花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

鯉のぼりよ 空高く泳げ!

2011-02-27 17:50:23 | Weblog



雪が溶けて春が待ちどうしいこの頃です。
5月ごろには、皆もはじけて
日本中が、ゴールデンウィークのイベントに
フィーバーするのが、、、、、通例でした。

今年は、どうでしょうか?
戦後の貧しいモノのない時代に
5月になったら、
大人たちが、夜なべして創った鯉のぼりが

5月の空に泳いだものです。

障子紙の長いロールが
色とりどりの絵具によって
「空泳ぐ鯉」に変身するのです。

家族の鯉がバシャバシャと
和紙の音を立てているのが、
いつしか、、、
滝登りする鯉の
「水と戦う風の音」になっていくのです。

子供の心は
鯉の心とひとつになって
大空を泳いだのです。

私たちの育った昭和は
瀬を登り
岩に体当たりしながら
傷だらけになって
戦後の激流を登り切った時代です。

戦場で死んだ若者
置き去りにされた子供たち、、、。

精神病院に相談したいような
心の病を持って
戦場から引き揚げて
ゼロからの出発を余儀なくさえました。

ボロボロになった親たちは
それでも、、、
子供たちに
「何をしてやれるのか?」
暗中模索しているのが伝わってきました。

鯉の鱗を丁寧に色塗りしながら、
夜明けの光が
障子越しに。庭木を映し出す頃
鯉が仕上がりました。

朝日の中で
空に向かってポールを立て
家族で旗紐を引っ張るのです。

男の子達は
「ヨイショ ヨイショ」掛け声が大きくなり
てっぺんまで上がると、
手を叩き、飛び上がりました。

戦争で、我が子を大陸で失い
家も焼かれ、
財産も全て失った父母が

私たち生き残り組の
4人の兄弟にしてくれたことは

むしろ
大人たちに
「立ち上がる心を呼び戻したのでした。」

誰かにしてあげることができる自分たち!
空の鯉が父母を「スキル」の世界に導きました。

今は世界遺産となった熊野の山村で
七か村。外科医の居ない村に
父はやってきたのです。

医療保険の制度もありません。
医療費を払える人は
一握りです。
鮎やウナギが診療報酬の代わりに
ぴちぴちと跳ねていました。

ちょび髭の父は
村の人に教わって
鮎かけが楽しみになりました。

東京の坊ちゃまが
何ひとつふじゅうなく育った青春時代に
国立音楽大学の学生だった母と
新橋の演舞場で出逢いお互いに運命を共にした。

牛込の小学校では
陛下がお出ましになった事の興奮が
一念発起の勉強家になったそうな。

父は当時は自己実現が夢だったのかもしれません。
外科医となって
母が弾く
ドイツ製のピアノの「ムーンライト」に
満足していた。

やがて戦争に巻き込まれ
「外科医」は戦場に送られた。

東京の家は空爆で木端微塵。
軍では
「死ぬより恐い地獄の中でボロボロの兵士を手当てした。」

現地に子供を連れて合流した母は
3人の我が子を失った。

敗戦の防空壕の中で生まれた私は
栄養失調で泣かなかったそうです。

鳴き声のない赤ん坊は助かったそうです。

串本の親せきを頼って行った時
B29のゴンゴン、、、、という音と共に
親戚は吹き飛ばされたと言っていました。

熊野の奥えへ、奥えと逃げる父母。
古座川の上流にたどり着いた時、
村の診療所から頼まれて、
医師をすることになった。

初めて「米」をもらったときに、
戦地でも泣かなかった!
子供gs死んでも絶句していた母が、
米俵にすがって涙を流したと、、、晩年人づてにきいた。

人間の「居場所」というのは
きっと、、、白米が手に入るとこなのだろうね!

「居場所」は刻一刻と日時計のように
移動するが、

戦争というのは、
医師とピアニストという
猛烈に努力を重ねたスキルさえ
無視して、戦禍に放り込むものだと思うと

戦争だけは起こさないでと叫びたい。

幸運にも
熊野ノ一千年のパワー自然から恵まれ
父母の「喪失の心身喪失一歩手前の心」は
癒され回復に向かったのでした。

戦争を知らない「弟が産まれた!」
村中は皆で喜んでくれた。
この子のためにしてやれることは、、、
「鯉のぼりだったのです。」

末っ子の弟が、
スクスクト育ち
抜群の天才ぶりを発揮し出したころ、、、

父母は「戦後のアメリカナイズしてゆく日本に
息子たちの「居場所は新教育」だと感じたようです。
日本を再び無知な戦火で焼き尽くさないためにも

この子には
戦後の
「新しい教育をつけさせることだ、、、」

地球が一つの平和を求めるのなら、
「スキルこそ財産」なのかもしれません。

やがて、村人たちの涙の見送りに
何度か振りかえりながらも、

父は生まれ故郷の
東京ジャングルに帰って来たのです。

和紙で創った鯉のぼりこそ
空には上げれませんでしたが、

戦争を知らない末っ子の「弟」は
今は父の夢を引き継いで
スキルの人生を空高く泳いでいます。

雪を掻く合間に見上げる「オリオン座」
生き残り組の四人兄弟はバラバラに住みながらも
一つの星座を見上げています。

それぞれの「スキル」が必要とされる居場所に
今日も、身一つのスキル人生で
「夢追い人生」の「居場所」にいます。

でっかい「鯉」にも似て
空を泳ぐのが見えるから
私は「孤独ではありません。」

戦後の立ち上がり人性の
多くの夢追い人のおかげで

日本は復興しました。

しかし、大きな誤算は
女性が自己実現に目覚めたことです。

日本の女性は
「皆のために何がして上げれるのか?」

このように教育された時代から
大きく目覚めました。

次男も結婚願望が薄れてしまい、
30代半ばを過ぎて、

雑務を天職として、
子育てに母となって埋没してくれる女性は
出会えないと言います。

私も思うのですよ、、、

結婚は、、、肥沃な土壌に落ちた種のみ
幸せを感じる時間の余裕があるよね!、、、

スキルに生きる旦那方は
スキルを磨きそこなったら
日時計のように
居場所がずれ込み
夢を追えないから、、

女性が無意識に継ぎ足す「雑務の時間」を
ちゃっかり便乗するしか
活路はない。

それを支える女性は
自分が「鯉」になって空を泳ぎたいという
素敵な人ばかりになった今日、

結婚と子育ては
育児手当のような「具体」では
欠員となった「雑役ママ」の

代わりに成れて
鯉のぼりを空に引っ張り上げることが
できるのだろうか?

女の子だけを育て終えた母親達は
再び、、「女に還るのを身近に見る。」

男の子を育て孫も男ばかりの私には
素敵な若者に囲まれて
喜んで「雑務に明け暮れている」

結婚以来、、、40年
幸せは「雑務が生むのかも知れない、、、」

雑務の中で
寸暇を惜しんで
自分の「鯉」を空に放ちたい。

人間は、、、
最後に、、、
皆、空に舞い上がり
空を泳ぐのだから。


フィギアの華

2011-02-20 02:05:32 | Weblog


       美しい乙女
       美しい女性
       感動のミュージック
       スピードの描く銀板の華の空間

       贅沢な時間が楽しい。

       金メダリストの荒川嬢の
       トリノの感動は時間を止め、

       別人のような
       シャープなインテリの
       めがねの解説者が

       銀板の華を引き立てる
       知り尽くした解説者は

       テレビを見る観客の
       音楽を、画面を

       とても大切にする、

       決して、、、トータルな良い時間を

       余計な説明で前に出ない解説は
       さすがに、

       銀板の女王。
       研究され尽くした

       画面も、音楽も、静寂も
       邪魔をしない解説は
       さすが、、、、!

       内容は、円熟したヒントを含むから。


       皆をびっくりさせたかったと言っていた
       デビューの少女も

       勢いあまって転倒しながら
       何時の日にか、

       アピーらーでは限界が来る事も体得するでしょうね。

       楽しい良い時間を

       今日もありがとう。
       一日雪掻きで、けだるい体がピンとなり

       元気をいただきました。

エジプトの変化とPCと、インターネットとバベルの塔

2011-02-13 01:34:05 | Weblog
  とうとう、エジプトは変わり始めたようですね。

  孫と一緒に、童話の聖書物語を開いてみると、
  バベルの塔のページには
  神様は、国々の語(言葉)を
   ことごとく変えました。

  それでも、ここかしこで
  独裁政治が現れました。

  言葉が「国境同様の壁」の役割を
  していたのかも知れません、
  
  放射状に、地球規模で
  情報も、思想も、ビジョンも伝わってゆく
  PC,ネット、情報インフラ!

  今回は、民衆が意思の疎通を起こすことなく
  政治を変えてゆきますね。

  パソコンや、インターネットの発達は
  バベルの塔の物語も、
  ストーリーが変わりそうですね。

  ヒエログラフ??読めなくても
  解らなくても、、、
  「パピルスって何なのか?」答えられなくても、

  エジプトの事が、
  即日わかり、
  国際的な情報で、
  瞬時に全世界で知れわたる時代に、

  どうか、、、野蛮な戦争を起こさないでください。

  孫子の見つめる未来は、幸せでなければなりません。
  

2011年札幌雪祭り開催ですね!

2011-02-08 03:25:32 | Weblog


       雪祭りの思い出


昭和40年代のことです。
札幌雪祭りは、ささやかな市民のイベントでした。

北大野学生らが、ちょっとした雪像を並べ、
ほほえましい、市民の祭りでした。

昭和50年前後は、
すでに、国際色が出始めて、
会場の「英語案内のボランティア」などが
チラホラと、目に付いたものです。

子供をベビーバーギー(オリタタミ乳母車)に乗せて
私も、ボランティアの会場英語案内をしました。
五輪の入ったバッチを札幌市が配布してくれて
当時は大切にとってあった物でした。

南ア連邦から仕事で札幌に来ていたイギリス人と
会場を一緒にめぐり、
「雪」の珍しさもあったのでしょうね、、、
ワンダフルを連発していたことが思い出されます。

その後、何十年も雪祭りに行く時間がとれず、
子供らとの、雪祭りは
3回ほどで、人生のモミクチャ時代を
あたふたと、生きるために
雑用に追われて、気が付くと、

孫と雪祭り会場の滑り台を
楽しんでいました。

結婚しない、、、女性。
本が出ましたよね。

結婚前は、社会派で生きてゆこうと、
大学時代は、取れる授業は全て選択し、

夜間授業で「教職」もゲット。

家庭教師も自分の語学のチャンスとばかり
高校生の英語、数学、科学を受け持って、
友人と共同でがんばった。

3年経ったら
東京に必ず帰るから、、、
母に誓った彼の言葉を信じて

つかの間の北海道を満喫するつもりで、
結婚生活は
厳寒の留萌の
断崖絶壁の、

取り壊し寸前の寮生活から始まった。

疎開中暖かな南紀で生まれ、
小学校から大学まで、東京で育ち、
北海道の留萌の冬にやってきたのだから、

雪祭りどころではないのです。

買い物のつかの間に、
吹雪になるという山の天候と
ヒューヒューと
もがり笛が耳元で叫び狂う日本海の冬が

いきなり、
回り舞台のようにやってきた結婚でした。

甘かった!
北海道の冬が、これほど大変だとは!、、、

しかも、、、
学閥があることさえ
甘く思っていた。

買い物の帰りに
雪に埋まってしまった玄関に締め出され、
不覚にも、、、家に入れなかったことがあった。。

3年で東京に帰るはずが、
いつしか気が付くと
長男は40歳になっていた。

子育ての後、
うれしいことに、
次々と孫が生まれ、

孫の可愛さにモミクチャになっているうちに
とっくに60歳を過ぎていた。

子育て期間のことも
思い出せない忙しさでした。
雪掻きの日々、


いつしか、孫の大好きな
クワガタの幼虫や、亀さんのように
我が家を取り巻く雪は

クワガタの幼虫の像のようです。

雪祭りの会場を
孫を見失わないように、
キョロキョロ探して歩くとき、

巨大な雪の像が
私自身を観光客の一人に
変えてしまうのです。

気が付くと、孫はいません!

会場を走り回ってやっと見つけました。

木立の中に積み上げられた
雪の山の上で
雪にまみれた雪だるまになって
遊んでいるのです。

子供たちのために、その場で雪像をつくれるように
「砂場」のような「雪置き場」を
安全なサークルの中に設けたら、

きっと、迷子になった子供たちの
親を待つ間の
不安は少なくなるかもしれませんね。
不安な時間を遊べるオアシスに
なるかもしれませんね。

子育てと、
孫バカで終わってしまいそうな一生でしたが、

箱根駅伝のように、
札幌に住んで40年の月日を
孫に「バトンを渡して」くれるのは、

ぐんぐん国際色豊かに成長する
地球環境かもしれないと思いながら、

世界が一枚岩になって
共感し、協力し、
地球が一つになって、
子供を育めば

「平和な未来が約束されること」
共通の目的が出来たらいいですね。

一番の「子育て支援」になると
ふと、、、思いながら、、、

雪祭りを
国境を越えたイベントに
育てた影には
自衛隊の皆さんの
並々ならない働きがあると思ったりしながら、、、感謝!

長生きはいいですね!
いろんなものが観れて!


相撲と日本人

2011-02-05 22:46:21 | Weblog

 日本は「竜のおとしご」のように
 南北に長い、「島」。

 頭の部分に当たる北海道から
 横綱も出ているし、
 力士も出ている。

 それだけに、
 相撲界の純粋なひたむきな力士を
 応援したいですね。

 モンゴールからも
 日本人より日本の相撲の
 フアンをひきつけている横綱をはじめ

 外国のハンサムな力士が
 相撲の国際化を華やかに認識させて、
 見ていても楽しい。

 本来、相撲の楽しさは
 ぶっきらぼうな無表情の力士が
 言葉では表現できない「日本」を
 土俵に繰り広げ、

 老若男女皆、共通の興奮と
 手に汗握る贔屓の力士を
 各人が、真剣に応援しながら
 勝った負けた以上の

 人間丸ごと応援しながら
 伝わってくる「生き様」
 「心の品性」『不屈の闘魂』、、、
 相撲魂の伝えてくる「良い時間」を共有した。

 それだけに、、、
 野球賭博や、今回の事件は
 日本の日本人らしさを、

 外部から壊されてゆくような
 無力な諦めがある。

 相撲しか頭に無かった力士。
 相撲以外で金銭を得ようなどと考える力士は
 魅力が失せる。

 土俵以外の事で、
 儲けることなど、考える力士が
 裸にマワシをつけて
 場内を圧倒するオーラーが
 出るはずは無いと思うから、、、

 強くなった力士の中には
 そんな人間がいるわけが無いと
 思ってしまう。

 子供のころ、
 小学校の校庭にやってきた
 「モミアゲノ長い朝潮」「でっかいオオダチ」
  「塩の雨を降らせる若秩父」
  「めっちゃ相撲の上手いツルガミネ」
  「お尻のバンソコウがなんとも忘れられない栃錦」
  「一番筋金入りの精神を厳しく鋼のように魅せた初代の若乃花」

 子供だった私は「相撲のすごさに興奮したものです。」

 日本から「相撲をなくさないように工夫して欲しいものです。」

 インベーダーの突き崩しで、消えてゆく英雄たち。
 相撲の「武士の魂」を「世界遺産」「人間国宝」のニュアンスで

 保護し、育ててゆくシステムの工夫をしないと、
 光る魂の力士は、華を咲かせること無く
 泥だらけになってしまいますよね。

 元来、相撲は
 「斉藤祐樹さん」と共通する爽やかさと
  美しさが感じられたものですよね。

  「吉葉山」は、美しかった、
  怪我ばかりして、もろく、弱い面があり、
  両手を握り締めて「勝って!」と

  しろくろTVに叫んでいたものだった。

  相撲を「清らかに稀有な武士の魂の遺産のように」
  保存する方法は、、、無いのだろうか!

  八百長メールなんて、、、
  インベーダーに操られて
  夢遊病でやってしまったのなら、、、

  目を覚まして欲しいですね!

  相撲も、日本らしさも、
  相撲の国際化も、楽しみにしている
  フアンのためにも。