌や、余市や、、、
転々と過ごしてきた私の心の孤独を救ってくれた。
私は、雑学の人生を過ごしてしまったが、
一途に、科学や、医学の道に進みながら、、、謎を解いて行く人たちが居るだけで
その波動が伝わってくるだけで、
感謝に似た何かが在るのです。
医師には生命という立ちはだかったテーマが在るのだろう、、、
「風と共に去りぬ」:という映画を今年最後の大みそかに観た。
まるで、、、アスペルガーの様に、スカーレットは自分勝手なパワーを
廻りの人々の生きる力に変換してゆく。
ビビアンリーの魅力が、この型破りな女性を肯定してゆく。
クラークゲーブルの「男くささが最高に男の色気を感じさせる。」
南北戦争のとき、、、残された有名な言葉が思い出される。
「人民の、、、人民による、、、人民の為の政治、、、」
西部劇やマカロニウエスタンでノックアウトされる、、、自分だけが生き残る英雄???
アメリカの成り立ちそのものが
インデアンとの戦争から始まっているような映画で、
アメリカが紹介された子供時代だった、、、終戦後の少年少女時代!
アスペルガーという要素が生き残っていく映画。
西部劇も、マカロニウエスタンも、007も、、
映画はどんなジャンルのを観ても
ワクワク、、ハラハラ、、、ドキドキするから、、、よく見る方である。
何かをやろうとする人は、、、
自分を軸として感情を捨てて目的に向かうから、
一方向から見て、、、病気なのかは、、、
精神かの医師でない限り、、、素人にはワカラナイ!
素人談義で、かってに思う事をかけるのは日記位であるが、、、
アメリカの発展の歴史を振り返る限り
新天地の先住民の既得権を、奪うところから
映画は制作されてゆくものが多かった。
ゲリークーパーが、オードリーと出演していたのにはびっくりした。
たが為に鐘は鳴る、、、
同じ俳優さんが、自分の事しか考えない西部劇の花形ですから、、、
淀川長治さんも、、、「映画って、、、!いいですね!」
ニコニコしていらっしゃった昭和の時代。
風と共に去りぬ、、、
傑作映画として、
青春時代の脳裏には焼き付けられた映画だった。
素晴らしい映画ではあったが
スカーレットの「明日考えましょう、、、」
このセリフは、、、救いでもあった。
闘牛士の赤い布に向かって行くように
スカーレットは目の前の課題解決に向かって、突進してゆく
男の愛が解らない、、、自分が愛しているというアシュレにこだわり続けるが、
たまたま、、、アシュレであり、
恋をしているのはスカーレット自身の心の中の
自分が作り上げた、スカーレットの創りだしたアシュレに鼓どわり続けてゆく;;;
学者の先生方が、自分の心の中のロマンを追って
生涯拘り続けて、それ以外の道に興味を持たない一途と
どこか似ていると、、、思ったりした。
スカーレットは、魅力のある、世の中を一世風靡するだけの
キャラクターだと思ったりした。
自分の愛と思える感情に、、、相手お構いなく、、、
自分の為にアシュレに付きまとう、、、。
ストーカーのような、
スカーレットの自己愛は、
彼女にとったら「自己に忠実な愛?」
人間が教育の無かった時代は
全員がもしかしたら、自己愛だけに貫いていたのかもしれない。
世界が平和になるためにも、、、政策というよりも
自分しか見えない人がリーダーになっては
人間性は無視されるだろう。
科学者の様に、真理があるとするなら、、、
どこまでも進めば良いと、、、、信じていた学生時代もあった。
今年の民間TVでパラドックスのような説得力のあった番組は
「私、、、失敗しないので」、、、女医で外科医で、これまた
、、、問題のある「だいもん先生」の出演する医者の出てくる、、、御意、、の番組!!
命の前には、理屈も、感情もさておいて、
まっすぐに「命の救命」に向かう医師には
医学と臨床と設備とスタッフが、組織の力を巻き込みながら
外科医としてのスキルだけが
命を救ってゆく。
漫画チックな、大胆な誇張と、
手術費の請求シーン
医師の腕を振るえる舞台づくりへの諸々の費用になってゆくのだろう、、、
現実には焼き肉を食べるのがやっとの医師の生活。
極端なデフォルメされたシナリオに、、、
ドラマの面白さを感じながら
現実の医師の暮らしや、考えや、人間関係とは
比べないようにして、、、ドラマとして、楽しんで観ている。
最先端の医学が出てきて、、、後で、ネットを検索していたりしながら
生命に向き合う臨床医の、理屈抜きのスキルにドラマの面白さと
生命という命の闘いのバランスがドラマとして、オモシロオカシイ中にも
何かがある、、、ン、、、ダロウ、、、???面白くて見てしまう。
自己中心主義のいろいろを考え始めると
学問やスキルの世界に、、、政治が介入して
2番にしてしまった瞬間
そのジャンルは、、、崩壊させられたのと同じ運命をたどる様な気がしてならない。
政治は、、、自己中でなければ成り立たない特殊な分野のジャンルの
親であってほしいし、、、
育て上げる深遠な未来につながる育成の目で、包んでほしいと思いながら
政治は、スカーレットから去ってゆく、、、もう一人の自己中な
存在になってしまっては、、、型破りな女性の未来は孤独しかない。
ある種のスカーレットが、これからの日本には、、、大勢出てくるかもしれませんね。
一方、
臨床医の世界は、、、命を助けて、、、初めて意味が出てくる。
理屈は通らない、、ダロウ。。。助からなければ、、、意味がない。 (^^!
高度なスキルと学問と、医学を行える設備と、
医学でお金儲けや名誉を得ようと
生臭いまでに、滑稽な意思を同じくするスタッフ、チーム、、、反対する力、、、
日本の医療と、世界の医寮、、、命が軸になった、コメディともとれる、が、、、
「御意!」
医学は科学のてっぺんのすべてが駆使されて
人命という「生命の救済に向かう映画であるが、、、」
どこかおかしくて、、、(^^
外科医の主人は、この番組を見ながら、笑ったり怒ったり、、、楽しんでいる。
「臨床医は、経験がものを言う場合も多いことだろう、、、」
科学では割り切れない「生命という不思議な世界」、、、医学、、、
医師の娘として生まれ、医師の妹であり、
医師の姉であり、医師の母であり、医師の叔母であり、、、
医学者と、臨床医に囲まれた環境の中で
いつも、人の生きたり、、死んだりを、、、蚊帳の外から見ながら育った私は
いまいち、、、頭が悪い。
世間では、人もうらやむお金持ちと間違われる、、、が
廻りは良い仕事をする主役ではあるが、
焼肉一つ、、、うな丼一つ、、、何年も食べてはいない。
医師本人には、、、充実した実力の駆使できる病院が舞台であるかのように
仕事以外は、、、見向きもしない。
大みそかの映画は「風と共に去りぬ」
人の「愛」に種類があるとしたら、
自分に忠実な自己愛の強い人が、、、自己実現につながり
人の世の成功者になっているのかもしれない。
自分の周りは医師ばかりなのに、、、
主人が一生もののはずの結婚指輪は
三越の最上階のバーゲン会場で、30歳の時に買ってくださった
0,02カラットの、工業ダイヤのついた、ホワイトゴールドの2200円だった指輪である。
今は、、、家事育児や雪かき、買い物、掃除に雪囲い、、、野良仕事の手は
皆から、、、「奥さんの手は働く人の手だね~~」と言われる。
私の名前は、、、奥さん。
だれだれのお母さん。
、、、旧制だった名前をパソコンに入れても、、、なにも出てこない。
結婚と同時に、、、都合の良い女性が家事を担当。
ドラマに出てくる、医師の奥さんは、存在しない。
医師のスキルをもって
働きかた改革も介入できない「生命の危機」が
病院を不夜城にして、医師は白衣で、働き続ける。
感動と、別れ。
科学も、臨床医の経験の学門も、
「生命と、戦って、、、、やっとの思いで一人を助ける。。。」
戦争は、、、まとめて何万人も殺してしまう。
核戦争は、、、地球を住めない星にしてしまう。
近代開発のやりすぎは
がん細胞が、森羅万象、空気の恵み、光の恵み、地球そのものを食い尽くす
まるで、、、がん細胞のような、、、経済の為の乱開発の地球。
ゴミで埋まり、短絡したにわか金持ちが権力をふるって利益に走れば
行き着くところは戦争で、、、核戦争。
科学の発展を神の域にまで使う事はやめてほしい。
未来の為に「生命の美しさの保持のためにも、、、」
科学は、地球そのものが生命体であることを認識して、
慎重にその力を考えてほしいと思いました。
何かに向かう人は、、観な美しい!
オリンピックを目前に
運動家の美しい動きには
生命の美しさを感じる毎日です。
ちょうど、、、今年!
ラグビーに夢中になれたように。
美しいと感じる人間の社会は
地球の美しさの中に育ってきた。
平和に向かって、世界が「生命の美しさに向かって、、、」
オリンピックが楽しみですね。
之で今年の日記を終わります。
孫子親戚、兄弟、友人の皆さん、、、
又、、独断と偏見にめげずに
私の勝手な日記帳をコミュニケのキャッチボールに付き合ってください。
いつものように、、、良い正月をお迎えくださいね。
キーワードで、このサイトに立ち寄られた、、、貴女、貴方、方には
サーと、読み流して、、、こだわらないでください。
これは日記帳ですから、、、独断と偏見の、言いたい放題の私論です。
読者の皆様、、、付き合ってくださって、、、ありがとうございました。