花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

一坪掃除の壱日一歩、、、

2020-09-30 11:34:07 | Weblog

北国な秋は短い、

わずかに残された、秋日和の日、、、

昨日の月を見ながら、誰も居なくなった夜に、、、散歩しながら

このうちの、、、お爺ちゃんも、、、お婆ちゃんも、、、突然転居していった。

去年の秋には、はしごに登って、

庭の松の剪定に、秋を浴びていたのに、、、

今年の秋は、、、もう、、、居ない。

お爺ちゃんの愛した庭木は、見事な枝ぶりに選定されていたから、、、

一本も、切られずに、、、植木屋さんが引き取って行った。

 

良かった、、、

お爺ちゃんの家には、、、

    葉っぱが無い「藤の花」が滝のように、、、

             藤の花紫吹があたりを酔わせた

 

その花が終わったころ、、、例年なら、枝の整理をするのに

        お爺ちゃんは、藤の木を、切った。

、、、、、、、、、、

今年の藤の季節には

   小さな子供を連れた若夫婦が越してきた。

庭木が一本も無くなった庭には

藤の花の咲いていたところには自家用車が置いてある。

松が並んでいた庭は、、、広い子供の遊び場になっている。

三輪車が、、、未来を載せて、庭を走り回っている。

、、、、、、、、、

、、、、、、、、、、

北海道に50年、、、雪掻きと

       グラスウールの箱と、

        いろいろな鉢に

          根づかないように、、、盆栽もどきの我が友人。

    植木屋が引き取るほどの見事な枝ぶりの鉢は、、、一つもない。

  いつの日にか、、、鉢やグラスウールに植えておけば

     誰か、貰ってくれるかもしれない私の木々達、

        多くの事を、、、教え絵くれたね!!

         狭い鉢植えの木は、なわばりを守って、

            下枝を出し、、、周りの草に日光を遮ってしまう。

        周りの草は、、、数で勝負、、、

    相性の良い草は生き延びて、

 松のファションモードの飾りになる。

    お行儀のよい枝だけ残して、剪定し、

       木々達の新陳代謝を低く整えて、冬を越させる。

        76歳だから、、木々達は、、、まだまだ生きてもらわねば

       友達は、木々達だけだから、、、

     世話には

       一日中労働で

           気が付くと、夕方だから、、、

    木々達のおかげで、高級リゾートに負けないほど

        秋の日差しを浴びて、筋トレや、日光浴、

              健康をくれるんだから、、、可愛い友達です。

   毎日、一本、、、雪囲いをはじめました。

        10月初旬には、、、coronaとダブルパンチを喰らわないように

     正体の解っている「インフルエンザのワクチンを、

           誰にも知らさないように、、、こっそり受けに行ってきますね。

     コロナで神経質になっている私は、、、目下嫌われ者ですので、、、

   そのうえ、、、予防注射を早々と、国の指示に従って

       大ぴらに出かけると、、、

          奥さんは、、、御主人が、、、お医者さんだから

               コロナには、、、ピリピリしてるね、、、て

          万一、、、奥さんがコロナにかかって

                旦那さんに迷惑かかると

            病院の職員全部に、、、迷惑かかるもんね、、、

        インフルエンザの予防注射、、、行っといで!!!

            コロナ対策は、納得するまで、、、やんなサイ!!!

           飲食店経営の、、、奥さんと、、、

            医者の奥さんは、、、目下

                遠巻きになっていますので、、、

                   結構、、、ストレスたまりますよネ。

             NHKの「チコチャン」みたいに

           切れたやる!!!、、、って、、、

              目下、、、嫌われ者の、、、私たちのギャグです!(^^

             チコチャンが居るだけで、、、

                 ストレスが、、、笑いになりました。 

           

       ネジバナ、、、大好き、、、これでも「欄の花」ですから

            原野のネジバナって、、、心通じる我が家の親友です。  


半沢直樹の最終回   そして、謎の笑み!

2020-09-27 22:10:36 | Weblog

今回の最終回まで、、、TV観るのに、、、

      すごい踏ん張りのエネルギーが要りました。(^^!

全員が主役!、、、

         誰も脇役が居ない、、、!

           全員が個性豊かな現在歌舞伎の芝居の面白さ、、!

、、、、すごい、、、TV番組でしたね、、、、

                                                      

、、、、、小学生が観ても、青年が観ても、、、

               中年が観ても、、、

         開いた口がふさがらない、、、、面白さで、

      心臓が出たり、、、ひこんだりしたでしょうね、、、きっと!。。。

          欣也ちゃんが出ているので、観始めたのですが、、、

          静かに、いつもと変わらない主役を淡々としていたのは

                                                                                                    欣也ちゃんだけ!

    ほかの主役は、それぞれが、全員、たぶん、、、アドリブと

   その場の空気の成り行きで、顔中が芝居したのでしょうね、、、(^0^

                                                  

可笑しいやら、、、すごいやら、、、弁天小僧や、曾我の五郎や

      石川五右衛門や、、、kumadoriをしている舞台を視てるような

                                        お芝居の面白さが、、、てんこ盛りで、、、

                                                                                 

                                                                                     あ~~~~面白かった!!!!!

 

                                            最後に、、、頭取を引き受けて、、、

                                             直樹がニヤリと笑うところが、、、

                                             すごい!!!

 

                           正義の勝利と、、、繰り返す銀行の

                                         バンカブルな丸の内社会。

 

            無関係な映画なのに、、、思い出したのは

                 オーメンの最後のシーンんで、

                 終わらない,、、悪を暗示させた少年の顔と

 

            直樹の,( ̄ー ̄)ニヤリ、、、が

          終わらないバンカブルな世界の、、、悪を暗示させて

         戦いは続く、、、予告のようです。

    きっと、、、また。。。直樹は、50代になって、、、頭取をするかもね???

長生きして、、、帰ってきた千倍返しを、また見ることにしよう。

                人生は土下座と,、( ̄ー ̄)ニヤリのどちらか何でしょうね!

結婚しても可愛い彼女、、、白い犬の欣也ちゃんの声、

            

       半沢直樹で共演です。、、、面白い、、、。

        浜木綿子さんを思い出しながら、、、

           お母さんが、今日の映画の息子を観たら

                 笑ってしまうんではないでしょうか?

    スゴイ、、、顔すんのねェ~~~とか

                  コロコロ笑うかもしれませんね。

  久しぶりに、、、面白かったです。

                       日記には忘れずに書いておきましょう!

                        笑いのエッセンスって、、、新タイプですね!

           全員が名優なのに、、、

            全員が独り舞台のように光っていて

        全員が主役で、、、、舞台の真ん中に居るようでした。

        何とも言えない面白い顔の歌舞伎を観ているようでした。

 

欣也ちゃんだけは、、、いつもの欣也ちゃんでした。

      オウギノ要のように、、、

勧進帳で言うならば、、、福助の義経のようで、、、

   絶妙な、位置で、弁慶を、演じている者、

      安宅関も、、、重なって、全員が王様の将棋盤のようでした。

            楽しめた半沢直樹でした。

                  おかしくて、、、楽しくて

                 観終わった後は、がっくり、、、筋肉が疲れました。

              婆ちゃんから、、、孫たちへ、     


コロナが収束する日に向かって、

2020-09-25 02:45:24 | Weblog

毎日毎日、、、家事に明け暮れています、

毛布をベランダに干して、まくらカバーや、シーツを洗って、

カーテンと、ミニマット類を数枚洗いました。

ベランダに洗濯ものを干すときは、、、幸せです。

空が見える、、、羊ケ丘が見える、、、空気が美味しい、、、

 

医者の家の家族もろとも、、、「汚い、、、」と言う

                                               風評が在るのは仕方ありません。

結婚を機に、2年か3年住むつもりだった北海道に

50年以上も住むようになりましたが、

                初めの3ヶ月で

           カルチャーショックになりました。

 

昭和44年、、、札幌は24条あたりまでしか開けていませんでした。

キタの12条に住んでいましたが、このあたりには

          お店も無くて、

あるいて15分ぐらいの車道に面した通りに

            生協があって、唯一の頼れるショッピングの店でした。

銭湯があるいて10分ぐらいのところに在り、

     主人が奨学金で借りたアパートは、

             北大に歩いて30分ぐらいの所でした。

 

2DKとはいっても、、、6畳と、北側の3畳は冬はつららが部屋の中にあるという、、、

断熱材も入っていない、、、冬の暖気の日の湿気が有るので、

長靴や、雪かきスコップの置き場になっていました。

主人が生まれた昭和15年は、日本が何かと不安定な外交で

一色触発の戦争の気配が漂う時代だったと思いますが、、、

 

昭和40年代は、戦後のドサクサがようやく復活し始めて

     万博や、オリンピックが

         盛り上がり

所得倍増と、白黒TVが叫んでいました。

主人次男という事もあり、、、

   明治生まれのご両親は「長男」以外は育児義務?終了感覚で

7年間の、北大在学中も、わずかな仕送りと、、、奨学金で通学していたというのが

        当時の学生模様です。

アパートの前は砂利道で、、、

         ハマ薬局さんと言う薬局が有って、

                 いろいろと、商品もそろっていて、

                   育児のミルクなどは、ここで買えるので助かりました。

開業医で育った私は、アパート暮らしも、銭湯通いも初めてでした。

3時に開店すると同時に、

       誰も居ない湯ぶねにつかり、、、タイルの絵を眺めながら

自宅の風呂においては

       味逢う事のない   のびのびとした手足を浮かべて、

北海道の勤務医の、

        貧しい中にも、贅沢な風呂通いでした。

          アパートの前の砂利道の土埃は、春と秋には猛烈な土埃を巻き上げて、

            窓ガラスは白っぽくなり、、、すりガラスと変身してゆきました。

主人が借りていたアパートに

母が来てくれて、

「結婚したのに、風呂が無いなんて、、、と言って

  現在の「ユニットバス」の元祖のような

ほくさんバスオール、、、とか言ったかしらね?

23万円の、一畳の、簡易シャワーを、主人を促して設置してゆきました。

大家さんには、ここを出てゆくときには置いてゆきますからと、

交渉は、大家さんの笑顔でOK 。

父は明治生まれの数少ない外科医でしたから、

   母はモダンガールでしたから

北海道の、奨学金で大学院に行っている国立の外科医の卵の状態の主人が

戦後の自分たちの周りの苦学生と重なったと言っていました。

青白きインテリ、、、と言われた時代に、

青年たちは、貧しい暮らしの中で、

日本を復活させていったのですからね。

6月まで、、、独身で、自主自立のキャリアウーマンを目指して

総合病院で、それなりの給料を戴いていたのに、

11月には北海道で、職も無く、、、小さなアパートで

「生きるか死ぬか、、、大学院で論文を書きながら

   医学博士を取得せねば、、と、

自分の事しか考えていない、、、苦学生に

        母は、何か?、、、ピーンとくるものが有ったのかもしれません。

現役で病院に勤務中の薬剤師を

      退職してまで、、、北海道に

                早逝した父の空席を埋める外科医を迎えに

1人の完成された社会人になっている女性の人生がヘヤピンカーブの運転に

      頭の中が真っ白になっているという

            私が、まるっきり、、、動かないので

        外科、内科の「個人開業」の存続の為の

              意気高揚に向かう為とはいえ、、

母にとっては、目下、応援を必要とする医師の卵の時代に

           応援も出来て、家族に成れる「外科医」が

         54歳で急逝した父の残した

              一日150人と言う外来の患者さんたちを

                  引き受けてもらえると、、、

           母なりに、地域への責任を果たそうとしていたのかもしれません。

                北海道は、東北薬学大学の進出しているところであり

   先輩も、後輩もほとんどいない、、、当時の日大卒は

           再就職するというよりも、

              知人を作らねば、、、と、、、

                万策尽きた、孤独な結婚生活の始まりでした。 

  

     北海道の医師は恵まれていると、根拠もなく考えていた母は

    現実を目にして、医師の免許を取得した後、

   「医師をするという事が、、、いかに難しいことであるか、、、」

   「我が家への応援状況どころか、、、奨学金の一括返済から始まったのでした。」

   次の時代の苦学生の為に、奨学金は、返済しなさいと、母から言われ

      結婚最初の仕事は、奨学金返済をして、

          アルバイトをしながら、細々と、、、

               貧しい結婚生活のスタートでした。

    主人の方は 次男独特の、、、人生の深海に何が出てくるか、、、

      泳いでゆく事しか考えない、、、

         家庭は振り返らない、、、結婚生活が始まった。

       結婚式を控えて、我が家に泊まってみて、、、母は、、、       

学生のままごとのような結婚生活に

      しばらくは言葉も無かったようですが、

「カーテンぐらいはしないとだめよ、、」と、我が家のように率先して

三越に、カーテンをオーダーしてくれました。

三越は、札幌に開店したばかりでした。

17000円の家賃のアパートに、30000円以上もする上等の布の

    オーダーカーテンを頼んでくるなんて、、、

       信じられないカルチャーショックの中で

           母の、、、イケイケの応援で

              やっと、、、現実の、、、自分の置かれた立場が

     これから長い、、、主人の博士号取得に付き合って

        医局の御奉公がすんだら、

   父の亡き後の開業施設を、兄と、従兄と、弟と、私の主人と

           法人の病院にして、

    戦争前の、院長だった父の病院を取り戻したいと

           母は、、、思っていたのかもしれません、、、ね。

    

      

              

    50歳代前半で、、、未亡人になった母の事を考えると

       母と暮らせる人でないと、、、先が見えなかった。

    母が気に入る人でないと、、、結婚はしないつもりだった。

    戦後の、、、日本復活の時代の女性の地位は

             男の兄弟を前面に立てて

            周りから必要な仕事をこなすという

                暗黙の身分差別が存在した。

       女性の地位は理不尽な差別で、軽く配置換えをされた時代だった。

            

   世の中は、、、どんどん変わります、、、

主人が博士号を取得したのは7年後でした。

      開業への「税制優遇も無くなり!!!」

   兄が立ち上げていた「開業施設を病院にするという目的での会」

     解散された。

       開業の時代は、税制優遇が無いと、、、サービス業になった今

          感染症にも、個人経営では四苦八苦する自転車操業のような

        銀行管理となったり、、、独立法人となったり、、、

    医師をすることが人生であっても、周りの応援団も、親族も

   「医師は一代限りで、、、芸術家と同様に、、、相続する何ものも無いのでした。」

施設は、、、法人化されて、、、国の物になりますから、、、

バンカブルに動かないと、時代からとり残されてゆきます。

   しかし、、、バンカブルに、時代にしがみ付くことは

      日進月歩の医学の世界、、、

       日進月歩の医療機械の進展、、、

        日進月歩の学門の世界は、、、

          ピークには30個ほどの学会に所属して

             頭の中の維持費に

               国家公務員の月給がそのまま支出になっていた。

 社会的には未来を、、、漠然と信用されて、、、銀行からは融資は受けられた。

そのころ、、、兄は、、、父の残したすべてを売り払い

               閉院した。

23人の従業員への退職金

  公認会計士さんや、男性従業員への天職の世話など、、、

「開業を辞める、、、閉院するのが、、、こんなに大変だとは、、、!」

晩年になって、、、ポツリと言っていた。

   コロナの時代。。。

      親の代からの店を閉店するところも出てくるでしょう。

 天の力は、、、人間が予測できない。

   時間と言う、、、最も大きな、、、味方であり、、、敵であり、、、

全てを癒す、、、時間と言う、、、不思議な支配。

  人間にとって、。時間医支配されているという、、、絶対。

短いようで長く。長いようで短い人生に、、、

   果たして、、、お金を貯めている暇を、、、天は下さるのだろうか?

経済に先んじれば、、、地球の表面を削っているうちに

       人生は終結して、、仕舞うのでははないだろうか?

結婚に日から、、、時間はすっ飛んで消えていった。

76歳の。。。お婆ちゃんは、、76年の間の思い出せることを

日記に記しておいた。

                

 

    

   結婚式の前に、主人が借りてくれたアパートに

          母が来てくれましたので、

    町の案内を兼ねて、私も、初めてでしたが、、、、

古くから、札幌に在ったと聞いた

           「五番館」と呼ばれていた、

           現代の「西部デパート」の前身の店に行きました。

           

       母は、そこで、、、

    桐の箪笥の三点セットを買うと言い出しました。

私は、6畳と、ダイニングしかないアパートに、

         桐は似合わないから、

         ダンボールと、壁紙で、

         ロッカーは造るから、、、と言ったのですが、、、。

 

          三越で高級カーテンンをオーダーしたり

          桐の箪笥の三点セットを買おうなんて、、、、、、

        頭がどうかしてしまったのだと思いました。

 

          風呂のない、、、17000円のアパートに、

         オーダーカーテンや、、、桐の箪笥は、、、

            スットンキョウな違和感があるから

           カラーボックスで良いから、と言ったら、

 

           浜松にピアノ塗装する店を知っているから、

          いつの日にか自宅を建てた時に

             結婚当初からの箪笥を使ってくれると、

          母の肩の荷が降りるという、、、一方的な自己愛の母。

            結局、話し合って、

     3点は無理だけれど、2点なら、アパートに入れても、、、

                   何とかスペースはあるという事で

            2点の桐のの箪笥に、セットを崩して再度、

       ピアノ塗装の夫婦の通勤服の入る所が、出来た。

 、           一見するとデコラバンの白に見える

           白色のピアノ塗装の箪笥が2週間後に、

                      狭いアパートを占領して

                            さらに狭くした。

           母は、帰りがけに、、、主人がTVを視るのが好きだと聞いて

          「20インチの高雄」と言う。木枠のオーソドックスな、

          およそ、、、APの安い造りの部屋には

             似合わないクラッシクナデザインのTVをセットして

             ダイニングルームのど真ん中に、、、

         東京方面では見たことのなかった「鉄製のストーブ」をセットした。

           結婚そのものが、、、主人と母との、

          利害関係で、将来我が家を手伝ってくれるという、、、

              54歳で、急逝した父の後の、

        自宅で母と住んでくれるという未来の婿殿、、、?

              母と主人で、部屋をつくりあげてから、

          母は、、、千歳空港に向かって帰路についた。

          11月の寒い日に、札幌会館と言う、、、何やら、

            学生にはもってこいの会館で

            北大の教授ご夫妻の晩酌で、はるばる母も参加して、

               結婚式を挙げました。

結婚式にも出席した母は、東京に還る時に、、、「元気でね、、、」

       他人様の土地で暮らすのだから、

           土地で受け入れられるまでは

                顔に、墨を塗って、、、何もしないで暮らすのよ、、、

      苦しくなったら、東京に帰っておいで、、、」、、、と言ったとき、

母は、父の居なくなった後は、長男だけに集中するという

       女性乍ら、、、黒田官兵衛のような咲く詩だったのかもしれないと、、、

    母の前ではいつまでも、、、赤ちゃんでいなくてはいけない、、、父の早逝!

        自分には、薬剤師と言う腕があるから、

         父母からいただいた、応援はこれだけで充分だと

            ありがとうしかない、、、。

                

            あの頃は、収入が無くて、、、とじこもりました。

          今は、不急不要を避けての閉じこもりです。

           コロナ収束に向けて、

              昔話が、私の中で、走馬灯のように

              生き抜こうとする灯りの周りを

                グルグルと、、、回ります。

 

これは、、、記憶朧な、、、日記です。

あと、、、2年ぐらいは、coronaとの戦い、、、あるいは共存、、、あるいは収束?

昔の苦労を思い出して、、、大丈夫!!、、、

 コロナの収束の日に向かって、、、頑張れます!

 


生きるという、、、厳しさを、、、coronaは世界中に知らせている

2020-09-24 03:34:15 | Weblog

人間って、、、不思議な生き物ですよね。

生きる手ごたえ、、、

空気の美味さ、、、

日本の緑豊かな風土は、、、日出国、、、

                                           

世界中の王様と違うのは、

    戦争や、武力や、支配で、生まれたネロのような支配者は居ない。

獣狩りの生き方と言うより

海の囲まれた島国は魚やカメさんと竜宮城を目指して遠くに夢を馳せた。

天地、太陽を神の恵みと受け止めて

沿岸の漁とクジラを追って地球を漕ぎ、天然の神様が愛してくれたと

私的には、信じている。

稲作と言う、、、定住、、、住処愛するという文化が

歴史とともに、いつの世も、天地の恵みの知恵を民に伝え

御山のてっぺんごとに大将が居た国盗り物語の国に

絶対に争いごとの敵に回してはならない次元の違う存在がいらしてくれたから

日本の争いは、思想闘争と言う人間レベルの闘いにつかれると

一拍休みで、、、朝廷を仰いで、またまた、、、

人間レベルの陣取り合戦を繰り返した。

歴史の語り番組で、楽しい座談会は続く、、、。

民とともにいつの世にも、心の拠り所として、、、

            民とともに在り続けた天皇様

gennjitudearinagara 形而上のような、理解を超えた存在でいらっしゃった。

時代の移り変わりは

        武士の位の知恵が武力で支配政治を勧めた日本ではあるが

時の権力にとっては、

天皇様を意識の上、、、以上に、、、説明は困難ですが、御簾の向こう側の方であり続けた。

天地の恵みも、天地の怒りも、太陽の光のエネルギーが

人も、植物も、動物も、、、鉱物さえ、、、、元素さえ、、、育み育てたことを

霊感でもあったが如く、謙虚に、神の光のように崇めて

小さな島国は「心の謙虚。心の勇気、不動心と言う修行、、神様という

日本中の集落に存在する、、、各々の歴史を軸に大切にしてきた「神様」のような新人の対象が

万物に及んでいて、、、結局は、、、天皇様以外は

  イワシの頭も信心から、、、と言われるような

庶民の間の宗教は星の数ほど、、、自分的に、、、それぞれが、、、自分的に信じているように

正直に言うと、、、私にはそのように見えるだけであって、、、

         私は76歳になるのに、、、

                  神様って、、、説明も、確証も

                    形式のある信仰も、よくわかっていない。

でも、皇室と言う、、、歴史とともに、、、いつも一緒に生きて

    時代が戦乱のなろうとも、、、

              すべての次元を飛び越した感性が

                自分の中に住み続けているのは

  皇室の大切にしてきた、、、

      「稲をご自身の手で育てられて刈り取られるという」

日本人の食事は天の恵みの

           光のエネルギーが、

               天地、森羅万象、生きとし生けるものが

       生かされてきた根源を、大切にしているという

            裸で産まれて、

どんな動物の赤ちゃんより未熟で

          自分では何もできない人間の赤ちゃんが育って行く。

        皇室が守られてきた、森羅万象、天地の存在を民に伝えてくれる

髪の御加護が無ければ、、、人間の子供は生き延びただろうか?

     学校で習う知恵とは、全く別の

                 「気付く」という

           皇室の存在そのものから学ぶ天地の知恵。

伊勢神宮の建て替えるときに一大工に過ぎなかった宮大工が

次の遷宮の時は、遷宮の経験で技術を磨き、

      棟梁に成れる、、、伝統の技を継承すると

                        NHKのTVで観た。

                  

 私は信仰とは何なのかわかりませんが、これは静岡で出会ったさざれ石ですが、

             見つけた時は、身が引き締まる様な感動が有りました。

        昭和10年代の生まれは、、、君が代で、育ってきました。

全員が、、、オリンピック選手のように、、、国を背負っているという、、、意気込みで育てられました。

    日本の歴史とともに、日本が存続する根源は天地、森羅万象

       すべてに感謝しながら、天地の声と教えを聴く、、、天然の知恵。

世の中を羊の群れに例えるのなら

   数多ある大学や教えの組織は、羊飼いの少女のような

   時計台のあるキャンパスで、羊は草を喰う。

やがて、羊たちには、専門意識と言う羊毛が伸びて、

     知識だけで、羊の身体は埋め尽くされ、、、もこもこになる。

羊飼いの信じる神の一声で、羊毛が刈り取られ

  羊の羊毛が出番を与えられて、、、ゆく。

羊たちの毛は羊の能力として、具体的に社会で役立ち始めてゆく。

人間社会の場合、、、

羊の毛に相当する知恵や、あらゆるスキルも、

    羊飼いは私的に利用してゆく。

羊の毛で儲けようとする、、、経済の世界のようですね。

天地創造の神とともに、、、森羅万象、、、共存共栄の天の鎖が総てを生かしてゆくという

雲と川と、海と、山と木々と、大地と、、、それぞれのバランスが崩れると

欲張りの居る御寿司を囲んでの誕生日に、

      お寿司の上のネタだけ、食べるものが居て、、、敬虔なお祝い事が、、、喧嘩になる、、、。

デジタル社会が進むという事は

    物事を想定する時、、、利益順に羊の集団がグレード別に

      瞬時に分けられて、値段と用途が決められて

         「人間の物」としての「私物化」が始まらないだろうか?

       人間社会の仕事は。家の中が職場と言う

           ドラえもんの「どこでもドア」で

              ドアに相当するパスワードを入れると

                会社のドアが開き、

         仕事こそが、男の生きる道とばかりに、、、

         家庭は職場となってゆく。

             いいような、、、悪いような、、、便利なように見えて

         コロナもびっくりの失業対策が必要かもしれませんね。。。?

機械が仕事場に出てくると、、、、人間の出番が無くなります。

        仕事にあぶれた、、、青白き、、、インテリの苦悩はデジタルが創るかもしれない!

                 

            デジタルだと、、、人間のコピーが出来るでしょうね。

              なりすましも簡単かもしれない、、、

一億総デジタル人間で、アナログの人間が居なくなるという事は、

    阿部首相の病気を押しての、世界とのコミュニケーションを

         陰から支えるという

           官房長官時代の菅サンのような

              アナログな感じの心をどこかに維持し続けている信じられる人が

         首相の辞職の為に途切れてしまいそうだった

            画竜点睛の最後の期間の、、、未完成交響曲を、、、しっかりとつながて

               感動的な支持を得られて、、、名曲を聴いているようでした。

              世界とのコミュニケーションを無駄にはしないという

                 時代が中途半端に途切れないようにと、、、

     アナログな発想で、、、、

政治の継続の手段はデジタルでコロナ時代を生きる知恵を

    貫いて実行にgoーという  

         頭でっかちのデジタル人間には、損得、

                        アピール、

                         仕事の実績の確保、、とか

       天地が活きる前に、、、自分が生きることを考えるデジタル人間が増えて

    ギャンブルで稼いだお金も、、、努力の結晶の

            人間国宝の稼いだお金も、、、お金はお金、、、

         お金を頂だいと言う、、、世の中になってしまったら

              無味乾燥な、、、、日本中がアスファㇽトになったような

      タモリさんがびっくりしていた

               地面の下の石の橋が、

                  従来のアナログ人間?ってことになりますよね。

           石畳、、、雨の長崎、、、

       東京集中型の日本は、、、むしろ、、、デジタルをほどほどにしたほうが

地方の良さ、人間の幸せの原点、、、

   天皇様の大切にされている、、、生まれたままの日本

             光を、、、御神体と仰ぐ伊勢神宮、、、

                    神様は男性を主と選んだ。

子育てには、日本の未来がかかているし

    子供だけ産めば良いというものではないし、

       子供を授かった女性は

          神様に嫁した嫁のごとく

            子供を育てるために、

                 全身全霊を捧げないと

                   子育てには、、、

            日本のすべての未来がかかってくる。

            

何を書いていたのか、、、睡魔がおそってきて、、、このまま、、寝そうです。

天皇様のいらっしゃる日本と、アナログ人間のまま

           デジタル技術を、中学生ぐらいから身に付けて

         デジタルの出番を心得た、、、心を失わない若者を育ててほしいと祈っている。

  年寄りにも優しい日本でいてくれますように

秋田の田舎時代の、、、都会人には気が付かない感性の潜んでいる

                 アナログを忘れない政治をとってほしいと

   デジタルに、、、なりようのない、、置いてけぼりの、、、、76歳の、、、

      パソコン音痴、、、スマホ音痴、、の私は

   激務中の息子達より長生きしてしまったら、、、

         どうやって、、、生きればよいか、、、未来には

          ついてゆけそうにもないと、、、

    今日だけかもしれませんが、、、愚痴の、、、日記になりました。

     もうだめ、、、だ。。。目が、、かってに、、、眠り始めた、、、

        朝になってしまったけど、、、、おやすみなさい、、、

                        グ~~~~

  


一雨ごとに、、、北国の秋が駆け足でやってくる

2020-09-16 19:20:45 | Weblog

さよなら、、、ユリ根の美味しいユリさん

           

 

さようなら、、、一枚一枚が確りと種を持った菊のはなびら、

強い凛とした花は、若い芽を守って、、、雪の中で立ち枯れる

 

 庭の野草は、、、纏めると、、、優しかった色

秋はいきなり、、、空から、、、落ちてくる

 

                    

白い,、花の名前は、知らない方が美しい

         

静岡の碧は、、、いつも、、、真夏のような、、、日陰が素敵

マリリンモンロウが立ち寄った事を

知る人ぞ知る、、、川奈

              

山々の誕生から成熟の山へと連なる、、、サミットの時

      ご機嫌斜めで、、、その絶景を霧で覆って

                 世界のビップに姿を現さなかった、、、洞爺湖

 

秋が素敵、、、眺めも素敵、、、お値段も素敵すぎるから、、、ツワー参加を選びました。

昭和時代、、、美智子妃殿下の時代に

            ねむの木の子守歌が、、、若者の間から、、、年寄りまで

                           歌いました。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

            


時代にしがみ付かない実践と経験と、do it 私自身

2020-09-16 07:48:02 | Weblog

政治音痴の御茶の間の婆ちゃんです、(^^

阿部さんは大変な健康状態をクリアーして、内閣に戻っていらしたのは、、、

影で支えた、実践派のたたき上げたご努力の多くの支持者がいらしたことは

 お父さん時代の人柄と言う「大いなる遺産」を受け継がれていたんでしょうね、、、

辞職された後、、、日本は、、、どない生るんや~~~???!と、、、、

お茶の間は心配でした。

                               

でも、政治空白を作らないで、来年の満期まで、阿部路線を走り切ると宣言した菅さんが

自由民主党の総意で立候補されて、

持ち前の、努力の実力が、政治空白を作らない!と言う

[旗]のように、国民の不安をぬぐい去ってくれました。

                         

東大卒は官僚とか、トップ教育を幼少のころから受けられる環境に育っていられるから

 ひの打ちどころのないインテリ集団の金メダル、金時計組だとは思うのですが、

コロナの時代のように

            「密」「三密を避ける」「不要不急をしない」こうした時代には

ヤタガラスが一本足になってしまったような、、、

                               判断ソースが使えない状態になるのではないかと、、、

イイや…杞憂でショウ!、、、

東大卒の連携は、、、頂点しか務まらないんとちがう???..天の声が聞こえました。

官房長官の菅サン時代に負けない懐刀を発揮するでしょうね、、、と、、、。

言い切れる?、、、かどうかは、、、結果が楽しみです。

 

東京大学の基礎系の実験室に勤めていたころ、、、感じたんですが、、、

全員がトップの人たちでしょう!、、、

丁寧に私ごときには仕事を頼んでくださるのですよね。

優しくて、、、紳士的で、、、エチケットもあり、、、

競争にならない私たちには

別世界の、ガラス越しの優しさで、、、

人使いが

「天然のさわやかさで、自発的な最大限の働きを引き出す天才だった」記憶がある。

しかし、、、

ほかの旧帝大からも研究者が来ておりましたが、、、

同等かそれ以上の人に関しては

別の意味で

分厚いガラス越しの、、、、。にこやかな笑顔だったような空気を感じていた。

菅サンのような実践で鍛えて、地に足の着いたサポートをする前に、、、

           

火星には「リン酸が見つかったんだよ、、、500度の火星にね、、、

生物が居るかどうかはサポートされた人が考えることになり、、

、高度なサポートは仕事を創るかも、、、?」

        

政治音痴の婆ちゃんは、東大での官房長官の助っ人を10人ぐらい、、、

参謀の参謀の実践派を配置しないと

情に流され、智には角が立ち、、、プライドは山のあなたのなお遠く、、、ゆるぎなく

 

コロナは

「臨床経験」「実践経験たたき上げの勘所の必要な、

地球のリン酸を使いこなすべき時期だけに、、、」

菅総理大臣の「阿部さんの志を継いで、コロナ対策をする」のは、、、偉い人でも、、、

下から目線で

5歳の子には膝をついて現状の状態を片言から察知し、医師の現場を尊重して

昔校長先生だった老人には、、、

「コロナは職員室の順番を無視して攻撃してくることを解らせねばならないし、、、」

頭を下げるのは苦手の東大卒のエリートが

「コロナの中、、、生きねばならない戦い」を

        戦場でしてきている菅さんの首相を、、、どうやってささえるのだろうか?」

官房長官の支えを万全にしないと、、、

           真逆の方向の方がサポーターなんて、、、

 

「台所は、、、俺に任せろ、、、と、自分用のまな板を買ってきて、、、

やり始めた主人の後かtづけに、、、徹夜して、、、ありがとう、、、手伝ってくれて、、、:」

主人の台所への出没は正しい判断です。

同じ材料を日にちをずらして買っておくと、

全部が賞味期間がたっぷりあっても、、、一番新しいのから使い始める。

正月の三元日は、、、ママを休ませようね、、、と

自分が息子と達と、、、握りずしを山ほど作り始める。

文句を言ったことが無いけど、、、計画どうりにはゆかなくなるのが、、

「、偉い人?」の手伝いだから、、、

お正月は、、、片付け物で、徹夜になる、、、私だった。

おかげさまで、正月の我が家の料理は出番が無かった。

息子達の頭には、マグロのトロの分厚い、、おにぎりと見間違うパパノ握りずしが

おせち料理と認識されている。(¥¥!

私たちのような老人や、庶民暮らしのサラリーマンや

庶民階層の国民から見ると,、、

東大卒のエリートがサポートにつくんだから、、、

菅首相は万々歳だと、、、

一見思うでしょう?

そうであるように、、、舵取りが出来るのは、、、インタビューに忙しかった

あの、、、長老のような、、、お方が、、、大切な一言を発していました。

日本国民の地方の投票者は今の時代に政治空白を埋めるのは

菅官房長官しかいないと、、、思うには、、、国難を乗り切るための以心伝心!??

 

我が家の、、、台所とは、、、比べるわけにはゆきませんが、、、

此処は茶の間の婆ちゃんの日記帳の一ページですからね、、、!

           

主人は、

医師としては信頼されていて、

           50年来の患者さんが今も「先生じゃなくっちゃダメなのよ、、、!」

他科の病気で、ほかの病院の専門家に紹介した後も、、、

          患者さんはほうこくがてら、、、検診に戻ってきてくれて居る。

医師は患者さんから贈り物は受け取れないのだと、、、何回申し上げても、、、

自分の農場でとれたものだから、、、

            贈り物には該当しない、、、と言って、持ってくる。

主人の事は、医師としては尊敬しているから、、、

          当直の日には

             2食の弁当と、プリンや、ヨーグルトの

               「 脳ミソが使った糖分」を

                     補う間食もパックしておく。

 

たまの日曜日に、

         散歩に行こうと言うと、、、料理を始める。

              気に入った材料を気に入ったやり方で、、、御、、、始める。

大根おろし、、、キュウリとレタスとトマトとハムのサラダ、、、

サンドイッチ、、、冷凍食品のチーンのホテル味、

中札内の冷凍枝豆の大量解凍、、、夜の、、、「倍返し」を視乍ら食べるのだという。

男一匹、、、休みの日に、

料理をするのもコロナのせいだから、、、

            ストレス解消になればと

              経済を考えないで、「材料を自由に選ぶ権限を譲っている、」

勝手にやってくれて、、1人で遊んでくれて、

         coronaから自分を守れるノウハウが料理から気が付くのなら

台所は、「頭と筋トレの運動の領域」と合点している。

良く散らかし、、、良く汚し、、、不規則なごみがあふれる。

かなわないのが,、、自前の料理を、半分残して、、、ラップをかけて在り、

「家族の食べる分け前」をも料理するという事です。

           

台所を、、、使わしてもらっているという観念が無くて、、、

何をやっても、、、

この場の主任は俺様ダ!、、、「主、、、あるじ」の感覚で、、、

「お前のぶんも作っておいた、、、?」と言う、自己流のお礼心です。

 

後片付けが、、、その分、、、多くなるのです。

気持は解るが、、、エライサンノお手伝いは、、、

お手伝いのお手伝いが、、、欲しいと思うのが、緻密な清潔さを維持している主婦の

お茶の間の主の感覚です。

客人の御もてなしの心にも似た、

            日ごろの主人への感謝が、、、

                       大目に見れる台所です。

          

これは、、、独り言の日記ですから、、、

、、、学術派の官房長官を右腕として

使うのは、、、大変だろうな~~~、、、と、

菅首相の、ご苦労が、周りの皆のサポートで成功することを祈りながら

部屋中消毒剤を撒きながら、、、台所を、ハイター薄め液に、、、漬け置く事4時間後、

真夜中に片付けている、、、私。。。。76歳の婆ちゃんです。

主人が居てくれての、、、家庭だが、、、

         手伝い人には向かない人,、

                 向く人、、、が居るから

菅サンの官房長官時代の3倍の運動量を見越して、

      「パシリがプロと自任する便利屋」を

              新しい官房長官に付けないと、、、

東大卒の能力を発揮させるのには、、、重量が有るので

移動距離を作るのが,、、知恵の絞りどころですね。

「仕事をしてもらうのには、、、移動距離を出させる、、、」

  脳みその重量が地球の三倍と計算して、、、重い分だけ、、、

サラブレッドの生まれながらの力量のある相手に運んでもらって、、、と。

運搬移動をさせて、仕事として成立させる人間起重機がイルカモね。

 

そういえば、NHKのTVで、重機と言うドキュメンタリー実写が有った。

人間が重機を必要とする時ってありますよね、、、

例えるならば、、、一例として、、、

息子のお嫁さん候補に、、、

   東大卒の留学経験豊富の女医さんが現れた時、、、

       息子の手に負える相手ではないと思い、、、母親の一存で、、、

              「無理❕無理!」、、、

その女性を迎えるのなら、、、我が家のような勤務医なら無理!

鉄筋の、大病院が有って、、、御迎えた女医さんの活躍場所の

           スポンサーに成れる家がらでないと、、、無理!」

会う前に、、、辞退しました。

我が家には、、、結婚して、家を守ってくれる「主婦が天職」と思って、

          旦那の帰りを待ってくれる、、、女性が

                  現れる日を待ちながら、、、

医師には時間と言う、命を浮かべるゆとりの時間が無い。

自分名義の家も無い、、、車も無い、、、

            45歳の息子は

                 生涯、、、医師をするという、、、心の拠り所で、

                      医師をするという事だけで、、、

                        不幸ではないと信じています。

 

            医師と言うスペシャリストの嫁になることは

  医師が医師をすることの舞台裏で助監督をするつもりで             此処が我が社会参加にも、月給にも、恵まれない家庭で

「此処が職場」と言うプロ根性で、「医師をすることを実行しているヅ脳労働者に」

                 間接的な、

            社会への貢献、社会参加、 社会で生きる物であろうと、

       家庭の私的なところで生きる主婦であろうと

      「医師をするものへのサポートが義務」と割り切らないと

           

  社会は

     医師の家庭を

       理解はしてくれません。

               徳ばかりして、贅沢だと勘違いしています。

                         

            「何にもやらなくても、、、

               御主人がお金運んできて、、、いいわね~~^」

              誰とも友達になりたくない。。。言い訳もしたくない、、、

           

                 コロナが流行ると、、、遠巻きにして、、、ひそひそ、、、

                   いちいち反応していたら、、、

                 一階と二階を行ったり来たりのエレベーターみたいに

                     言葉に酔うから、、、目下、、、二階の小窓から

                        要点だけを承るようにしている。

 

                    主人と出逢って、、、40歳ごろまで、、、

                       定期収入も無かった医局生活の中、、、

          子育てを終わると、、、70歳を過ぎていた。

       主人は学会で、または仕事で外国に同僚とは行ったりしてはいるが

                       新婚旅行は京都の3日間

                   結婚ダイヤは25000円の三越バーゲン品

       子供のお産は実家で一年以上お世話になりながら

               生後4か月まで実家で育てた。

                 札幌に帰ってくる時は、普通なら、、

           東京の実家まで「お礼かたがた迎えに来る、、、はず、、、。」

                医局では博士号もまだ取得していない一医員だから、、、

      医局で飼っている犬の世話役主任並みの軽い立場だそうでした。

             外科と言う、、、東大卒の教授の参下で

             一分一秒、、、私的な事をすることは

              同僚が学ばんと

                  しのぎを削って居る以上

             グラウンドに立てない野球選手と同じ心境になるらしい。

 

             女房や、、子供、、、どころではない、、、

             手術場で、第三助手には入れても、、、「コー引き」の時代。

                      

         執刀医が切開した幹部の奥が見えるようにと

     下っ端が「コー」いう手術道具で力任せに開口して固定するのだそうです。

                 

          勉強して、手術の様子を見ようと、、、頭をあげると、、、

   「君が、、、開口部を視て、、、何が出来るんだ、、、!頭を低くして、邪魔するな!」

      数時間もかかる手術の「コー引き」をしながら、、、翌々日に帰宅する。

           女房が実家に居るので安心で考えなくて済むから、、、

               一年も経ったのがピンとこなかったらしい。

           若かった当時の主人たちにとったら、、、

                   若手の医師にとったら、、、

               無給で、腕が無いから仕事のバイトの口もかからない。

     ドッグフード並みの食事に、、、猫飯並みのスープをかけたり

           ご飯を炊いて、マヨネーズをかけて、過ごしていたというから

              腹も立たない、、、メチャクチャナ結婚生活だった。

 

      東大卒の教授の偉さは太陽の次だったようである。

 

             私は主婦なので、、、医局の位家社会の位には関係ないので、、、

            男の世界の大変さには同情はするが、、、

           子供を産めない男には、、

        出産や育児に相当する苦労があるのは仕方ないと思っている。

            

         出産、子育て、、、独りぼっちの北海道で、、、孤軍奮闘だった。

              

             幸い、、、私は東大を除外すれば、、、

           大学は何処を出ていても立派なものだと思っているから

           ダンボール会社で働いた後、自力で法政大学に進学した経歴をTVで知り

      実践派の現場に強い総理大臣が、阿部さんのビジョンを引き受けて

   政治の空白を作らなかったことに、、、国民は、、、さすが、、自由民主党の強さだと

         茶の間の、、、婆ちゃんは、、、ほっとしています。

           ミサイルが飛んできたときも、、、長官時代に

                   国防に奔走してくれているし、、、

            ややもすれば、、、政治の空白がもしできてしまっていたら

 

      かっての野党が、国立がんセンターの独立法人化をした直後

                   再び国立に戻し

       政治の権力が、50年地道に誠心誠意働き続けた国際間で評価されていた

      国立がんセンターを世に認識させた黎明期のスタッフを

     嫌気がさすような処遇に追い込み、

           国際的に王室のプリンセスが日本迄検診に来ていた時代をつくりあげた

             団塊の世代の先生方と市川先生らの指導者の先生方

       政治権力で、混ぜっ返された、国際レベルに信頼されていた医師の皆は

               日本国内にも、私もそうであるが、、、

              がんセンターの、、あの先生に、診断してもらいたいという

              患者さんが全国に居たはず!!

     北大の医師の中でも、、、子供がまだ小さいからと、、、

                北大で、さじを投げられたガン疾患を

                  弟が、当時の名医と評された先輩との

               診断、オペとチームプレイで

         当時の日本では、、、助からないと言われたがんの撤去に成功して 

       その先生は 幼かったお子様がたが大学を卒業して、、、

               奥様から、弟さんによろしく伝えてくださいと 

                   事の次第をお話ししてくださったことがあり 

        それからは、私も、弟に検診を受ける患者さんの一人に加わりました。 

                 医療の中に、、、、また、、、野党が政治侵入してきて、、、

                    学問も臨床も、その緻密さが解ってもらえずに

                     政治権力的に視て、正しいとか正しくないとかで

       此処の予算は2番でいいですね!式にも似た、、、

           政治権力の介入が、二度と起きてほしくないと思っています。

              当時の政権交代した野党の勇み足はすごかったらしい。

               がんセンターの病院長はじめ、、、

                  政治的に見て、正しくないと考えたことには

                   医学も、患者さんの都合も、

         国際的に通ってきているVIPの都合も、、、全部無視の

            強硬な人事入れ替えが有ったそうだと、、、女性職員が

               泣いていたのを、、、垣間見たことがあった。 

              当時の野党なりに              

                   心は医療を良くしたいのだろううが、、、

                 50年かけて、CTってなんですか?と言う時代から

               世界の患者さんが検診に来るがんセンターに育てた

             指導者と、団塊の世代の医師たちの

                 新しい時代に向かって功労をなした医療魂に

                医療においては、受け売りの知識の

                体験においては准看さんの部下並みの体験で

              権力で、医療介入を続けると、、、

                医療崩壊が出た時は、、、

             誰が責任をもてる組織だと、、、言えるのでしょうね。

            ビジョンに従って、、、自分のすべてを医療にかけてきた医師が

           「医師をするという」この難しい実行を

                菅さんの時代で、たたき上げの体験で

                  推測して、

               ゴミ袋で走り回らなくてもよい組織を作ってほしいと思いますよ。

            76歳の婆ちゃんは、、、年齢による自然崩壊のボケが来る前に

          日本の資源は、、、「人材を養成することであると感じました。」

           バンカブルな精神の豊富な政治家の方は、、、

                54歳で、過労死していった医師が

                    もったいないと思ってくれたら

                       医師のピークの時代に世に役立てるように

                時間貧乏の現場の医師に

                 説明できない、、、時間貧乏の時代をクリアーしないと

           「医師をすることと言う、、、心が求めていた舞台にあがれない、、、」

          私にも、、、76歳になっても姿が見えない,、、大きな山を越えないと

         医療の現場に立てないという、ハードルの中で、

       政治が医寮の友達になってくれないと

            医療崩壊は、、、避けられないのではないかと、、、

         おかめの視点で、感じるのですよね。

         政治からも、社旗からも、、、権力に見間違う医師の行動は

        恐ろしく緻密な学問の結果、、、命を守るために発する言葉や態度が

           無謀な、、、権力に見えるのだと、、、それは誤解ですよね。

          助かっても、医師の伝達が出来ない植物以下の状態になるだろう、

         そのように診断した医師が、人工心肺を若者の患者に回したとしたら

          それは、、、権力ではなくて、意思の疎通が守れる患者さんを

           優先にするという、トリアージと言う、、、学門の結果ではなかろうかと

             私的には思っている。

          意思の疎通のない患者さんの命が助かったとしても、

          生きているだけの為の、、、意地の薬の中に会は

          壱タブレット何百万円の薬を使わなくてならない場合もある。

          医師は権力を駆使しているのではなくて、

          病気だけではなくて、、、病人を丸ごと診てトリアージするのだと

        私なりに、舞台裏から、父も、兄も。弟も、息子も、、、、

           もちろん、、主人も、信頼して、医療に口出すことは

              あまりにも、無知な自分を感じるから、、、一切していません。

      コロナ対策には、、、政治家の権力と、医師の一見権力に見えることが

       張り裂けそうなストレスをこらえて、、、トリアージしていることが

          私は父を通して、、、、幼い時から、、、何度も視てきました。

            政治家は正しいことにアグレッシブなのは頼りになりますが

           パンデミック寸前のコロナ対策は

             疫学や感染症専門医、、、現場救急の医師らの意見を

           権力と間違えないで、、、緻密さからの判断だと思って

          菅さんの首相世代で、医療崩壊をしない医療組織作りを

      権力はさておき、、、コロナの収束の為にも、皆地面を舐めるつもりで

          意見交換をしていただきたいと、、、

         76歳の茶の間の婆ちゃんは日記に!!!書いておきましたからね!

                 政治家が医療現場に指示し始めるという事は、、、

                    経験のない、ITロボットが診断するのと同じで、

       データーとして、、、入力できない現場の診断の結果の集積が

               「医師をする」という事の、、、大変さであり

          一見、、、楽そうに見える、、、医師の家内の、、

                、時間貧乏と

       

         官房長官や、、、大臣が助け合わないと、、、医療国家は崩壊するので、、

        

    ある程度、、、応援団のいる環境でなければ、、、

                         、、、

                天才はめったにいないので、、、

        国はアスリートを養成するつもりで

               医師を育てないと、

         ゴミ袋で、、、coronaと走り回る医療環境は

           勤務医の月給からでは改革できませんよね。

         菅 首相には、頭では農業が出来ないことを知っていらっしゃるだけに

                   本気で現場を助ける官房長官でないと、、、

            泥だらけになって、、、首相を助けるサポーターでないと

          コロナの収束は、、、

   トップの東大の 知識的に正しいことでは実行できないと思うのですよね。

    現場の疫学をなさっている学者と、自分の為ではなくて

               患者第一で生きる臨床医の現場の体験を中心に

         検査の友好な実施と、

           インフルエンザとの塀病を避けるためのワクチンが

          若者の間にとっても不足しないように万全の対策を考えて

               政治的な、正しいが緻密ではないアピールに走らないことが

                国難を切り抜ける事だと思います。

       コロナは、、、中国も、アメリカも、、、ブラジルも、、インドも、、、

                                ひどい状態です。 

         この、、coronaパンデミックのドサクサに起きそうな事をITは勿論

                スパコンの骨格の上に

          機械のデーター入力が出来ないできないレベルの

                人間の勘所を効かせて

             医療における人体のバランスのとり方を

         専門家の視点で政治は、、、医師と同様な謙虚な視点で

    コロナを認識してゆかないと、、、

       これは、、、国難だから、、、戦争だと、、、思っている。

               国難を乗り切れば、、、

    世界は日本の存在の大切さを今までよりも認識すると思います。

 

   日本は、、、ゴムひものように、、、小さくなるのも、、、得意なはず、

        一人でも医師を、、、税金の苦しみから解放して、、、

       国が、、、ホントウニ、、、国民に役立つ医療組織のネットワークを

      医師のビジョンを大切に構築してほしいと思います。

                 

             

      保健所の配置や役割を見直さないと、、、

    病気の歴史を振り返ると、、、

10年間隔で、、、いろいろと起きているようですよ。

  だんだん話がそれてしまって、、、何を書いていたのか解らなくなりました。

      万一私自身が呆けた時には、、、総理大臣が変わったときは

        走馬灯のように、、、coronaや、、

      

                          

  

 阿部首相の退陣で、政治空白が出来なかったことに、、、拍手を送ります。

                     家庭内

 

    封建制度から、明治へと、国際的な船出の40年目の女性たちですよね、、、

女性は、、、日本の女性は、、、素晴らしかった時代です。

母も、戦争で3人失いましたが、、、7人も、、、産みましたよ、、、

二人は医師に、、、二人は薬剤師に育て上げましたよ、

東京都の、女学校の音楽の教師をしていました。

        明治生まれの女性は、、、すごいですね!


母に会いたくなる秋の気配

2020-09-13 20:01:13 | Weblog

北海道に嫁いだことで、

54歳で未亡人になった母の60歳までしか、、、会えませんでした。

60歳から、80歳過ぎるころの母は、、、

私が、、、電話をしても、、、

電話料がもったいないから、、、切りなさい、、と言って話したがなかった。

80歳になったころ、、、小さなアルバムを送ってきてくれました。

その中の、、、何枚かは

          明治生まれの戦前の日本女性の可愛らしさが映っていました。

               生きていたら、、、100歳をとっくに超えているのですが

                母のみずみずしい、、、若き日の面影を兄弟に視てもらいたいと思います。

     日本女性って、、、素敵ですよね、、、身びいきかしら???

                 

これは国立音楽大学の時代の、、、学内オペラだと思いますが、、、?ちがったかな?

 

     

 

             


人生後半の栄養を考えるとき

2020-09-11 08:34:28 | Weblog

コロナ国難はあと1年は油断が出来ない

以前は6時半にマーケットに向かうと

 

予定が買い物列車は脱線して

                                        、ペタペタが目前で張られる誘惑に負けていた。

今は、早朝開店と同時、または、閉店間際に

                                                    がら―んとなってる売り場で、足早に買い物を済ませる。

半額の誘惑は無い時間なので、どうしても、

                                                      自宅の料理の時間が増えている。

以前は、、、お米は洗うのが楽しくて、、、

                                                無洗米は息子に送る時ぐらいしか買わなかった。

コロナ国難以来、、、

                              自分の手洗いはするが、コメは洗わなくなった。

主人の飲み物は牛乳。

                          私の飲み物は,、、発酵牛乳もの。

以前は月給日には、町村牛乳を2本買って、豪華な気分を味わっていた。

今は、早朝のコンビニで北海道牛乳を手早く買ってくる、

若い店員さんが多いので、

                                    マスクをダブルに袋状にして、間に保冷剤を入れ、

洗って多少けば立ってしまったマスクに

                                                     幅広テープを立体に合わせて貼り付け

フェイスマスクよろしく、レジの間だけ、、、オーバーマスクをする。

若者の店員さんの前に並ぶ。

                                  神経質だとは思わない。

帰宅した玄関では真夏からの買い物時専用のオーバーブラウスを脱いで

                    玄関は噴霧消毒の滅菌室となっている。

上着は玄関にひっかけたまま、、、靴下を脱いで、

               洗面所に直行して、買い物してきた品々をパッケージごと全部水洗いして

水圧で流し去り、「洗濯籠を良く消毒」して水切りかごに使っている。

主人の仕事は医師。

万一、、、私が原因で、主人にコロナが感染すると、、、外科のチームは20人以上であるから

病院は動かなくなると思うと、緊張は緩めない。

日大時代に教わった微生物学や、生化学の

          DNAやリン酸化の理論もひっくりめくり思い出しながら

去年、道新が主催していた、北大アカデミーのプリントから、

           教授の名前を入力すると、遺伝子や、核酸や、ウイルスの論文が出てくるから

其処からサーフィンしてゆくと、教授の指導された国際的な先生と大御所にたどり着く。

その先生の名前を入力すると、

ネイチュアとか、オックスフォードとか理科学研究所とか研究部門にサーフィンで来るから、

コロナの、予防注射の研究のあれこれも詳細に、出てくる。

息子達よ、、、孫たちよ、、、爺と婆は、、、目下巣ごもり中ですが

裏の古屋の離れ屋で、一日の家何時間は集中しています。

君たちは、ネットを使って、

       日本をコロナの国難から救い出す知恵を、、、、発揮してください。

コロナ国難のおかげで、、、

         栄養バランスは極めて、、難しい買い物の中、知恵と戦いであるよね、、、

鍋物は余った材料は佃煮になるまで煮て、

               酒とみりんを入れて保存食にすると

新たな鍋物に入れる大匙いっぱいの栄養の佃煮スープが目下、、、栄養のバランスの半分は荷なってくれる。

ミニトマトは、目下旬だけに安い!

丸い焼きのりの入っていた透明容器に合わせて、キッチンペーパーを折りたたんで角を丸くカットすると

「ミニトマトのマンション」の床が

          キッチンペーパーの白いクッションとなって

ミニトマトの円いポリ容器のマンションンごと冷蔵庫に入れて、

おやつタイムに、、、

          その、、、最上階の熟れたトマトから食べてご機嫌です。

一階部分の青めの残ったミニトマトは、

一階ににたどり着く頃は一週間過ぎてはいるが、、、食べごろいなっている。

低体温麻酔状態の、キッチンペーパーの傘ね布団の中でトマトは時間を止めて、眠ってくれる。

主人に弁当を押し付けては

         「あと、、一年だからね!、、、

               外食に行って、若者からコロナをもらわないでね!」

孫は、時々来ては玄関から入れてもらえないので、、、

「ね~~~ェ、僕は汚くないよ、、、手を洗ってるし、うがいもしてるし、、、」

眉を八時にして、べそをかいているが、、、主人曰く。

               

「大学卒業式までは、、、何としても生きて、卒業おめでとうを言うからな(^^」

孫はご機嫌を直して、玄関でUーターンして帰っていった。

 

以前は、孫バカの    祖父母は、    食べきれないくらい、、、

「これ、、、美味いぞ!、、、これもどうだ?」

食べてばかりの 休日だった。

        

皆栄養はどうなっているんだろう。

 

私は、、、森永の赤ちゃんの用のミルクと、ミニトマトで、気分は栄養満点気分!

昭和生まれは、森永と、明治に育てられた。

76歳と言えども、、、階段は走って上がれる。

炎天下に、布団干しも、まくら干しも、ベランダの熱戦に負けていない。

どうか、、、coronaよ、、、このまま去って行ってください。

                    これは、万華鏡ですよ!念のため!

自分だけでは済まない、裾広がりの国難に、

                  通り抜けるのは、、、「不動心!」

政治音痴の私にも。政治のイデオロギーは難解でわかりませんが

 

日本侍の、、、えだのさん、、、、彼は侍だと思った。

彼らの人格は認めるが、、、以前の政権交代の時

生涯、、、国立がんセンターの黎明期から人生をかけてきた弟が

50周年を前に、生涯をかけた50年間のがんの早期発見に懸けた人生のデーターを

   ファイルしたまま、夢に懸けた人生を笑顔で話していた。

50年前に、へき地の医師が中央で診断したフイルムが届く構想を話していた。

私は弟であると同時に、検診を受けた主治医として頼っていた部分もあった。

検査の後、しばしば、50年間のファイルをまとめて、甥っ子たちの年代にも役立てる物を考えていた。

政権交代で、民主党が政権を獲得した。

たぶん、、、ウキぺデアに出ているから、、、

仙石さんが、、、学者の人生をひっくり返してしまったのだろう。

国立がんセンター50周年記念のホームページには

母がお世話になった病院長も、市川先生の御顔も無くて

山形からおいでの、医師が理事長のHPだった。

その後は、愛知県の先生方で埋め尽くされて、知っている先生の御顔が無かった。

札幌では、、、、自由民主党時代の医師には

何かと緊張が続く日々であったのを思い出す。

 

政権が変わると、、、なんでこうなるのか解りませんが、

定年を迎えて、最後の50年のまとめの時代に、弟は、がんセンターを出た。

新顔の若い愛知から来たという若手に、

「ここは先生の来るところではありませんよ、、、」と

軽くあしらわれたと、、、苦笑いしながら、、、

穏やかで、太っ腹で、国際感覚のある弟は、、、

人生は、、、喜劇だよね、、、

僕の事を知らないがんセンターの若手に、、、

              門前で、、、軽く扱われて、、、

そのあとで、、、上層部の人が、、、電話で「失礼しました、、、お待ちしています、、、」

先生の事を、知らないスタッフばかりでして、、、と。苦笑した。

50年かかって、老化で寝泊まりしながら、寝る時間も欲しくって、、

ガンの早期発見、がんの撲滅目指して、戦ってきた日々が過ぎて、、、

若手に、、門前払いされる人事異動って、、、医学の歴史は雄弁に、未来を予測するのだけれどね、、、

パソコンのヴァージョンアップの感覚の政治介入だから

医学の基礎の知識のない政治家は、介入することで、権力にこだわったのだろうかね?

学門の、緻密な世界に、政治権力が入り、、、

国際的な評価を得ていた団塊の世代を一掃するという政治の介入は

学門をあまり深く理解しない舵取りであり、

50年の、医師たちの緻密な努力が、最終段階で

未来にメーセージを送れないという政治権力の派閥の実績崩しでは無かろうか?

   野党にも、侍魂のような素晴らしいアグレッシブな人は居るが、

政治の介入は、50年の積み上げたデーターを権力の置き換えで、

      素人から見れば、同じ組織に見えても、

           全く別の年代が人工知能と取っ組み合うばかりの

                    科学の盲点を補う

                      人間の50年間がんを見続けた

                        神の域のひらめく未来へのメッセージが

                           デジタル化された視覚の域の緻密さに置き換えられるとき

熟練が故に解る一言を、、、言いたくなるから、、、

     がんセンターの若手に来訪を頼まれても

          彼らのペースは乱すまいと思うから

                指導も、発言もしないまま、、、

                   自分たちのやってきた50年が、現場の若手にも

                     一朝一夕では出来ないものだと解り始めたのが

                        先ごろで有り、、、お声がかかるらしいが

                呼ばれてゆくのは好いが、、、指導したくなるレベルだが、、、一切発言しないで

                        がんセンターを後にするとき、

                    柏の病院の、青写真を持って、

                          深夜まで、創意工夫のターミナルの意見を交わした頃が

                                  懐かしいと言っていた。

がんセンターで、ペット検診を受けたり、巨大な腫瘍の手術をするきっかけを、弟の診断で決心したり

患者だったこともあり、、、検査室長だった弟の仕事部屋に、新進気鋭の放射線科の息子と立ち寄った。

壁から壁まで、依頼された読影のフイルムが土手のように部屋を横切っていた。

その中には、ノーベル賞級の大学の先生がたが、、、妻の検診の読影の最終の意見を聞きたいと

依頼してきたフィルムが、、、話の間に、机の上に見つけたが、、、あえて、紫蘭振りしたことを忘れられない。

義姉だからって、、、こんなに貴重な時間を使わしてしまい、赤子の頭までなる様な腫瘍に気が付かないで

働いていた自分が、明らかに、ミクロの読影をしている高度の診断からは、はみ出した邪魔な患者だったはずである。

弟には「お姉ちゃんは、、、医師の妻としては失格だよ!、こんなに大きくなるまで、腫瘍に気が付かないなんて、、、!」

その場から、主人に電話されて、翌日のオペが決まった。

すぐに札幌に飛んで、病院に入院したことが、、、実にもう、、、十数年前の事になる。

弟は、子供の頃より、

姉よりははるかに知能が上で、賢かった、

小学生の頃は、県庁に勤務している同郷の弁護士の事を作文に書いて

      その作文を読んだ本人の弁護士の先生が

           ハルバル、、、汽車に乗って、弟に逢いに来た。

    確か,、、いのぐち先生と言ったっけ???

         私が出会った立派だな~~~と、緊張した後

           親しみを感じた、、、忘れられない「先生」と呼ばれていた人でした。

弟は、、、弟なのに太っ腹で、3歳になった時には

         小学生の男の子たちに、

           青い色の木のトラックにまたがって、

               指揮棒を振っていた。

   疎開地でも、有名な知能の子供だった。

        小学校に入る前には、山に住んでいる蜘蛛を集めては

                家の外壁に這わせて、研究よろしく、種類を全部言えた。

「あれが,、、イナグモ。。。これが尻太のジョログモ、、、柳の根っこの「土蜘蛛」、、、

そして、木の棒の両端から這わせて、、、負けたくもが巻かれて落ちる。

糸をとってやっても、、、一度負けた雲は逃げることを覚えるから、

戦士から外すのだと、、、ちびっこの頭とは思えない事を,、、姉の私に教えてくれたことがあった。

がんセンターでの、仕事は、外国の雑誌にも掲載されて、

私は、孤独な北海道の主婦暮らしの中で、

掲載雑誌を取り寄せては、、、弟の書いた数ページを読んで、

              頑張ってるね!!!、、、お父さんもきっと、読んでるよ、、、。

弟が、マスコミや、単行本(がん回廊の朝)(明日への挑戦)などに掲載された時は

掃除洗濯の孤独な主婦暮らしのイライラを吹き飛ばしてくれた。

                世間への貢献は、大したものだと、、、姉であることが、、、恥ずかしい。

何にもできないで、、、一生が終わろうとしているとき、、、

 

               生きるって、、、こんなに差が有っていいものなのかと、、、反省するが。。。

                

    独身で、薬剤師を貫き、30代で、医学部の助教授になっている彼女や

                       大学病院で医学博士号を取得して

                           中央検査室長をしていた高校大学と、学友だった独身の彼女!

              大学薬理教室で、成長ホルモンをもらいに行って

                        血糖値に関係するデーターが出てKぷふんしたあの頃の彼女

       リン所y病院薬剤師の再交渉に耀いて、学友の意気を高めてまぶしい、、、

私は、、、北海道で、、、孤独な主婦をやっただけ、、、

                コロナで、、、このまま死んでたまるものか!

                   老後の80歳から、、、弘法大師や、芭蕉や、、、トウちゃこの行った観光地を

杖をつき乍らでも、、、再び老いの充実を取り戻すまでは

                 コロナに負けてたまるもんか!!!!!

       独身の友人は、人生の達成感を味わって、

                 自然体で、corona対策をしているようですが

                     

                               コロナでは死ぬわけにはゆきません。

     当分、、、主人が逃げ回る様な、神経質な潔癖生活を続けますが、、、

                  今!!!負けるわけにはゆかないのです。

  弟も、、、お姉ちゃん、、、corona収束したら、、、また、、、

                  僕の孫に会いに来てやってね、、、

                     熟睡できそうな、、、良いホテルをとっておくからね!

電話で話しながら、、、千葉では飛び切り美味しい豊水の梨を送ってくれた。

         うれしかった!、、、

             今度は新橋の,、、新興クリニックと聞いたが、、、

                       検診に行ける日が来ることを!。

大學の同級生からは、従業員の命を救ってもらった、、、仕事に復帰していると

    なぜか???弟にではなくて、、、姉の私に、、、果物を送ってきてくれる。

 

           

ハーバードでも、、、そこのチーフに

「肝、胆、膵、、、、私の先生ですと紹介されて、、、脊の小さな日本人の弟は、チーフの紹介のおかげで

ハーバード時代、廊下ですれ違う巨人たちから、、、挨拶されたと、、、聞いた(^^」

義姉であることがこんなにも、学会のよもやま話が身近に感じるなんて

、北海道の孤独な空間を 世界につながてくれた。

内科医の兄貴は、ハーバード時代の弟の学会に、

日本から参加して、

アメリカで会えた兄弟に、特別のケーキでも食べたような顔をして、、、

      主婦のお前さんには、、、夢のまた夢の、、、男兄弟の出会いだよ!

            女はオトナシク、、、子育てでもして

                旦那の事を心配していればいいんだから、、、

                    気楽な稼業だよね!!!

                       言わんばかりの、、、得意そうな満足顔だった。

                              学問に魂を奪われる医師は、、、お金が無い!

         日本は研究者には厳しいからね!

                兄は、、、自宅も開業も売って、夫婦で施設に入った、、、80歳はとっくに越した。

       祇園精舎の金の音、、、栄枯盛衰、、、世の習い、、、

         栄も無かった北海道の主婦暮らし、、、友も親戚も、、、知人もいない、、、

           日常の生活に関係のある50年来のオイル屋さんも、、、代が変わった。

    日本が在る!、、、天皇陛下がいらっしゃる!

               磯田さんの歴史の話が面白い、、、

                  NHKのスペシャルや

                      登山家の、人間的な成長が、、、我が子を見るように頼もしい。

      日本侍のような、、、枝野さんが,、、かって、、、がんセンターを政治介入したような

               仙石さんのような人でないことだけを祈りながら

                  政治家に理解されない、、、日本の医療人は

                        コロナ患者さんを診るたびに赤字になっている。

                           

       医者に行ってお金を払うなんて,、、と思っている患者さんの中には

           一タブレット300万円以上する薬を国から支給されていることは、、、知らない!

               医師の税金は三分の一は国税。

                  感染の事を考えてのタクシー移動量は月に10万円

                     検診日の一部は病院持ちの3000円×検針日

         近所の人は理解していないから、、、見送った私に言う

            いいわね、、お宅は、、、coronaで、食事も変えない人が居るっていうのに

                タクシー通勤ですものね、、、

        私は答えようがない、、、友達にも、、、なりたくない、、、

            家の前には生涯右折は出来ない位置に車が止まっている。

                 文句ひとつ言わずに迂回している、、、私。

                   此処は札幌市の田舎、、、

                       小さなことをこだわっていては、、、生きては行けない。

  目下、、、corona村八分、、、ってとこかも????

ネットで、弟の検索をしながら、、、

         外国の雑誌の「ジャーマ」などに

                  何ページにもわたって、、、記事を書いていた、、、

                        インターナショナルな活動に

                           可愛かった高校時代を重ねながら、

                                     国立一期校に受かった事が、

                                              父の早逝にも負けずに、、、

                    日本と世界との知人が出来たのだと、、、眩しかった。

                     

枝野さんは、、、国立の授業料や、私立の援助金を配慮した政治をとって

人材を育ててくれればいいと願っています。

       自由民主党のエースの阿部さんが病気を押しての世界外交で培った日本のポジションを

             野党が、壊さないことを祈りながら、

                 地方充実は大切だが、、、日本が亡びては、、、

                            イスラエルの歴史にぞっとします。

              一枚岩になって、、、不動心で、、、己の栄光と権力はさておき

        日本の未来の人材を育てることが

              世界に生き残る日本の資源ではないでしょうか?

                         主婦の私は、、、主人ばっかり社会貢献しているのに

                 子育てしただけの主婦は

                        コロナが去った第三の人生の為にも、、、生きてゆく。

                    

                    日本の医学は国際評価されているんです!

                              がんセンターの出来た昭和の中頃、

                                     父は興奮して言っていた。

日本は臨床と、研究がわかれていて、

両輪で走る新しい医療時代の始まりだ!と、、、

 

                   研究肌の父も、大学院半ばで、戦地に行ったことから

                           戦陣外科、臨床オールマイティの義務の中で

                                     研究をしたかったのだそうだ。

                               その夢がかなう国立がんセンターの市川平三郎先生に

                                      出逢った弟は

                   千葉大の外科の医局の許しのもとに国立がんセンターに勤務したのは

                       昭和の40年の半ば過ぎた時代だった、

                政治家になられるような方は別の才能があるようですが

                          弟たちの目指した国立がんセンターは、日本の医療の

                    がん早期発見の船出だった。研究と臨床の両輪スタートだった。

                  その成果と実力は、がんの早期発見に懸けた医師のみぞ知る苦労だと思います。。

                              医師は一代、、、

               子供だってその学問と経験の医学の遺産は受け取れない、、、一代限り!

                          民主党が政権をとった束の間に

                       がんセンターの人事は

                          変わり、、、知っていた先生方の顔が見えなくなった

                  

                          日本の新しい夢に生きた50年間の実績やデーターは

                   50周年記念で総まとめになるだろうと思っていた

                        戦後のがん治療への記録が、大幅に、先生方の転勤で消えてしまった。

                      発表の機会をうしなってしまったのだろう、、、。

                      束の間の政権交代で、、、こういう事だけはしないでもらいたい。

                  中曽根首相も、歴代の首相の健康の一端をがんの検診は荷なっていました。

                         一言も文句を言わないで、流れに沿って去ってしまった弟は

                                  膨大な未整理の50年間のデーターの発表の機会を失っても

               文句ひとつ言わずに、、、ひょうひょうと、次の仕事場で社会貢献している。

                          父が、、、疎開地で、息子の伝えたことは

                                     何だったのだろう、

                          

             医療に生きて医師をすることだけが自分だから、、、と言っているのが聞こえてきそうです。

                        魅力的な昭和から平成の時代の歴史を、、、

                          ヨーロッパで観た病院の博物館のように

                                  日本も、

                       病院の伝えられてきた歴史を残すべきだと思うのです。

    時間の足りない先生方とは別に、主婦は、周りの苦情を無視すれば、

               海外の学会に参加することは出来た。

                 ヨーロッパの病院は、

                  修道院や、教会に行倒れた人々が引き取られ

                   尼僧にケアされたのが病院の始まりだっという

                   伝説の病院にも行ってきました。

                    各病院には医療の時代とともに進展した経過が

                     ミュジアムになって残っていた。

                フランスでは素晴らしいミュージアムの案内のアルバムが発行されていて

                  日本から、ゼミに参加した私たちに、館長がサイン入りの本を下さった。

                    札幌に帰ってきてから、医薬史学会に参加して

                     発表をするつもりでまとめたが、

                    薬剤師会の会長が学会長となり、函館医師会長の奥様が演者に選ばれて

                    幕末の日本と、外国人との身近な歴史に演題が決まり

                    私のヨーロッパの医薬史学会傘下の旅は

                    参加するには、足りないことが多すぎて発表は出来なかった。

                    貴重な資料は薬剤師会の月刊誌に

                    「旅行記にような文」として、登校しておいたのはもう30年近く前の話です。

                      、後輩がいつの日か、

                     病院や、薬学史の発展を身近な興味の対象にしてくれることを

                     願っている。

                   そうした実績が、日本の医療への政治の介入の仕方にも

                    専門家が大事にしてきたことを、理解して保存してくれるはずだと思いながら

                     医療の世界に「命」を見つめた医師の夢が、

                              短期間の政権交代の間に

                      政治介入でぶち壊しになる様な人事介入や、

                                  組織そのものの法人化など

                    その挙句には、、、またもとの国立に戻すとか。。。

                                政治家に

                    専門以外の行動の短絡が有っては、、、

                        失った物が何だったかさえ解ってくれないと思った。

                   コロナの中、、、列島改造も、、、お茶の間は、、、反対したい。

                     「不動心」で、、、医療の今までの組織作りの不備を改善して

                        医療パニックだけは何とかしてほしいと願っています。

                   そして、、、外国との関係を、正常に保ってほしいと思っている。   

         多くのジャンルの、、、龍馬を暗殺する輩が、、、ドサクサの中で出ないようにするのが

          ゆるぎない日本の政府の力なのかもしれません。

                   医療は、、、政治家には絶対に見えない、、、と思うのですよね。

                    保健所の今回のパニック状態のシステムも、

                      考え物ですよね、、、御気の毒ですよね。 

                經驗の学門だから、、、医師にしか見えない世界だと思うのですよね。

                            振り返れば、、、

 

           民主党が政権をとった短期間、、、独立法人になり、、、また国立に戻ったはざまで

             50年の貴重なファイルは、発表の機会が無いまま、、、

                 がんセンターは愛知県出身の者と入れ替わっていた。

                          弟が出席したという

                  「医寮ヨーロッパG7」などの写真を見せてもらったときに、

                     ど真ん中に映っている弟に、、、外国人が取り巻いていた。

                    日本のがん医療が、、、国際的に評価されているのでしょうね、、、たぶん。。

                 日本に「CTを知る人」が居なかった時代に

                     がんセンターの廊下に、、、東芝の技師や核専門家と寝泊まりしながら

                 ヘリカルCTまでも

                       初期からかかわり続けた弟の50年史は、、、私は眩しい思いで

                           市川先生が札幌の学会で発表された時

                              会場の前の方で立体映像のcollarになった人体内部を

                                 驚きで観覧していました。

ウエルカム医療博物館で、CTの旧い機械がイギリス製であった事も思い出しながら、、、

がんセンターの患者であると同時に、国際的な受付に驚きながら、日本の医療の誇りを感じながら

忙しい、、弟にお世話になった一患者でもありました。

                母のアルバムから、、、弟の写真を見つけました。

父はイギリス医学を学んだ高木先生の教えを受けた慈恵会医大の卒業です。

彼は軍艦一隻を実験室とイメージして脚気の原因がビタミンであることを突き止めた。

私は英国の病院巡りをしながら、高木先生の足跡をたどった。

又、、、父が喜んでいたペニシリンの発見のアオカビのシャーレが、

      セントメリーの病院のロビーに展示されていた。

そのわきには、エリザベス女王の写真と記事が有った。

     

日本も、がんセンターの50周年記念の歴史を、創生期から頑張った医師を中心に

               後世の為に残すべきだと思った。

日本の医学と科学と多くのジャンルの黎明期から、デジタル社会、IT医療への

大いなるシルクロードにも似た

医学の発展の道が、

がんセンターの50年には詰まっていると思った。

政権交代で、、、一瞬にして、、、

努力の50年間は歴史を語る人が居れ変わっていた。

仙石さんを、私は、、、なんで????

こんな政治が介入されたのか、、、残念です。

                枝野さんの人格は高く評価しているから、、、

                   学問に生涯をささげた医師の心の居場所を、

                       土足で荒らしまわり、政治の力で、、、

                          貴重な50年集大成をぶち壊すような

                   医学の敬虔な謙虚の場に、、、2番ではいけないのです、、

                     政治家の医師ではない女性の視点で予算を削られ、、、

                、、、踏んだり蹴ったりの政権交代劇のクレパスが有った過去の事を

                     繰り返さないと、、、約束してほしいと思います。

                    新しい政権と、自由民主党が一枚岩になって、、、

                           不動心!!!

                       コロナの国難を、、、外交的な手腕ともども、、、

                     野党には理解できない、、、終戦のポツダム宣言の、、、玉虫色が、、、

                     日本だけで、正義を通しても、国際的なレベルの物をつぶして歩くのは、

                  政治介入ではなくて、円卓を囲んで、、、医師たちの無言の努力

                        無言の従順に、、、つぶてを投げるのは止めてほしいと

                               思っています。

 

 

 

                  国内で政権交代しても、、、かって、、、

                 民主党は世界に相手にされていませんでした。

                地道な歴代の外交無くして、、、日本の平和は考えられません。

                新しい政党は、、今までの生活をぶっ潰すのではなくて、、、

             一枚岩となって、世界から、地球を壊してしまう核戦争を辞めさせてください。

                      

                 政党争いになったすき間に、、、

                  ミサイルが飛んでこないことを祈っています。

                    孫子の時代の平和な日本を作って下さい。


札幌市も、猛暑?

2020-09-09 00:32:50 | Weblog

9月の台風シーズンになって、

札幌も、31度C、、、?~~~~32度C,,,?

真夜中の3時に、無洗米に水を入れて、

コロナが治まるまでは

        無洗米を

           焚くことにしました。

 

    今日も、、炊き立て白米と、

           梅干し、のり キムチ、、、、、、ゆで卵、、、

             野菜はキューリと、千切りキャベツと、

                 サラダチキンを挟んだ、、、サンドイッチ、、、

                      ゆで卵、チーズ。ヨーグルト。

                        ミニアンパン

 

不要不急の外出もしないし、、、、買い物も、、、まとめ買い。

                     米だけが御馳走?

 

         コロナ対策は、ワクチンが出来るまでは

                     気長に続ける。

 

        この小さな弁当が、昼休みの

                  込み合ったレストランに行くのを

                           考え直してくれる。

他の職種はともかく。

   医療人である以上、

         猛暑の札幌では

               熱中症と、三密の昼休みには

                        今しばらく注意喚起、

 

帰りは、3000円以上かかるが、、、タクシーで帰宅を願っています。

       新車を買ったつもりで、交通費は全量投球です。

紫外線に弱いといわれているコロナ退治のつもりで

        猛暑の中、布団枕、シーツ、、マット、

                  クッション、背広、

                      ベランダは、にぎやかです。

           コロナに関しては、感染すると、、、一人では済まされない!!!

                緊張を保ちながら、出来ることはすべてやる。

弁当のおかげで、日中は、TVで、総裁選の演説を聞きながら

                  お三方の、画面に、しばし

                            熱中して、

 

                 あとは、、、今なお美しい、、、桜井さんの

                        政治評論を聞いて過ごしました。

 

             朝から、、、今も、、、クーラーをかけて、やっと、、、仕事がでいています。

 

         残暑、、お見舞い、、、台風お見舞いを、申し上げます。

                   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                


真夜中の札幌の月

2020-09-06 02:19:26 | Weblog

TVでは台風の到来!10号の予測が続いています。

札幌の羊が丘のふもとの

真夜中のベランダに出ています。

火星が朱く東の空に萌えています。

知己が

月がおぼろな表情を片側に魅せ乍ら、夜なお青い空の雲を見おろしながら

夏を惜しむ月と火星がコロナ騒ぎの地上を見おろしているようですね。

真夜中の空に放たれた私の心は、今、月を通り抜けて、

火星にやってきましたよ!

 

 


パソコン音痴

2020-09-04 23:05:43 | Weblog

このサイトに記事を書きたいとき

なかなか、、、IDやパスワードが適合しなくて

今日まで、ストラグルしながら

編集画面にログインにたどり着けず、

日記を書くのが抜けてしまいました。

パスワードを時々変えているうちに

どれがどれだかわからなくなりました。

皆さんの本格的なブログを観乍ら

coronaの閉じこもり生活の中に、新鮮な感動を戴いています。

私のは、、、万一呆けた時に、読み返して、

過去を暗記して、忘れた部分はこのブログの日記で思い出して

老後のボケ対策の日記なので、、、、自分の為に書いています。

76歳の時は、、、、

まだ。。。こんなことを考えることができたんだな~~~、、なんて

100歳に成ったら、

                                  読み返して。。。

                                             過去と現在をまぜこぜにして、、、ボケを防ぐつもりですよ。

 

予期せぬ結婚で、北海道に住んで50年ですが、

主人は「医師をする」こと以外、、、

                                                 一切の家事や家庭に興味の対象が有りませんので、

                                                                          真面目一筋の性格の私の仕事が多すぎて、

                                                                                                                      時間貧乏になりました。

真夜中に起きて、主人が起きてくるまでの間に

           片付けモノや、洗濯、料理の下ごしらえをして、

                         主人が出勤してしまうと、、、

テレビを観たり、庭の草取りをしたり、繕い物をしたり、

              コマーシャルタイムには、必ず立ち上げり、体操をしています。

もうすぐ冬の支度にかかります。

庭木の雪囲いを、9月になったら、

              3日に一本、剪定して、

        10月に成ったら、竹で囲えば出来上がりと言うところまで

一本づつ、、、雪囲いの下準備をはじめます。

        庭の樹木や花は、

            主人が買ってきたㇼ、

                 もらってきた植物は地植えしましたが、

私の趣味や、仕事上栽培している薬用植物などは

             グラスウールの空き箱や、

                  鉢や、穴の開いたお鍋やバケツに植えています。

             私の寿命が尽きた時は

                 主人は、水やりも世話もしない、、、仕事バカなので

近所で、子供さんでも、、、欲しい人が持って行ってくれて、、、

     植物が、どこかで生き延びてくれることを祈りながら

              孤独な北海道の50年間を、私とともに生きてくれた植物に

                      せめて、、、私が出来る感謝の延命作戦のことなので、

                                  トータルな美的な庭を造らずに、

                                      朝礼の時の生徒さんのように、、、庭に並べて、

                     一緒に生きてきました。

                             

              植物が無かったら、、、寂しい50年間だったと思います。

                    主人は社会的貢献度の大きい医師なので、

                      「医師をすること」の大変さを視て育った私は、

                          仕事に関することを主と心得てしまう癖がついています。

                    単なる癖、、、されど癖は心を伴ったっているが如く       

                              はた目には医師の旦那に仕える者に見えるだろうね(@@!

 

家庭には興味の対象が無いのは、戦後の日本オールド貧乏時代に育っている戦中派の主人は

              家庭への理想も夢も考えたことが内容です。

                  防空壕のように、、、安全で天然災害に強ければそれで満点と考える質である。

医師自体が、、、命とそれに付随する専門医学の

                 お決まりの戦いの毎日で、

                    仕事だけでも時間が足りないという

                        医師の家を理解できない民間からは

                          お偉いさんの自己愛症候群と誤解されるかもしれない。

3分間診療と揶揄された時代の中でも、その3分を産み出すのに大変な時間貧乏だッタ。

            患者さん第一に生きてきた以上

                    家庭サービスはありえないと思っていました。

                           私の実家で、外科医の父が54歳で、突然過労死してしまい、、、

                                           外科の看板を下ろすのが寂しすぎて

たまたま、友人の結婚式で同席した主人が固定前だった。

父の担当していた外科の看板を下ろさなくても、

             北大で、博士号を取得したら、東京の私の実家の開業に参加してくれて

未亡人の母の不安を解決できるという「母と一緒に住んでくれる」と、、、

                        私の母との意気投合で、、、

               せっかく、、、未来の薬局長の病院薬剤師として勤務中の私は

                           母の願いで、、、

              後日主人として迎えたが当時は外科医の卵の主人が

                     北大で博士号を取得するまで

             全面サポートして、我が家に、父と同じ外科医を迎えてきなさいと言う、、、

             これまた、、、明治生まれの医師の奥さんで、クラシック音楽をする母の

                 絶対的な、、、蛮族のような主観と主張の強さに従って

                         医師の卵が東京に来てくれるという約束で、、、

                                  数年以内には、、、

              母が言うように

                  父が若くなって、、、実家の開業を継続してくれるものと信じて、

                        主人の便利屋よろしく、、、万雑用家事その他雪かきなど引き受けた

                               

                          世間知らずと、

                     薬剤師であるという自分の自立性が

               ちゃんぽんに、主人には都合のよい人間であったと、、、振り返るのですよね。

 

家の中はどの部屋にも、、、

          主人のドレッサーと衣類と本と、、、

                 書斎がタンポポのように本を部屋中に咲かしている。

            夏は、ベランダに続く部屋が主人の夏物のドレッサー

            秋は南西の部屋に、

                三枚スライド戸の

                   天井までの高さのドレッサに

                          背広やら、長袖Yシャツ。

                              セーターに、ネクタイやアスコットタイ。

                  高価な仕立物は一つもありませんが、、、

             季節の移り変わりの時のセールの時に飼ってくる癖が有った。

                 確かに、、、半額以下の投げ売りの時に買ってくるので

                  物としては悪くはないが、、、売れ残りの色は、、、どうも、、、地味ですね。

                      地味と言えば良いのか?

                            無難すぎると言えば良いのか?

                                 、、、、、

            テーラーでオーダーしたものは…一着も無いから、、、

            数は多いが、、、全部普段着の通勤用であるのが、、、倉庫みたいな雰囲気である。

            毎日、帰ってくると、

                 翌日は日光消毒して、

                      空気を通し、匂いを消去する。

           患者さんには、街でも、大道理でもあいさつされた時

                        同じ背広では、と考えているのか?

                               客商売のたしなみと考えているのか?

                30歳代で、健康の為、バス、電車、地下鉄と乗り継いで通う勤務先。

                    背広も靴も、すごい数になる。

                 玄関は、2足の私の靴以外は全部主人の底の減った靴だらけである。

                 毎日消臭剤を撒いてはいるが、、、毎日靴下も履き替えているが、、、

            我が家の玄関には、家の御顔らしきところが全然ない!。

                靴下も、50枚はあちこちのドレッサから私を呼ぶ。

            玄関で靴下を脱いでもらい、ビニールに入れて洗濯前に洗剤に漬けこんで5時間

                    匂いも菌も消えた頃、洗濯機に入れる。

 

             結婚は、好むと好まざると、、、無料の女中と言うのが日本の女性の地位だから

               薬剤師をするなら、同級生で、薬剤師を貫いた彼女たちのように

                     結婚も、子供も産まない、、、育てない、、か!

                   確り選ばないと、子供たちの大学進学の時の月謝稼ぎの仕事は

                   家事を手伝ってくれる人のいるシステムを引いていないので、、、

                   夫にも、息子達にも、、、文句言われながら働き、、、

                   お金を稼ぐマシーンン化して、家事は居眠りしながら真夜中にこなし

              生きてるんだか、、、死んでいるんだか、、、ワカラナイ激務の時代が数年続く。

夫婦ともに両方で働いても、主人の収入と私の収入は合算された税金となって、、、

               子供の授業料が足りなくなるのが、、、日本の税のシステムだから、、、

         むしろ、、、専門職でなくて、

      福利厚生のついた、デイ金加算されないだけのパートの方が

家庭は破壊されずに、子供の進学の授業料の応援んが出来ると思った。

 

しかし、、、当時、薬剤師にはパート勤務は責任上、難しい問題もあった為

       常勤で、正社員として、会社員となり

              中学生の子供に

                 3食の弁当を作り置きして、早朝から出勤していた。

                 

                   ある日、、、次男が、、、泣きなら言いった。

               「母さん、、、母さんは、、、お弁当をチーンして湯気が出ていたら、、、

                   それが、温かい夕ご飯だというのか!」

                    次男は中学生なのに、泣き出してしまった。

                     主人は単身赴任中で、、、函館に居た。

                      私は、、、5時の勤務の後、

                         社員が、「薬事法」の講義を聴きたいというので

                           毎日、社員が、外勤から帰ってくる20時から一時間

                                  医療機械類の、法的な事をガイダンスして

倉庫の棚にナンバーを符って、注文によって届ける品が在庫数と発注数が合致するようにと正確に管理できるように

当時、(VM21)のパソコンの大きなフロッピーに

                棚の品に番号を付けて数をを入力して

                   パソコン管理が出来るようにと、残業が続いた。

             その後、おりからの調剤薬局の立ち上げに

                  後輩の薬剤師が社長をしていたので

                       専門職の調剤に移動して、

               これまた、どんどん店が増えるのに、薬剤師が足りなくて

                    一か月の労働が290時間となり、、、

                    家庭は放りっぱなしになった。

主人が単身赴任する前、専業主婦の家庭管理のもとに

               生き生きと泳いでいた水槽の魚は

                  コケだらけで、、、なかば見えない水槽になっていても、、、

                               お構いなしのキャリアウーマン生活だった。

                 主人は外科医の医師とは言っても、、、

                          国立病院の勤務で、

                  育ちだ狩りの受験生を抱えた札幌と、函館の2重生活は

                      主人の公務員○○給では足りなくて、、、

               返済まじかのローンを、実績をもとに、再び抵当に入れて20年のローンのカリタ。

               お金持ちに見えるでしょうね、、、ローンを2回も借りたのですから。

               ともかく、、、実家を手伝ってくれる約束で、

               自分の勤務を辞めて、北海道に自宅の開業で欠員となった外科医を迎えに

               結婚という突発の人間関係で、北海道に住むように導かれた運命には

                逆らいきれない不思議な利害の一致が有りすぎた。

               未亡人の母を何とかしなくては、、、と、

                娘と言うのは、、、母の本当の強さに気が付いていなかった。

               主人も、若き青年の研究論文に入選したりして

               医師であることに、絶大な責任を感じながらも

              次男と言う立場は、、、すがる藁さえない中で

               一人前の外科医になる為の踏み台を探し当てたような気持だったのではなかろうか?

                       医学部の学閥は、知らなかった。

                 叔父さんや従妹たちが医師とは言っても、、、叔父さんから聞いたのは

                      学閥の話は聞いたことが無かったという主人も、

                        異郷の先輩方からも、仲間として受け入れられる

                           博士を取得しました。

              北大にはこれで、、、さようなら、、、という訳にはいかないことがわかったのは

                    外科はチーム医寮だったという事でしょうかね?

                技術を教えてくださった医局が、いつの間にか主人の心の拠り所になっていたのですね。

                    教授を中心に、大勢の外科医で、大きな手術をこなしてゆく。

                   おりから、、、アメリカで、臨床外科医として活躍していた腕利きの医師が

                 北大の医局に帰ってくるのを聞いて、、、主人はその先生にピッタリくっついて

                   外科医として、成長していったようだった。

                   私の実家を手伝うことなどは雲の彼方に置き忘れたようだった。

                  内科医の兄からは、、、100通ほど、、、毎日の封書が届いた。

                  主人は、、、一通ぐらいは返事を書いたのでしょう?

               家庭の奥さんなどは、、、顔がついていれば、、、誰でもいいのではないかと言うほど

                      家庭にも、子供に振り回されている私にも、接触を避けていた。

                      コロナの今の時代でも、、、夫婦の感染は避けられる公算が強いと思います。

                       

           医師が医師として、学べる相手に出逢ったときは

              家庭なんど、、、寝る場所が有ればいいかな、、、・といった具合の

                                       自己中な時代に入る。

                  病院に職員として勤務した主人を、もう、、家庭のサービスは、期待できなかった。

            手紙を出しても返事は来ない、、、病院に助手として正規雇用された主人を知って

                 開業も、ササッと、、、閉院してしまい、、、

               内科を担当していた兄は内視鏡の指導医の資格をとって

                      千葉の亀田病院に勤めた。

                    主の居なくなった実家では、、、

           母が50人ほどの弟子にピアノをおしえ乍ら、80歳を超えていた。

                     

                    べ―トベンの生まれた家の前で母を思う。

               主人は嘘を言ったわけでは無かったのだろうが、、、

                     学閥と言うのは、、、

                 日本舞踊や歌舞伎に、流儀があるように、、、

               師弟関係はすごい絆なのだと、、、私も知った。

                  北海道から帰れないと解った時には、、、

                    やはり、、、私も、孤独感にさいなまれた。

                     実家に帰って、、、

                 兄の父譲りの豪華な自宅のチャイムを鳴らした。

                      兄は、私だと解ると、、、

                    ドアを開けてくれなかった。

                       文句の一つも、、、言いたげだった。

                   そうか。。。

                  ミイラ取りが、、、ミイラになって実家の門をたたいても

                    もはや、、、妹である価値は無かったのかもしれません。

 

私は、未亡人の母も兄に預けたまま、、、

母の死に目にも間に合わなかった。

それほど、、、戦後のオール日本貧困家庭の中から

           一念発起で北大に合格して医師となった男の心は

                「医師をする、、、医師をすることを貫くための方向しか見えないのではないか?」

主人も、約束したのに、実家に外科医として入らなかった手前、、、

             母にあわす顔がないというのだろうか?

                      葬式には来ることは無かった。

               心は来たかったのかもしれないが、、、

      北大を卒業して、北大病院に職員として医師が出来るようになった今、

           暗黙の了解で、母と、主人の約束は立ち消えて

             母も、会わずに旅立つことが、、、、風が絶たずに済んで

                線香の火も絶えず、、、弟とその仲間の先生方が

                 60人以上、お寺の庭にテントを張って、

                  母のピアノの弟子さんらの思い出話の花に囲まれて

                    時は流れてゆきました。

                     大切なのは時間だったのだ、、、

                        里帰りも出来ずに、、、60歳以後の母の後半の20年間は

                         とうとう逢えずに、、、死に目に裳間に合わず、、、

                          家族もつれずに、、、1人で

             私は母に申し訳なくて、、、黑いセーターと、黑いスラックスで

                北海道から来たままの服で、お寺の厨房で片付けモノをして過ごしました。

                  喪主になってくれた、母の可愛がった弟の仲間たちが頼もしくって

                   母は幸せな生涯だったと感じるものが有った。

                     これで、、、良かったのだと、、、           

                       竹に嫁いだ娘は他人の立場で、心だけが娘であれば良いと思った。

 

          母の逝った高野山に、私と主人で、まだ雪の残るころ、、、母に別れを告げに行った。

             高野山の麓には、氷で出来たような真っ白な桜の花が咲いていた。

                  高野山の中の橋の所で、主人に杉の木の前に立ってもらって

                        私はカメラを構えたら、、、

             不思議なことに、、、カメラが杉の木のてっぺんに向けてシャッタ^がおりた。

             その写真には、、、父がはっきりと映っており、、、まさしく父であり、、、

                  息子達も「爺ちゃんだよ、、、アルバムの御顔と一緒だ!」と

                        大騒ぎになった。

             私は、その写真を高野山に送り、、、時の高野山の僧侶だった宮本さんに

                      父の成仏を祈ってもらった。

         高野山では、一年間も、、、毎日、、、お焚きあげ、、、と言う儀式をしてくれたと知らせてきました。

            父の杉の木のてっぺんの胸像のような、、、遠くを見つめる穏やかな無口そうな御顔には

                不思議なことに、眼の玉だけには光が無いのが不思議だった。

 

 

               外科医の夫に「娘をよろしくな~~~!」と

                あの世から主人にあいさつに来たのだとしたら、、、

              まさに、、、人は死んだ後も、、、魂や念力や、意識の力で

            自分の来し方の分身の娘の中の元素?

                         遺伝子の記憶?

                            もしかしたら。。。娘の記憶を

                  杉の木を取り巻く空気の層に投影できるということなのだろうか?

                       

              それとも、、、私が、高野山の父母に逢いたいという、、、

                 私の中の彼岸のも届くような集中力が

                高野山の杉を取り巻く湿度の高い空気の層に

                   増幅して投影したのだろうか?

不思議なことがあった事を、日記には記しておこうと思った。

                  「医師をする」という事は、、、

大學や、病院やスタッフやコメディカルと、人生を共に「相棒」するという事で有り

医師の家庭は、、、「医師をする主人の足場」の近い様な物であり

頑張る主人の踏ん張る足の体重は

           家庭にはずっしりとかかる。

               病院にも主人にも無関係な次元で

                  私の人生の持ち時間が消費されてゆく、、、雑役の集積の昭和の医師の家庭。

昭和の一部の頑張って医師になった

               応援団の居ない時代の地方に進出した医師たちには

                       家庭環境からは、、、厳しい時代を過ごした戦中だけに

                  医師は、、、家庭を振り返る時間を作ろうとはしない、、、

                     激しい時間の渦の中に居るという事だけは

                         理解できる。

          もし主人が「自分と言う主体を持って生きれる業界なら、、東京に帰ってきたと思うのです。」

「医師をする」という事は、、、

           個人としての主体は持てないという

                       チーム医療の外科である

                        父の場合は

               国の外科医の一人として戦場に行きましたが

            終戦後の疎開地では、村落町の診療所に勤めたような

                 一人開業でした。

                疎開が終わった東京の下町は

             戦場帰りの個人の医師の皆さんの開業があちこちに有り、、、

                     時代は家族開業の時代でした。

                       開業水浸の時代で

                    税制も優遇されて、

                 生活が第一でした。

               そして、平成に入るころには、、、

                 個人開業は成り立ちにくい税制になっていました。

               個人開業には税制も優遇されなくなった時代に一人前の外科医となれた主人でした。

                 40歳過ぎるころ、、、外科医としては一人前になるという、、、長い旅。

                大學に残り、、、講師まで行って、、、

              大学人事で、病院の外科チームの一員として勤務医となった主人。

                    大きな人事の流れは医局が指導的な立場にあるというのは

                 専門分野の細分化と、人事問題の難しさが、医局と言う制度の中で

               医師は「医師をすること」の難しさを、サポートされて、、、

                    人命を預かれるという、、、素人筋には想像もできない命を預かる重さを思い知る。

          個人的には重すぎる荷物を、、、皆で渡り切ったのだと解るまでに

                     私は76歳になっていました。

                 若い時は、、、主人の嘘つき、、、と誤解して腹も立った時が有りました。

               医師の妻だけには、、、軽い気持ちでなるものではないと、、、反省しています。

                結婚生活は、出会いがあるからだと思えるでしょう?

                      医師は、医師をするのだという決意とだけ、、、出逢えのだと思いました。

 

              医師は本人は

                   「医師をすること」だけで、

                         他は、、、おまけに近い状態でくっつけられたものかのように

             次の瞬間自分と言う、他人には全く入り口のない医師の世界に戻ってゆく。

                主人とは付き合ったわけでもない、、、愛したわけでもない、、、友達だったわけでもない、、、

                   戦後の貧困時代を生き抜いて医師になって「医師をする」時が来たときに

           これから「医師をするにあたって必要なものを考えたら、、、開業を手伝いながら、、、」という

          まだ、、、医療界に疎かった主人は、開業医の家がバックに居ることが、つっかえぼうになるとでも

                    勘違いしていた時代だったのかもしれません。

                   「医師本人以外は、、、誰も、、、医師の技術は相続できません。」

                医師になった本人だけが、、、多くの応援団を得て

                   「医師をする」という舞台に立てます。

          一生舞台に居続ける医師は、、、家庭の事は上の空で、、、

                          全面に至って主婦に依存してきます。

             医師の妻になるという事は、、、「医師をすること」の応援団になる様なもので

             大きな応援団の病院組織や、

                   医局組織が有ってこそ、、、

                      「命」をあずかれるわけですから

               家庭の応援などは、、、主婦はやってるつもりでも、、、

          「ありがとう」と医師から言われるようなことは、、、何もできないという立場です。

                   この状態から、、、

                お金持ちの奥さんとして、、、間違われて、、、

                  かなりな辛辣な、、、間違った嫉妬を受けることもしばしばあります。

               何代も続く医師は本当に、、、

                      心身ともにお金持ちの豊かな人物も居て

           オール日本貧乏時代の戦中に生まれた1代医師の主人との相棒生活は

                   医師をするための後方の「雑事をオール引き受けた」

                    成り行き任せの人生でした。

                 医師の陰に隠れたような存在の北海道一人ぼっちの雪かきが、、、

                私の76歳までの健康を守ってくれました。、、、まだまだ健康なスッピン人生です。

coronaの後は、、、病院や医師の本質が少しは見えてきて

医師にも、医師の奥さんにも、、、理解してくれて、、、友人ができやすくなるといいですね・

とりあえず、、、76歳の勤務医の相棒の主婦を勤めた実況記録の日記帳です

             医師が病院から帰ってくるという事は、

                 薬剤師になったときに受けた知識が役立ったという事です。

                  月給も、坊ナスも出ない家事ですが、、、

                 生まれ変わったら、、、自分んが主役をやれる独身で過ごすことにしますね。

                 完全な日陰の孤独は、、、この世だけで充分味わいましたから。

                 でも、、、主人には感謝鹿有りません、、、

                       子供たちも、医療に尽くす人生を選んでくれたのは

                         主人の背中を視ていたのだと、、、思うのですよね。

                   45歳で、ドクターヘリの来る巨大病院で医師をする息子は

                         独身で、車も、家も無いのですが

                          母さん、、、

                           医師をすることの毎日は時間は足りないが、、、

                                僕は、、、不幸ではないぞ!!

                                  医師をすることが僕の人生だと思っているから、、、

                                  一生闘う戦場で生きているのが男の人生だよ、、、と

                                     お父さんとどこか似ていますね。

              長男は薬剤師になり、子供に囲まれて、、、まさに、、、人間、、、標準の幸せが母にはうれしい。

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