花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

札幌 雪の三十日と大晦日

2016-12-31 02:28:32 | Weblog

あと8時間で、平成29年、2017年になりますね。
、、、毎日伸びてしまわないように、3時間だけ、雪を搔いています。
今年最後の雪かきにしたいと思います。

今年の雪は札幌50年ぶりと言う、
見事な雪国の景色に変貌させた、、、
まさに   

{魔法}です。

昭和38年

大学受験を控えた深夜の三十日

タツノクチ ナオタロウ、、、と言う著者の書いた問題集を

そぞろ読んでいた。

「雪は魔法である。たった一夜にして、周りの景色を

全く別の世界にしてしまう。」、、、と

私は、その英語の問題を、訳したのを、思い出している。

戦争の終盤戦で、父の実家の在った市谷も、

疎開地に向かって、祖母の住んでいた串本も

焼夷弾が街を瓦礫の残骸に変えてゆく中を

私は、、、ぬくぬくと、、、母のおなかの中で

出口をさまよっていた赤ちゃんだった。

串本の、爆撃の中

母は、大勢の避難民とともに

防空壕に逃げ延びた時、

時も、所もわきまえず、、、

私は、母のおなかから、、、飛び出した。

父が、戦陣を体験して、帰国したばかりの医師であったから

私は、最悪の環境でのお産二もかかわらず、
無事にやってのけられたのでした。

運命的に、母を煩わせる相克の子供でした。

「防空壕でのお産を母に体験させてしまった鬼っ子でした。」

あのような、ばい菌だらけの、空気の悪い環境の中で、
どうやって父母に守られたのだろう?

聞くところによると、栄養失調で生まれたため
鳴き声があげられなくて、

そのことが、むしろ、

皆の協力を一身に受けられたように思えました。

各自が貴重な飲み水の水筒から、
お釈迦様のシャワーを下さり、
産湯ならずとも、

愛のシャワーをいただけたそうです。

行かされる運命になっていた以上、
人生をむさぼるわけにはゆきません。

どこかで、私を必要としてくれるかぎり、
与えられるものを持たねば、お返しは出来ませんよね。

手探りで、
今日一日、真面目に全力投球の心を繰り返し、
気がつけば、73歳を目前に

屋根に登って雪下ろしをしていたという、大晦日です。


********************************


無事にこの世に生を受けたのが不思議な、、、昭和19年の夏。

そのまま、、、南紀の山の奥に疎開した。

13歳になるまで、、、雪を観たことを記憶していない。

南紀の山には、8種類もの蛇がいて

疎開先の丸太の天井には
灰色の「ネズミとり蛇」と呼んでいた長い2メートルもあろうかと思う蛇が

天井の丸太にとぐろを巻いていた。

御婆ちゃんの家の裏は、

上ん地(うえんじ)という、小高い丘のてっぺんを耕した
「菜の花畑だった。」

雪は観たことが無かったが、

全身真っ黒な、忍者のような「黒蛇」がいた。

脱皮を済ませたばかりなのか、脱ぎ捨てた洋服が

まさに蛇色のマダラの模様を光らせながらくたばっていた。
村の遊び友達は
「カラス蛇じゃ!てがうと追いかけてくるぞ!」と
教えてくれた。

雪のない和歌山では、未来の人生の半分を
雪掻きで暮らすなど、、、考えにも及ばない人生の展開だった。

小学校6年生の四月に、東京の小学校に転校した。

面識もないクラスメートは
いきなり私を「クラス委員」に選んだ。

いったい、右も左もわからない転校生を
クラス委員に選んで、

皆の気持ちが解らなかった。

何が起きようと、
村で大自然から教わった、動物たちのように

敵だとわかれば、それなりに行動しようと、

ごく自然体に、引き受けてしまった。

新しい顔が、単純に珍しいから
仲間にしてくれたのかもしれないが。

ハヤブサのように、クラスの友達のくれる
仲良し契約のような親切に

ことごとく、警戒した。

親切過ぎる事が、
和歌山の山でしばしば見かけた
仕掛けの餌に思えたりして

生半可の返事で、
いちおう受け取っても
祖のまま、卒業まで包を開けないで居たりした。

東京は広い。
中学校からは、転校生だと知られていない区域に行こう、、、

特別に親切にされたり
珍しがられることが

草むらに居る派手な色の動物と同じだから
目立つのだと、自分なりに作戦を立てた。

幸い、区域外の中学校で
正門の真向かいに図書館のある学校を見つけた。

「シメタ!」
之だけの本が無料で読める条件の中学校は
百万人の友達が居るのと同じだと思った。

卒業したら、此処に通学することにしよう!
心に決めてからは

一年だけの同級生が、全員親友に思えてきた。

来年からは、東京にもともと居た生徒として
新しい中学生活が始まるから、

特別の目で見られる違和感が無くなると思うと、

どんなことも、ニコニコと受け入れられた。

先生からは、申し分のない転校生になれた。

おかげさまで、家庭科だけが4で、

あとは、全部5という評価をゲットして

中学校に進学した。

図書館には、毎日新しい驚きがあり

常連のクラスメートと

ごくごく自然に本友達にもなれた。

話題は、読んだ本の事がほとんどで、

藤十郎の恋などの

女心のプライドなども話し合ったりした。

友情や心についても、中学生の未熟な視点で
喧々諤々意見を出し合ったりした。

その時「雪国」と言う本を読んだ!!!!!

長いトンネルを抜けるとゆきぐにだった、、、、。

つまり、トンネルを異次元に入る入口にしていた。

それほど、雪のある世界と、雪のない世界は

次元が違うのだ。

中学生の私は、単純に、
浦島さんが海の中の水の向こうの竜宮城に行った時のような
異次元感覚で「雪」をとらえていた。

雪を知らない時代の「雪国」の本を

北海道で暮らして、
雪は美しいだけではなくて

x軸のように、

ゼロ点を境に「マイナス」に向かって
心まで凍るという事を体験した。

チャレンジ精神も、行動力も、雪が降り出すと
来年春までは、全てお蔵入り。

新進と振り続ける雪を、
ひねもす搔きながら

人生の、貴重な時間が凍り付いてゆく。

長くて2年で東京に還るからと
母と約束して、東京に居場所を確保して、

家賃無料、アルバイト先確保、医師家庭で育った薬剤師

あんたなら、
手を組んで一緒に生きてゆくボーダーラインの条件はある。
29歳になっても、このままなら、外科医になれない、、、
色々な手術症例が多くて、若手の自分にも執刀させてくれる条件の
修行の場を、探していた、
「俺の事だけで頭いっぱいの、、、外科医の卵に出逢ってしまった。」

自分は医者だから、
無条件に誰でも選んでよいのだと思ってるようだ。
雪の中で、真っ白な世界で
医学だけに没頭して生きてきた29歳とは
子供のままの手前勝手な独りよがりで
ドンドン、勝手に決めてくる。

ワツィは「結婚してあげるなんて、言った覚えもない。」

お母さんさえ説得すれば
結婚なんて、
何とかなるもんだ、とにかく、
北海道は体験する価値のある大自然がある。
人生の2年や3年、雪国で暮らすのは宝物になるはずだ、、、とか。

本州育ちの、雪国を知らない、
いざとなったら、自分だけ本州に還り
自活できる自身はあった。

いま思うと、、、転校生の一年間が
人生の冒険だったように思える記憶が

再び、雪国での転居生活の冒険心を目覚めさせたのだと、
原因は、自分の心に眠っていた、転居の冒険心だったような気がする。

生半可な、雪への憧れがあった。

中谷宇吉郎だったかな?
雪の結晶を研究して
人工雪に挑んだ本を読んで
感動したことがあった。

色々な表情を見せる雪の結晶が美しすぎて
生成過程で模様を描きながら伸びる自然の不思議に
どこかで、雪への憧れが、
「俺俺、、饅頭の俺しか考えてない未来の主人の言葉」
「雪を全く知らない雪の中で学問している医師」
「都合の良い事ばかり言ってる、未発達な思いやりのない言葉」
必要以上に「医師であることは、未来に中流の上になれると信じてる幼さ」

私は、、、思わず言ってしまった。

「医師になるのは難しいかもしれない」
「医師をするのは、医師を続けるのは、、、親の遺産とか、
実家が金持ちとか、、、日進月歩の医学社会で、一生学生やるだけの
お金が居るのが解っていて、言っているのでしょうか?」

家もない、
車もない
免許もまだない

返済しなければならない奨学金が100万以上ある、、、

結婚どころではないはずだとおもいませんか?

良い医師になって、医師の競争相手に勝たなければ

医師を続けることは難しいとおもいませんか?」

そんな問題、、、医師を続けているうちに
雪が溶けてなくなるように、
解決する問題だよと、、、自信に持ちている。

雪は、自転も公転もしているから、解けるけど、
医師になってからの勉強は

留学だって、開業だって、研修だって、学会参加だって

研究だって、、、、

どんだけお金がかかる問題か?未体験なのね。

いざとなれば、君の実家の外科に勤めて
内科の兄さんの、手助けをするよ。

君は役立医師だから、無給の時代の短期間なら
稼げるだろう、、、

手前勝手の「俺」の強い「ご都合主義」の皮算用に

極めて、幼い、説明しようのない弱さを感じた。

この、未熟な未来ある外科医が
立派に、社会に役立てる医師になる間、、、

チョットだけ、手伝ってあげれるかもしれない。

外科医を志す医学生なんて

多分、これほど、単純に、未来に良い事ばかり考える正確でないと、、、

人様の、体にメスを入れる初めの出発が出来ないのかもしれない?

スポンサーになるほど
私は豊かではないが、

外科医の娘として、医科で育った私の常識が
役に立って、立派に世間様に役立つ医師になる人かもしれない。。。

とりあえず、、、是もなく非もなく、無感動なまま、東京に還りました。

*****************

東京に帰ると、
転校してきたころの
孤独な戦いの日々を思い出しました。

北海道大学と言う、
北海道では東大のような役目の大学を
卒業したからと言って

東京に帰ってきたら、
道は一つ、、、

我が家を手伝いながら、
お金を貯めて、
東京の、どこかの医科大学の医局に所属して、
教授に、医局員として認められなければ
一匹オオカミの流れ流れの医師になるしかないのでは?

このようなむちゃくちゃな人生は避けたい。

我が家では、毎日お見合い写真を持ってくる。
兄は、24歳のうちに、家を出て行ってくれ!と
目を三角にして、厳しく言う。

北海道か?、、
雪の中の生活か?

転校生で東京に来たころを再び思い出しながら、、、

東京に帰還してから、中学生になったころ

一度大雪を経験したが、
ひざ下10センチの雪玉を造ってはしゃいだっけ、、、!

弟が、、高校受験の時

大雪が降って、バスも電車も遅れたことが逢った記憶がある。

下駄の歯に雪が詰まって歩けなかった。

それでも、「魔法」と言うほどの、変貌を遂げてはいなかった。

一度「魔法」と書いていた、、タツノクチさんの
別世界を知るのも、良いかもしれない。

ぐらぐらと、心が不安定な時、
「俺俺、、俺の事しか考えない、、、未来の主人は
母に逢いに来た。」

「必ず、医学博士を取得して、教授の許可のもとに
我が家の外科医として赴任すると、、、彼は言っていた。」
高揚した顔で、母は言った。
「54歳と言う若すぎる外科医のお父さんが、生まれ変わって
我が家に戻ってくるのよ、頑張って、博士号を取得するまで
北海道で、彼を支えなさい。」

母が、、、「魔法にかかってしまった。」

母さん、、、博士になったら、医局が話すわけないでしょう!
医師一人育てるのに一億以上、国は援助しているのよ、
博士になって、使える医師になって、本州にかるなんて、、、
彼は、
サラリーマン家庭で育っているから、
転勤ぐらいに軽く考えているのよ、、、
毎日降る雪のように、
しばらくは
母との、同じことの繰り返しの話が積もった。

雪、、、
雪の白さ。

雪、
雪の美しさ。

良いところばかりがイメージとして積み上がってゆく母の青春。
私は、50歳代で未亡人になった母が

生き生きとよみがえってくるのなら、
2~3年北海道で暮らして

母のお気に入りの外科医を連れてこれるなら
それも人生の、私の役目かもしれない、、、と。
まじまじと、、、母の瞳を見つめていた。

一家の大黒柱の父が、
外科医だった伴侶の父が
突然過労で死んでしまった母の気持ちは

娘としては、支えられるものなら、、支えたいと。
うぬぼれてしまった。

世の中そんなに甘くない!!!
ミイラ取りがミイラになって
24歳だった私は
73歳になろうとしている。

ふとした、事から、北海道の留萌の寿町から

私の、、、結婚生活が始まった。

夕日が美しい、、、見とれるような日本海の夏だった。

それが、、、冬の訪れとともに、、、
まさに、、、「魔法」であった。


あの問題集に出ていた英文を、
われとわが身で体験した。

同じ留萌とは思えない、、、夏と冬。


坂道を転がりながら、、、桟橋に降りて行った買い物の記憶。

帰り道は、30センチ先が見えなかった吹雪の中を、

寿町の合同宿舎にたどり着くと、
雪が腰まであって、戸口が開かなかった、、、け。

木で出来た垣根が、風よけの役目が果たせず

雪に埋もれたまま、、
ギーギーと音を立てて前後に大きく揺れていた。

寿町の断崖の上の古い宿舎で、
一つしかない台所に寮の医師達が共同で使う。
3日で、怒って帰ってしまった医師夫人もいた。

廊下は雪が吹き込むので
長靴で歩いた。

私は、風と雪と 波の「魔法」を見続けながら、、、

「若さの無知な己」を、打ちひしがれながらも、育て続けた。


*************


4年後に札幌の冬を過ごせるようになったとき、

雪の土手の上を歩いた留萌の冬が、、、、
別世界に思えた。

札幌の雪は、
雪国の趣さえ感じる余裕が出来ていた。

そして、、、一度だけ、

「おはようさん!」と窓を開けたら、、、

真っ暗で、、夜と間違えた。

雪が積もって、光が無かった。

おりからの落雪で、
ソファーほどの圧縮された屋根の雪が

コンクリーのたたきで跳ね返り、

二重窓をけ破って、
ラワンの窓枠をへし折って、、、

窓際に設置していた勉強机を、
反対側の壁まですっ飛ばしてきた。

部屋は、、、雪だらけ、、、
よくぞ、、、生きていられたと、
部屋の中の、巨大な氷塊を見つめたのは
北国での恐怖の体験だった。

ミサワホームと言う
本州ではブランドのハウスメーカーである。

三島あたりでも、瀟洒な家がたちならんでいる。

本州のメーカーは、部屋が落ち着く。
しかし、、、雪国の雪の怖さを知らない屋根の造りは、

40年たった今では、
すっかり、変貌を遂げ
無落雪や、落雪の危険を回避した形になっているが、
昭和50年代のバブル期の、乱立した時代の建物だけに
後々のメンテナンスが、もう一軒買うほどかかったのは

雪を知らないというブラックホールが
吸い込む、設計のマイナス面だった。

その夏、屋根のこう配を
2倍に急こう配に改築した。、
屋根に巨大な雪氷塊が留まれないようにした。

反対側の子屋根には、45個の雪止めで

氷に変貌した巨大な氷塊が、

歩道に飛び出さないように工夫した。

本州育ちで、
下宿生活の寄生木状態の医学生だったせいもあり

雪を知らない、夫は、
全てを私に任せきっりで

自分は医者の仕事だけしかしないという
確固たる姿勢を貫いた。

雪かきは、、、女性の仕事として定着した。

出勤までには、玄関から通りまで除雪をして

滑らないように「ザラメの砂」を播いて

主人が、己の為に
ひたすら、無駄な時間をかけないようにと

「医者を続けるための、、、体力」を減らさないのが
長い目で、家庭を守ることだと、理論は立つ人だ!。

一日かかって、ゆっくり退かせばよいのだから、、、と。

北国の主婦の役割と、、、思い込んいる本州育ち。、

ひたすら、、、
かれこれ50年、、、
スコップは私の道具となった。

除雪車や、ショベルカーが
吸い上げたり、
掻き揚げた雪を
圧縮して道幅を広げてゆく。

機械のすることだから、

門の前には圧縮された細かい雪玉が
ぎっしりと積み上がり
雪のバリケードが出現する。

鉄製のスコップでないと、
堅くて刺さらない雪に変貌して
入口には、行かせないぞと
立ちはだかる。

三十日の、
忙しい時に
、門から入口までの
3畳ほどの圧縮された雪を、
レンガの2倍ぐらいにスコップで切り

手頃な厚みの所に鉄スコップを差し込み

テコの力で「雪のレンガ」を200個ほど切りだし、

昨日までの除雪で、
捨てるところの無くなってしまった玄関先の雪の土手に

200個のレンガ雪を手で運び、

雪の中に、スコップでたたいて潜らせてゆく。

かれこれ、3時間と30分、
レンガ模様の雪の土手が完成した。

背中を流れる汗が気化熱を奪い

寒冷蕁麻疹だらけになって、
作業は終わる。

いつもなら、
お風呂に飛び込むのですが、

本日は主人も仕事休みで、
一年間の疲れの中で

爆睡中。

本来の、正月の仕度に、汗だくのまま取り掛かる。

去年まで、
雪かきでいつも挨拶を交わしていた近所の男性が、

今年は医者から、
除雪を禁止されたとぼやく。

雪が退かせなくて、、、イライラするけど、、、

ドクターストップだと、
しょげて見えた。

明日は、、、
わが身だとわかっていても、

出来るうちは、
正月ぐらい、

玄関の周りは除雪して、
通り道は、気持ち良くしたいと思うのは

主婦の習性?

「除雪の方々も大変なのは

観ていてわかる」、、、、が

後期高齢者の玄関先に

除雪の雪を吹きかけて、
入り口をふさぐのは

何とかならないものでしょうかね?」

いちいち注意していたら、

除雪車は前に進めなくなる北国の除雪事情。

今年は、「排雪が入りませんでした、、、住宅ゾーン。


しかし!見事!


バス通りは、排雪されて見通しもよく

北国の交通インフラを守る除雪隊の皆さんには
底力を見たようです。

今年の雪の多さに

心より、、お疲れさまでしたと、、、
頭が下がりました。

今は真夜中の
大晦日に突入しました。

皆さま、、、良いお年をお迎えください。

************************************

このブログは、親しいあなた方数人の為に

家族の絆で書き続けていますが、

キーワードで検索された場合
見知らぬ方々も観て下さっているようです。

日記帳として、そこはかとなく書き綴れば

あやしゅうこそ、、、モノグル★けれ、、、(^^!

適当に、斜め読みして
、通過してくだされば幸いです。

息子たちや孫たちよ!
来年も、頑張って!

良い年を迎えてください。

弟や、姪っ子の友よ、
そして、その子供たちよ、

未来の日本、、、
いいえ、、、世界の平和を担う世代よ、

健やかに、
新年をお迎えください。

今年は、付き合ってくださり、、、
ありがとうございました。


真珠

2016-12-28 22:29:41 | Weblog


柔らかな 光の中で

漆黒のビロードの布に

ぱらぱらと

真珠がばらまかれた。

烈しい ピアノの曲が流れ出たような

光の旋律が

ウォーターロウの戦いの曲となり

真珠は、留まることを忘れたかのように

コロコロ、、、コロコロ、、、と

戦いの曲を奏でながら、、、転がり続けた。

リメンバー、、、パールハーバー

そして原子爆弾、、、

人は、戦いをするたびに

元素になって、海に消えた。

「私は、、、貝になりたい、、」

そんなタイトルのついた映画を、学校から観に行った。

私は、

「真珠貝」に海からの「メッセージ」をもらった。

真珠の貝の中に

痛くて、苦しい、涙が止まらない「異物」が入り込んだ。


このままでは、真珠貝は死んでしまう。

苦しくて、、、つらくて、、、哀しくて、、、

人こそ知らない大海原で

孤独な努力を続けました。

わが身の、わが心の、全てを捧げて

真珠貝は「異物」を、悲しみの涙で包んで

いつしか、涙の結晶の「真珠」を

一つ、また一つ、繋いでいって

ネックレスが出来ました。

平和を愛する女性たちの胸を

透明な、柔らかな光で包みました。


真珠の貝は 常に泣く

人こそ知らね

大海で

真珠の貝は

ひとり泣く

****************

戦争は終わったのです。

大海原で一人泣いた真珠貝たち

*****************

真珠の珠は、柔らかな光を放ちながら

丸い 地球の平和の象徴になってゆくでしょう。







真珠湾の涙

2016-12-28 06:29:53 | Weblog


真珠の貝は ひとり、、、泣く

人こそ知らない  海の中

真珠の貝は、、、常に  泣く、


戦中に防空壕で生まれ

戦後を生きた、、、私たち、、、昭和生まれ。

弟よ、、今、

オバマ大統領と

阿部内閣の

真珠湾での献花を観たか?

このお二人の姿が、人類がどんなに望んでいたか、、、!

平和への祈り

真珠の涙の、輝きは

真珠貝に、戦争と言う「異物」が入り

アメリカも、日本も、、、その痛みに耐えた日々を知るのは

海の底の真珠!

この苦しみを、

国連の分担金にも象徴されている、、、痛みを平和の祈りに変えていった。

アメリカ、22パーセント
日本    9.7パーセント

真珠貝の痛みを

体内の平和を祈る分泌物である国民の努力を

世界に光を放ち

真珠湾の

真珠の海を地球に取り戻す努力が、、、

人知れず、、、続けられてきたアメリカと日本

恩讐の彼方に、、、世界の平和が

真珠の光を取り戻す日が、、、今、約束された。

地球上で戦っている人間たちの、、、哀しき性を

真珠貝が、その異物を70年間も

体液を振り絞って巻つづけ

今!オバマ大統領と阿部首相が

光を放ち始めました。

お二人の、この努力に 感謝します。

お二人は、この瞬間の為に、、生まれたと!!

涙が止まらない。

72歳の、、、私です






勇気を出して!

2016-12-26 02:01:25 | Weblog

かれこれ40年以上経過しているけど、、

毎年雪を降ろしたり、

屋根をトタン張り替えしたり

ペンキを塗装したり

旧い家ですが、

使わなくなったものを、移すと、手狭な本宅が

それなりに広く使えるので

旧くても、カメムシが入って来ても、

水道が出なくても

我が家にとっては

いつか、、、使える家にしたいと思っている。

今年の連日の雪で

屋根が、重そうに、一生懸命雪を持ち上げている。

長尺トタンだったのが

屋根の張り替えの時

予期しないデザイン変更で

屋根の上に経つと膝頭あたりの高さで

カットしてあり、バンキンが下向きにたたいてあるため

今回ほど、70センチはありそうな積雪となると

暖気の時、バンキンの間から、

毛細管現象で、水分を吸い上げ、すが漏れと言って

水が、天井にしみてくる。

やむを得ず、ミサワホームに

除雪の現場を担当してくれる作業員を2人頼みました。

札幌中、どこもかしこも

雪下ろしのニーズは高いはず。

28日なら行けマストの事。

さすが、、、ミサワさん4万で2人派遣できるという。

しかし、もう一回降ったら、家がダメになるような気がした。

ありがとう、、、でも28日まで待つより、
自分で下して、出来るか試してみます。

とりあえず、ドキドキ雪を観ているより

天は自らタスクるものを、助けるはず、

子宮が下垂してこないように、

整形外科でもらった腰のサポーターを二重に付けた。

膝も方も、上腕も、手首も

ストレッチのきつめのサポーターを二枚づつ装着した、

後は、携帯をビニールに包んでポケットに入れる。

昼間の人通りのあるうちに

勇気!「勇気を出して、梯子を上がった。

下から見ていると

回りの家も積雪が70センチぐらいあるのだろう

相対的に30センチぐらいに見えていた。

梯子のてっぺんまで来ると、

圧迫してくるように、雪の壁が立ちはだかり

屋根にあがる足場がない。

馬も四足!鹿も四足!

ヒヨドリゴエの勇気をもって

手で、雪を搔き、スコップを差し込む隙間を作り

其処にスコップを入れて左肩すれすれに雪のカステラを落下させる。

足場が出来た!

左手で梯子をつかみ、

右手でスコップを50センチ先に差し込み

どうやら屋根のはしっこに、立つことが出来た。

後ろはない!

排水の陣である。

前に行くしかない。

立ってみると、胸まで雪がある。

焦るな、焦るな、愚公山を移す気長さで、勝負!

時間は2時半!

屋根の下で、一番漏れてくるキッチンの上あたりを

すっかり除雪、その先は「風呂」「洗面所」「トイレ」と

3か所の壁が支えている。

ここは、水漏れには強くできている。

70センチの積雪のうち、上層部の50センチを降ろせば

バンキンの切れ間が見える。

20センチぐらいは、雪が乗っかっているのも正月らしい。

汗だくになって、これでいいことにして

屋根を降りたのは6時。

3時間半の雪との格闘が終わり

主人が入れてくれたお茶を飲んだ。

体が冷えていたのか、腸の除雪モ、完璧。

風呂に飛び込み、潜る。

気持ちが良い!

最高に達成感が有った。

之で、気持ちよく正月を迎えられる。

雪は、どんなに積もっても、

自分が処理できる重さに調節できるから、

急がず、あわてず、業者さんが1時間かからない仕事を

3時間半かけて、チャレンジ精神でぶつかれば

雪の縄張りの屋根の上にも

上がってしまえば、やや、斜めに傾いだ地面の上と同じだ。

軒先に雪止めストッパーを40個配置してあるので

雪ごと落ちる心配のない屋根だから

冒険心が、イケイケになったことは、確かな安全。

梯子から、落ちたとしても、びっしりと雪のマットが敷き詰めてある。

終わってみると、

緊張して、頑張る事もなかったかもしれません。

クリスマスに、主人が在宅していたことが

安全パイになり、携帯持って、裏の古い家の屋根に

チャレンジできた大きな要だったかもしれません。

ちなみに、主人は結婚以来、雪かきには参加しない。

患者様の肌に触れる手に

スコップを持たせない主義が、

いつの間にか、私の仕事になってしまっていたのです。

今回の経験で

雪かきの実力がアップした実感があります。

明日は、車庫と道路の間の

除雪車が寄せていった雪の土手を、

ママさんダンプでどかします。

もう、ここまで来たら、終わったも同然!

降らないで、、、大雪

積もらないで、、これ以上!

正月は、、、休みたい。

百面相を見せる雪の結晶を

研究していた北大の学者先生の

雪の取り組みとは

雲泥の差の、主婦の健闘でした。

****************お粗末様



年寄りって、結局、社会の年齢区分かも?

2016-12-25 05:34:50 | Weblog

毎日毎日、、、トタンの屋根の上

ショベル握って  雪下ろし、

サラサラ、、、サラサラ、、雪は降る

搔いても、きりがない、、、

結婚この方、、、50年

冬は雪かき、春を待つ。

今日は今日とて

車庫の上

今年3回目の車庫の上

ヘイを伝って、物置に鏡餅かと疑うが、、

これはまさしく雪の山

も一つ、、、隣の物置に
ジャンプして飛ぶ、、、屋根伝い

鼠小僧も、雪の中

次から次へと、屋根伝う

ショベル片手に、ひねもす搔くのは、屋根の雪。

一軒家なのに、屋根ばかり、、、

最後にベランダに積もる雪

今日は半分、あす半分、、、

冬のアイアン、、、つららをたたく。

雪に埋もれた札幌は

毎日毎日雪を搔く。

天の神様、、、もう勘弁してよ。

私は、雪かきに、、生まれてきたンと、、、ちゃうわいな!

お正月ぐらい、おめかしして

華も飾って、「奥様」と、言われるくらい動かずに

微笑み麗しく、年かさね

子供に、孫に囲まれて、

座っているだけの、、、「年寄り」は

多分死ぬまで来ない夢。

年よりなんて、

年齢で、あす亡き人と分類された、呼び名、、、かもね。

仕事も雪かきも、30代より増えてくる。

除雪車よ、ここの住人は70代

片側だけ描かないで、たまには、こちらのサイドも除雪して。

正月ぐらい、雪に埋もれないで、過ごしたい



イギリスの映画   赤い靴がTVに!

2016-12-21 15:18:36 | Weblog


音楽、バレー、そして舞台芸術 

懐かしい「文学」

マジェスティック雰囲気の古典芸術

赤い靴と教会

赤い靴と煩悩

芸術をする人たちは

解ってくれるたった一人の為に

全身全霊で奏で踊り創る

久しぶりに、、、良い映画を鑑賞しました。

愛と芸術

男の愛と

女性の愛

人工知能がどんなに発展しても

造られた画像のダンサーが

どんなに素晴らしくても、

人の心をまねることは出来ない。

映画は素晴らしい、、、ですね。

時代がどんなに進んでも

置き去りになる事のない、、、輝きがあります。

愉しいひと時でした。

これから、、、夕食のお買いもの、、、。


真田丸の最終回、、、2回見ました。

2016-12-19 02:53:48 | Weblog

もしかして、、、

真っ赤なイデタチの真田幸村が

エルシドのように、

徳川の軍に向かって駆けてゆき

モーゼのエジプト記のように

迎え撃つ徳川軍は、真二つに割れて

幸村は「真紅の武士道」の生き様の火の玉になって

何処までもかけてゆき、

大阪城も、真っ赤な火の玉になって

炎の中に武士の世界の武器が消えてゆき

幸村は時代を駆け抜けて、

空の彼方まで駆けつづけるのではないかと

想像したりしていた。

だからと言うわけではありませんが、

20時から、、、もう一度見ました。

馬に乗って家康一人に向かってゆく幸村は


一つの時代の過ぎゆく瞬間に居場所を得ましたね。

武士の時代の、、、トリ、、、とも言える

戦国武将の終焉を「紅の気迫で駆けた最後は、、、

微笑みだったのが救いでした。

一年間、、、面白かったです。




年賀状を書く季節

2016-12-18 10:19:58 | Weblog

毎日毎日、、、雪を かいているうちに
年賀状の季節がやってきました。

戦後の一億総貧乏家族の時代から、
ソニーと言う

力あるものは学歴を問わないで雇用する会社が現れた、

東京大学以外は相手にされなかった時代は終り

二期受験の国立も、私立大学卒業も
学力いかんで、ソニーの社員になれた時代。

私の在籍していた日大理工学部のある駿河台の街も
ソニーを目指していた友人たちと
喫茶店の「丘」の名曲を聴きながら、

海外進出の夢を実現すべく
昼休みは日本語はご法度の会話タイムを過ごしていた。

夏の合宿は、「花はどこへいった?」をウクレレでつま弾きながら
軽井沢の寮の合宿に参加した。

時代は、高度成長。

友人も、簡単に新しい試みにチャレンジしていた。
大学祭は、泊まり込みでポスターを描いて、

当日は、のどを嗄らして、
ポスターの説明に夢中だった、、、あのころ。

実は人生の「華」の時代だったなんて、、、

72歳になって、、、、気が付いている。

戦後の貧乏から這い上がって、

主人の父はソニーの社員だった。

そのおかげさまで、

主人は北海道大学の医学部に下宿させてもらえたと
ひたすら、、、「運」が良かったという。

ソニーの社員で、纏まったお金がたまると
父親は「自分の会社を作り、ソニーの外郭のグループに入ったという。」

本来なら、どんどん発展するはずが
機械類の「バージョンアップ」の速さに
会社はついてゆけなくなり、

ソニー時代の作品は
朝日文化賞、文部大臣賞、、、芥川賞候補、、、

もうチョイ賞、、、で人生はタイムアップ。

実家は整理して
有料老人ホームで大往生した。

時代が時代だけに、
受け継ぐべきものは、時代に追い越され、

無差別に処理されていった。

おじいちゃんが大切にしていた
訳の分からない「作品の品」は
まとめて神社に寄付された。

主人の妹さんが、
その後、親類の家を回って父親の形見を集め回り
それも神社に奉納したみたいであると、、、推察する。

夫の父親が残したものは、
作品制作のための、制作費の投資になるからと
借用証書と引き換えに、支払った制作費の焦げ付いた証書が

時代にはついてゆけなくなり、
虚しく、、、人工知能に敗れた時代であった。

何事のオワシマスカワ知らねども、、、神頼みで

深いことは考えなくて、
神社に奉納すれば

ゴミとして捨てられるのは
さけることが出来ると思う庶民の心。

我が家に残されたのは、制作費の借用証書。

昭和初期は、夢を実現するにも

一族出し合って、チャレンジ、、、そして、機械類の発達

パソコンは、、、VM21、、、バリュスター、ペンティアム1,2,3,4,5.

ウィンドウ95、、、行列で売り切れ

XP、、、きりがない、、、ウィンドウ10、、、

個人の家でも、専門職に就く人間は

バージョンアップの度に
周辺機器が使えなくなるという、、、厄介な発達過渡期

夫の父親は、時代の速さに

人生が人工知能の渦に巻き込まれた多くの会社の
過渡期を生きた。

オリンパスペンと言う
学生の間でも人気絶頂の
「ハーフサイズ」のカメラを発明した同窓の友人が

夫の為に、
私たちの仲人に入ってくれて
ありえない、、、東京と北海道の結婚を仲立ちしてくれました。



その時、夫は私より、
私の母と話し合い、
外科医の夫を亡くした母に

医学博士を取得した暁には、
教授の許しを得て

お父さんの代わりに
ここで、外科医をやりますと、、、

母と取引した。

私と言う女性は、何処にも存在していなかった。

72歳の今日まで、

母へのプロポーズはあっただろうが、、、

私へのプロポーズの言葉はいまだにない。

母の了承を得た夫は、東京での結納式にも、

オリンパス商事の社長さんをしていた
父親の友人にまかせっきりで

本人は姿を見せなかった。

外科医の妻だった母が、
若き外科医を気に入って、

父の幻と結婚を進めていったというわけです。

医者が医者になるよりも、
医者を続けることの難しさを知っている主人は

金のないのは首のないのと同じ
日進月歩の修身学生の医師の運命上

自分にとって医師を続けられる背景と結婚すればよいわけで

妻になる私は、都合の良い条件であったというだけです。

医師の家庭には、「愛」は邪魔かもしれない。

私自身、、、、野イチゴと言う映画のセリフが思い出された。

「医師は罪があるという、、、罪です。」

夫の初めの罪は

「自分の人生に出逢いの感動とか、愛とかを削除してしまったことです。」

医師として医師をする事を続けるためには、自分だけの戦略で

まっすぐまっすぐ進み続けるという罪です。

家庭より、仲間たち、病院や医局や、スタッフが家族だったことです。

もし、私が外科医の娘でなかったら、

理解に苦しんで孤独に陥り、空しい人生を過ごしていたかもしれません。

ブラックホールを持つ白鳥座が、、、言わば患者様です

医師の医学的力と言う「真田丸」が無かったら、
病気の持つブラックホールに
医師は丸ごと飲み込まれるだろう。

同様に、主人のような考えの人間と家庭を築いてゆくのなら、

医師は医師の考え、
私は薬剤師だから、自分の考えで
全責任は自分でとるから、、、夫に振り回されない

この原則をかたくなに守っても、

命と対面している夫に
いつも優先権があり、

患者様のお肌に触れるがゆえに
主人には雪かきのスコップを持たせた手で
診療にあたってもらいたくないという

初めに命の重さに負けてる私は
ことごとく、、、夫に負けてるように見える雑役婦を

主婦のありようとして容認せざるを得ませんでした。

国立で医局に居る人たちは
今と違って、無給医時代ですから、
親がしっかりと金屏風の強さを持っている方が多い中、


よくぞここまで
人生の雪を搔き続けてきたなーと

私は、、、私を、、、ほめることにします。

全然私に気が付かなくて
自分ばっかり愛している主人に代わって、、、(^^!

結婚して初めて
年賀状を書きたいと思います。

76歳、、、患者様のお役に立っている夫に

色々あったけど、、、貴方には勝てない人生です。
来年も頑張って
私より長生きして、
本当の勝利を目指して、
若さの耐力を維持すべく
リハビリーで体操を続けて下さい。

平均年齢まで活きること、、、それが本当の勝ち組です。


休めない、、今年の大雪!

2016-12-17 16:45:59 | Weblog

昨日は、絶対に「休む!」つもりでしたが、、、

朝、ドアを開けると、雪のストッパーが重たい!

またか~~~

除雪車が

:::::反対側すれすれに除雪。*******


我が家のげんかん前の道路が

半分は、見事に除雪してゆく。

ショベルの雪よせスコップが道幅半分しかないため。

角地の我が家は「雪よせ場さながら、雪の土手が出来る。」

バスの通る大通りさえ、、、、


(--!

あっちも、こっちも、除雪が間に合わない中、

U ーターンして、

「こちらサイド」も

均等に除雪して欲しいなんて、、、

とても言えない雪国事情。



お正月に雪で見えない玄関先と言うのは、
新年の出足が鈍るので、昨日も除雪に5時間かけた。

さすがに、家に入ると、爆睡!

何時間も、食べていない。

ポカリスエットを飲むと気分が良くなり、

インスタントラーメンを作った。

いつもなら、

おいしく食べれて、TVタイムという主婦の幸せ時間のはず。

今回は!!!!!、、、変!

食べなれたインスタントなのに、

胸が苦しく、消化しない。

丸ごと胃の中に停滞している。

SM散と、べりチームと、テプレノンをまとめて飲んで

もう一度爆睡、

薬剤師としては、こんな飲み方をする人には

「SM散か、、、べりチームのどちらかで充分ですよ」

と、答えていたはず。

5時間後、21時30分、胃のむかつきは感じない。

良かった!日本は胃のケアの薬は優れている。

薬は、飲まない方がいいと思いつつ

どうしても、薬の即効に頼ってしまう。

    ***************

主人は忘年会から、まだ帰ってないようだ。

    **************

夕ご飯を作らなくて済むから、

亭主元気で外に居るのが、、、女房は一番休まる。

買い置きした「おにぎり」を熱いカルピスと。

働いた後は、ポカリスエットと、

雪かきの後は、どういうわけか、お茶より

熱いカルピスがおいしく感じる。

ヘトへと、、、、ってこういう状態を言うんだ。

自分でも、北海道に「一生」住み続けるとは

考えてもいなかった。

人生半分雪かきが無ければ、、、、

色々の事が出来たのにと、、、
時間を失うのが、哀しい。

札幌に来たころは、
知りあいを作りたいと思い、

道新の「いずみ」などにも、、、投稿したり、

名刺代わりに、、、札幌の皆さん、、、

仲良くしてくださーい、、、と

アクションを起こしていた。

冬季オリンピックの

ボランティアもしました。

板垣市長さんからは「主婦と話す市長さん」のイベントに

招かれたりもした。

お母さんの集いや

キリスト教会の行ったキャンプにも

子供を連れて参加していた。

**********

それでも、雪かきは、私だけの仕事だった。

若くて、体力が有ったから、

苦にはならなかった。

いつの間にか、、、雪かきで、一日が終わるほど

疲れるようになっていた。

もし、、、、私の個室があり

冬の時間が有ったなら、、、

小説のひとつ、、、それも、日本の民間薬や、

修験者の携帯する「陀羅尼錠」の舞台になった

和歌山の、奈良の、旅日記を書いていたかもしれない。

子供のころ父の往診にくっついて行った村

時間が500年以上も、止まっている村の

不思議を知りたかった。

たった13年間の疎開地の暮らしは
自然からの知恵をいっぱいいただけた。

父の生まれ故郷の東京に行ってからは
勉強や、試験や、
進学に時間をとられてしまい

自然の事を思い出すためにも、
友人と登山をしていた。

進学した小松川高校は、女性の多い高校で
男子も、がり勉が居なくて、

「山と渓谷」の写真に夢中な先輩や、
高等学校には
「蓼科山の寮」が有ったので
夏休みには岩だらけの蓼科山頂を目指して汗を流していた。

幸せなひと時だった。
あたりの牧場も青春の深呼吸が出来た。

女性としては、お勉強も
ほどほどにする高等学校だったが

価値観は、受験に向かう学生より
図書館の本を読む学生の方が目立っていた。

嵐が丘
アンナカレーりーナ
大地、、
風と共に去りぬ
武器よさらば
、、、

教科書はそっちのけで、私も図書館の本が気に入っていた。

勉強がができる人だからから好き
東大生だから好き

お金持ちだから好き
早稲田慶応出身だから好き
一流大学だから好き

etc.

このような、科学に介入された感情が全くない世界。

本の世界は一瞬 お決まりの「お勉強を忘れさせてくれた。」

何代も続いた家業を、親から学び

東京芸大を出ても、思いつかない世界。

民芸の中の秀逸な精神の集中。。。
水上勉の「竹人形」のような

雁の寺、、、読んだことあるでしょう?!
高校生としてはショッキングな本でした。

いつしか大人になって気に入っていたのは

「街道を行く」、、、
あの本で、古座川の一枚岩が紹介されていましたが、

とうちゃこ、、、の自転車の旅では観ていません。
小学校の遠足は、あの日本製のELCapitan!
1095メートルとはいきませんが

見事な一枚岩です。

ショウヘイ、、、さん
ぜひ見てください。

本の話から故郷を思い出す一冊でした。
高校時代は、、、勉強より、、、心地よい時間いに浸かっていたかった。

つまり、、、受験勉強は
生きてゆかねばならないから、、、
仕事と似ていた。

わずかな余暇が
本当の自分の求めている者にすり寄ってゆく。

私的には、

美の中の自然美のような生活を
日本人は大切にしていると思うのです。

旅をしながら、
感性に触れた生活を

私の人生が終わっても
忘れたくないから、、、

小説風に書いていたかもしれません。
誰の為でもなく
この世に残してゆく
自分の魂の止まり木として
生前中の記憶を書き留めておきたい。

たとえば、、、

50年近く前

草月流のいけばなの先生に

創風先生とおっしゃる

大胆ないけばなを、
「銀座の服部時計店のショウウインドウ」に製作されていました。

戦後の荒廃した心にしみてくる作品でした。

獣の頭蓋骨、割れたお釜、佐幕のイメージ、小さな植物。

大学のころでした。
帰りがけにYMCAの教室に飛び込んで
この、、、不思議な造詣の心を知りたくて
2年間通いました。

今年の11月、、、平成28年
戦後71年ですかね~~~?
銀座の服部時計店のショウウインドウには
巨大なシロクマ親子の、、、
電動で動くぬいぐるみが飾ってありました。

平和なのでしょうか?
南極の温暖化で、
氷を融かすのは、
世界が結束してくいとめましょうと、、、
シロクマ親子の平和を守る意図があるのでしょうか?

私は、しばらく立ち止まって見ていました。
店内に入ると、
天文学的数字にも思える「時計のお値段」に
時代から取り残された野かと、、、思わず錯覚する。

「北海道の時間」を値段には変えられない。


戦争の、爆撃から守られた、
生き残った旧き伝説の村の

時間の止まっているがゆえに、
懐かしい感動を訪ねたい。

服部の店内の、
手の届かない高価な時計を見ていると
東京は、、、
私が25歳まで過ごした
戦後の復活の街とは違っていた。

北海道に還ろう、
子供のころ、父が買ってくれた
スイスのモーリスの南京虫の小さな腕時計が
数字がかすんで見えないくらい汚れて、
引き出しの中に止まっていた。

手巻きの時計である。
お父さん、、、ありがとう、、、
今は止まってしまって言いますが
貴方の、人に尽くした背中が見えます。

真っ白な雪を、車庫から降ろしながら、

真っ白な雪の世界だから、

無色な中にうずもれているからこそ、、、

暖かだった疎開地の和歌山や、

父母兄弟と行った「奈良」「京都」「大阪」を想いうかべながら

今日も、雪と闘った一日でした。

主人は、明日も忘年会!

シメタ!、、、明日も夕食要らないぞ!

インスタントラーメンで
冷えた体を温めて、、、主婦の極楽タイムです。

眞田丸の最終回は、、、楽しみです。

結果が解っていても、

子供のころから、眞田十勇士の漫画で育った昭和10年代。

雪の合間の、TVの贅沢さは、最高ですね。



怪我の巧妙? 

2016-12-14 23:50:19 | Weblog

連日の雪かきで。

やっと、八部どうり治った五十肩の、
、、アイタタタタタ、、、、が
ぶり返した。

しかし、肩を使い過ぎた感覚が、しっかりと自覚されるので、

3日は、何もしないで、ソファーに転がって

NHK-TVをかけっぱなすことにした。

いつの間にか寝てしまい、
目が覚めると「片岡知恵蔵の内蔵助、、大石内蔵助」が

独特の神妙な顔で、低音で話すセリフで目が覚めた。

途中からであったが、

「播州赤穂の、浅野家の、、、子供のころに観に行った、忠臣 蔵」

すっかり目が覚めた。

昔の映画は素晴らしい、、、

月形龍之介の吉良殿、
片岡知恵蔵の内蔵助、

旗本退屈男で知らない人は居なかった、欣也さんのお父さんの
市川歌右衛門。

東、、、踊りの見事な、、、東さん。

鞍馬天狗の大友、、、龍太郎、、こんな字だったかな?
大きな目が澄んでいて、悪役を出来そうもないお兄さん。

後の、、子連れ狼の万屋さん、

全員が武士道を心得た深い芸の力で

「風さそう、、、花よりもなお、、、我はまた

       春の名残を、、、いかにとやせん、、」

辞世の句を、絞り出すように読む知恵蔵に

観ている私も、仇討に参加する志士の一人になったように

苦難を共に、映画に引き込まれ、、、

こみあげてくる感情を、、、「これぞ忠臣蔵」、、と

懐かしく、TVを観ていた。

いつの間にか、湿布だらけのわが身の痛さは、クリヤーしていた。

同じスタッフで「日輪」という

総天然色映画を観た記憶があるのですが、

土手の上で、知恵蔵、歌右衛門、月形龍之介の

神代の時代のイデタチが、夢のように、今も瞼に浮かぶのですが、
NHK,,,で、映画、見せてくれると最高なんだけどね。

休むことに決めた3日のあいだ、TVが本当に楽しみだ。

今日は暖気、6度C、明日はマイナス、雪搔きは、0度になった夜がチャンス。

2016-12-14 03:27:56 | Weblog


毎日毎日、トタンの上で、、、雪にまみれて、白髪になった?

大雪の次の日の暖気で、

昼間は雪が解けてザラメの掻き氷状態の雪も、夕方の0度を境にリンクになる。

羽生さんが大好きで、一緒に滑ってる感覚でTVを観ていても、

厳寒に戻ったドアを開けると、長靴を履いても、、スッテンコロリ!

あわてて、砂を播き、どうにか歩ける。

この繰り返しで、知恵がついた。

暖気のうちに、階段も、歩道も、車庫前も除雪しないと、、、怪我をする!

今日は、暖気の想い雪。

明日はリンクを金属製のスコップで割ることになり

手首をねんざする。

今日中に、やるしかない!

物置の、屋根の雪、二畳分、空中から飛び移って、

一段低い屋根の物置に、腰まで埋まる。

一段高い屋根は、60センチぐらいなのに、

下の屋根は2倍も雪がたまっている。

風向きを考えて、配置すればよかったと後悔するが、、、

毎年、、面倒で、雪下ろしの度に思う事は同じ。

長い間、どこが漏れてるかわからなかった古いミサワホームの水道が

メーターより、土管寄りが、亀裂が有ったことを発見してくれた。

雨になるごとに、水がたまって、庭が浅瀬になるので、

何度か救急に電話していた。

2週間も経つと、庭の水が引くので、

救急は、昼間の工事の係りの電話を教えてくれました。

何度か自分で、指定業者を頼んでも、

原因が解らなかった。

水道局は、こまめにメーターを替えていましたが、

地面の下の元栓を閉めてくれるように頼んでも、

いつも、開けていました。

しかし、水道は、まとめて、40枚も基本料を請求されて払って以来

地面の下で、止水するように、契約を解除した。

しかし、毎年、庭に水が溜まり閉口していたところ、

水道局の、正職員が、初めて、

私の電話を、聴いて、飛んで来てくれた。

散水栓が有るので、つかっているのではないですか?

質問を受けた。

排水溝の土管を開けて、点検して、

からからに乾き、使った形跡がないですね!

それからは、我が家を疑う事は辞めてくれて

持ち前のプロ根性で、あちこち調べ始めました。

「わかりました!、今までの人は、メーターから家庭内の間の

漏水を疑って、いたから、原因は家庭内に有ると思っていたのですね。

之は、水道局の管轄の、メーターより外側なので、工事をします。」

三角の、水道工事中のゴムのような帽子のような、工事中を示すものを置いて行った。

翌日、水道局の正社員が、二人の若い指定業者を保なってきてくれました。

庭を掘り返してもいいか?と聞くので、

「水道の水漏れがなおるなら、全部掘り返してもいいですよ。」

何十年以来の悩みの種が治るなら、庭どころではありません。

庭木は、どうにでも植えなおせるが、水道はこのチャンスしかない!

掘り起し、亀裂の部分をないして行ってくれた。

掘った後も、きちんと元どうりしていってくれた。

長年水に浸かっていた大量の砂利も、

掘り返す前に、別にどかして、山にしてあったものを、

元どうり、播いて言ってくれた。

千載一遇に、出逢えた、水道局の正職員の内勤の方のおかげで、

今年は、物置倉として使っている裏の別宅は、

暖気の時も、雪の心配は無用となった。

この職員は、視点が、水道の構造をよく知っていて、

私の話から、初めは、契約解除はしているが、
地面の下のメーターの線が

開いているので、こっそり散水栓を使っているのではないかと、

初めは、散水栓を調べていた。

しかし今までの人とは違って、

「散水栓は使った形跡がないですね。」
「排水の土管も、何十年来使った形跡がないですね!」
「これは、メーターより外側の、水道局の管理の部位に漏れがあると思います。」

てきぱきと調査すると、汚れの全くなかった制服が、泥だらけになるまで

漏れて水たまりになっているメーターの入っている地面の下に

工具を差し込んでは、泥んこになって、調べてくれました。

その結果、原因は我が家に有るのではなく、

地面の下の、水道局の管轄の所が、亀裂が見つかったのでした。

まっすぐな、人を疑う事をしない、仕事熱心な視点が、

何十年も、入れ替わり、立ち代り来た人が見つけられ無かった、

亀裂を見つけ、掘り返して、修理して言ってくれました。

「もう、、、水は、出してもだいじょうぶですか?」

聞いてみた。
「何年ぐらいつかってませんか?」

平成6年以来使っていません。

記録は、多分、基本料を40枚以上、14万円ぐらい、
一時に請求されたことがありますので、

水道契約をストップしていても、

漏れ続けていたわけですから、

使っていたとみなされて、支払ったことがあります。と

説明すると、

「多分、その頃は鉄管なので、あちこち錆びているかもしれません。

春になったら、一度業者を入れて検査してからでないと

ぴゅいーと、予期せない漏水が出るかもしれませんね。。。」

正直に、職務のプロとして、まっすぐに

我が家の、原因が解らなかった漏水を見つけたのは

この方の、人を疑わない、仕事にまっすぐな考えが有ったからだと

感謝に堪えません。

***************

今年は大雪で、裏の倉になっている、古いミサワは、雪を降ろさないで

屋根はどうなるのか、、、観察しようかとも考えています。

多分、持ちこたえられないかもしれないが、

72歳になると、屋根から落ちたら、骨折するだろう。

もう、、、若くないから、、、

このまま観ていることにしようと思っている。

数年しか使わないまま、家の中の「とのこ」のついたままの

日本間には、息子が描いた自画像がかかている。

雪の問題さえ解決すれば、

ミサワホームは「我が家」って感じのする、無駄のない

良いうちなんだけれどね?

バリアフリーにして、老後のリラックス空間にできるのなら、

それもいい。

ちなみに、リホームの設計を描いてきてくれたのですが、

確かに、うまい間取り、素敵にはなりますが。

。。。。。。1500万円。。。。

このお値段なら、50歳の時リホームしないと

ローンは払えきれませんね。

老人には、銀行も、動かないし、

カードローンは利息が高くて、40歳代でないと、返済は無理。

結局、水回りだけ直して、使えるようにして、

アトリエにすることにしました。

雪かきの疲れから、スコップを持ったまま

春が来てからの、古い家の甦り方を考えていました。

雪を、、降ろさなくても良いように、

屋根一杯にテラスを創り、、、、角柱を土台で支えて、、、、

夏の夕涼みのひと時を楽しむのに、

自分で作ってみるかな?

Do it yourselfe!

アメリカに30年住んでいたという「お婆ちゃん」が、
疎開地の和歌山で、激を飛ばしていた戦後を、、、思い出しました。

あのころの、復活の皆のバイタリティを思い出せば、

雪にも、不便な事にも、負けてはいられませんね。

大変さも、楽しまなくっちゃ!

人生は冒険のようなものですから。

全ては、、、持って死ねないのだから、、、

全ては、解決されているようなもの。

だけど、、、人は悩む。

和歌山の高野山で、お爺ちゃんが投げさせてくれた
素焼きの白い皿、、、

人間の欲や。煩悩。悩み。人のせいにする事。、、、全て

自分を戒め、悟るための白い皿ではなかっただろうか?

世界遺産になってからは行っていないが、

父母の眠る高野山に、四月に行ってみた。

氷のようなクリスタルな桜の花が裾野に咲いていた。

もう、雪はなかった。

こんなことを考えながら、ゆっくりと除雪した。

高野山にのぼったときのように、

一歩一歩、ゆっくりと、、、雪を運んだ。

5時間かかったが、次の雪が来ても、とりあえず、、、大丈夫!

春になったら、水道を点検して、使える、ミサワホームにしたいものです。

旧くても、無給時代に、9分の利息で買った、マイホームですから。

子供たちも、一番かわいいころのマイホームですから。

此処があると、、、人生は、思い出が友達代わりににぎやかなのです。

雪かきで、頭がボーとして、キイをたたくので、

支離滅裂の、気になる事がてんこ盛りになり、、、

自分でもよくわからなくなりましたので、、、もう寝ます。

当直の、あなただけの為に報告になれば、それでいいです。




日曜日 今日も雪かき、

2016-12-11 19:55:50 | Weblog


昔、、、息子が小学校の時でした。

この一帯のミサワランドに、いろんな職業の人が
引越してきて、創立したばかりの小学校に

息子は、途中で転校しました。

近くに、看護婦さんも住んでいました。

ごくごく自然に近所付き合いになり、

ベランダから、サンダルを履いて

「奥さん居る~~~」と、

気軽な近所の付き合いでした。

北海道の、人間味豊かな、、、良いところだと思っています。

そのうち、息子たちも兄弟のように、遊ぶようになりました。

そして、そこの家の愛犬だったテリヤが

雑種の子供を5匹生みました。

テリヤの子供だけあって

血統種のように
母親だけの遺伝を受けたかのような犬が交じっていました。
「チーコ」と言う、
可愛い名前を付けてもらった「メス犬」が
一番の人気で、
すぐにもらわれていきました。

残ったのは4匹。

そのうちの一匹が、
どう見てもテリヤの血を引いているとは思えない

毛の短い、蟹股で、不恰好に歩く、、オスの子犬が居ました。

子犬と言うのは、不恰好に歩くと、それなりに可愛いものでした。

結局、貰い手のつかなかった雄犬が、

息子の愛する子犬として、

親は押し切られて、飼うことになりました。

庭に、長いロープを付けて、遊ばせておきました。
好き勝手に動き回り、あちこち掘り返しては

いろんな物を埋めたり、飽きないしぐさで忙しい犬でした。

成長とともに、カールの毛が伸びて、

まさに、、、テリヤ、、、

しばらくたつと、
背筋をぴんと張った、立派な雄犬に変貌して、
すっかり頼もしくなりました。

飼ってしまうと、家族です。

ケットウショ云々は関係なく、可愛いものでした。

私が、車庫の雪を降ろしに庭に出ると、

跳ねまわり、飛び回り、雪まみれになって、

長いロープのギリギリまで飛び回っていました。

降ろした雪を踏み台にして

今度は車庫の上に登るのです。

一階にの庭、二階の車庫の屋根の上、、、
彼は、冬の雪の季節がすこぶるお気に入りで、

外が好きな犬でした。

一回も、部屋の中に入れてやることをしなかったけれど、

いつも家族の信頼が感じられました。

ベランダガラスのある部屋の中からは

車庫の上の愛犬の天然の雪の部屋が

むしろ、、、暖かに見えたのは、

テリヤのカールしたムクムクの毛皮が、

外の雪と似合っていたからでしょうね。

斜めに20度ぐらいの傾斜のある、車庫の屋根は

我が家の愛犬の「ラッシー」の
お気に入りの、「マイローム」でした。

道行く犬の散歩の人たちの微笑みを誘っていました。

車庫の雪を降ろすたびに、

17年も一緒に居てくれた、誇り高き「雄犬」の

飛び回っていたころが思い出されるのです。

晩年は、私以外は、
散歩に連れて行ってくれる人が居ないので

散歩の時間が来ると、
行くまで、「クンクン~~キュイ~ン」と
泣き続けるので、

仕事を中座してでも、
お散歩タイムが優先していました。

雪の多い日は、すこぶるご機嫌で、

ヘトヘトになって、除雪した雪山を

めちゃくちゃに掘り返しては

何かを見つけては、埋め戻すような

不思議なしぐさを繰り返し、

可愛いいと、見とれていました。

雪が多すぎたここ2~3日

スコップの手を休めては

跳ねまわっていた「ラッシー」の姿が見えるようです。

今日は、2畳分の子屋根の雪を降ろし。

もう一度、車庫の雪を降ろしました。

今、、、外に出たら、又、10センチほど積もり始めていました。

30センチになったら、降ろそうと思います。

ラッシーが「キューンキューン」
「散歩にいこうや~~~~」、、、と、

呼びかけているような、、、大雪の日が続いています。

明日は、、、天気にな~~~れ!




札幌は今日も雪、昨日の23時から、今日の4時まで雪かき、、、

2016-12-10 16:11:15 | Weblog


札幌の空が、、、どうにかなってしまった?。。。かな?

なんで、、、雪を搔いても搔いても、元どうりになるほど

雪が降り続いている、

作戦変更!

月曜まで、車庫と、物置と、子屋根を2回づつ、雪下ろし。

このまま、月曜まで、

冬の空のご機嫌に任せ、足の幅だけ雪を搔いて

月曜まで、待つことにしました。

久しぶりの、大雪です。

今4時20分、

2回目の車庫の雪下ろし終わりました、

眠くなりました。   バテ。。。寝に入ります。


札幌は雪の季節  ひねもす雪かき

2016-12-07 03:24:30 | Weblog

全く雪のない温暖な冬から、
雪まみれの昨日が過ぎて、
夜中に除雪車が来ました。

我が家の前の通りは、
住民が除雪するので、
除雪車も、すぐに走り抜けていきました。

本当は夜中まで除雪をしないで、
楽をしたいのですが、

早朝から、
ワゴン車が我が家の前を走るたびに
雪が、タイヤに押されて、
除雪しておかないと
圧縮された、大量の雪が、出口の近くまで
積み上げられてしまうのです。

車が通るたびに、雪の土手が、大きくなり
放置したままにしておくと、

除雪車は、雪の土手の向こう側を除雪して走るので

我が家の前は、大量の雪が残ることになり、

除雪車が来る前に、雪かきをして

きれいにしておけば、

車が何台も通過しても、

タイヤに押されてくる雪が無いので、

早朝から、除雪します。

同じような車が、走り抜けるたびに、

走っている車は、まさか、タイヤが
真ん中の雪を、
道の端っこに寄せながら、圧搾し
次の車が、圧搾された重い雪を、がれきのように砕いて

我が家の車庫前や、玄関前に

雪の土手を創ってるなんて、知らないでしょうね。

之を放置したまま、雪を搔かないと、
札幌は除雪費が節約ムードになっているので

道の真ん中を、ショベルは走り、両脇には雪が残ります。
除雪車の走った後は、真ん中はきれいに雪が無くなって

車はスムースに通行できますが、

主婦は、
両脇に残された
堅く圧搾された重い雪の土手を
取りのどくのに、難儀します。

そういうわけで、
除雪車の走る真ん中のあたりまで、
道路の雪を、除雪することの方が、
軽い雪なので
72歳の私でも、

回数は多くなりますが、
雪かきショベルの満タンを
一か所に積み上げることが出来ます。

今日は、特別雪が多かったので、

トタン屋根の車庫の雪も
滑らせて、屋根から落としておきました。

何回も、休息しながら雪を搔くので、

終わると、こんな時間になりました。

、、、真夜中の4時、、、

いいえ、、、北海道新聞が、早朝から、
雪の中を配達してくれました。

雪国は、、、除雪がこんなに大変だとわかっていたら
角地を買うんではなかったと、、、、

てんこ盛りに、雪捨て場になる我が家の立地条件が、
哀しくなります。

75歳過ぎてから
主人も、出勤前に、玄関前の階段だけを
搔くようになりましたが、
圧縮して、きちんと、雪を積み上げないので、
すぐに、雪の置く場所が不足します。

「雪は、75歳デビューの雪かきは、、、かえって困る事!」

温度差に耐えられない循環系がもろくなっていることもあり、

チョット、力仕事をすると「目が回る、、、!」

耳にウイルスが、入るらしい。

出勤前に搔くので、のどが冷えたまま、
バス停に向かうので、

ウイルスは、冷気の中、何かと、主人にくっつく。

老人になると、、、なんでもなかった雪かきが大変になる。
日記代わりのブログを書いていたら、朝になりました。

結局、出勤前に、除雪する主人のリスクの方が多いので
玄関前も、階段も、私が早朝除雪することによって、

50年近く、、、私の仕事になっている。
角地でなければ、放置しておけるのですが、

春になって、解けるものに、

結構苦しめられている。

力瘤だけは、、、しっかりつきましたよ

10年前も今も、、力瘤だけは、見かけだけは代わりませんが、

昔と比べると、、、疲れやすくなりました








我が家の 真田丸に相当する事はどんなこと?

2016-12-05 02:42:58 | Weblog

昭和40年代、若き石坂さんが主演した「天と地」以来、
NHKの大河ドラマにはまってしまって、
日曜日の夜は、いつも家でTVを観ていた。

今回の真田丸は「倍返し!」の俳優さんが主役である。
美のツボにもはまっていたので、眞田親子は親戚の顔見知りと同じ身近さです。

おまけに、和歌山県の疎開地が、真田幸村が天下の武将に上り詰めた

そのパワーを生んだ「真田紐の故郷」と大して遠くはない。

飛翔するために「しゃがみ続けた九度山での日々。」

歴史を好きな者なら、冬の陣、夏の陣の結果はご存じのはず。

しかし、、、真田丸の最終回が楽しみである。

幸村の美学にも思える「真っ赤なイデタチ」

大阪城は、関ヶ原の戦いの結果、もはや運命は決まっている。

時代は大河のように大阪城を飲み込むだろう。

プリンスウエルス号、、、ノウ!サンクス!!!!!

船長は愛する船と沈んでいった。

タイタニック号の映画では、
バイオリンを弾きながら、

船が沈むまで音楽と、ともに、
祈りの世界に身を置くかのように

曲とともに、在りつづけたシーンが
静かな感動を呼んだ。

女性の為に沈んでいったデカプリオは、ドランとしての華だろう。

主演男優賞には至らなかったのが、、、映画の味として、

かみ締められる面白さでもあった。

最近になってデカプリオは

最高の賞に輝いた。

映画史に残る俳優は、中身の円熟するとともに

ファンも聴衆も逃がさない育てられ方をするものだと

今更、「大器晩成」の意味の深さをおもったりして、

「どのジャンル」も、「愛される人」は、社会全体が育てているような

偶然を感じながら、

真田幸村は、、大阪城の時代とともに生きて、
時代とともに、大河の流れの一滴ながら、、
実は巨大な華として流れてゆく。


弁慶然り、、、幸村然り、、、

西郷隆盛然り、、、

時代劇の戦いに咲く巨大な一輪の華のように、

日本の武士は、生き方の中に美学が有って、

兜と、鎧と、刀と、槍と、そして馬、、、

命を懸けたスポーツのように
武士道と言えばよいのか、、、?

美しきルールに似た「男たるもの、武士たる者」の
鋼の煌めきのような、「生き方の美学を感じます。」

鉄砲や、大砲が、時代とともに、、、
日本の武将の心、そのものを、
時代の中に閉じ込めてしまったような気がする。

、、、だから、、、

パソコンも、スマホも、ゲームも、カジノも、、、
日本人と言う武士の前に現れた大砲にならねばよいがと願っている。

科学は、果てしなく進み、

人工衛生は、オーストラリア、アフリカ、、、アメリカ、、、
世界各国で、無人のダンプをコントロールして、

いとも簡単に、

地球のあちこちを掘りつづけている。

ロボット君の地球破壊が始まったのかもしれない。

経済効果は抜群で、世界の中に日本の技術は生き続けるだろう。

しかし。。。

地球は、もとの形が想像できない変貌を遂げてしまうかもしれない。

関東平野が、麗しき人口ライトのコンクリートの
マンションと呼ぶ、未来に約束された遺跡に向かって

樹木も、動物も居ない、
HTML語で話す鉄の知能群の操作する命亡き命の街。

東京も、大阪も、大阪城のように、

もう一度、全部埋めてしまって、

旧き良き時代の、大木の育つ原野に戻し、

日本人の「武士道」や「美学」の鋼の切れ味の持った人類を

育てなおさねば、デジタルに操られたロボットダンプのような

経済効果だけは抜群の、機械砂漠になるような未来が

じわじわと、想像されて。。。

眞田幸村の最後が、地球の最後のような寂しさに思えるのです。

上杉、武田、北条、今川、、、、徳川、、、、

時代劇って、本当に、、、良いですね!

人間を感じますよね!

アナログな時代に、もし、、、信長が生きていたら、、、

時代劇に突然トランプさんが現れたら、、、?

今の時代は、どうなっていたでしょうね、、、。

いろんなことを考えていると、、、眠くなってきました。

今宵は、、、これまでにいたします。、、、若尾綾子さんの声で「お休みなさい。」