花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

想いでの映画

2017-02-28 02:36:47 | Weblog

人にはみんな、、、忘れられない映画や歌や部舞台があるものですよね。

私にも、こどものころ観たいくつかの映画が、ミュージックにのって思い出されます。

ねえ!覚えているかい、、兄弟姉と観に行った「モーゼの十戒」や「ヘラクレス」

君は幼かったから、、、忘れているかもしれないが、

クワイ川マーチとともに、忘れられない映画があったんだよ!

早川セッシュウ、、、誰も英語が話せない時代から

外国映画に出演していた。、、、母がファンだったけど、

今日のTVで「戦場にかける橋」を観た。

日露戦争に勝利した日本の軍隊の教育が、

外国からは、どのように映ったのだろうか?

その後のイギリスとの戦いで、

日本側がイギリスの海軍の兵隊を捕虜にするところから

口笛のマーチは流れる。

兵隊の誇りと、人間としての捨てきれないギリギリの自己愛と

国につくす、、、?というよりは、

イギリス国民の独特の 自立した大人の自己流と、、、

世に言う支配階級の考えと、この世のたい焼き君らの

支配される側の気持ちと、戸惑い、、そして、生きる力の元!

戦場で捕虜となって働かされる状況では、、、橋は完成しない。

しかし、英兵の誇りは粘り勝ちです。

日本の捕虜を支配する私物化から、強制労働させる早川さん。

状況下に於いての立場の違いはあれど、

人として扱う事を要求する英国指揮官

イギリス兵の指揮官らは、国際的に約束された捕虜の扱いを要求する

日本流を貫き、私物として命令する早川さんの所長!

究極の体罰と闘いながら、英国の指揮官は

人は犬のように、思いどうりには動かせないことを知らせる。

日本軍の汽車の通る橋を造るという、、、それだけの事ではあるが、

人間の立場や国籍や、仲間意識がベースになって

生きる力が産まれてくるのは、自国の指揮官のもとで、兵として動く誇りだ。

「自分でやる気になる、指揮官のもとで、誇りが守られるという状況下において」

捕虜の兵隊は、、、見事に隊を組み 見事な仕事をする。

日本の遅れた技術を前に、

英国兵の橋を造る技術の優秀さをそうという目的意識のある労働の誇り。

見事にできた橋に、早川さんはうなだれる。

戦場での、、、勝ち負け、、、虚しく権力にしがみついていた所長。

やがて日本の列車が走ってくる。

かって、ここで捕虜になって、命がけで

脱走して九死に一生を得た英兵が、

再び、子の橋を、日本の列車が通るとき橋もろとも爆破の命に従って

現地を知る兵として、再び戦場に戻ってゆく。

日本人の心なら、このように割り切って、再び戦場に戻れるだろうか?

一度、脱走成功した時の、開放感が、再び奪われるのだから。

生死の境目をさまよったトラウマがあるだろう!

精神をムシバムはずであろう。

戦場に、戻る気力は、果してあるだろうか?

戦争は、命がある兵隊は、

傷病兵であろうとも、兵隊であるようだ。

生と死の境目で、英兵の捕虜は、日本軍の労力としてではなく、

祖国の指揮官の命令に従って、英兵としての誇りのある労働をする。

そして、600年持つという楡だったかね?

楡のような強い木材を切り出して、橋の支えの、橋げたをつくる。

戦場の、空に瞬く星のような、見事な橋ができた。

英兵の指揮官は、出来上がった見事な橋を観ながら、

自己愛の世界に浸っているようだ。

今が戦争中の戦場であるという現実から、

橋の完成の感動が、これまでの自分の実績や英兵の実力に酔う。

味方の英兵が仕掛けた橋の爆破の導火線に気が付くが

戦争中の指揮官の役目を忘れて、自分の指揮した橋を守ろうとする。

本末転倒になる一瞬を、この映画は鋭くえぐる様に描いている。

人間の陥りやすい自己愛が、完成の陶酔が、、一瞬の判断を誤らせる。

この、本末転倒の「はしを守ろうとする行動」が、

部下の英兵に多くの犠牲者を出す。

しかし、できたb橋を爆破しようとする英兵は

味方であるはずが、

「日本側の橋を守ろうとする指揮官」に向かって撃つ!

指揮官の体が倒れて、意識のないままに、装置のピストンを押し、橋を爆破に導く。

意識のない、「体が、」橋の爆破装置のピストンの上に倒れたから。

英兵捕虜と、指揮官の、生死の境で造った「プライド」の橋は

戦争という「無慈悲」な、時の流れの中に散って行った。

橋が吹っ飛んだことで、

束の間の日本兵と英兵捕虜の合作の橋は

虚しい時間二代えてしまった。

捕虜になっていた不名誉も、橋を造ったプライドも

捕虜の立場でありながらも、

捕虜になっていてもを兵として扱い

指揮官の労働は断固反対した国際間の取り決めは

インターナショナルになれない日本軍の

未熟なこころが

物語を面白く進めてゆく。

日本の捕虜収容所の所長の早川を

心から、人として敗北させた事も、

戦場の露となって消えるのか?

人間の愚かさが、橋とtともに吹っ飛び

**************************

国破れて山河あり、、、、、、、、、、

人間の抵抗は

こうして、、、後世まで映画になって語り継がれてゆく。

戦争と、人間、

意思に反して、、、

体が国を愛して、国の為に、仲間の兵隊の為に

死んだことになるだろう指揮官であった事を!

この、作品は救いがある。

こどものころ、同じように、、、胸に来た作品でした。

しかし、、、72歳になった今、、、

人生は必ず終わる。

人は、、、生きてるときに、、、何をやったか?

形は残らなくても、、、愚かさが残ってゆく。

もう繰り返すのは辞めにしてほしい、、、

地球という悠久の☆は

人間が人間に与えた栄誉の★を

黙って包み込んで、無言の涙が

クワイ川マーチになって、、、記憶に残ってゆく。

****************************

このほかにも、

眼下の敵、、、青い瞳のクルトユルゲンス

人間味あふれた、、、ロバートミッチャムが、、、、

忘れられない、、、子供のころ観に行った映画です。

NHKのプレミアム映画を観れたから、、、

早朝5時から雪かきをした筋肉痛が、治りました!

                    ありがとう

 

 


すぐ近くで、アジア大会をしているのに、、、

2017-02-24 02:54:13 | Weblog

真駒内のリンクで、

アジアの フィギヤ―スケートの大会中です。

一度は 会場で美しいらせんを描く

立体の芸術の軌跡を 戴冠したいと思いながら、

TVの前で、ため息をついています。

埼玉の兄は、荒川静香さんが現役の時から、

横浜に観に行っていたようです。

「券を3人分買ったから、東京まで出てこないか!?」

熱烈なファンのようでした。

中学時代は、吹奏楽で指揮をしていた息子は、

誰も寝てはいけない、、、と

三大テノールの歌手のCDで我慢する。

医科大学に行ってからは、時間貧乏です。

自分の未来の職業の事だけに夢中です。

時間貧乏は、、、一番大切なものが無い。

叔父さんが、

封書で送ってくれた2万以上もする券を

親子で楽しみたかったのですが、

都合がつかず、

机の上で、「もったいない!」と、、、ため息。

その日は三省堂にリュックを背負って

医学書を買いに、親子で坂を下って、小川町です。

札幌では、バスで15分のアリーナに

とうとう、、、行った事がありません。

TVが無かったら、

この、、、美しい舞姫たちの描くラインさえ知らないで

人生が過ぎるところでした。

 

アジア大会のスピードスケートの女性代表は

北海道に「金メダルをもたらしましたね。」

かってのオリンピックで活躍した、日本のエースの

清水選手は同窓なので、

若い時代からスピードスケートは、TVに向かって応援していました。

あるとき、清水選手の大腿の、すご~~~~い筋肉を観て

びっくりすると同時に、

摩擦のない氷上で、、、すいすいと滑る選手は

加速度や、遠心力を上手く使って、

技で決まるのかと思っていました。

清水選手の大腿の筋肉の山脈は、

北アルプスの山脈の如しで

一夜にしてならない難攻不落の筋肉山脈でした。

あれ以来、スピードスケートを、

不屈の精神で造るスピードだとわかり

面白さに目覚めました。

金メダルの北海道の女王さま達も

ダイナミックな筋トレで、

不屈の精神がゲットした金であることを

日の丸の旗が、万感の想いを褒め称えているようでした。

スケートは、、、芸術ですね!

 


受験終わって、高校入学したら、、、懐かしい三つ峠登山の思い出

2017-02-23 01:16:06 | Weblog

 

もう立春はとっくに過ぎているのに

今年の札幌は、、、雪ばかり降っています。

昼ごろになると、NHK旅の番組に元気をもらっています。

懐かしの三つ峠登山でした。

忘れもしない昭和36年

受験校の国立高校を受験するか?

隣の隣の駅の女学校で

今は男女共学という、、、穏やかな都立を受験するか?

中学の先生は、

「家が開業医なんだから、医科大学に行きたいのなら国立ョ。」

医師になるという事でないのなら、、、愉しい高校時代が良いわね。

「普通の四年制大学なら、都立で、人間力向上のクラブ活動する事ね」

選ぶのは、本人だから、、、と、先生は、ニコッと笑った。

進学の面接は、きわめて短く終わった。

家に帰って、家族と相談したら、

、「朝寝坊できるし、近いし、隣の隣だろう!」と、

長男の意見は、考える余地のない、即答でした。

母は、一つ違いの「次男が医大に行くのなら、応援するが、

女性の医大進学は、応援しない」という。

私の下に、

「絶対医師になると、小学校から宣言している弟」がいる。

2年浪人して、東大をあきらめた兄は、大学院進学をやめた。

学者希望だった長男は、東大に執着して、失敗に終わった。

我が家から一番近い「私立医大」に進学した手前、

親は、、、進学については、夢を語らなくなっていた。

子供たちの授業料のおかげで

エンゲル係数は100に近い我が家であった。

下手をすると、私のごとき、

末は姓名の変わるものは

四年制大学も、

やってもらえなくなる状況もゼロではない。

開業の家で育ち、普通の良き娘さんになれるかというと

回りが、仲間に入れてくれないだろう、

強くならねば、医家に育ったというだけで

構えてくる人も結構いた時代だった。

戦後は皆。一億総貧乏時代だったから、

中流の医師の家族は、内情はともかく

外からは、良く見えた時代であった。

東京横断してまで。国立に行くなんて、

電車賃毎日いくらかかると思ってるの?

隣の隣に、立派な高校があるんだから、、、、

16人もいる居候や

住込みの看護師さんも、お手伝いさんも

「私なんか、高校行くって言ったら、バカ!働け!って言われたのよ。」

お手伝いの「あつこ(仮名)は、高校進学が当然という私に嫉妬する。」

お父さんも、、人が良いんだから、、、

親戚、兄弟、そのまたお嫁さんまで、皆、焼け出された人、

学徒出陣で帰ってきた弟、引き取って

28歳から受験して早稲田に合格したからって、

授業料から、部屋から、お嫁さんまで、ど真ん中の二部屋提供して、、、

我が家って、、、良くやって行けてますね!!!

ともかく、折角先生がくれた、国立の願書は、長男が破り捨てた。

「何の権利があって、人の願書を破るのよ!」

「お前が迷わないためだ!、、、あと二人、男の兄弟が居るんだからな!」

兄の顔が「般若に見えた。」

でも、、、結果は極めてよかった。

小松川高校は下町の良さがあふれて

青い山脈の青春の映画のような

さわやかな、素敵なクラスメートが多かった。

華美ではないが、

黒いせーら服のリボンを結ぶのに

リボンと結び目と、

セーラー服の襟からのはみ出し部の比率に

休み時間を全部使って、こだわったりした。

入学のとき、

クラスの同級生が分かり合えるまで

「あなたがクラス委員をやってください。」

御茶ノ水大学を出られたという、独身の御婆ちゃん先生から

どういうわけか、私に、めんどくさい役が回された。

この高校は、

私より成績だけなら良い人がいっぱいという感じだった。

御婆ちゃん先生は、

「あなたの家は開業医だから、色々な職業の人が来るでしょう?

このクラスにも、いろいろの職業の人がいるからお願いするのよ、」

どんな人も、どんな職業も一つのデーターとして受け入れ

其の人の「命」を見つめる開業医のお家に育ったことは

きっと、クラス委員をすると、皆助かると思うのよ。

ここの高校は、勉強以外の人間力が大切なのよ、、、と。

きっと、バカ御嬢さんの、依存性の高い生徒が

クラス委員をこなせるかの試験かもしれない。

疎開先で山育ち、父は軍医経験者、

母は、モダンガールの明治生まれの国立音楽大学卒、

きっと、両親の経歴が、この地区では

変わっていたのかもしれない、、、

私自身は、

成績云々ではなくて、委員を頼まれやすい

虚弱な、嫌と言えない雰囲気だったかもしれない。

「明日からは、手伝ってね」

「はい、、、!」

何でも引き受けてみようと思った。

おかげさまで、友達が早くできた。

写真部、放送部、絵画部、科学部と、

興味のままに、半年はローティションを試みた。

放課後は、各部の責任の来ない部員に登録して

存在を消し去って、

新世界の事を知ろうと、私なりに頑張っていた。

*****************************

 

結局、山の好きなメンバーの多い、写真部に籍を置いた。

受験クラスは10クラス前後の内2クラスだったように記憶している。

進学で、がりがりのがり勉蒲鉾は居なかった。

土曜日、日曜日をかけて、事あるごとに山に出かけた。

帰りには深大寺のニシンそばなど食べて、

最高に幸せだった。。。。け。

この高校はの素敵なところは、

蓼科山に山荘を持っていたことであります。

夏休みに、山荘に出かけて、5時ごろ起きて、

冷たい流れの水で顔を洗った時の新鮮な朝を、

今も忘れない。

岡田さん、タケサン、久保やん、、菅井さん、、、あの、、目の細い、、、えーーーと

誰だっけ、、名前が出てこない。

夏休み、山梨のあたりまで、登山したっけね!

あの時、「三つ峠山」に、皆でいったよね!

てっぺんの岩のそびえるあたりで

空模様が激変して

真夏なのに、小石のように氷河降って来て

その氷の中には

がちゃがちゃのプラスチックボール大の大きいのもあって、、、

怖かったよね、

リュック頭に乗せて、岩陰にしゃがんで、

山の天気の心変わりの激しさを、身に染みて体験したっけ。

三つ峠を、ちんたら、、ちんたら、、、歌うたいながら、

登っては休み、写真を撮っては登り、、、のんきな登山をしたっけ!

NHKのプロの登山家は、その点、実にプロですね。

朝、天気を確認し、山の天候が変わる前に登頂成功!

すぐに下山!

さすがに「持ってるプロの登山家!」は

三つ峠の山頂の霧を、オーラーで晴れさせて

富士山を観てから下山。

私たちは、霧が晴れるまで、遊んで、、、待ったっけ!、、(^^

あれから、55年ぐらいになりますかね?

人生で「何を思い出す?」って、、、

皆と言った、、山々が、人生の友達のように、心を温めてくれる。

とうとう、、、お礼も何も出来なかったけど、

白山登山に連れて行ってくれた、日大の生薬学の先生方と

主宰された、金沢大学のM教授!

皆より、2時間遅れて、山頂に着いたときは、

日がとっぷりと暮れていた、、、け。

その後信州の山を3日かけて縦走しましたね。

水辺でであった「燕尾せんのう」のオレンジの花に見とれて、

又、又、、、、遅れてしまったっけ、、、

山の写真、花の写真、カメラが普通のカメラなので、

自分だけで楽しむ写真集になりましたが、

結局、、、友達は、、、一期一会の「山の花」だったのかな?

シラネ葵に逢った時のときめき、、、

山頂近い尾根で群生していた白玉の木、

あまりの可憐さに、、、思わずほほを寄せたら

鼻息で、飛んでしまった、、、さんかよう、、、(++!

ヤナギランの山から山に敷き詰められた赤紫の絨毯!!!

信州には体力でのみ買える、、、一瞬の宝石が光る。

その宝石は、心の琴線に触れる光の芸術だった。

天気の変わらないうちに踏破する山のプロの登山を思うとき、

何事も、素人の遊びのうちは楽しいが、

彼の場合、ひと筆踏破の登頂成功の自己との限界までの戦いだから、、、

きっと、山は、友達という、、、のんきな気持ちにはなれないでしょうね。

登山という言葉と踏破する登山の間には

次元を超えた迫力の違いを感じながら

NHKを楽しみに見ている72歳の婆ちゃんです。

 


旅は、良いですね!

2017-02-18 22:30:43 | Weblog

今年度の出来事で、

EU離脱のイギリスのトップの交代は、

びっくりした人も

きっと多かったでしょうね、

 

***********************************

茶の間の「オッかちゃんレベル」で、私も、気になって仕方のない事でした。

***********************************

 

なんとなく、だらだらと続く家事と、

雪搔きの「人生の鎖」を、

ぶった切ってくれるのは

NHKの旅の番組です。

もちろん山の踏破のダイナミックなスタミナの、

自己との戦いの中に、

ネット裏から見せてくれる観客にもなります。

山頂で待っているフアンと称する人の

サインを頼むシーンには

思いやりの無さを感じてしまう事もありますが、

それに応じている登山家は

演奏を途中で、ストップさせられるような

つんのめりを感じないのだろうか?

さて、、、今日は、、、

真央ちゃんの出ないスケートは、

もう、未来に放たれた矢のようで、

置いてけぼりの自分が、

時代についてゆくのをあきらめて、

遠くから、眺める

オーロラの世界のようです。

今日は、、、旅の番組を観よう!

世代交代、、、ゆずり葉  感謝、、、同じ時代を生きた

ヒーロたちへ

子供のころから、知っている俳優、女優 アイドル 

歌手、、、皆、、、花の香りを残して、、、旅立ってゆく。 

 

*********************************

今日は、あの、何とも言えない不思議な関口さんのスケッチと、リュックは

ほのぼのと、実にシャープに、国際間のそれぞれの国が、

個々の大切にしている「生きてる自分の時間」を垣間見た気がしました。

没個性に見える個性の関口さんと、リックを背負って、

どこにでもご一緒させてもらいました。

百聞は一見にしかず、、、世代交代しないと、EUへの理解が

若者とは一体化するのは、、、無理でしょうね、、、

全く別の「誰にも邪魔のできない独自の世界」を

経済のベルトコンベア、時代の統一、世界との共生、新旧一体化、

戦争と歴史、消せない宗教の塀。

多くの事を考えさせられながら、関口さんと、ヨーロッパを回りました。

雪掻きばかりの北海道の暮らしに、NHKの窓が、世界に広がっている

鷹の目で、頭脳の老化だけは、くいとめてくれるので、

今は番組に感謝です。

とうちゃこ、、、のバンダナのおじいさん、朝ドラの人気者のお兄さんの

世界遺産に間違うような絶海の、自然と人力のハーモニーの景色。

ツルビンさんの、なんとも、味のある、日本の街や村。

映像としてみていると、

共存共栄している日本の今の平和を守るのは、

当たり前のように見えて、自然をどのようにして守ってゆくか、、、

自然を生かし、その自然が人を生かす。

ピタゴラスイッチのように、近代化や、パソコン文化や

ロボット文化、スマホ文化が、便利がゆえに、

人間のテレパシーや、器用さや、基礎から自分で到達する努力や、

Do it  your selfu ...

戦後からの復活精神が「バリバリ」と音を立てて

近代文化の津波に流されてゆくだろうという、、、不安が残る。

在来文化は保護されないと生き残れない時代が来るのだろうか?

それとも、観光地として、見えない塀に囲まれて、

観光客にだけ門を開いて、時間を止めてしまう事で

人間丸ごと自然い包まれて世界遺産となって、

タイムカプセルになって、

突然、超人工の世界になっている未来に

到着して、戦争すら起きない時代に、到着するのだろうか?

サザエの貝は、蓋を閉じたまま、自分だけの世界を全てと思って

大切にしていたら、、、、あんまり静かなので、、、

蓋を、、、そーっとあけてみたら、

貝の鍋の中の自分が、

炭火の網で焼かれる順番を待っていたという

笑えない、、、

鎖国の行き着く先の、先代の残した童話を思い出したり

多くの事を考えさせられるNHKには、

若かったら、、、私も、取材班の雑役でいいから

連れてって欲しいと、、、思いながら、

医師の仕事に、時間貧乏の夫に

ロンドン、パリ、イギリスのすべてが、茶の間で見えるのよ!

誘ったんですが、

「精霊のま守り人」を見るからと、

自室にこもってしまいました。

かなり、、、すれ違う一生ですが、

日頃、時間構わず診療に従事しているから

勝手にしている方が、

ストレスが無いのでしょう。

しかし、、、70歳過ぎても、

男性は、美人女優の出演する画像が

元気の素なんですね。

私のようなタイプの女性は

「洗濯機を動かす洗濯機」という役割だったような気がして

いつも、、、苦笑いの、、、土曜日です。

NHK 番組に、これからも期待しています。

 

 


雪の城壁?

2017-02-16 01:43:46 | Weblog

2017年  春待つ心と裏腹に、

重たい春の雪が降り、

気まぐれな暖気で、

融けだして、そして又、凍結。

かかとにスパイクのついた靴を履き

想い雪をスノウシャベルですくい上げ、

積み上げた雪の塀に、、、ペタンと貼り付ける。

水分を含んだ雪と雪は、

同じ分子が引っ張り合うような接着模様です。

眞田丸そこのけの、城砦となった雪の砦。

異常気象の2016~2017年の雪搔きの日々を

72歳の今も、クリヤーできた事に感謝です。

1トントラックで、、、4000円で運びます、、、と。

新聞半分の広告に、

主婦の仕事が、プロの手にかかると

ひと冬分が数万円です。

我が家の前は、除雪が入ることはまれです。

除雪が入ると、玄関先にも、

道路の雪を噴き上げてゆくので、

埋め尽くされた玄関を、半分だけ、通れるように

一日かかって、

石のように圧搾された除雪車の噴き上げた雪と

戦います。

春になると、とけるって?

びっくりすることに、

5月になっても、雪が残っています。

枕草子の、庭に残った風情のある雪を

いつ、、、融けるのかと?

京菓子でも、いただきながら、、、春が待てたら

幸せですけどね!、


スマホとガラケーと、お小遣い

2017-02-14 11:22:17 | Weblog

 

                         

札幌市の大通り駅の帰宅時間の風景は

ホームに立ち並ぶ電車を待つ人は

皆、スマホを観ている。

スマホとか、ガラケーとかが、ホ-ムの風景を

奇怪な人間模様にしてしまった。

皆、小さな画面を食い入るように観ている。

電車が来て、ドアが開いても、スマホを見ながら乗車する。

隣に、知人が居ても気が付かないだろう。

電車に乗ると、ひたすら画面を見ている、

車窓から何が見えようと、眼はスマホの上から、離れない。

スマホから、ダイナミックに地球の裏側と商談している人もおるだろう。

ゲームをやっている人、、、動画を観て笑っている人、

この小さな手のひらサイズに、

積み上げられた、個々の時間を、人々は、有効に、無駄に、楽しく、、、指で払う

文化革命が、手のひらから、地球の隅まで広がって、

扱い次第では、マイカーも要らなくなる。

都会の一等地の事務所も要らなくなる

大量の事務用の機械や、設備は粗大ごみと化す。

SNS、、、?

出会い系サイト?

さまざまな、不連続な繋がりが、

「出会い」「出逢い」「出遭い」「出合」の意味さえ変えてゆく。

メビウスの輪の表と裏が出逢える時代になったのかもしれない。

自宅の置き電話には、見知らぬ先から留守番電話にセールスが虚しい。

登録番号だけ、色分けで見分けて、電話に出る。

もしも、懐かしい小中学校の友人が、

電話帳で調べて、電話をくれたとしても、、、、

「おれおれ詐欺」と同じ扱いで、

電話には見知らぬ番号には出ないことになる。

携帯電話、のスマホ、ガラケーは、使い方によっては心を繋ぐ、

若者の貧乏は、「時間を奪われるスマホの出現」と

関係ありそうに思えます。

仮想画面にくぎ付けにされた数時間の積み上がりは

よほど上手に使わないと、

これからの若者は、「時は金なり」の呪文を唱え

強靭な意志で、スマホを使い切る修行をしないと、

依存心の塊のような、指のタッチが、脳みそを退化させ、

情操面や、人間らしい関わり合いを、

PCの、頭脳部分に先取りされて、

情報の海でおぼれてしまうかもしれません。

苦行する気持ちで、歩きスマホはもちろん、

自分の目で、あたりの空気を読める特性を失わないように、

この小さな島国の日本が、

未来永劫守られるように、

仮想世界に貢いでる時間を、失わないための

大きな工夫が要りそうですね。

 

 

 

 

 


入学試験近づく、、、、、春の気配。

2017-02-12 23:10:17 | Weblog

 

いきなり、3度Cの今日!

雪が降っては氷になる。

降っては、、、凍る。

解けては氷になる。

軒先から、テーブルのような氷がずり落ちてくる。

金属製のスコップで割りながら、雪の中に刺してゆく。

一面に、屋根が氷の板になった。

凄い迫力で、落下してきた。

今日の内に、縁起を担いで、氷の板を全部割って落としておいた。

明日の入学試験には、、、落ちてくるものが無い。

之で、あの子は合格だ!

そのように信じて、

息を止めて、気配を消して、

あの子の健闘を祈る。

力を出し切って、天命を待つ緊張感を

誰や知る?

 


受験を振り返る季節ですね!

2017-02-10 10:27:57 | Weblog

 

何回か吐露してきた、戦後の日本の子供達の変化

天皇陛下は、人間宣言をされて、

日本の「物質以外の日本」が

第二次世界大戦で亡びるのを

防いでくださったと、

昭和生まれの私は。今でも思っています。

1946年1月、、、

1946年2月~54年8月、、、

日本の各地に、お姿を現してくださり

日本は存続しているという、

日本の歴史そのものが、、続いてゆくと

時代の思想や。教育や、イデオロギーが、

さまざまに、多様化して、競い合う事があったとしても、

考えや、主張や、ヴィジョンが

色とりどりの日本国内に代わろうとも、

陛下がお姿を見せられる限り

点描派の光あふれる七色の絵画のように

私の母(明治生まれ)は、

戦争のトラウマから立ち直ってゆきました。

昭和に時代を、激動の時代を、陛下は生きられて、

日本人の中の、何千年も続いてきた、国民の中にある日本を

守って下さったと、言い続けました。

陛下ほどご苦労をされた存在はほかには知らない、、、と、

母は言った。

母の父(明治生まれ)は

27歳でロス、シスコに渡って、

多くを学び、

日本に、多くのグローバルな知識や習慣、機械力などと、日本に還ってきた。

持ち帰ったことを指導してほしいと、

「町長」「校長」「相談役」などを引き受けた。

戦前は真っ白ない手袋をはめて、

朝礼の度に「教育勅語」を読み聞かせて、

神様だった天皇陛下への儀式だったのでしょうか?

しかし、

日本は敗戦しました。

世界情勢もしかり、アメリカの全体像も情報不足だった。

無知だったことが、、、

罪だったと言われれば、

「ハイそうです」と、

うなだれるしかない「情報不足の中での戦争」。

島国で、300年間も鎖国していた日本、、、。

資本主義国家の

法を主とすると誓ったアメリカ国民が、

鎖国なんて、、、、

地球上に認めるわけにはいかなかったのかもしれません。

100キロの高速道路で、

日本は60キロが日本の速度だからと、

正しいことを主張したことが

戦争という大事故に発展したのかもしれない。

高速道路に出ないで、田舎道の、、、

たとえば中山道を、旅がらすのように

怠け者のように、静かに、、、静かに、、、動いても、、、しかり。

動きを察知されないほどのスピードで、生きていたとしても、

地球は自転して、多くの物を運んでくるから

衝突は起きたであろう。

時代に取り残されてゆくものは、

戦争という竜巻で、

どこかに運び去られてゆくのだろうか?

人間が時代を造り、時代が主となり

旧き命は死んでゆき、歴史が物語る、、、命の継承。

地球というガラス容器の中の

気体のもたらす化学反応であったとしたら?

教科書で何を教えようと、

受験という限られた価値観の問題で合格したエリートは

ひたすら、町おこし産業おこし、

コンクリートジャングルへのアッタクで、

東京のど真ん中に、

宇宙からの波長をとらえるアンテナを造り

気候の変化もミリバールの単位で予言しながら

時代を造ってゆき、地球を汚してゆく。

スパコンの人工知能の構築するコンクリートジャングルは

木陰の中で木漏れ日に酔いしれる自然との同化はないだろう。

小川のせせらぎが唱歌となって子育てをするとき、

笹の葉の間を、蛍が、懐かしい先祖の心の灯で瞬いていた。

車輪の音、騒音で頭はボートしてくる人工都市。

空気を読む、空気を嗅ぐ、空気を食べる。空気が美味しくない。

世界が気候を変えてゆく発展に原因を探る日はくるのだろうか?

人間の天与の五感が役に立たない都会の中で、

アプリをインストールして、答えを探す、、、。

世界中が、いつか感性を無くして、子育てを忘れる日、

世界の経済を運ぶウオール街が、あちらにも、、、こちらにも、、、

電子マネーの川を流し、

子供を乗せた筏で流されてゆく日。

手塚治虫氏の漫画の世界がやってくる気配がする。

医者になって、医者を辞めて漫画家になって、、、

医者に出来ない「ブラックジャックを描くとき、、、。」

手塚氏は、自分が、、、エリートだってことに

気が付いただろうか?

そんなことは、どうでもよかったのではなかろうか?

ロック冒険記から、手塚漫画は、青春そのものだったから、

手紙を出したら、丁寧な葉書がお返事にいただけた。

ベレーをかぶった自画像の漫画入りで、

北海道に行く予定と、、、書いてあった。

同じ医学部を卒業しても、医者しかしない、、、

医者バカ一本の主人。

主人は北大の医学部を突破しているから、エリートなのか?

目指せ「医師」だったのかな?

本人は「僕は浪人している。」

「東京から、北海道という、当時は馬糞の舞っている砂利道の街に来た。」

「エリートというのは、北海道に生まれて、北海道に住んでいて、

浪人をしないで北大に合格して、

未来の役目の為に

北大が必須の目的の一里塚という

自分の夢を一段づつ、

しっかりと、あがれている学生を言うんだろう,、、ナ!?」

その階段が、漫画の部屋に続いていたとしても、

医学部を突破して、医者になって、ブラックジャックを描いている

手塚治虫氏は、エリートとか、狭い枠の

受験生向きの「カースト制」のような

順番の無関係な、才能のある人間に実現できる生き方だよね。

自分の一生を、

自分の時間を自分で好きなことに使える実力者だね!

浪人するとね、

入学できれば、どこにでも行く!って、、、結構せっぱ詰まってさ!

東京会場で、北大受けて合格したけど、

北海道って、、、こんなに遠いって、来てから気が付いた。

エリートだなんて、、、思ったことは一度もないよ。」

主人は、受験を境に家族とは別れた。

一緒に生活をしていると、

仮に北海道のエリートだと仮定すると

「エリート?」教育の

もたらしたことに疑問が出てくる時がある。

時間の配分が

「知識」「技能」「患者さんの事」で埋まってしまった一生に思えてくる。

朝の食事も、夜の食事も

一緒にしたことはほとんどない。

子供の盾や外堀に、存在そのものがなるだろうから

子供にかかわらない性格も、追及はしないが、

医師の仕事、と言うよりは、、、外科の医師には

愛情や、細かな情操は邪魔になるようだ。

夜勤明けの日、

久しぶりに家族でカレーを食べていても、

病院から電話がかかってくると、

「何?!下痢してるって?水みたいなのか?

カレーみたいだって?

解った、!ビオフェルミンやっといて、、、今。行くから!」

皆、カレーが食べられなくなってしまった。

思いやりが出来ないのであるよ(++!

お父さんの、、、バカ!

*********************

学会の為に海外に行くことはあっても、

会場から会場に移動し、スライドの順番を気にしながら、

お土産は、家庭には買ってこない。

医局でアメリカの研修旅行に行ったとき、

長々と家を空けてすまん、、、と

ネッカチーフを買ってきた。

小さな白い布がついていて、

メイドインジャパンと小文字で書いてあった。

食卓に、何を出しても

何を食べても同じである。

知人の建築家は、毎年夫人に「セーターをプレゼントする。」

その話を主人に話したら、

45年ぶりに、初めて、、、せーたを買ってきてくれた。

催促したわけではないが、

主人にも、自分以外の事を考える時間を持てたことを

心から嬉しく思い

さっそく、、、!!!、、、着てみようとした。

何と、、、首が入らない!

何よ?????こんなセーター、、!!!

何処で買ったの?

三越デパートの3階?、、、ほんとう?

ともかく、私は返しに行った。

それっきり、、、プレゼントは、有りません。

自分の事でいっぱいなんですね!

医師は、時間貧乏ですね!?

70歳半ばを過ぎて、、、主人は言いました。

「本当の敵は時間だったんだね!」

*************************

とうとう、70歳半ばになっても、

話は、ドクターXが、

あんまり医者をバカにしてる割には

医学の最先端を取り上げていて面白い、、、とか

メスよ輝け!漫画は読破した、、、とか。

ブラックジャックから、、おたんこなーす、、、

ありったけの医療漫画を買ってきては

時間が無くて積読。

医学関係の深いドイツには、無理にでも時間を造ってゆく。

二人で、行く夫婦も多いこのご時世に

パリも、ロンドンも、知らないのです。

私は職場に復帰した時

主人を待っていては、

親の葬式にも来てくれない時間貧乏だから、

もう、、、ここら辺で割り切って、

一人で、ヨーロッパを知っておこうと思った。

東京大学の先生が主催する医薬の歴史の旅が

薬剤師向けの会報で募集していた。

考えていた矢先のタイミングに、

息子の大学に、医歯薬歴史ならこの人あり!という

先生がいらっしゃり、

その先生とも、歴史の会合をされるという

リーダーの先生から、お電話で、

ひとり、空きがあると、お知らせをいただいた。

団体旅行だったのですが、

自由時間もあり、最高の学会参加

ゼミナール参加、

現地案内の歴史の病院めぐりと、

オペラハウスの観劇の機械をゲットできました。

自由時間に「ピカデリーサーカス」の通りを歩き回っていると

似顔絵描きのイギリス人が、話しかけてきた。

北海道にも何年もいたという。

旭川や富良野も函館も知っていた。

一人ぼっちの街歩きは、

主人の事を思い出して、、、、ま、、良いか!

チャンスはとっさに掴まないと

永久につかめない!

、、、此処はイギリス!イギリスの空気をもらおう!。

「似顔絵を描いてもらう」気分にさせた。

「あなたは髪が腰まであるが、ご主人は仕事はなんですか?」と聞いてきた

ドクターだとことえたら、

急にキングスイングリッシュを使いだした。

********

「マダムは、肩ぐらいで髪を整えて、軽くカールをしなさい。」


*******

木炭を走らせながら、

北海道の自然の美しさに感動したことなどを話してくれた。」

仕上げにフクサチーフを吹きかけた木炭画を巻いてもらって

背中に背負った。

佐々木小次郎になって、

ピカデリーサーカスの本屋をさまよった。

シェークスピアの真っ赤な表紙の本を買った。

**************************

そして、ヒースローからフランスに飛んだ。

医薬史学会は、セーヌ川沿いの

薬剤師会館を見学した後、

勢いで、

セーヌ川のほとりの骨董市で

「、鉛筆画」と「デザイン画」と

小さなスプーンを買ってきた。

パリの大学生が、国に帰るとき、売って行ったと思われる物もあった。

しかし、王朝の続いたヨーロッパの骨董品は

歴史を感じさせる小物も多い。

あれから30年、、、

受験戦争では、浪人しても、目的の医師になれた主人は

エリート分類に入るのかもしれない?

受験戦争の勝利者だと、

本人も、家族も、風評のように、

絵にかいたような幸せになれるのかと、、、思うでしょう?

北海道版では、私は認めたい主人ですが

今も、ひたすら「患者さんの事」。、、、、だけ。

家に帰ると、ひたすら、マイペース。

話は、仕事の悩みや、医学の話や、TVの医療番組。

最近の悩みは、私には解らない、医療現場の

高度な悩みなので、

聞いてあげるしかない。

答えようがない。

例えば、、、

手術の時に、

開胸してから、悪性腫瘍に接近している血管が

そのまま手術すると、破裂してしまうから、

とっさの命を救うために、

ステントを

難しいテクニックで

若手が挿入して、

大変な手術を

無事に成功させた!

立派に、完治して、病は癒えた。、、、。

**********************************

しかし、胸を開くまでは、こんなになっているという事が、

画像では

判断できない域だったために、

術前には、

「保険適応」です。と言ってしまっていたから、

適応できない難しい、最先端の技術を使って命を守っても、

患者さんに請求できなくて、

病院は赤字経営を余儀なくされる。

厚生省は、現場のとっさの変化で、駆使する高度な技術に対しては

保険の適応を認めてはくれない。

*********************************

患者さんには、術前には解らない事なので、説明できないから、

当然、、請求も出来ない。

折角命を助けて、患者さんはニコニコ退院しても、

病院には保険外の手術技術に対しての自費の支払いがもたらされる、、、。

厚生省のお役人さんは、半端なエリートではありませんよね。

たとえば、東大の法学部を出ていらっしゃるとか、、、?

厳しく日本を赤字にしない法に沿って、

いつも正しい意見なのでしょう。

でも、現場の、医療施設でDr.は、

保険適応だけの事をして手術を終われば、

患者さんの命も手術室で終わる。

病院の評判も、終わる、、、

風評被害では、医療関係はもうかっていることになっている。

赤字でない病院を探すのは難しいと聞いているが、

これから先の老人王国の医療現場のアクシデントの

とっさの技術は

赤字覚悟で引き受ける。

施設は、死活問題であると思いました。

受験社会のもたらした、受験問題の傾向が

「正しい答え」のみ、、、追求するから、

これからは、視点を増やした試験を考えてほしい。

「とっさの想定外の時の手術費の分担の

ベストの考察を述べよ!」というように

とっさの想定外が予想される不安定な今日、

均衡を保てる「創造の気付き」のある才能を探すような、

若者の独自の見解を、

長老たちの堅い頭に投げかけた若者を合格者として、

東京大学入学許可!なんて、、、

粋な受験時代が来るといいですね。

*******+++++++++++++++************

日進月歩の医学の社会にかかわって生きていると、

宵越しのお金を持っているようでは

仲間からも、時代からも、置いてけぼりになるという恐怖がある。

*********************************

それほどに、、、ライバルは、さりげなく強い。

振り返れば、家から近いから、

しかも、総合大学だし、

家事を手伝いながら、免許をとれるだけとっておこう!と、

日大の理工学部を受けた時、

現役の私は、怖いもの知らずで、面接のとき

他に大学は受けましたか?

「はい!千葉大学を受けます。」

もし合格したらどちらに行きますか?

「千葉大です。」

質問は終わった、

千葉大学の受験日の数日前に、

合格通知が来た。

兄も、母も、家族は全員、日大にしなさいと言った。

「下宿はしなくて済む。」

女性の下宿は許しません。

千葉大の受験の当日、車で送ってくれると言って

前日のホテル予約を「無駄な金は使うな!」と

約束してくれたはずの、

日大医学部の兄は「受験の当日になって!!!」

車を出さない、

「お前は日大に行け!」と、、、

がんとして、約束を守ってはくれなかった。

日大は私立だから、

卒業まで、父が、元気で働き続けるとは限らない。

私は、考えを聞いてもらいたかった。

私立は、お金持ちが多いから、

学問以外の社会の多くを学べるだろう、、、

「お前は女性だから、大学院にはいかないだろう?」

「学問の淵に向かうより、臨床や、社会に強い日大で、

男社会の共存をしっかり身につけてこい!」

目指せ東大、東大こそ大学と言っていた兄は

君子なのかヒョウヘンシタ!(‘‘!

かって、、、東京大学受験で東大病だった兄は、

東大しか認めない勢いであった。

私より8歳年上である、

我が家の独裁者である。

受験当日になって「送っていく約束を守らない!」

合格できるかどうか、やってみなければわからない。

やり残した気持ちを抱えたまま、

お金持ちの子弟の通う日大に

私、、、、ごときが通っても、

社会勉強に参加する金銭的な余力はない。

しかし、

運命は日大に開かれた。

、、、、日大に入学手続きが終わってから、

次々と、合格通知が来た、

一つ受かれば、結構、、、皆受かる。

それだけに、受けずして落ちてしまった国立大学への

私なりのチャレンジが、

大きな教訓となった。

「秋の草原の田んぼに、小鳥の親子が住んでいました。

おじいさんは、「明日は人に頼んで、草を刈り取るとしよう!」

小鳥の子供はびっくりして、「母さん、、逃げよう!」と言いました。

散歩がてらに、お爺さんは「明日こそ、人に頼もう!」と言いました。

小鳥のお母さんは「大丈夫、逃げなくても、大丈夫!」と言いました。

とうとう、ある日、お爺さんが言いました。

「これは、自分が来て、明日は刈り取ろう!」と言いました。

小鳥の、お母さんは、初めて子供たちに言いました。

「さあ!お引っ越しですよ!」

**************************

つまり、試験前日には、自分が、自分の足で、

受験場に行かないとなりません。、

兄貴も、兄弟も、親も、決して、あてにしてはいけないと、思いました。

受験とは、そういうものかもしれません。

*****************************

大学を卒業していないのに、、、父が逝った。

さ、、、大変!!!!!

*****************************

息子が受験に合格した時

卒業までの授業料を支払いますという、

「僕が日大を進めたのだから、卒業までは、僕が責任をとる!」

長男は、医師になって、ほやほやの身分にもかかわらず、

妹の大学卒業までの、生活費、雑費、一切を背負ってくれたのである。

後日、弟が千葉大の医学部に合格して、

母と兄がサポートして、

我が家の受験地獄に終止符を打ってくれたのでした。

父は、、、戦争と、子育てと、

受験地獄の親のストレスも、少なからずあったのでしょう。

患者さんに、かかりっきりの毎日でした。、、、が、

54歳で外科医としての生涯を終えました。

******************************

受験なんて、、、無い方がいいと、、、今も私は思っています。

受験は、お金も、時間も、

まかり間違って、こだわると、

人間のプライドも、失わされる手品ですよね。

 

人間の値打ちなんて、、、どこに入れた、、、、ではなくて、、、

その人が、「何を目指し、何を夢として、ビジョンを持ち、」

目的を個々の学生が持ち、何をなしたか?

受験の時代に、惑わされるのは

エリート教育の残渣が舞い続けて、

画一化された価値観の知識戦争で、

人間の可能性を分類されたかのような錯覚に陥るのは、

騙されているようなものでしょう?

すぐに目覚めて、過去は振り返らず、

若すぎるのですから、、、

まだ、プライドなんて、無いのと一緒だと思い、

出会いのある運命に向かって、受験合格を目指すより、

自分の中のやりたいことに気が付いて、

世界中に、

出会いを求めて、グローバルに生きてゆける

広い門の受験システムになる日を祈っています。

何処に入学できたか?

目指せ!東大!

こんな受験の魔法にかかって、プライドを失ったと

勘違いするのだけは避けよう!

がんばれ受験生!

自分に気が付く狭き門に向かって頑張れ!

之は。

若き日の自分に、70歳を過ぎた私が話しかけている

自問自答の日記です。

 

 

 

天皇陛下とともに、日本の歴史は今日も「在る」

この不思議な、存在の一体感を「日本そのもの」としてきた祖父、父母、

そして、敗戦前に生まれた昭和の私たち。

小学校1年生の私は

学校から「フランキー堺」さんの主演する

「私は貝になりたい」という映画を観てその時は理解できなかった。

 

中学時代は「東京裁判について、君らはどう考えるか?」と

社会科の先生は、生徒に問題を投げかけた。

しかし、この問題は「受験には絶対に出ないだろう!」と

先生は言った。

難しすぎて、永遠の課題になりそうな問いかけだった。

戦争はなぜ起きたのか?

無知な国の無知そのものが罪だったのか?

多くの民族からなる「地続きのアメリカ、ヨーロッパ、EUの国」

「そして、未知なる方向性を持っているアフリカ」

受験の合否もさりながら、

日本の次世代の若者の課題は、地球規模ですね、

戦争のない人生を生きられますように、

本当の、、、勉強に向かって行ってください。

人工知能の及ばない「愛」に向かって、

皆の宝の地球の、エネルギー不滅のサイクルを保存する方向に

発展をメンタルな永遠の深淵に向けて、

PCに負けないで、仮想の発展に惑わされないで、

地球のみずみずしい、大自然の恵みを母として、

永遠の子供の心で居たいと思った、

私の受験時代への想いです。

 

 

 

 


大意は無くて、共有できる心の吐露の日記です。

2017-02-07 13:10:33 | Weblog

 

うっかり「お題の記事投稿」を。考えないでクリックしていました。

受験の記事を、Gooのイベントに投稿しました、

取り消して、いただくには

どのようにクリックすればいいのでしょうか?

このサイトだけで、

友人親族、知人、幼馴染向けに本音を。書くことが多く

写真も、不特定多数に向けて、

公開できるような気分になれないのはご理解いただけますか?

70歳を過ぎたという、足跡を見つめているような

皆と旅した「絆」になる写真という、結束の気がするのです。

申し訳ありませんが、受験の記事のイベントに参加したことを

取り消してくださいませ、

日記帳のように、本音で書き続けたいので、

親しい方、いつも観ていてくれる方、

ほんの 一握りの、

うなづきあえる読者の為に書いています。

記事に同感していただけることだけで十分です、

公開されると、広告がいっぱいで、困っています。

どうか、お汲み取りいただきまして、写真の公開はこのサイトだけに

したいと思います。よろしく、技術的にお導き下さい。

まずは。受験記事のイベント参加の撤回まで。

撤回していただきましたら、又、日記的な個人的な感性で

勝手なことを書いて、観ていてくれる親しい方と

心を共有できたら、、、それでいいと思うのです。

撤回の、ご指導、よろしくお願いいたします。

 


札幌雪祭り

2017-02-04 04:29:17 | Weblog

 

南のお国の観光客も、雪の降らない地方の観光の旅人も

皆、、観ている、、、雪の凱旋門!

雪の力は無限のエネルギーに変換されてゆく。

体操教室のカリキュラムとして、

老人家庭の入口の雪かきをして、

雪だるまにして通路をつくる雪だるま運動ボランティアが

出てきてくれれば、

大通り以外の住宅の裏どうりも、

雪だるま通りなんて、、、厳寒時に面白い

風景が現れるかもしれません

雪の御地蔵さんとか、

いろいろ想像しながら、

ダイナミックな 

雪祭りに、庶民の手の届かない洗練された

商品を感じている。

今年は、楽団が入っていて、、、良いですね。

 


暦の上では春が来ました。そして札幌は雪祭り!

2017-02-04 03:56:53 | Weblog

 

雪が降る,、、降る、、、降る、、、

春は来ない、、、

今日も、昨日も、雪を搔く日々。

札幌の大通りでは、恒例の雪祭りと

デパートの目玉を揃えてアピールで

春を迎えに大忙し。

私が、かえって来れないと知った時から

雪祭りを見たいけど、

一緒に行きたいんだけど、、、

毎年、雪祭りの季節には、短い言葉で電話が来た。

そして、とうとう、雪祭りを見ないまま母は逝った。

銀河鉄道の詩の心のように

雪は宇宙からのメッセージのように

ロマンチックに思っていた母だった。

「もしも、あなたのお母さんが

雪祭りを見たいと言ったら、

軽い防寒ウエア―と

ショールと、

手袋と、

滑らないブーツと

貴方が用意して、

羽田まで迎えに行くべきよ!

教えてくれた知人がいたのに、、、

札幌まで、来てくれたら、

温泉にも、カニを食べにも、

雪祭りの会場を観てから

案内するのにと、、、

母の年になって、知人の言っていたことが分かった。

迎えに行くべきだったと、、、、

今頃気が付いた、、、私は73歳になろうとしている。

雪がいつしか桜の花吹雪になって

懐かしい、、、あたたかな

母の笑顔に変わるのは

雪祭りのころ、お母さん、、、

私は、、、思いやりが足りなかった。

お母さんは、桜の花のように、

雪祭りは知らないで散った。

 


今日の受験戦争

2017-02-02 04:29:46 | Weblog

 

昭和40年代になって

東京府立も都立も

グループの時代に入り

日比谷高校、新宿高校、他、一部の高校を例外に、

都立高校の名門は亡くなりました。

一貫性の教育や、特殊な語学の教育の私立や

海外の高校に留学する学生の時代がやってきました。

目指せ東大、、、というよりも、

東大に何人入学できたか?我が高等学校は?、、、

変な評価の時代がやってきました。

やっぱり、、、東大は指標でした。

*************************

そして今日の受験はどうですか?

アフリカの奥地で、スマホやパソコンが

いきなり高度の知識や映像を

アメのように降らせて、知識のジャングルをつくる時代です。

知識のジャングルは、

中国のように開発をスピードアップさせます。

大気汚染はマスクでふせぎますか?

世界で協力して、大気汚染の近代化は、サポートして

空気の値段を考えてもいいと思いませんか?

 

       (--!

これからは、地球をグローバルにとらえて

本当の、エネルギー不滅の地球に戻せるのなら

2000年前に戻り、、、竪穴に住み、狩りをできますか?

出来ませんよね!

リンゴを食べた現代人は、

スマホが無くては生きられない?

でしょう?

仮想世界と、現実が混とんとして、

ゲームの世界の勝利者をめざしますか?

日本にもカジノが出来るとか?

*******************

商売や、開発や、戦争と、

人間の欲は底なし沼のようですから、

どこかで、皆が協力して、

ここら辺で、、、止めておこうという余裕が欲しいですね。

地球のお医者さんになってください。

見える世界を、

元どうりにするのは困難でしょう。

見えない世界で、

地球のお医者さんになってください。

地球の自然は、芸術家で、科学者で、、、、

神様としか言いようがありません。

建築する企業を目指す方は、

高層ビルの立体の地下鉄が、年をとったらどうなるのか?

地球の姿を、1000年単位の大樹になって考えてください。

理想都市なのは、新しい時だけでしょう?

2000年先にはコンクリートの塊になっているのか?

考えながら、総合的に、開発してほしい。

建物の調和をデザインに絞らずに

地域の気流や、日光をさえぎらない

長いスパンで、心が死なない、

愛がはぐくめる自然の妙に敬意を惜しまずに、学んでまねてほしい。

天地、森羅万象、科学の考察で、

緑のなす役割の大きさを再認識して、

農学部に、建築学を併設して、

建築業界は、農学部の考えをベースにしてほしい。

ビルの飾りや、アクセントに、

樹を奴隷のように植えるのではなくて、

緑地帯が、女性の心をはぐくみ、子供を産み育て、

人類の「愛するはぐくみの心」を守ってほしい。

それほどに、自然の緑地帯は多くの生命の輝きを教えてくれる。

緑豊かな街をつくれば、

人は多くの動植物の命の誕生も、死も直面します。

人が、人間の心を失わない限り、、、

、核戦争は防げると思いませんか?

これからの受験は、科学や知識を競うのではなくて、

科学や知識や、宗教や、哲学、倫理の出来上がった根っこの部分を知って

日本の神社仏閣が、自然林を保護してきていることに手を合わせたい。

だから、若者の入学試験は、知識の、優劣や、机上の空論を競わせないで

鳥の声、花の美しさ、香り、などの記述できない感性を

大切に考えて、企業戦士の予備校にならない工夫の入試を望みます。

各人の知見を述べる

、そして、どんな世の中になる事をめざしているか?

記述式にして、

全ての学生に入学の機会を与え、

卒業は、

一定の考えに達せない場合、

卒業させなければ良いと思います。

だから、、、受験そのものを、競争させない。

夢分けすることで、

子供たちの成長の、方向を見つけるサポートが

大学であると、思いませんか?

人を人として、成長させてくれる大学であってほしい。

大学の教授は、小学校の先生のように、人づくりも

考えてほしいと思いました。

今日の受験は、広き門であってほしい。

卒業は、狭き門であってほしい。

卒業しなくても、自分を見つけた学生には

修了証書をくれて、

世間の臨床の経験学で卒業できるシステムにしてほしい。

大学の研究部門は、社旗人になって臨床に躓いた人が

再び戻れる門戸を広く、

人生を一貫して、大学は、門戸を開いておいてほしい。

だから、中学で頑張ったからとか、

高校で、これが知識だという問題を解いたからと言って

長き100年を、大学受験だけで振り分けるシステムは

改良してほしい。

受験って、学生たちの、救いであり、

分類であってはよくないとおもいませんか?

***

でも、今日の受験は、偉い人が決めた知識に向かって

テクニックを駆使し、受かるしかない。

*********がんばれ****

何も考えずに*****受かることに向かって***ダッシュ!!!