花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

天与のプレゼンでした。)

2013-10-14 07:13:17 | Weblog

東京オリンピックが決ったとき

プレゼンという、、、伝えることの大切さを教えられました。
伝えるということの、、、おくの深い心の出会いの交流が
真実のポテンシャルエネルギーの出会いを可能にするのだと
頭が垂れる思いでした。

そして、あのときの「神々しいお声に、
思わず、その魅力にフリーズしていたのを思い出します。

被災を受けた日本に、多くの国が心を開いてくれて
抱きしめてくれた思いがしました。
日本のことを、敬愛のいたわりで認めてくれた思いが
伝わってきました。

「ありがとう」の心を伝えて、
おもてなしの心がお返しできる舞台が
オリンピックの集いにおいて出来るのですから、

あの、、、
片足の美しい女性の示してくれた
不屈のチャレンジ精神が
最高のおもてなしにつながるのではと、思って、
胸がジーンとなりました。
あれ以上の精神力に
かって出会ったことがありません。

日本は幾度と無く被災を被りました。

私も戦争からの立ち上がりを経験しました。
母も3人のわが子を失いましたが、
戦後、高齢出産で、
「戦争を知らない世代の弟を産みました。」
「死んだ子を取り戻すつもりだったのだけど、、、
過去を忘れさせてくれる「希望の子」が授かったと
父も、母も、弟の笑顔で立ち上がれたようでした。

弟の誕生には、
新しい時代が来るという「希望」が
家族全員を強く優しく、粘り強く、
思いやりの出来る心を運んできた天与の恵みがありました。


スケールは地球規模の希望の星がやってきます。

もう、、、過去を振り返らないで、
オリンピックの集いに向かって
明日に進めます。

暖かい世界からの復興を祈って、多くのお客様が
励ましてくださるような気がする、、、オリンピック。

伝えることの大切さが
プレゼンから、光となって降り注いでいるようでした。

おくの深い、日本の心を大切にしたいと思った。
日本の女性の「おもてなし」の心の

多岐にわたる精神の輝きを、感謝で、みつめています。

マー君と斉藤投手

2013-10-03 10:41:20 | Weblog

高校野球のグラウンドで、日本中のフアンをTVに釘付けにした興奮を
忘れる人は、まずいないと思うのですよね。

あのときの、斉藤君はハンカチ王子の愛称の似合う
都会の垢抜けたムード
一方、、
マー君は対照的に味のある現場に強い
「俺が生きる、野球しか見えない!」
熱血の叫びのある少年のように、私には思えて、
甲乙つけがたい
両方のフアンでした。
マー君がいるから、斉藤君の垢抜けた感じが光リ

斉藤君がいるから、マー君の生き様が光り、
長生きすると
文や言葉では表現できない、感動を、
高校野球からもらったと感謝しかない。

だから、今年のマー君は、
ばあちゃんにとって、身内のエースの
快挙と思える錯覚するほど、
私が勝手に親しみを覚えている。

斉藤君が、早稲田という大學に進学したとき、
人間として、4年間大學カラーの学友に囲まれ、
勝負の孤独な切磋琢磨の機会が失われ
「幸せな環境」によって、
『見えない理想の檻』のような囲いを
生きるための定石のように、出来上がった考えで固めてしまったのだろうか?
「固定観念として自分の中のスーパーアマチュアの
ハイセンスな経験が創る自分独特の打開方法を、
持ってしまったのではなかろうか?」、、、と心配で眠れない。

優秀な頭脳の一部の人に、よく似た現象が見られる。

人は背負った子供からも教えられることが多い。

齢70才目前ともなると、足腰も硬くなる。
毎日赤ちゃんのミルクを一杯飲んで、
赤ちゃんの動きを真似て、寝返りから、おっちゃん座り、
そして、手を使わず立っちする。

私は、、、今生まれよー!と、おはよー!と
3回繰り返す。

我輩は猫である、、、孫や、子供の言う事を
「間違ってルナー」っと思っても、現状を認める。

先日も、大きな栗と、小さな栗をまぜこぜにしたどんぶりを
孫が持ってきた。

「婆!どれでもあげるよ!」得意そうに言うので
大きいものばかりより分けて、いると、

「大きいのはダメ!」という。
ハジメッカラわかっているが、
「ダメ!」という
あわてる孫が見たくって、ふざけてしまった。

仲間になるということは、
こちらの心が限りなく「相手を好きになれば」

ダメ!といわれても、おかしく、楽しく、栗の一粒も
コミュニケーションのお宝となった。

45年前、小学校から大學まで東京で過ごした自分が、

結婚を境に、札幌、留萌、余市、、、と転々と夫の動くとおり
ついて廻るうち、地元となじめる余裕が無くなったことがあった。

親しくなったつもりでも、
東京弁のアクセントが災いになり、

「よそ者だね!」言葉が軽やかだんね、、。

親しくなり損ねることが多かった。
文化と言葉が違う。
価値観も、東京育ちの価値観は、
嫌味にさえ受け取られることが多かった。

歌舞伎は知らなくても、
北島三郎の、与作を歌えないと
カラオケからも、仲間はずれだった。

いったい???何を頼めばよかったのでしょうね?

東京で育つと、徳富蘆花、ホトトギス、慎太郎文学
竹久夢二、歌舞伎、福助の動かぬ芸、長嶋さん、
岸洋子、、裕次郎さん、君といつまでも、子連れ狼、
ジャイアンツ、コーちゃん、もちろん欣也ちゃン、、、
「白い犬の声の方ね」、、、

北海道では、主婦の間で盛り上がるのは、
三浦雄一郎さん、高倉健さん
山田五十鈴さんよりは杉村さんのフアンが多い次代でした。

何を言いたいのか支離滅裂になりましたが、

ユー君には、せっかく早稲田で体得した価値観や
考え方は、いったんパンドラの箱にしまって、

北大植物園の博物館あたりの、アイヌさんの生き様から
新天地で学ぶつもりで、アザラシの皮のブーツで
雪原を歩き、とんでもないところの筋肉を鍛えないと
北海道で使う頭の筋肉も、赤子になったつもりで
心を全開にして、ドボン、、、と
「自然の子」になって、
胸いっぱい「北国」の空気を吸い込んで
北海道人に染まって、ストレスをなくして聴き取り、
復活して欲しいですね。

マー君より4年送れても当然の権利があるから、
フアンは4年待ちますよ。

私は北国の生活で、体型が変わりましたよ。
屋根に上がって、数時間も雪を降ろすので、
上腕二等筋肉など、縦に溝がくっきりと浮き出るほど
発達しています。

主人が
菊化石の張り合わせのまがい物を買ってしまった時も、
2三分でへたって
持てなくなった主人に代わり、
地下街を30分も抱えて、電車に乗りました、

自宅に帰って、石を体重計で量ったら、
8キログラムありました。

東京ではハイヒールを履き、車で大学に通い
ハンドバックしか持たず、40キロの私が、
今では、頼もしい筋肉に覆われて
ヒグマのようになりました。

自然を全身で吸い込んで、東京の素敵を吐き出して、
精神はヒグマになって、筋肉を強くしてください。

スタイルも受ける感じも、そのままの
さわやかさで、

来年こそは、新生ユー君の
自然の子、ポジティブな未来を、

廻りも誘導することが、
北海道の三浦雄一郎さんのような

輝くダイヤになると信じていますよ!、、、

マー君と斉藤君は
橘と桜なのですから!

       婆ちゃんフアンより