毎日毎日、、、雪の中で
早朝、、出勤時、、、買い物前、、、寝る前、、と
一日に、、、数回に分けて、、、
こまめに雪を掻く
若い時は、、一時に全部掻いていた。
77歳の師走には
一日目
玄関と、車庫の前
2日目
灯油タンクと、タンクまでの軒下の小道
3日目
40年経過した、、、トタン屋根の車庫の、、、屋根の雪
4日目、
玄関の前に張り出した小屋根の雪、、、畳一畳分
今回の雪は、、、雪の追い打ちを受けながらも
一月、、、2月、、、の雪と違って
追い打ちの雪が少ないので
後は、、、愛犬が生きて居た頃、、、
老犬の最後の犬生を誇り高く過ごせるようにと
一坪の犬小屋を、突貫工事でベランダの土台を利用して建てました。
この、、、小さな決断が
老体で立てなくなった愛犬が、キタキツネに襲われなくても
悠々と、、、マイペースで食事の出来る、晩年を過ごした。
ベランダと続いていることから
愛犬の残した、、、この一坪の小屋は
主婦をする私には、、、宝物の重宝な一坪として
冬は、ダンボールの棚で囲み、
ペットボトルや、洗ったトレイや
古新聞や、古雑誌、、、大工道具や、、、リサイクルの牛乳パック
ちょい置きの、、、重宝なスペースとして
毎日、愛犬と暮らしている様な錯覚でいる。
情けは犬の為ならず、、、という、、、その愛は、自分に帰ってきている。
結婚生活も52年を過ぎると
お互いに、自分のことでセイイパイになる。
もう一度、、、犬を飼いたいと思っても
世話をする自信もないし
初めに飼った犬が、、可愛かったせいもあり
同じ犬が、、、若くなって帰ってくるならいいけれど
心は、そこでストップしてしまう。
近所に住んでいる息子と孫が、、、
私の知らない間に、、、雪を掻いてくれているときもあり
コロナの時期でもあり
家にあがってもらうことはしないが
ありがたい存在である。
十勝産の山芋を、、、毎年持って来てくれるのが
ありがたくって
いつも、最後の半分を残して新聞にくるんでおくと
初夏に入るころ、、鶴を伸ばして、むかごが出来る。
情けは人の為ならず、、というが
人間は、、、どんな人も、、勝気さが目立つから
よっぽど頼まれないと、、、人の世話をすると
その方が、正常に戻った時には
自尊心が、、刃となって帰ってくるから
ヒトにはかかわらないようにして
又、、世話にもならないようにして、、、生きてきた。
結婚当初より、、、「亭主元気で外が良い、、、(^^」
生きる相棒を募ったような、、、戦中生まれの私たちの様な夫婦は
昭和生まれの中には、、結構多いのではなかろうか。
御亭主には、、何も期待はしないが
元気で出かけて、、、元気で帰ってくれれば
胃袋だけは、、、責任持ってあげるね!、、、みたいな、、、**
何も期待はしないけれど、、、存在していることが
社会的に、皆の流れの中に入れて、、
社会にも貢献できていて、、、仲間でいられることが
「感謝であった、、、人生。」
昭和十年代の生まれの
私たちの時代が、、戦後の立ち直りの時代だっただけに
日本中の、戦火を免れた歴史の遺産に、、、感謝
そして、、、復興したかのような、、錯角の中で
アメリカの文化に啓蒙されて、インターナショナルに育っていった日本。
野球の世界も、、、アメリカからやって来た。
終戦のドサクサを知っている、、、私たちの世代は
日記でも残しておかない限り
時が、、、全てを覆ってしまう。
温故知新、、、、、日本人の心の中には
世界のどこにもない、、、心の伝承が有ると思える。
13歳まで、和歌山で疎開していた私には
NHKの放送で、高野山の風景が出てくると
懐かしい子供の頃を思い出す。
父方の祖父母は戦争のあおりを受けて、東京はめちゃくちゃだったが
母方の祖父は和歌山では、しっかりと、我が家族を守ってくださった。
幼い私の手を引いて、、高野山の競書会などにも連れて行ってくれた。
世界遺産になる前の、塗り替えられる前の建物は
何とも言えない、、、自然と一体化したような
寺院や門が、、、多宝塔が、、、子供の目にも、、、びっくりだッタ。
父母が亡くなって、、弟が、、たった一人で
母の遺骨を抱いて、、高野山に持って行ってくれた。
父と出逢ったろうか??
高野山に行った父は54歳のまま
母は81才だったろうか、、、?
母が亡くなった翌年の4月
北海道から高野山は遠いけれど、、、私は
主人に、、、高野山を魅せたかったから
母の葬儀が東京だったこともあり
主人は仕事で、葬式もすべて、、100日にも出れなかった事もあり
高野山一の評判のある宿坊を予約して
主人を高野山に引っ張っていった。
世界遺産になったせいもあり、、、なんとなくあか抜けて居た高野山で
祖父や父の姿が浮かんできた。
確かに、、、女性禁制の事の多かった高野山だが
情念のレベルから、、近代女性は「智」のレベルになった事もあり
女性の訪問者も多く、、、温故知新、、、とこのことかもしれないと
高野山から感ずることの多い旅であったことを
今は、、、感謝のみ、、、残っています。
4月の高野山は、、、氷のように透き通った桜が咲いていた。
この世の花とは思えなかった。
世界遺産になっても、、、あの不思議な、、、5次元の世界が
つづいてゆくのだろうか?
宝亀院の「宮本さんという御坊様は達筆でいらっしゃった。」
「あなたのお母さんには小坊主の時にお会いしました。」
「雪舟の描いたふすまの前で、
私は、不思議な霊力のあるあなたのお母さんは
私にとっては特別な影響を受けた方です。」
私に、自筆で書いた書を、帰りにもたして下さいました。
私が撮影した写真に、はっきりとウツッタ父の顔!
瞳が無い、、、不思議な写真、
宮本さんにお送りしたら
一年間に渡り、、、除霊の念仏を挙げて下さり
お焚き上げという事をしてくださったそうです。
高野山では,、大木の中からも,、、平安や鎌倉のいでたちの武士が出てきたり
青い馬が私を通り抜けていったり
まるで、、インスタントに私自身が霊感人間になったように
この世とあの世の、、、時間が交差した風景に出逢いました。
母が亡くなってから半年目の高野山の不思議でした。
雪の北海道は、、、過去が無い、、透明の世界!
この世のしがらみも、、、歴史の重さも無い。
自然とともに、、、真っ白になった世界を通り抜けて
春に向かうだけ、、、
北海道には、、、重くのしかかる歴史は無いが
太古の時代からの自然遺産がそのままに
人間の介入を許さない地球そのままの歴史が残っている。
まだ、、、まっさらな、、、大自然の中で
人間の造った高野山とは対照的な、、、
アンモナイトの原点の様な、、、人間の発生した胎盤を感じる。
この北海道は、、、人間文化と葉、また別の視点で考えると
温故知新、、、、、、自然のままに感謝して
人間の原点は自然との共生だと
雪の中で、、、どう生き延びるかと、、、
問答無用の真っ白な冬が毎年やってくる北海道で
雪を掻きながら、、、自然の威光を感じざるを得ない条件下で
ヒトという、、、勝気な生き物が
本当の豊かさに気が付くと
感謝が総てになるのだろうか??
何を書いているのかさっぱりわからない日記になりました。
雪かきで、、、疲れた頭が、、、雪に負けているのかな?
一目瞭然、、、雪という大自然の魔法です。
同じ家に、、、観えますか??
あなたの目にゆだねて、、、雪掻きボケの日記を記しました。