花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

冬が来るのを待ってくれた!!!、、、おかげで滑り込みセーフの北海道の地震対策リホーム

2018-11-30 06:22:43 | Weblog

リホームと言っても、、、

モルタルの亀裂と落下が

かなり危険な大きさで崩れてくるので

壁の全部のモルタルを、

たたいて落として、

分類して運ぶ作業から始まり、プロの仕事の邪魔になるから

3日間は現場に行きませんでした。


この建物は

新築時より屋根が漏れたため 

北側の壁を補強し張替下地をして、

何度か小屋根を部分補修したため

長尺の一枚トタンが3枚つなぎになり

中がストーブで温まるとスガ漏れがひどいので

長い間、使わなくなった家具や、本塁や、キッチンの小物

学術雑誌で、倉庫として、それなりに愛すべき離れ屋でした。

水道のトラブルが続き、水道は契約していないので、

ガーデン用のゴミタンクに「雨水をためて、」使っています。

しかし、今回の北海道の地震は、びっくりしました。

目下危険な状態の亀裂だらけのモルタルを

お洒落なサイデングにする事にしたのですから、、、。

見るからに技術のたしかそうな、説得力のある

建物の根本を愛情で観ているような

仕事にプライドのあるオーラーを感じる職人さんに出逢った。

この人なら、とにかくほかの誰が手掛けるよりも

ベストを尽くして、仕事に取り組んでいそうだという、、、カンが働いた。

結果として今回は

免許保持者の監督するサイデイングに張り替えた。




サイデングにしようと決心する前は、、、このままだと危険だという思いに
落ち着かない日々を送っていた。
ストレスで、頭皮がトサカのように赤くなり

赤ちゃんの脂漏のように
ポタポタと黄土色の浸出液が
顔まで垂れてきた。

不安と、臨時修理を急がねばと
冬に間に合うかどうか、、、

業者を探して、パソコンで検索した。

はじめは、ミサワのアフターに電話しましたが、

実はミサワホームは自動車会社の指導に入り、、、

今は

かってのミサワのアフターさんは一人もいなくなっていた。

実力のありそうな新入りの

ファイナンシャルの出来る方がやってきた。

最近のミサワホームは「お金持が対象のデラックスな

我が家の時代とはうって変わって豪邸になっているようだ。

旧い、40年近く前の「北海道の初期のミサワの建物だけに、見捨てられていた。」

「もう。。。壊しましょう!」

「壊すのを前提で、モルタルの部分治しをして、、、鉄板を張りましょう、、、」

かって、ミサワの仕事をしていたという、、、

依頼された建具屋さんの、おじいさんの弁」

新築時代、、昭和50年ごろである。

めいめいがディーラー毎の実力で

ミサワのパネルを組み立てていた時代だったらしい、、、?。

すでに一冬で

モルタルがヒビだらけになり

何十年か前に修理を頼んだ時に居た下請けさんだそうですが、、、

70歳を過ぎた老人になっていました。

あの時も、組み立て業者が

壁のコンパネにすき間を作らずに

モルタルを直塗りしたことで、ヒビだらけになった。

その時の修理は

「ヒビのモルタルに何かを加えて上からもう一度モルタルを塗った。」(++!

モルタルは重くって、

今回の北海道の地震で畳2畳分が落下した。

はがれた後のコンパネは腐っているのが見えた。

高校生の孫が見に来て、しょんぼりしていた。

近所には国の宝の奨学生の男の子が4人いて、

その友人がわんさときて

サッカーボールで遊ぶから、

ほのぼのと、子育ての頃を思い出して、

元気をいただいていた。

しばしば庭にボールが飛び込んでくる。

「いいよ~~~勝手に入って、持って行ってね^~~~(^^Y

常々、気さくなやり取りで、

子供たちはボールを蹴っては元気をくれていた。



余震の続いちたこともあり、危険防止の一大決心で

モルタルをはがして、運び去り、

北側の漏れ続けていた壁だけは

大工さんが3人入って腐った木材を取り換えて

下地を強化した。

思い出すのも、あきれるが、、、

ありえない素人工法だった時代である!!!

新築の頃、

三角屋根で雪止めをしてあったが、

何とその雪止めは三角部品をトタンの襟をつけた小屋根で

襟部分を

「ねじねじの、、、五寸釘より長い釘で十数本しっかりと打ち付け

上から簡易防水したものだった。」

漏れて漏れて、壁紙をはがすと、、、カビでカビで埋まっていた。

夏場に乾燥したカビを、油絵の具のヘラで取っていて
肺炎になってしまった。

小屋根の下の洗濯場は、ミサワの業者が来て
上から、ベニヤ板を重ねて打ってから、

壁紙を張りなおした。

それからは、腐ったところから、臭い虫の集団が発生して、

台所の流しいっぱいに住み着いて、しまった。

防虫剤を定期的に撒いても、発生するので

いつの間にか、住居の地位から物置に格下げになっていた。

固定資産税は毎年来ますし、、、

にっちもさっちもいかない住宅だった。

リホームばかりに手間暇お金がかかりすぎて、

一戸建てには、当たり外れがあるものですね。

小屋根を外して屋根を吹き替え、

雪止めに変えて、十数年以上たった。

水道も契約していないし、ストーブも焚いていないし

暖房の設備は撤去した。

最小限の屋根の水漏れで防ぐと、物置には使えました。

しかし今回は、モルタル落下が大きな塊のままあった以上

危険防止の工事として、

壊すか、、、サイディングかの二つから選ぶことになった。



ミサワホームの関連業者は「壊しましょう!」


「壊すの前提で部分治しをして、、壊すまでの時間を確保する方向の意見だった。」

その間、

二階のヒビだらけのモルタルが落ちて来たら、

事故が起きる。

当たり所が悪いと命にもかかわる。



私は、ネットで「サイディング業者」を検索した。




ミサワの部分治しも、壊すのも、商業ペースなので、

「家は物でしかない見方」を余儀なくする。

一軒だけ、

我が家と同じ年数の家を

見事によみがえらせた写真付きの

HPを見つけた!!!

ラッキー!!!



見積もりをだして戴いた。

何とか頑張れば老人にも払えそうな値段を出してくれた。


息子たちにも相談して、

サイディングの色を選んでもらい

壁を張り替えた。

長男は、足が出たら応援するからと、言う!

良い子に育てたね、、、トラブルだらけのミサワは―むだけれど。

「ミサワのパネルは強靭」ですから、

屋根漏れの腐ったところを補強しなおせば

壁の木材を腐ったところを

あたらしい木材に変更すれば

サイデングは

重さも半分になり、

家は復活しますよ。」



たしかに、、、

モルタルは落下したが、

今回の地震をクリヤーしているという事は

治す価値がある。


冬も迫った11月からの工事であるから、

屋根の防水塗料は間に合わないかもしれないと

祈るような気持ちで、

工事の進み具合を巡回した。

良心的な、

腕のたしかなサイディングのパテントを持った

中年の監督さんのような人が

はじめから、

終わりまで、工事にかかわってくれて、

屋根のバンキンの甘さからくる水漏れは、

塗装すると、

かなり防水効果があるようで

雪の降り始めた11月の20日過ぎに、

天候の晴れた日を見計らって、塗ってくれた。


冬が今年はどういうわけか、、、天気の方で待ってくれた。

おかげで、今日、全ての工事が無事に完成しました。



旧い家なので、

おしゃれをして、

危険な個所は修理して、

ミサワホームの唯一の。不動だった残された良い点を引き出した。

「パネルが強い」という長所を引き出して、

長い間のもやもやした、、、気持ちがすっきりとしました。

壊すのはたやすい、、、

しかし、家は家族でもある。

今回は、びっくりするほど大量の

臭い虫の巣が、水漏れで腐った木材に有ったそうです。

業者さんの、復活させたいという仕事気質が

ありえない、、、臭い虫の大量撤去という奉仕の時間を下さいました。

物置にだって出来る立派な家を、壊すのは、

夫婦どちらかが欠けてからでも遅くはない。

サイデイングのおかげで、危険撤去できました。

昭和50年

可愛らしい若夫婦がゲットした

「初めての一戸建の家」は

すったもんだのリホームではミサワが解決できないまま

空き家ではあるが、物入れの役割を果たしていたのだった。

そして、、

ついに、、、別の用途で、甦った。

「ミサワのパネルは、、、強かった」という事だけは

間違いなかったが、

そのパネルを組み立て施工して、配管するという工程の専門家が

40年前の北海道ミサワにはいなかったということだろううか?

今回の業者さんのように資格を持っている監督さんが

必ず来ていたら、、、この家は何十年も物置にならずに

社会の役にたっていたダロウ、、、二。。。後悔先に立たず。

今の時代、

素晴らしい技術を持ったリホーム業者が

道内にも育っていたという幸運に有難う、、、。


地震の臨時出費の我が家のピンチも

心の喪失感を防げたことが

「ピンチはチャンス」でもあった。


住んで宿泊するには、内部のリホームが必要なので、

住めるかどうかは、、、これからの問題ではあるが。



可愛らしい、危険でない小さな家が、

物置となっていても

あり続けることはうれしい。

壊さなくてよかった!


子供達を育てた頃の、

思い出が愛しい、、、安物のステンドグラスの模様のガラスシール!


今回は、冬が来るのを待ってくれた

「空の神様に、有難う!」

壊さなくって、、、本当に良かった。



元気をもらえる、かわいい相棒が、裏に居てくれる!

9月から、、、忙しかった毎日ですが、

間に合った!!!

サア!!!来い!北海道の冬よ!!

地震なんかに負けてはいられない冬将軍の来襲です。

正月も、、、あと何日?????

花瓶は40年以上前の三越の画廊で

                 原田壱拾六さんといったかしら、、、
                 明大を出られて、備前に出逢ったと、、、
                 駆け出しのころの作品なのに

           私は個性豊かな力強い作品に魅せられて、
           数回払いで買いました。
           展示会も初々しい力のあふれた備前焼が、

           30歳代の私に、

           買わずに通り過ぎることが出来なかった思い出の花器です。

北海道に嫁いで、思い出の中に
独身の頃の自分が若いまま、友人のように現れます。

           高価なものは結婚以来買ったのはこの花器だけですが

断捨離の心で、
家なし、車なし、風呂なしの木賃アパートの大学院生との
未来が見えない結婚に飛び込んだのに

馬鹿お嬢さんの私立大学生だったころの甘やかされた心が
我慢できない作品に、生々しく反応した若き日思い出がよみがえります。

人は、、、人生の出発と、ゴールまじかで
お洒落な贅沢をしてみると、
実は、多くの人に目の保養を感じてもらっているものですよね(^^

形見にこの花瓶は誰に貰ってもらおうかな?

私の友達なんですよ、、、この花生け。


晴天の霹靂

2018-11-22 04:42:37 | Weblog
ゴーンさんという

すごい方のすごい人生が
新聞の一面を埋め尽くしている今週ですが、

私たちのような凡人からは
宇宙人のように見えますね。

60歳代の定年まじかの年齢に入ると
世界という巨大組織の
巨人たちも、
時代の流れに逆らえないのでしょうかね????
時代の流れというよりは、

見えないし。理解できない「なわばり」みたいな、、、?
西軍と東軍のような、、、?

最後まで去らずに、、消えられる種族が限られているのかしらね?

ワンマンにならなければ、オールマイティな組織力が
きちんと「ど穴」を見つけて修復できたかもしれません。

人生にも滝があって、

次の流れがはじまるのですかしらね???
ヨーロッパのEUの不安定な動きなども
時代という大河の流れに影響しているのですかね?

時代が大きく変わるとき、車が空を飛ぶ時代が来る前に
地上の星は、真昼には見えなくなるのが自然かもしれない。

さっぱり見えないゴーンさんの
事件ですね。

あれほどの人でさえも
税金申告の事務手続きの統制が
できなかったのでしょうかしらね???

ゴーンさんだけ、、、0.。。。0.。。0.。。記入?

税務署は、

看板になっている人が

お金を動かしていると考えるのは

当たり前のように考えがちですが、、、

TVの見すぎかもしれませんが、、、

世界の見えない大きな組織の
見えないお金の回遊があるような気がします、

日本は田沼意次の悪政が、

私の子供の時代には教科書にも出ていました。

しかし、、、昨近の教科書では

経済のセンスの先駆者だったように

幕府にお金を納金させることの大切なシステムに気が付いていたという

別の見方が教科書の世界ではあるらしいですよね。

そうなると、

田沼意次は、、、平成時代が終わるころは

教科書には、二宮金次郎の代わりに

お手本として写真が掲載されるかもしれません。

ゴッド、ファーザーの映画のように

アウトローの世界の上納金のようなシステムが

見え隠れしてきます。

社会を正しいことしか通用しないと信じてきた庶民と

正しいことなどないんだという

ウソの世界を生きる映画を観ていると

実は映画の世界が本当のように思えてきたりする。


サミットの時にも

国賓に万一の時にと、

救急病院が指定されるわけですが、

若き日の主人も、

頼まれたわけでもなく、

残業手当が出るでもないし

義務があるわけではなくても、

国の威信がかかるイベントだけに、

北海道に世界のビップがいらっしゃるのですから、

何かがあれば、一番運びやすいところに

運ばれてくるかもしれないという

水も漏らさぬ緊張感で、自主待機していたのだと思います。

道内には、北大、医大、旭川医大、、、教職員組合病院や、、、自衛隊病院など

いっぱいあるのだから、、、帰ってきて!!

男の社会はわかりません。

「皆が頑張るときは、野球のボールが来ても来なくても、頑張ってベースを離れないのが
野球仲間というものだとか、、、?」

電話をしても、わけのわからないことを言いながら、、、帰ってきませんでした。

サミットが終わって、ず~~~~と後から聞いたのですが

体調不良が起きて、どこかの国の偉いお人が、、、受診に見えたとか???

どこに運ばれたかはわかりませんが、、、

24時間勤務が20日間続いたことが有ったという事です。

個人の日記のプログですから、思ったことを吐露したいのです。

「家のことも、、、考えてよね!。

私と仕事と、、、どっちが大事なのよ!!!

、、、もしも私が言ったとしても、

「答えは決まっています、。。。家内が居るのも忘れていた、、、と。」

仕事馬鹿で、仕事が生きがいで、仕事をしている限り、、、ボケることはないと思った。


サミットの時は20日間も自宅には帰りませんでした。

万一、、長旅や緊張で、お腹を壊す人が出たところで

表向きで、報道さえる病院に、運ばれてゆくはずだから

安心なのに、、、同業のエチケットなのでしょうかね?

公立病院や自衛隊病院が、待機しているし

各国の政府の要人の担当責任が発表されていても

いざ、実際に、小さな体調変化が有った要人は

どこに運ばれてくるのか?

その日その時点での社会情勢によって

報道された責任病院には

空席のまま

ドクターヘリや、

自衛隊ヘリが向かう場合だって

考えなければならないのが、業界だとすると

国家単位のガードの世界だとおもいませんか?

つまり、、、普段は国立だ私立だと順番つけていても
いざ、世界のイベントの責任となると

日本は一つになって、足並みをそろえるという

愛国者だと理解していいのですよね。

家庭に閉じ込められてゆく日本女性は、

頓珍漢な理解をすることが
あるかもしれませんが、、、

経済のロンダリングも
今一つわからないことだらけです。

なんで?ネット貨幣が成り立つのかもわかりません。

株の世界のTVで報道される用語も、
まるっきり理解できてないまま、、、ダウ?

公務員の優秀な

お勉強をクリヤーしてきた人の

考えだと解るような気がしますが

本当に権力を握っていて
お金を動かしている人は

どこにいるのか?

当て馬のように、お金をかけて、待機して、

実際に金銭が動かない時だって、

民間の役割として
待機せねばならない
業界の順番だってあるわけですよね。

責任の生じる公営ではない民間の病院には

各自の愛病院精神で、国防に参加できるという

誇りを感じて、自発的に泊まり込み

金銭も自発的に、万一に備えて仲間同士で支え合う気風で

厳戒態勢に、報道されないまま、基幹病院は万全の態勢で準備する。

実際にマスコミで、発表された動きをすると、

世界の国の要人は国家事情がそれぞれ異なるだけに

予期せぬアクシデントに備えるのが

民間の病院も、医療レベルを維持しながら
設備も、スタッフも頑張りますよね。

レベルの維持は各自が自発的に頑張ってできるものと、
控除が無ければ、後回しにされるものもあります。

男性社会の日本は

女性が差別されるのは今更始まったことではありませんが、、、

恵まれた条件で一部の女性たちが、大臣まで出世してゆくこともあり
時代が代わりつつあることは感じますが、、、

やっぱり、、、矛盾も感じながら

国会討論番組をTVで観ています。

蓮舫さんは、、、やっぱり「美人だから、、、得をしてると、、、」

感じるのは、美人への嫉妬ではないと、断言できます。



水面下の動きがあることは

TVの「アナザーストーリー」などの深夜番組にて

茶の間にも、

びっくり社会の裏側が放映されるこの頃です。

「相棒」「銭形平次」「水戸黄門」、、、

「お前もわるよのう。。。」

悪代官と自分ファーストの商人のセットが出てくる。

税務署も国税局も、質素倹約のまじめな庶民の

ひたむきな性格で正しいことがあると信じてきている庶民に

当て馬の名誉の役割を与え、
一時的に用立てられた金銭の
仕事の表面に目立つ時だけ、一時的に
あてがわられた瞬間の月給が報道されることだってあるし、
帳簿に記載される前や、
実際に事件が起きなかった場合に
返還される前の金銭が

帳簿になる「期間限定」の状態のときが
TVドラマのように有ったとしたら、
窓際太郎の査察のドラマのように

どこに真実があるのかわからなくなります。

何十億という金銭の流れが

いろんな国を経由して、

博打や、ゲームや、イベントで

帳尻が合わなくなったり、

詐欺事件や、さまざまの、帳尻が合わなくなる出費で

税務署には申告するべき領収書のない出費だって人生にはある。

姿かたちも、何が何だかわからない出費だってあるものだ

追跡できないルパンはこの世に何人も存在するから

TV番組は、、、視聴者を確保できるのでしょうね。

ゴーンさんの

一個人の報告されない収入だなんて????

億単位だなんて、、、????

青天の霹靂です。

本当に、、、ゴーンさんの

一個人が、、、こんな問題をおこせたのでしょううか???

「アナザーストーリー」が隠されていたとしたら、

日産を救った凄腕の人物を

表面の金銭ロンダリングで

判断してしまうことになりませんか???

我が家の医者バカの主人も、

忙しさに任せて、

税金報告が税理士さんに任せきりですが

規模が小さいので、

これ以上払いきれませんという限界の税金の中で

この年まで頑張ってきています。

北海道に地震があり

モルタルの亀裂や落下で

全部モルタルをはがして、サイデングにするという

リホームの最中ですが、

北海道には地震被害が目立ってなかったこともあり

火災保険は入っていても

今回、モルタルの落下した家の労災保険は、火災だけで

地震保険は入っていません、

半壊にもならないモルタル落下キケンは

近所からは、子供が入らないように

綱を張っておけば、大丈夫よ!、、、と言われても、、、

自発的な地震対策で、余震の続く中

臨時出費に参っていますが、モルタルを撤去するか、壊すか?

二者選択です。

税金は、もっと大きな被害を受けた地域に、支払わねばならないのは

納得も行きますので、

災害特別税金として、復活を祈って、心からの祈りで支払えました。

何百万以上の税金と

他に特別税が続きました。

税金を支払えることは国民として義務を果たせることですから

若き日に 一か月280時間のタイムカードの実績の上に

やっと手に入った不動産も、処分して義務だけは果たしてきましたが、

医者は高給取りと思われているだけに

自分たちが困ったら、どこも助けてはくれないという

排水の陣の緊張感で頑張ってきたことを振り返ります。

老後の事も、備える必要がありますが、、、

孫子の応援も大切ですよね。

お客さんをもてなす職種は、病院に限らず

設備もさりながら、各個人が、

むさくるしくならないように

頭脳の中から靴下に至るまで
維持管理費をかけますので、

税務計算で控除にならない自己管理費が莫大です。

社会は「贅沢」とみるのかもしれませんが

裏で支える雑務責任者の家内には

人が頼ってくれて、先生として、患者家族の方々からも
必要とされる「人格」を維持し続け

時代の移り変わりに置き去りにされないためにも
医師の頭脳のバージョンアップのインストールの費用が必要です。

つまり、、、お客が来てくれる人間力の維持は

税務計算では表現できない出費が必要になることは
どなたも知っています。

日本は資源が無い天然の堀に囲まれた島国です。
手っ取り早く言えば、
人間力で生きているような国ではないでしょうか?

宵越しのお金を持っているようでは
時代についてゆけないほど、

全てにおいて、バージョンアップの必要なスピードです。

理屈に会おうが合わなかろうが
お金の払えるゾーンの人間が
日本を支えてゆく税金を納めなければ
日本は置き去りになるという、、、恐怖で頑張ってきました。

しかし、、、東京大学も、世界の20位とか、、、?

教育水準も下がり、
日本人の最大の売りである
機転の利く頭脳が役に立たなくなってしまう。

機転の利かない
鈍感な人間の国になってしまっては

スマホを奪ってしまえば
何もできない群衆になってしまう。
ロボットの主役の
下剋上の世界がやってくる。

本当のお金の流れは
庶民の私たちには
まったく見えません。

大きな目で理解してくれるのなら、
勤務医にも多くの控除があるでしょうが、

開業の先生のように
多くの従業員の家族の人生を背負う給料を
しっかりと背負う義務が無いだけに

主張する時間を診療に没頭してゆく、

年金の申請も空しいものがある、

長老になっても
年寄りの健康状態は年寄りがよくわかるだけに
昔からの患者さんが頼ってきてくれる。

病院では医師にプレゼントは禁じている。
しかし、、、手作りで
正月の「イクラ」の醤油漬けを持ってきてくださった、、婆ちゃん、、、

主人が30代のころから、、、来てくださる、、、とも白髪、、

弁当箱に入った手作りの、、、「イクラ」、、、

有難う、、、と言って、受け取ることが、治療かもしれません。
おばあちゃん、、、長生きしてください。

かなり高い金額の年金加入金を支払い続けて70歳をとっくに過ぎても、

仕事のある医師は年金の支給がストップになる。

要するに、税金の控除は
サラリーマンには
痛しかゆしの、、、かゆいところには手が届かない。

付き合う同窓生は、開業等で金銭感覚が違う。

「日本丸」「クイーンエリザベス」りぴたーも居る。

話題に出るから、、、知っておく必要があると思い、
TVの業か客船の番組は見るようにしている。

我らサラリーマン医師には
ちょっと、、、手の届かない税を尽くしたたびであると思っている。

でも、、、日本丸ぐらいには乗れる!

利尻島まで10男前後で行ける。

豪華客船の雰囲気だけでも楽しめると思ったが

主人は、全てのイベントには顔を出さず

ひたすら船室で、、、爆睡!!!

デイナ~まで、船室に運んでもらって爆睡していた。

10万で利尻島の日本丸に乗ったのに、

イベントに参加したのは私だけでした。

豪か客船も、路線バスも、主人に取ったら、仕事を離れた爆睡空間なんですね。

「二度と、、、主人とは、船旅はしないと、、、思いました。」

この次は15万ぐらいの瀬戸内海を、生き残った級友と、
女同士で、行って診たいとは、、、思いますが、、、

主人とは、、、こりごりですよね。

こうした、、、贅沢な時間の費用を貯めるためにも

その分を、家内が労働で補い

よろず引き受け業の

グローブのような手になって

明日の出発に備えるセットアッパーの

雑用主任になってしまう。

それでも、、、非日常の3日間が無いと、、、
主婦を続けているとストレスで爆発しそうにもなる。

旅は良い、、、一年に2回ゆけたら最高ですが
今年は一度だけ、二人で10万円の

KKRのホテルで,懐石料理を楽しんできた。

地震で壊れた瀬戸物や、グラスをそのままにしたまま。。。

片付けは、、、長いスパンで考えないと

気が狂いそうになる、、、主婦の出番が続く。

休め!焦るな!長いスパンで片付けよう!

まず、、、旅行しよう!

客観的な外側から、北海道を、我が家を

突き放してみることから、、、考えよう!


控除があれば、人を頼み、
本来の薬剤師の仕事を出来るから
社会にも貢献できるはずであるが、
今日の病院は

民間の会社が経営であり、
医師は雇用されている。

外向きには、、、院長だったり

或る時は理事だったり、、、

あたかも権力と財力を備えた名誉のある職業と受け取られる。

実権を持っている人は誰なのか、、、誰にも見えない。

ひたすら医師をしているだけの医師にとって

次の時代

父という医師に育てられた感謝の念で
他人であるが、同じ外科医の主人の舞台裏で
明日の出発の為のスタンバイ状態を請け負う裏方に徹することが出来るが

孤独な戦いの人生です。

自分も薬剤師なのだから、
社会参加をしたいと
認定は6回18年講習もレポートも提出し続けた。

主人が単身赴任したときは
一度も、訪ねる時間がなかったが
正職員に成って薬剤師をしながらの育児は充実していた。

国立病院の医長をやめて
札幌の民間の病院に戻ってきた主人の裏方が始まったとき

薬剤師という専門の責任ある仕事との両立はむつかしく

やむなく、家庭戻ったが
収入のない現実は自分の個室も返上のお手伝いに甘んじている。

日本の女性は差別される傾向が強い。
結婚も本人の意思は無視される時代に生きた。

主婦という外向きには家庭の権力者に見えるが

雑用係の便利屋で、

自分で薬剤師をして社会に参加しているときのような

確固たる役割が果たせない。

サポート羽しても、サポートしてくれる人が居ない、

収入の交通整理と配分の分類や支払い管理に

的確な主婦はジムは任されるが

現実は月給をもらえない。

外向きには家を動かしてゆく担当者であっても

自分の事となると、

母の葬式にも参加してくれないのが現実である。

家は2軒40年前の物と隣に建てたパルコンとあるから

近所からは2軒もあると羨ましがられる。

現実は、管理せねばならない家が2軒あるだけで

転勤や短期出張の多かった主人の持ち込んでくる雑貨で埋まっている。

単身赴任有は医長という忙しさの中、
家事をやってくれる奥さんが、付いてきてくれなくて
札幌に居座ったまま
薬剤師に復帰してしまったわけであるから

心臓の手術をしながら選択する時間は無かったのだろう、、、。

靴下も下着も、次々と買っては使う生活だったのだろう。

赴任してゆく時、

私なりに二重生活の出費に耐えながらも

自分で生きているという実感もあった。

別居生活は自由があって自主性があって快適だった、

しかし、、、子供たちが私立大学に進学する以上

国立病院で医長などしていたら

金銭破たんするのは自明の理であった。

黙々と。薬剤師をしながら、、、

国立病院で働き続ける主人がどう動くのか見ていた。

「開業しませんか?」

銀行は病院経営の分厚い資料をもって
客を探しに来た。

10億お貸しします。、、、

銀行がオーナーと同じことである。

主人は良医ではあるが、経営者としてはどうなんだろう?

私の父は総合病院の院長だったこともある。

自分のビルだっただけに

考え方もバンカブルなダイナミックな社会はだった。

戦争で、あっけなく失い、自宅も失い、、、、

この世に、家も病院も不動産は国の物であるという基本を学んだ。

病院という設備が国の物であり、銀行が経営者で

見せかけの権力の院長という

万責任を負う輝かしい位置で

肉体労働に際限のないノルマがかかるのが
開業かもしれません。

主人は、、、全くの、、、医師以外の何物でもない。

私は銀行からの分厚い開業への誘いの資料をそのままにした、

忙しかったせいもあるが、、、単身赴任先には転送しなかった。

やがて、、、札幌に私立の巨大基幹病院の立ち上げが始まったとき

大学で講師になってからの単身赴任の主人に

教授から直々に、大学関連病院としての

先発隊の立ち上げ時代のスタッフの命令が来た。

医局長やら、同門の役員やら、、、講師やら

大学が親方のような医者の世界は

私にはわからない事が多すぎて、

開業という、経済のロンダリングの世界の世界で

泳げる主人ではなさそうだと感じて、

開業に資料は、主人が帰還してくる前に捨ててしまった、

いきなり幹部で私立の病院に勤務できた主人は

外科医として医者であることに徹して生きていった、

外向きには院長だったり、役員だったり、

あたかも権力のあるような肩書の地位に就くが

一医師である以外の何物でもない地味な性格で医師に徹した。

立場や肩書で、月給は必要経費を含めた額が支払われ

病院の役割を果たすためには必要最低限であった。

しかし、、、世間や税務署から見ると、

一か月近くも還れないような激務が有ったことなど

誰も知る由もありません、

現在は20人以上で動かしてゆく外科も

たった4人で大学関連病院の高度な技術の必要な

外科の立ち上げ時代を担当していた、

主人は家庭と長く別れてていたせいもあるのだろう、、、

病院が居場所となっていた。

医師をすることが、主人の生きがいだという感じがした。

諸々の肩書がついても、、、権力や経済力には無関係だった。

外向きは院長という肩書であったときも、

医療に生きがいを見出していた。

権力も、経済も、

主人の肩書を通過しているように世間からは見えても

実際のそれらはどうなっているのか?

知る由もない、、、ひたすら医療に没頭していた、

税金は国のエンジンであるから、

税務署や国税局の言うままに
納めさせていただいたが、、、

エリートの国家公務員の知る由もない

経済界の流れの中で、

院長も理事も病院スタッフの中の

仕事上の役どころであって

姿なき影の権力者は、、、回りまわって、、、やっぱり国なのだろうか?

ゴーンさんは、、、本当に本人がよくばりだったのだろうか?

もしそうだとしたら、、、
あれほどの人が、、、「帳簿の¥0」の記入を
人任せにするなんて、、、
脇が甘い人なんだろうか?

そんなに脇の甘い人が

あれほどの功績のある日産倒産寸前の処理をやってのけれただろうか?

日産や東芝事件は名門の破たんでびっくりした事件でしたが

立ち直らせた凄腕の人たちが

逮捕という現実が、ジャンヌダークのように

人間の社会は、青天の霹靂が多すぎると、、、おもいませんか?

本当に悪い奴らが居たとしたら、、、?

姿が見えないのが人間世界ですよね。
私たちのような小市民でも
何が何だかワカラナイ
税金の申告や、事務を

税理士さんに任せっぱなしですが、
歳をとって、、、月給が少なくなってくると

税理士さんが「自分で申告できるように教えますから、、、」

老人家庭の個人の申告で
手数料をもらうのは、申し訳ない、

、、、というのですが、、、

自分で書くのは、なかなかできない者ですよね。

昭和30年代の頃でした。
明治生まれの父母にとって

戦争の続いた人生から、
軍隊が消えて、自衛隊の日本になり

戦争の後片付けの時代に入っていました。

父が卒業した大学が
東京の芝公園の近くの
慈恵会大学でした。

第二次世界大戦が終わるまで
激動の人生に翻弄されながらも

「病気を診るのももちろんであるが、

病人を、丸ごと、、生きてる時代や、環境や家系
置かれた立場から、診れる医師であろうとする父でした。

敗戦の激動期に熊野の森の村に疎開した時に
私は13歳まで南紀の川や魚たちや

宝石のように輝きながら水面に飛来するカワセミなど
自然の動く芸術の中で

水の音、竹藪の笹のの奏でるオーケストラの中で

トライアングルのような、、、虫たちの鳴き声にハッとしたり
クリのみの落ちる音

せせらぎの大岩に落ちる雨だれにも似た「椎の実の雨」

早朝の朝顔に宝石の露が一筋の光を反射させて

子供たちには「敗戦」も「戦後」も
天与の恵みが、心を豊かにしてくれていた。

村の診療所は、戦後の人生を抱えた「病人」であふれていた。

鮎のはねる洪水の川、恵みと被災を受けながら

ランプと

提灯と

蝋燭が

山村に小さな灯で、自然の一部のような村が活きていた。

男の子たちは「大人になったら吉田首相になるんだ!」と

鼻水を垂らして言っていた。

診療代金は払える人は少なくて、

クリ、ヤマモモ、鮎、ウナギ、鯉、、、ETC,,,
税金の申告など、、、あったのだろうか?

あれから、、、70年

後期高齢者になろうとする74歳、、、

男社会の日本のシステムの中で

女性は「欲は禁物と悟りなさい、」

男たちの社会進出を、ひたすら背後で応援して

家を守るのが女性の役目だと、、、大人たちは信じていた。

女の子と男の子と、同等に扱われることはなかった。

戦後という平成の時代、

世界とともにあることの大切さを

一人一人が自覚してゆかねば、、、

次に戦争が起きるような未熟な人間群を育ててしまっては

科学と人工頭脳の、

がん細胞のような分裂を繰り返す世界からは

緑の消えたコンクリートジャングルで

ストレスに敗北した人間が、どう動くのかを

人工知能は予測はできないだろう、、、



開発する都市には、真ん中に皇居のような緑地帯を設計することで

明治神宮のような「森」を創ることで、

人間の原点を、無意識に受け入れながら

本来の人間という生き物の生態系を揺るがす環境の変化。

コンクリートジャングルの「蜂の穴生活を通して、

ストレスを回避しないと

スイッチの一押しで地球は破壊される時代が来てしまったと
科学の進歩を

喜びと苦しみで受け止めている。

ゴーンさんのような優秀な人でも

組織として、私利私欲の報告書が事実なら

個人としても私利私欲の欲張りが

あれほどの企業実績をあげられるのだろうか?

人間は自然とともに生きないと「欲張り」になるのかな?

「自動車」は、

私が初めて愛を感じた「ロボットです、」

ロボットだって

「愛せるし、車は信じられる友人でもあります。」

ゆくゆくは、、、もっと、、、年老いて

ロボットの介護も斬新であるが、

コンクリートジャングルの都会の発展の法則を感じるとき

核家族の限界を感じるこの頃です。

国民番号も、スマホも、パソコンも

一歩、、、間違うと、、、

人間性という万能の神がやどる「愛」が

封じ込まれてしまうのではないかと思う。

そのとき

**********************

自己愛と、権力欲と、名声欲が

がん細胞のように周りを貪食する。
**********************

科学と、愛は同居できない。

今夜は、、、疲れてきたから、、、考えるのはやめて、、おやすみなさい




ゴーンさんの新聞記事が難しいので

私は、「史記」を引っ張り出して読んでいます。

我が家の実家が、、、再び東京に戻れた昭和30年

日産の車は高級車として君臨していた、

立てライトの日産セドリックが懐かしい

ハンドルは重くて、、、運転には力が要ったっけ、、、。

ゴーンさんは企業の世界のスーパーマンだという印象が強い。


自動車の世界は

たしかに、、、世界の経済の大きな部分を荷なっていますよね。

フォードやランボルギニー、ポルシェ、、、
さすがにドイツは「ホルクスワーゲン」、、直訳しても民衆主役。

そして日産、、、トヨタが続いてスズキとか、、、

学友はスバルにのっていた。
自動車の世界とスマホの世界は似ていますね。

バスもなれるといいものですよ。

主人と結婚するまでは、バスに乗ることがまず、、、無かった。

結婚してから、、、風呂のない17000円の家賃のアパートの住み始めた。

2か月もたたないうちに階下から火が出て

結婚の前から持っていた服など、家財一式失った。

日赤が、毛布を下さった。

大家さんは改築するから、と、、、平謝りであるが

一か月だけ家賃が無料になっただけで

3か月は実家と出張で救われた、、、。

「車が必要だ!」、、、車を買って、救急道具を揃えた。

キャンピングカーが有ればいいな、、、と思ったりもした。

自動車、、、自動、、、車、、、スマホは持っていませんが

若ければ、一番先に。自動車と、スマホを買いますね。、、、たぶん。

70歳も半ばになると、ガラケーで、、、最低の機能があればいい。

次の世界は
ホンダが考えているように

空中を走る自動車の時代が来るかもしれませんね。

交通インフラは、大きく変わり、倒産が相次ぐインフラ革命、、、何てさ!

もう、、、私は生きていないよね、、、きっと。

ゴーンさんの世界を飛ぶ回るビジネスも

次の時代は、稼いだお金を使う暇のあるビジネスモンスターが

出現するのでしょうか?

サイバー空間で起きることには

もう、、、

時代が読めない

経済の支配者が、マンションの一室でキーをたたきながら

ヤフーで、買い物?

若者たちヨ、、、年寄りの時間を動かすことの

お手伝いをしてください。

歳をとっても、、、介護で足を引っ張らないように、、、

ロボット介護に熟練しておいて、

自分の面倒は、自分で診るという、、、

いわゆる、、、自動車のようなロボットに

恋する未来を感じます。

40歳の時、薬剤師として再就職したとき

自分で買った、自分のインスパイヤは

結婚生活で、唯一の自分の部屋ですが、

世の中の、凄腕のビジネスマンは

結局、結婚して、働くための手となって、

そこに、居場所があるだけの「社会の主婦」かもしれませんね。

社会の、旦那も、

社会の旦那の表札も、、、見つけられないまま

社会の主婦かもしれませんね。

家も、、、物も、、、名誉も、、、地位も、、、断捨離にはかないません。


税金が払えなくなったら、、、断捨離、、、で。

自然の一部となって、、、、さようなら。


年寄りの時代と若い世代

2018-11-19 02:17:36 | Weblog
原始時代の生き物と近代の生き物の共通点はどんなところ?

決定的に違うところはどんなところ?

今、シーラカンスのように

古代の生き物が生き続けている環境と

新世代のメダカでさえ

新種しか生きられそうもないという原因はどこにあるの

テレビは若いころの欣也ちゃんの銭形平次と

スーツが良く似合う相棒と

見事に共存共栄している年寄りの脳の記憶の世界。

お年寄りは、両方の劇場の剣を買うでしょう。

藤田まこと、、、歌が上手ですよね、

どんなシビア―なドラマに出ても

「ドラマの世界」だからと

筋書や時代の世相を「お芝居の世界」として

知ってる俳優さんとして

茶の間の菅井きんさんや

その娘になったような目線で観ている自分に気が付くとき

テレビという「お茶の間の劇場」の役割は

年寄りたちの生きてきた時間を、自覚させないように

「時間を止める」、、、役割を果たしているかもしれません。

しかし、、、NHKの「とうちゃこ、、、」は

どんどん年寄りになってゆく自転車の主人公が

今を走っている。

緩やかに流れる田舎の時間の中を

緩やかに時間が動いている。

昔の放送番組の作品でも

時間は緩やかに、、、流れている。

たぶん、、、たぶんですよ、、、

大自然の今の時間は「止められない」。

そして「自転車の主人公」は

シナリオも、おしゃれも、人間性も

実に、、、実に、、、周りを壊さないおしゃれや

おしゃべりや、振る舞いが

自然のままで、環境に受け止められている。

釣りの世界で、「フナに始まり、、、フナ。。」という感じの

一回りしてきたフナ、、、万感の思いの「今」を感じます。

茶の間の時間を止めるのも

緩やかに動かすのも

スポンサー次第かもしれませんが、

オオドリーヘップバーンが

車から降りるシーンで

ルイビトンのバックが光っていましたが

テレビの商品のコマーシャルを

ドラマの中にさりげなく、

観客が意識しない中で

「素敵のシーンの感性に、売りたい商品を出せば、、、」

きっと、潜在意識の中にインプットされて、

街に出たときに、、、無意識に購入という、、、。」

そういう経路で、

ベストセラーはロングランとなるように思いませんか?

若かりし頃、美智子様のお召し物が

ベストセラーになった時代に

私は、まぶしいようなお帽子が忘れられません。

テレビの影響は、

老人の人生の最も大切な残り少ない時間を

止めたり、早回ししたり、緩やかに動かしてくれたりできる

時間の調節の役割があることの不思議を感じながら、

北海道の地震の被災地を見舞われた

両陛下の「平成時代のお姿」は

平成の平和な時代に生きた私の記憶の時間を

いつ何時、、、どんな時間に生きていても

平成時代に時間は止まっていると思います。

平成時代は 

両陛下が国民とともに生きてくださった時代であると思います。

国民の中から、世紀の恋と言われた皇室の恋、

皇太子さまが、、、長電話をかけられたというロマンス。

そして、男の子と女の子の母になられて

ご自身の手で育児をなされて、

皇室のお子様方が、のびのびと

子供時代を過ごされて、

早朝には「皇室のお子様方のTV番組」で

国民とともに大きくなられました。

「平成」の時代に生きてこられたことは幸いでした。

時間は地球上、同じ速さで動いていないことだけは

たしかなことだと、、、感じるのです。

手塚治虫さんから、いただいたはがきは

手塚漫画に夢中になった

私の学生時代の時間を止めています。

歳をとるという考えは

時間が流れてしまうという事なのだろう、、、きっと。















11月は10日ぶりに記事を更新

2018-11-15 05:55:40 | Weblog
9月に地震が織って以来

昨日も余震。。。。

両陛下の北海道のご訪問に、

どうぞ、、、降り立たれる場所の安全でありますように、、、

万全の安全対策を、国民の一人として

願う次第です。



個人の日記帳のようなブログですが、

側近の方々の地震からの防衛が輝くときです。



我が家の若いころ買ったマイホームが

今回の地震で畳2畳分のモルタルがはがれて

前面に亀裂が入り、

余震の度に亀裂が増えてゆきました。

ご近所の奥様に相談したら、

「お隣に引っ越していてよかったわね!

とりあえず

≪危険につき入らないでください≫

綱を借りめぐらして、ポスターを下げておくのはどうかしら?」

知恵を借りました。


2か月余り考えた末、

家をおおっているモルタルを

全面において剥がして、運んでしまいました。

倒れると厄介になる、、

二階の屋根をはるかに超えた庭木のヤマモミジは

下から60センチ残して、

伐採してトラックで運んでしまいました。

これで、

大きな地震が来ても、人様の上に落ちてくるものはありません。

すぐ前の家の

めんこい5人の子供たちが

サッカーボールをけり入れても

彼らは安全です。



さて。。。見苦しくはがれた壁も煙突も

サイデングして

心理的なマイナス面を、前よりも良くすることで

修理工事が進んでいる最中です。


地震保険は全労済には ないようなので入っていません。

臨時の後期高齢者にとっての臨時出費は困ったものですが、

油断も隙もありません、

まだ揺れている余震が緊張を緩めさせない。

心の元気を買い戻すためにも、、、



頑張っています。



報道された清田地区には

農林試験場の丘を挟んで隣の地区ですが、

しっかり締まった火山灰地なので、

これくらいの被害で済みました。

我が家は坂になっていたタケノコ山の斜面を

7割がた平らに切り

残りの3割に火山灰を盛り土して造成したところなので

天板の「地耐力」が、切土と盛り土では差が出来てしまい、

揺れが不規則に動き、被害に及んだものと推測できます。

修復は、もう、、、モルタルは塗らずに

軽いサイデングで、リホーム中です。

足場とネットに覆われ、修理中の我が家の古屋も

キケンなモルタル壁はサイデングによって、

また、元気な少年たちの早朝のサッカーボールが飛んできても

怪我をする要素はトリ除きました。

水道や、電気回線や電話線、ネット線も引き直しです。

屋根は、見えない亀裂に見える亀裂が目立つので

煙突はトタンで板金で全面覆い、さび止めを塗ってもらい

ペンキ掛けに進むところです。

全壊でも半壊でもない危険崩壊の部分修理が全面で

臨時出費にくたびれてしまい、疲弊していましたが、

雨でも風でも仕事する

「イケメンのお兄ちゃんの仕事ぶり」を観ていると

次代の頼もしい若さを感じて、

私も、元気をもらえたような気分になり、、、

初雪が来るまでには、、、やらねばならないことが見えてきて

復活しました。


リホームの家が地震保険に入れるのなら

今度は入っておかないと、、、

孫子の時代の臨時出費が

ローン地獄のなっては大変ですから、、、

、、、???????。。。待てよ。。。

その時は。

壊して

すっきり売ってしまって

家族で旅行でもしてるかな????



お人よしは、馬鹿のうちかもしれませんね。

自分の残された余生の事だけ考えて、

安全対策をすることが、、、年寄りの役目だと、、、

思いなおすと、、、



荷卸しした筈の子育ての時代の記憶が

走馬灯のように思い出されて、

近所の十数人の子供たちが、、、まぶしく見えてきました。

我が家より、、、

もっともっと大変な地震被害者の皆さんの事を思うとき

本当の復活は

「喪失感を克服したときかもしれない!」、、、と

人の心と、思い出のある物品との

厄介な心のかかわりを断ち切ることが

復活への第一歩かもしれないと、、、、誕生の原点に還ってゆく。


ピンチはチャンスでもある。

物から心を離して

神仏の見えない気配の中で

即身成仏の強いお人達の

見えない世界の悟りを考え始めても良いかもしれません。

元気が取り戻せるのなら、、、、何でもやってみよう!!!

心に一輪のバラを咲かせるのは

前に進むことだと思っている。



U-tyu-bで生かされてきた時代の努力を知りました

2018-11-06 03:09:58 | Weblog
ユーチューバーという言葉は久しく使われていて

70歳代にも、新しい感動や、思い出や、驚きを運んでくれます。

平成時代の「戦争が無い時代」

この、努力のなせる平和な時代に生きれていることの感謝と

人間が神の域に入り込んでしまった科学戦争によって

破壊されてゆく命を通り越して

分解されてゆく地球の未来があってはならないと

原子爆弾の唯一の被爆国の日本が

世界外交を通して、

音楽や、芸術手段によって

世界が注目する平和への研究手段によって

はたまた、、、未来に子供を産むのをやめてしまった逃げの一手?

理由はわかるまでには

まだまだ、、、生きてゆかねば方向が分かりませんが、

間違いなく、日本は皇室外交によって

戦後の国民の精神の疲弊から救われたことを

父母の懐に逃げて震えていた子供のように

我とわが身を振り返りながら、思います、

敗戦後の日本は、、、戦争を勝ち負けの次元では考えなかった。

世界が一つになって、平和という生活のゴールに向かって

全員が努力をしてきたと振り返るのですが

日本の国民の日本人という魂の居場所が守られたことは

感謝です。

泥試合にも似た国会の質問や答弁を聞きながら

日本は、世界の後進国に訪問して、

もっと洗練されたレベルで、外国との共存共栄、文化交流、技術交流を

工夫してゆかないと、戦後の東大生の青い鳥を追いかけて

自分自身の栄光と、勝利のためにさまよってゆくと

お尻で踏んでも割れない拡大鏡の世界に頼ってしまっては

マスコミで取り上げる拡大鏡で見える事件のパッチワークが世論となって

国会答弁のような、時間が興味に集中して

北海道地震で樹木事雪崩落ちた地層が持つ恐怖を

読み切れないという、、、被害は避けられなくて

日本全土の

共通の住宅地としての許可地域の

見直しにつながると思いました。


同様に、これからの日本は、世界の国は皆、親しい隣人で

混血の結婚も考えてゆかないと

同じ種族の何代にもわたる結婚がもたらす奇形や、障害に

どのように対処してゆくか、?

グローバルな時代が来ております。

大阪ナオミさんや、ダルビッシュ選手や

混血のすばらしい面をまじかにTVで見ながら

島国の日本の素晴らしい純潔性と

混血性のすばらしさのバランスが

未来の日本人の世界からの認識を担うものと思います。

スポーツの番組で、

体操のデリケートな美しさは、、、

日本の純潔のなせる成果かもしれないし

マラソンや走る選手の美しさは

混血の優性遺伝がなせることかもしれません。

科学で人間を分解して付く科学戦争や

隣の国との背比べの核保有の代償は、、、あまりにも虚しい。

世界の国が、皆家族になれるように

人間の基本を大切にして、

愛と親しさと、足ることを知る庶民の幸せが

世界に浸透すれば

地球と仲良しの動植物との共存が

人が人としてあり続けるための知恵が示されると思うのですよね。

皇室の60数か国との国際親善の旅をUーチューブで拝見しながら

戦後の平和が続いたことは「ご努力の賜物」と感じています。

殿下に添い遂げられた美智子様の素養の素晴らしさとご努力と

知的な、、それでいてあたたかな慈愛に満ちた雰囲気が

どの国にも親しみと、尊敬と、知性と、、、国民の母なる包容力は

平成時代の両殿下への感謝です、

もうすぐ、平成時代が陛下のご健康を思えば

引き継がれてゆくことは、感謝で受け止められますが

国民とともに生きてくださった皇室に

国民の空気を届けてくれた「虹の橋」のように

美智子様は七色の役割を

知性と

教養と

健康と

慈愛とセンスと

音楽性と

親しみのあるお人柄、テニスの恋

三人のお子様の母であり、国の母であるご努力。

自分の日記同様の未公開のブログにつづることは

畏れ多いことかもしれませんが

平成の時代に、ともに生きてくださった感謝がわいてくるのです。


美しい人

2018-11-02 01:47:33 | Weblog

美は限りない魅力です

美は魅惑された魂がキャッチする感動です。

美は万人に寄り添える力です。

美は年齢も姿も容も

一期一会の連続した新しい感動のかおりです。

男の子の母である凛とした輝き

女の子の母となられた抱擁の美

女の子の柔らかさ、男の子のたくましさ、

眠気と闘いながら母をする、、強さと美しさ。

時代の流れ、大河の激流、

山は裂けて土石流となる大自然。

打ちひしがれた多くの人に

もういちど、立ち上がる勇気を、、、と

美しい方が、

寄り添われ、、心を癒された、

刻々と変わられる美しさに

驚く。


美しさは、万人の孤独を癒す、

美しさは凛としたしなやかな指の動き。

総譜を演奏する家族の音となって万人の心に響く。

その方は国の母。

日本の女性が、昭和の時代に

美しく優しく麗しい天の力の導かれるままに

軽井沢で出会わわれた、

テニスの恋を慈愛に育てられて

麗しい「美は力」なのだと、

昭和生まれの私は、

完ぺきな、、、美しさ、柔軟な御強さに

感動しました。、、、、