花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

お帰りなさい

2009-05-17 13:33:13 | Weblog
    
      子供の時から
      いつも明るくて、
      男の子らしい勝気もあって
      行動することで学ぶタイプの子供であった。

      まず、行動してみる!
      優等生にありがちな「先手の推測」がありません。

      日が暮れるまで運動場でサッカーボールを追いかけて、
      ボールばかりに気を取られて
      鉄棒に「顔面衝突!」おでこのたんこぶが痛々しかった。

      お父さんは医者だけど
      家には居ない人みたいだ。

      姿は時々見るだけだけど
      お母さんは言っていた。

      「家にいなくても
      あなた方が寝てから、
      帰ってきている事が多いのよ。」

      僕は他の友達のように
      野外キャンプや、
      サッカーや
      運動会にも、見に来てくれないかな
      授業参観や、学芸会にも来てもらいたいと思った。

      お父さんは外科だから
      患者さんの来る時間を決める事が出来ない仕事だから、
      夜中も、朝も、日曜日も正月も、、、

      患者さんに「怪我をする時間や時を考えなさい!」
      言えるわけがないでしょう!


      お母さんのお父さんも外科医だったそうだ。
      55歳の2月

      患者さんの手術をした後、
      麻酔がさめるまでと、仮眠をしたつもりが

      永眠になってしまったと、、、
      母のお母さん、、、つまり祖母は嘆いていた。

      こんなに一生懸命頑張る外科医。
      治って当たり前といわれる職業!。

      個人差のある患者さんは
      時には合併症やアレルギーやショックや

      さまざまな状況が予知される。

      素人の患者さんから見ると
      切った貼った縫ったの技術に見える外科医の姿。

      繊細な、
      全身の学問の基礎の上に

      超難しい技術を習う徒弟制度にもにて、
      時には何年も雑用の苦行の結果、

      本気で外科に居残る医師だけが
      手術の手ほどきを受ける事が出来た、、、一昔も前。

      新入りの医局時代は、

      コッフェルで
      手術で開腹した部分を引っ張っているだけで
      8時間も同じ姿勢でいる事も珍しくないそうです。

      3年も4年も、下働きの時代が続き
      一人前に腕を揮えるころは40歳近くなっていました。

      この間、家庭も子供も受験生を抱えたように
      夜中に帰ってくる父親を見つめていました。

      僕は大人になったら、
      子供と遊びながら、

      友達になれるような家庭をつくりたい。

      、、、、、、、、、

      あれから、、、20年!
      長男も中年となりました。

      その土地にしかない文化や考え方に出会いながら

      転がるたびに角も取れた3児の父親になって
      地元に帰ってきました。

      ここまで来るのには

      奥さんの絶大なる頑張りも、
      捨て身の応援もあったから
      たどりついたのでしょう!

      お帰りなさい!!!

      並々ならない努力と、
      がんばりと、
      回りの応援のおかげで
      息子は、地元に帰ってきました。!

      お帰りなさい!!!

      それにつけても、
      二男は35歳を目の目にして
      結婚する気配すらありません。

      お父さんを見ていると
      僕は外科医に
      むいていないからと

      外科をすり抜けて
      読影を専門に頑張っています。

      仕事が忙しいのと
      仕事が解ってきて面白いのと

      今の時代の女性は、
      仕事の合間につきあう事は難しいといいます。

      良く、医師は高級取りだといわれます。
      しかし、病院に拘束されている時間で割ると

      時給は極めて普通です。

      私は、
      ふとした縁で東京から北海道に嫁ぎました。
     
      大学院生だった主人は
      40過ぎるあたりまで
      正月も、ゴールデンウイークも盆も暮れも無休でした。

      20年以上も、
      里帰りするチャンスがつかめず、
      とうとう、母のなくなった日も、病院勤務でした。

      外科は、手術の予約日には、
      何人ものチームが動きます。

      自分ひとりの都合で、
      手術日を変更できなせん。

      公私混同は他のスタッフに
      絶大な迷惑になります。

      特に、心臓とか大きな手術の担当の前後は
      家庭に帰って来ることは、、、
      まずありませんでした。

      一心不乱に、精魂果てるまで
      消えそうな「命」と手術場で闘っても

      個人差の結果、
      合併症をおこしてしまい
      救えない命もあります。

      それでも、、外科医は頑張り続けています。

      しかし、、、最近は外科医になる希望者は減っているようです。

      医師が足りないのは周知のとうりですが
      外科は入局が減り始めています。

      何年か経つと、
      緊急手術を担当する外科医が激減するようですね。

     小児科、産婦人科、外科、、、他、、、

      医療費削減する前に、、、なんとかしてほしいものですね。


      お帰りなさい、、、帰る側はピッチャー
      迎える側は、、、キャチャー!

      両方とも同じエネルギーを出し合って
      一緒に団結して
      心の深く見えない部分の愛情と信頼が必要な

      天に試されるような、見えない試練を
      親子家族  、、、、時代の流れ、
      過密なワークになる引越しのリスクを

      神様に守られて
      無事の故郷帰還を果たせた事に

      手に汗握る宇宙の旅の帰還が、、、
      いかに、全員が真摯な一生懸命な努力が必要か

      思い推測するひと時でありました。
      
      

初めてのゴールデンウィーク

2009-05-13 00:00:24 | Weblog
    
      ゴールデンウィークは
      さまざまの人々が
      我に還って、
     「計画実行のゆとりの時間帯」でもあります。

      そして、、、、、
      小沢さんが「辞退」という
      政界を揺るがすような
      決断を促した「時間帯」でもあったようです。

      政界は、、、かって、、、
      田中角栄首相の時
      「現在の秀吉殿」との活字が印象に残っています。

      中国との国交も正常化されて、
      列島改造論も飛び出るほどでした。

      日本列島は天が下さった
      「美しき島国」です。
      人間の力で改造すれば

      絶妙なバランスが崩れ去り
      現在の世界遺産の

      南紀も
      北海道も
      生態系が崩れていたかも知れませんネ。

      手頃なとき、
      バブルがはじけて、

      「改造日本」に住まなくてもよくなりました。

      まず、基本的に
      「自給自足できる自然が残っている日本を維持する」という
      政治をお願いします。

      その上で、もの創り、芸術、科学、工学、ITと
      世界を相手に互角以上を目指して
      切磋琢磨する、
      勤勉な国であってしかるべきと思いませんか?

      老人から、
      赤ちゃんまで、
      自然と光に育まれてほしいものです。

      政権という「権力」とは無関係に、

      国会が皆協力して、
      それぞれの得意とする守備を出し合って、
      世界情勢に合わして

      日本という「国」を
      皆で愛してゆきたいと思いました。

      ドイツという国は
      日本と似ていると、、、聞かされます。

      日本のように、
      高い山が多くないドイツは

      国土の管理がキメ細やかで手入れが行き届き
      良く耕されていて、
      人体の血管のように高速道路が張り巡らされて
      統一されているのは

      ヒットラー効果?なのだろうか?

     ゴールデンウィークに
     偶然!
     北京の天安門広場で麻生総理の車の列に出会いました。

     外国で、
     日本の首相のいらしている事に出会う事が
     なぜか、
     とてもうれしかったのです。

     首相はたぶん
     貴賓席へいらしたのでしょうか?
     天安門広場には警備がいっぱいで入れませんでしたが

     なぜか「ほっとしました。

     その後、私たちは、
     北京の塀の裏側の

     とても道の狭い、下町を見学しました。
     北京の街は「御金持」と

     「御金を稼ぐ事の出来ない人々」に二分されていました。

     輪力車で力強く自転車をこぐ下町の若者の背中が
     初めて、未来に向かい始めた胡同をすり抜けながら

     貧しかった人々にお金が廻り始めた
     「観光」という
     未来に向けて開き直ることができたのは

     「オリンピックがもたらした彼らのプライドなのだろう。」

     輪力車を降りるとき、
     若者に、
     日本の「500円玉」を
     心から、
     ありがとうと言って受け取ってもらった。

     私の心とは、ちぐはぐかも知れないが、、、
     彼は、「実にすばらしい笑顔で握手を求めてきた。」

     黒く、日焼けした青年の手は
     太陽に向かい始めた
     北京の下町の希望を伝えてきた。

     同じ国でありながら、
     貧富の差が大きすぎる北京の表と
     塀の裏側の下町を歩きながら、

     政治の難しさを観ているようであった。

     北京からドイツに飛んで、
     50セントのコインを払いながら、

     他国では、
     トイレも自由に使えない事を知りました。

     日本の国!
     自国に帰ったとき、万人が思うでしょう!

     国を愛してる!

     国があるのは、
     帰る家があるのと同じ豊かさです。

     国会は権力争いをしないで
     力を合わせて、
     世界の中の日本の「役割」を果たせるように

     国民の教育と実践と先だちへの感謝を
     労りの心として
     未来につなげる
     「無限のエネルギー」としてほしいものです。

     この年になって
     お金は持って死ねないのだから、

     精一杯の節約をして
     又、、、来年も旅をしたいものです。

     結婚40年目で連休がゲットできた。
     初めて夫婦一緒の忙しすぎる
     盛りだくさんのツワーに参加して思う事は、

     若き日に世界を見ておけば
     人生は変わっていたかもしれないのにと思いました。