花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

長門さんと南田洋子さんの役者魂

2009-04-22 01:56:37 | Weblog
    南田洋子さんを認識したのは
    「石原慎太郎さんの芥川賞受賞作品の太陽の季節の映画」でした。

    大きな瞳、エキゾチックな笑い方、
    新しい時代の新しい女優さんでしたよね。

    確か、、、日大卒ではなかったですか?
    間違っていたらごめんなさい、、、。

    インテリの女性
    セクシーな女性
    お茶目な女性
    暖かな勝気な冷たさも演じる気になるスターでしたよね。

    長門さんの父上の晩年を
    嫁として100点の介護をされて

    御父上にやきもちを焼かれた長門さんは
    南田さんを打ったとか?ほんとうですか?

    アツアツのパートナー同士が
    御父上の介護で、
    バランスを崩した一瞬をスクープされた
    マスコミの報道でしたよね。

    長門さんの忘れられない映画には
    「豚」という戦後のどさくさの裏街を描いた映画を見ました。

    旗本退屈男のように、
    カッコ良く見栄をきり、見せ場をふんだんに取り入れ
    観客の好みを先取りした芝居が多かった時代です。

    「正直に言ってしまえば!!!」、、、「豚」とか
    音羽信子の「どぶ」などは、
    坂本スミ子さんの「楢山節考」より、、、汚い感じがしました。

    しかし、、、見終わった後、これらの映画の伝えてくる
    「生きる」ということ、
    「命」

    そして、認識のない罪、
    人間の欲とエゴ、、、

    どうすることも出来ない「時代のどぶ川」を伝えてきました。

    もし、、、南田さんに息子がいらしたら、
    役者魂がさせたとしても、、、

    こんな姿は、、、ママを愛するフアンだけに観てもらいたい!
    テレビで放映するなら、医療番組のように、
    病気の経過と治療の詳細と病状に主眼を置いて
    医学の為の「貢献者」として、
    使った薬や治療方法まで後世に役立ててほしいと
    ママを献体する気持ちになって
    医療ドキュメンタリーを演じる体当たりの真実の演技として
    ありのままを、人生最後の女優としての登場をさせたい、、、と。

    人生のパートナーである南田さんと長門さんと
    血でつながった息子の「愛」が戦いを起こしたかも知れませんね。

    
    かっての美しい女優、
    南田さんの
    痴呆の哀しい姿を
    テレビで作品として放送しただろうか?

    「女優 南田洋子」が
    人生の真実で演じるドキュメンタリー作品なら

    「映画館だけで放映」するという「格」が欲しいと思ったのは

    明日はわが身の老人入口に立っている自分とかさなるからだろうか?

    長門さんと津川さんは兄弟俳優ですよね、
    どちらも「素敵な奥さん女優さん」と過ごされた日々のなかで、

    「自分の奥さん」を掌にのせて支配している庶民の家庭の夫たち。

    専業で奥様業をしている一般の家庭とは違って、

    愛するが故に、女優として対等の位置にあることへのジレンマ。

    奥さんの人間としての「社会性の強さ」が

    輝けば、、、輝やくほど、、、
    夫には、本人も気がつかない潜在意識の中では
    「女王様の鞭」だったかもしれませんよね。

    男として、痛みの走ることだったかもしれませんよね、、、

    だから、、、南田洋子さんが
    痴呆になって
    子供が母親を追いかけるように
    長門さんにすがるテレビの映像は、、、

    役者の魂が、最後の女優を登場させたのか、、、

    本人も、回りも気がついていない、、、
    インテリ女優の「プライド」という城に
    火を放ったのか、、、考えさせられるテレビの放映であった。

いつの間にか、、、春になっておりました。

2009-04-10 23:13:25 | Weblog
  

我が家にとっては、、、
激動の5年間でした。

何所をどうやって通過してきたのか、、、
振り返る時間もないままに
今日、今、やるべき事に追いかけられながら、

月日はすっ飛んでゆきました。

オイルショック
バブル
国際経済の津波?

サブプライムローン
株安、

エコライフへの回帰
工業生産の落ち込み

会社、企業の大量倒産
青白き、、、インテリの再来。

医療界の荒波
医療訴訟
小児科医の激減

医療崩壊への兆し、

無機質に近い「会社」
生身の歴史を生きてゆく人間の「命」

瑞々しくも
デリケートで精神世界を背負った「命」

企業が果たして「命」を商品にすべく
医療を定款によって、少数の役員で
医療現場の舵をとりつづけられるものなのだろうか?

厚生省の年金への取り組み
医療システムの再構築、、、
自分の親の老後と格闘した厚生大臣は
医療現場の患者さんの視点で医療を見つめた経験者。

一生懸命頑張る年金への取組と
年金制度そのものの持つ手品。

現場の視点と外側の視点
政治的な視点と現場の現実的なギャップ。

1990年代ごろから、
医療の始まりの歴史を訪ねて、
ヨーロッパや中国の医療施設や病院や
ホスピス、
サナトリウム、、、

訪ね歩きながら、

明治生まれの父が話していた
ロンドンの古い病院にたどりついた。

実に、、、500年という歴史を生きている。

政治家は政治には優秀性があるのだろう。
しかし、医療とか、福祉とか、
人間の社会背景をひっくるめた現場の問題を
現場の流れを汲みとるのは容易なことではない。

サッチャーさんは
医療費を外側の視点で縮小した。

日本は、どうなるのでしょうか?
同じ轍を踏むのか?


何百年も前は教会だった所に
行き倒れの病人が運び込まれていたという病院にたどりついた。

神父さんや尼僧の保護で
食事の世話に至るまで世話になりながら社会復帰していったという。

ウエルカム医療博物館には
医療の始まりから今日までの歴史が展示されていた。

地下の本屋さんで
世界の医療の歴史の本を買って、リックに背負って、、、、

そのまま「セントメリー」の病院に行った。
ペニシリンが
「青カビ」から抗生剤を世に送り出すまでの資料が展示されていた。

昭和30年ごろ
太い注射の針で
お尻に「白いペニシリン液」を
ブスリと刺された経験を持つのは私だけではないはずです。

抗生剤が医療革命を起こした時代であった。
その頃、明治生まれの外科医だった父は

ペニシリンの出現で
多くの手術後の化膿に対処出来たはずである。

そんな事を考えながら、、、

フランスに飛んだ。
フランスでは、
教会の薬草の歴史に触れる事が出来た。

中国の生薬や
東南アジアのジャムウや
インドのアユるべーダーも
教会の薬草の影響が大いにあると思った。

フランスにはワインばかりではない農産物が
歴史的な生薬の保存瓶などが
デルフト焼きに焼きこまれた麻薬の名前からも

医療という「精神世界」は、
政治や権力を超えた所に真髄があるように思えた。

教会と病院が一体になっている精神病院もあった。

パスツール研究所では
エーズの研究に取り組む研究員が学閥や国境を越えて来ていた。
大学時代
パスツール研究所で研究され
パリ大学で教授をされた女性の先生に
生薬学の授業を受けながら、

さっぱり、、、フランス語が解らず、
猫に小判のじかんであったと反省しながら

狂犬病の研究で世界に知られた、
パスツールの研究所の
学閥を離れたシステムに
医療の発展に必要なのは

権力や政治の介入や、会社の経営という
収入第一の
無機質な支配ではなくて

医療にビジョンが持てる若者が集まってくる
能力の集えるサポートではなかろうか。

サポートするサイドも
医療に意義を感じる「医療バカ」である必要性を感じました。

鶴首のフラスコを見ながら
科学のロマンは
育てる側にも親ごころが必要と感じました。

パスツールの場合は
夫人が財閥だったことも大きなサポートであったのではなかろうか?

音楽や、芸術と同様に
理解を超えた無条件のサポートの上に
医療の世界は科学とEBMを軸に
「アート」「芸術」「精神世界」「形而上の集中力」を伴って
花が開くように

その蜜によって生還する病人の必要とするエネルギーを
放出できるのではなかろうか?

人間一人のエネルギーは宇宙を巻き込むモノがある。
人間を相手に医療を考えるとき

政治や権力や保険制度や経済で
支配やコントロールできるとは思えない

歴史を背負っている現実に出会った。

動物の命と
人間の命と何所が違うのか、、、?

宇宙開発!
スペースシャトルは飛んでゆく

人間の「命」と
地上を限界とする動物の「命」とは

「命」の重さはちがうのか?

北海道に住んで40年になる。

東京の小学校から大学まで卒業した私にとって
北海道はかなりの間
外国のように思えていた。

友達も。親類も、親も隔てる青函。
若かりし日の能力と体力を使い果たした65歳。

医療制度という
終の棲家を思うのはわたしだけだろうか?