花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

戦中から戦後、心の耐力

2017-07-31 10:01:32 | Weblog

 

6年生の時

父が生まれ故郷の東京に帰れる日が来た。

振り返れば、、、、

日本が封建制度から明治になって、

世の中が激動する時代に

世界中の先進国の植民地政策のアジアは、

戦争商人も横行し、麻薬も社会問題になり

世界中、あっちこっいで、、、戦争が勃発していたさなかに

父母は、青春時代から、子育て時代が重なっていた。

大陸に兵隊が出征して、切り傷、弾傷、火薬爆発の傷などを

現地の医師には治療が出来ない時代であった。

大学で、イギリス医学の外科を学んだ父のもとに

大陸で、西洋式の手術や治療、診断を含めて

銃後の奉公をする医師を派遣する作戦にのっとって

4人の子供たちの父である我らが父に白羽の矢が当たった。

銃後の務めとは、戦地至近の土地に外科病院を経営して

外科の医局の無かった現地の大学病院の外科を引き受けて

現地の医師に西洋医学を指導する役目であった。

外科だけにはとどまらず、戦場でのお産を

指導しながら遂行するという、、、とんでもない激務に

神の、思し召しとしか、表現の出来なかった事件の中で

日本の軍部は、あたら優秀な学生も戦場の露と消え行く

額と出陣に、もはや、誰も居場所は無くなりつつ、滅びに向かっていった。

やがて戦争は、敗戦色が濃くなって、

現地の空気も、日本人には風当たりが強まってきた。

母の父、、、つまり祖父は、若き頃27歳で渡米していた経験上、

太平洋戦争は、資源力も、科学力も、アメリカは大人であると、

そして、マカ―サーの言ったという「日本人は12歳」という言葉は

あながち、間違ってはいなかったと、晩年疎開先で、孫たちに言っていた。

「敵を知り、己を知れば、百戦、これ、危うからず!」、、、と

孫の私たちには、島国の、スケールの小ささを悲しんでいたのが

記憶に残っている。 

敗戦の一年前、、、昭和19年夏!

7月には

サイパン島が陥落し、インパール作戦が中止になった事もあり

ビルマからもインドからも撤退

戦場の真っただ中に向かうトラックに乗っていた父は

軍医としての最後の命がけの命令が、

日本に帰還してよいという命令に変わり

次の乗り継ぎの所で、軍隊が居るはずが、

迎えのトラックさえなくて、

誰も居なくて引き返した事件があった。

仁川まで引き上げてきた軍医と衛生兵は、

本土の引き上げが許可されたそうである。

町長やら、村長やら、校長さんやら、アメリカ帰りのインテリという事で

あれこれ頼まれていた祖父のもとには、

神風特攻隊作戦の若者たちの居場所の亡くなった作戦が

日本人特有の「全員で腹切り」という光景に見えて

涙が止まらなかったそうである。

、、、日本も、、、もはや、、、学徒の居場所さえが、、、戦場に代わってしまった。

帰りの燃料を積んでない、、、ゼロ戦、、特攻隊。

********************************

地域の住民の代表の立場に居た祖父には、

戦争の終結に導かれるために内閣が変わったのかと思ったら

同じ陸軍大学校出身の軍人が内閣になった時は、、

戦争続行のイデオロギーの軍人の中から内閣が再び選ばれた以上

本土決戦を覚悟しなければならない危機感が襲ってきたという。

最後の決戦地で家族一緒に国にご奉仕をする場を迎えるべく、

祖父は、単身、娘の家族を迎えに

大陸に向かってくれたのでした。

その時、日本から祖父が大陸まで迎えに来て居なかったら、、、

我が家族は、次の戦場に向かうトラックにのって居ただろう。

娘の家族を日本まで連れて帰ったという祖父は

傷痍軍人の松葉づえを創る職人らに

持っていた山を開放したり

ありったけの知恵を捧げて、

自らも、鶏を何百羽も飼育したり

ヤギの飼育を指導して、ヤギの乳から乳製品を創る指導をしたり

亜米利加で身に着けた農業全般を、最後の生き残りの疎開地で指導していた。

電気のない山間に「ダムを造り電気を引く。」

最後の町長の仕事だった、

ダムが出来た時、全てはダムのある地域の長老の行った業績として

引き継がれ、祖父の業績としては足跡は無い。

自治体の、了解が無ければ、水没する民家を説得するのは無理であった。

全ては、自治体の財産となり、ダムのある村の村長の業績として

歴史のページには記されていった。

13年かかった地区への電源の確保は

集落を開放し、無医村だった所に赴任した外科医の父が

最後に、公的に奉仕できた疎開地の出来事であった。

男ばかりの作業場には、17歳の美少年をめぐる恋もあり

悲劇もあった。

父は、激動の終戦時の集落に、方々から疎開してくるいろいろな人々を

集落の地元民が、快く受け入れてくれるまで

医療も、無料奉仕で、日夜、山奥まで往診に応じ

疎開者と、傷痍軍人らと、地元民の共通に必要とする医療の要を果たしていった。

疎開先には13年という歳月が流れ、

子供たちの、戦後の教育環境を考慮した父母は

村人が、地べたに座って、父が村を去る事の哀しみに大泣きしているのを

断腸の想いで、東京に帰還する努力を始めたのでした。

母が一足早く東京に帰り、

引き留められるままに2年間弱、父は疎開地で最後のご奉仕をした。

ダムが出来上がり、血に染まった工事現場の怪我人が出なくなった落成式の後

父は、祖父もつれて、村を出た。

祖父も、父も、先祖から伝わる山々を全部放棄して、

地元の古い本家に捧げて、村を出た。

ダムは、、、地元の、旧家から引き継いだ集落の長が

全てを全うしたダム完成として、水没した家の村民の癒せぬ心を

背負って、地元の宝として、ダムはいつしか、次代の財産として

洪水を防ぎ、電気をもたらし、観光地となって、村人を活性化する大きな

戦後の復活に役立ったと、父も、祖父も信じて、この世を去ったに違いありません。

祖父は叙勲され、晩年は皇居にご奉仕に行くと言っては、

緊張と、喜びに少年のように張り切って、出かけておりました。

祖父は最後まで座右の銘のように、枕元に積み上げていた本には

昭和天皇の、摂政の時代の記事のある読み物や

美智子妃殿下の婚姻の時に発売された写真集などでした。

校長先生として、毎朝、白い手袋をはめて、勅語を朗読していた戦前の生活が

生涯を通して、老いの枕元を、大輪の心の花で取り巻いているように

明治20年代生まれの祖父の時代は

天皇陛下ととともに歩んで生涯だったのだと感じました。

敗戦の玉音放送のラジオも、東京に出発するまで祖父は大切にしていました。

全て、、村落に寄付して上京した後、

何十年か経って、弟が、疎開地を訪ね、祖父の事を。父の事を知っているという

村の御婆ちゃんに逢って案内されるままに、写真に残してくれました。

祖父の住んでいた洋館は、どこかの会社の工場になっていたと、、、

弟は、淡々と語りながら、写真をアルバムにして一部おいて行ってくれました。

あの村では、弟は、「戦争を知らない子」が

医者に生まれた!!!!!、、、と、

村中で大騒ぎして祝ってくれたのを、幼い私の目に今も残っています。

一升瓶を持った村人が、「先生!今日ぐらいは飲んで飲んで酔え!」とか、、、

すでに真っ赤になった顔で、父を追い掛け回して

クダ巻いてる村人のオッサンに、父は苦笑いしながら

逃げ回っていた、、、け。(^^

父は下戸でしたから、、、

13年間の万感の思いを胸に、、、私たちの去った二年後

村人の引き留める手を優しく離れて

父は卒業校の慈恵医科大学の同窓生を頼りに

廃墟になった東京に戻って行ったのでした。

本籍の有った市谷は、もはや戻れる状況には非ず、

実家も、門も跡形なく他者の者になっていた。

戦前は、新宿から代田橋まであたりまで、先祖代々の土地だったそうですが

敗戦で、、、

全て、召し上げとなって、多くの地主が居なくなった如く

我が家も、一文無しで疎開したのでした。

国の復興の事もあったのでしょうか?

企業の聡明さなのでしょうか?

三井、三菱、や東芝が、新生日本の生き残りの日本人に

希望と、国際性のある意識改革の戦後を

東京にくりひろげて行ったと、、、

母が言っていました。

東芝は、日本の女性の文化を荷なった日本の家電の旗であると

戦後の紙切れになった国債の束を見ながら、

東芝の株を買ってみようよ、、、と、

主婦の洗濯機を5~6台も買い込んで、村人に提供していた、、

あの笑顔は、、、主婦の快晴の笑顔でした。

今母が生きていたら、、、東芝の斜陽をきっと悲しんでいるでしょうね。

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13年間で、東京の下町の、どぶの多かった江戸川の近くの

お寺さんが空襲から免れたものの

檀家が居なくなって、しまった大きな建物が改築されて

診療所兼入院病棟として、地域医療に尽くす道が開かれて、

山に囲まれた南紀の疎開地を出て、家族は

再び東京に帰ってきたのでした。

社会的にも、ダイナミックに移動していた父は

疎開先では、肉体労働者の方も舌を巻くほど激務に耐えていたが、

7か村の人々に「必要とされていた」奉仕者のように、

人としては、幸せだったに違いないと、

70過ぎて、私は、疎開時代の父の笑顔を振り返ることが多いのでした。

東京には戦後の下町で、すでに開業していた同窓生に歓迎されて

助け合って、地域医療に専念する晩年が、早く着すぎました。

戦後の下町は、手術をして、入院しても、

なかなか、代金が払えない人が多く、

父は、請求することもなく、

「仕方がない、、、」と。

戦後の事情は、語るだけ虚しい新規開業でした。

それでも1日に150人ほどの外来を、

新進気鋭の医師になりたての長男と

近所の同窓生や、先輩たちと助け合いながら

軌道に沿うかのように、日々忙しくなってゆきました。

13年ぶりの東京の家族と会う父に

初めて、知ったのは

父には2人の妹が居た事でした。

学徒出陣した弟は帰還してから28歳で

 早稲田の理工学部に入学した。

父とは10歳以上も離れている事や

ともに戦争で外国の地で、戦場の話などで

兄弟の絆以上に。

親子のような愛情が

父と叔父さんの間にはあったのが、

幼い私にも伝わって来ていた。

東京に戻った父は、同じ下町に集いあった妹たちとも

再会を果たしたのだった。

真新しい人にどんどん出会いながらも

大自然のおおらかな包容力の中で過ごした13年間が

私にとっては親鳥に飛ぶ練習を受けていたかのごとく

懐かしく思い出しては忘れることのできない心の豊かさだっただけに

ドブの多い、濁った大きな川には

なかなかなじめずに、

学友の話も上の空で、頭の中は

アユのぶつかり合う清流の瀬音の中に居る自分であり

わけもなく微笑みながら、聞き逃す事の方が多く

うなづきながらも、良く聞いていないまま、その場を過ごした。

父の二人の妹のうち、姉さんにあたるオバサンは、

学校の先生をしていた時

同じ学校の先生だった叔父さんと結婚したという。

ルノアールの絵の女性のような

ふっくらとグラマーな女の子と

ヒステリックなさえばしった美人の妹の女の子二人の他に

ボーとした、話のテンポのゆっくりした男の子が、真ん中。

3人の従弟がいっぺんに紹介された。

先生の家だけあって、面白そうな本が並んで居た。

雪の女王、小公子 小公女、等々、、、。

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親類の家の本棚は

手塚治虫の作品のリボンの騎士とイメージが重なって

その頃は、6年生だったけれど、

小岩一中前の図書館で、本を探しては、借りてきた。

一日中、図書館浸りの毎日を送るようになった。

少年ケニア、

大きな大蛇が出てくる、、、ダーナー

破壊という長編小説では

教壇に立っていた先生が、告白する

「」という言葉に、

疎開先の南紀の集落を重ねて、

戦争や、アメリカの奴隷制度の歴史や、黒人。白人。

さらには、ガンジーの事まで、考えながら、

いまだに混沌として、

人の心も、歴史も、理解に苦しむことが多いのでした。

ひょんなことから、人の心の闇が、身近にもおこりうること。

嫉妬や、転落を喜ぶような、

貧乏な心が原因ではないかと考えるようになった。

戦争の原因が、ささやかな、貧乏な心が

導火線になるのではなかろうか?

 

物質を求める心や、飽食のディナーをむさぼり

スイーツのバイキングに列をなす心を

戦前戦後を生き抜いた我らが時代には

考えられなかった現象であると、驚いている。

 

むしろ、満たされない物があり、

マンション育ちが増える中、

心が育つであろうと思われる

森羅万象のすべてが自然のままに在ったなら、、、?

 

昭和あたりまでの

「とうちゃこ」自転車の村落の人々には

親子3代ご近所さんも結構残っていたりした時代は

経験豊かな長老の知恵で、

近所も、家庭も、それなりに

旅芸人の大家族のように

人生劇場のシナリオには

人情もあふれ

演歌もあふれ

庶民はそれなりに、、、喜んだり悲しんだり

デラックスな都心の幸せとは、かなり異質のものであった。

疎開地には竹藪が多くあり、セセラギの音がまるで音楽のようであった。

小学校一年生の頃、、、65ねんまえになるだろうか?

竹藪のそばに、田舎芝居の剣劇と人情の人気者が

夏場には小屋を建てて興行していた。

大きなスピーカーの音が、、

「国定忠治、、扮しまするは、、、谷、、何とか?」

あたり一帯に聞こえると、

夕食前には、地元の叔父さんやおばさんが

孫を伴って、芝居見物に集まっていた。

壁が筵で造ってあり、隙間だらけなので

親や爺婆がついてこない子供らは

隙間から中に入って、いつも無料見学だった。

役者が、、「今宵の虎鉄は血に飢えている、、、」

見栄を切ったとき、役者は自分でも気持ちよさそうに

眉をあげたり下げたりしていた。

会場からは、「いよ~~~」大きな掛け声がかかたりしていた。

父は、どこにでも往診に答えて、迎えの車に乗って出かけていた。

一緒に芝居を観たいと言っても、我が家だけは、

親たちに「時間がないと」あっさり断られ、兄や弟たちと観劇に行った。

世に言う人情芝居であり、子役は小学生ぐらいから出演していた。

「森の石松」とか、「八百屋お七」「清水次郎長」

「あ夏清十郎」とか、「番町皿屋敷」「東海道中、弥次喜多」

色々な出し物がありましたよね~~~。

最近は、新しいことをする気力が眠ったままである。

幸いなことに、

北海道では名門と言われていた「雪印」が経営していた病院に、

新進の外科医として勤務していたことがあり、

回りには、北大病院はじめ、大病院の取り巻く地区で

若き日には、往診などにも応じており、

学会の症例報告や、

手術や、往診、周りの大病院とのコミュニケーションなど、

ほとんど帰宅は深夜になっていた。

雪印はさすがに北海道を代表する会社だけあり

社長さんは質実剛健な、

むしろ私的生活の地味なのには敬意を払いました。

無給医時代が続き、息子も生まれ、

17000円の風呂のないアパート暮らしの生活は5年で脱出

留学の話がタフト大学から来ており、

大学からは、なかなか都合がつかず、

外科医の居ない病院に、博士になりたての、若き医師が

単身で、勤めることになったのでした。

初任給は23万円でした。

何年か勤めて、大学に呼び戻される頃は40万ぐらいに昇給しており、

家も建てたばかりで、ボーナス払いが23万円が2回と

土地、建物が毎月15万ちょっとあり、

大学に戻ると手取りは28万ぐらいで生活することになるから

めちゃめちゃ、きつい生活になると、、、覚悟して、

臨床力を身に着けた貴重な、サポーターメンバーとして、

未来の、北海道を背負って立つ若き後輩の為にも

外病院で臨床力を身に着けたDr、が、

大学に呼び戻され、

本州に負けない優秀な若手の未来に希望を託して

医局のオール雑用、外交、幹事さんのような仕事から、、、

新任若手の便宜を図り、東奔西走の30代後半から40代後半を

家庭は、もぬけの殻、のように、時間はすっ飛びました。

本人は、充実して、きっと、チームのお役に立てていたのでしょう。

主人のクラス会の「写真集を創るから、家族全員の写真を出してください」

この要求にこたえようと、ハタと、、、アルバムを探しても、

写真は家族全員で映っているのが、、、一枚もなかったのです。

友人からもらった、エスニックな夏服を着て、

子供たちを連れて

支笏湖に写真を撮りに行きました。

、、、、主人には、家庭の事を考える時間を忘れさせるほどに

回りは賢く、「医師の心の習性を満足させるイヴェントを挟んで

若きピークの働き手の時代を、心の充実を与えることで

自ら仕事に没頭して時間を忘れる主人でした。

組織の力が向上してゆくことを共有できるという魔法のような刺激剤は

自発的に、家庭を振り返ることなど、考えの枠の外に押しやっていきました。

「大学なんて、、、教授になる人が残って勉強するところじゃないの?

そろそろ、自分の人生の行く末を考えたら?」

主人は、小さな目をまん丸く大きく見開いて

「基礎の免疫抑制剤が完璧な効果のない時代に

心臓移植した北海道は、次の若手が育つときには

基礎も臨床も万全の協力体制で、いつの日か、

心臓移植を再開せねば、北大の使命がかかているから、

亜米利加で。心臓外科の臨床を、がっちりやって来た名医が

未来の優秀な若手を育てる土壌として呼び戻された以上

夢に向かって、必死に頑張り始めているのだから、

自分も、行くに立つ部署を与えられた以上は、

全てをそのチームが、要求する仕事は、天職と思って参加したい。

私には、、、男の、ビジョンは、主役がのめりこむのは理解できますが

チームの一員として、幹事役が、家を忘れるぐらいにのめりこめるのは

男の人生としては、幸せなのかもしれない、、、と、

主人の家庭参加をあきらめることにしました。

どこか、私の知らない世界で、立派に肥やしになって、

全国から、再び評価される北大の

心臓移植の評価が、それほどチームの願いなら

しかも、実現できそうな、優秀な後輩が入局したというなら

私の知らないところで、

わっしょいわっしょい、、御神輿を担ぐチームの幸せに生きるのも

止める理由はなかった。

あれから、、、20年以上、、、

とうとう、日本中の医局からも認められた外科医が現れた。

医療の神髄の基礎と臨床のコラボレーションを果たした移植手術が

何十年ぶりかで、道新に報じられたとき、、、

エースの若手が現れたからこそ、

主人の人生の、役割もあったと思う、

野球チームのように、守りが大切なのは、

大学や、大きな病院でも言えそうですね。

スタンドプレーに走った、臨床力だけでは

手術は成功したが、、、患者は死んだ、、、となってしまう。

手術は成功して、

患者さんの自分で治す回復力につなげてゆく基礎の分野も含め

医学とは、臨床とは、、、基礎医学とは

チームの連携がいかに大切かを、、、垣間見た気がしました。

道新に、心臓の手術の成功例の記事を観ながら、

軸になれる優秀な若手が現れた時、

全ての先輩医師達が、この人こそ、次代の役割を果たす人と

一致して感じたというから、、、

男の世界は、出会いですね!、、、

置き去りにされた家庭ですが、

故郷の東京に帰ろうと、、、夢見ていた私ですが、、、

北海道の、地道な、夢追う人たちが、

日常の生活に藤生しないようにと、おせっかいな世話焼き心があったから、

普通の家庭のように、、、夫婦愛情いっぱいとは程遠い

蚊帳の外から、応援しながら

ふと気が付くと、天涯孤独の老後が忍び寄る中で、

息子や孫が、近くに居た、、、これが、私の仕事の結果だと、

勝手に育った家族たち、未来に放たれた矢のように

何処に飛んでゆくのか、、、楽しみでもあり、、、

自分の存在感が0に近くなる誕生日に、

73歳という、貴重な人生の一瞬を、

思い出に、、、ふけっていました。

これは、公開していない日記のブログですから、

明日になったら、半分は、、、

要らないことだと、、、文を消すかもしれません。

孫子を観ていて、、、私はいきていたんだな~~と。

多分、主人も、後輩や、勝手に育った孫子を観て

自分は、この人たちの存在のおかげで、

人生は、、、何かしてたんだと、、、感謝する年齢になりました。

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点と線を繋ぎながら、、、昔の本や漫画を思い出しては

若返ってゆく。

もう一度読み直してみると、

差別が消滅した戦後の近代化の中で

スマホやパソコンが、もっと、溝を埋めてゆくかもしれないし

奇想天外な溝を張り巡らすかもしれません。

面白かった本の、記憶に残っているシーンには

掌から、真珠がこぼれて、臨終の言葉が印象的だった

「大地」。

戦争と平和、、、トルストイ、、、

嵐が丘。。。。などなど。

 再び読み直して、全く別の印象を受けたものなどが多い。

破壊、、、

藤村は学生たちにとって、テストに出題される作家だった。

今のように

「アナタノ スイゾウ ガ タベタイ 」と言ったような

若さが怖くなるほど、

深層心理を突いた作品は見当たらなかったが

人間の業というのか、、、戦争を舞台に炎の中の蝶のごとく

本の魅力に焼き尽くされた時代の中で

橋のない川

枯れ木灘

竹田の子守唄

鶴の恩返し

漫画では

カムイ伝

ナチスの「我が闘争」

等は、、、

再版されて、今なお、、、売れていると、、あるサイトには書いてあった。

暇を造って、又、老眼に覇気を送って、読み返してみるとするかな?

振り返れば、多感な中学校を過ごしたものであったな~~~~!。

中学校になってから、

小学校の時に読んだショッキングな本のうち

二度目の「藤十郎の恋」を読んだとき、

世の中の男性族は、すべからく藤十郎であろうと思うようになった。

カッコよい、男の子には、

誰もが、胸がときめくように、

私も例外ではなかったが

人間関係の、ややこしいのは、避ける方であるからして、

「一方的に、相手の 人格まで、

自分の都合に合わせられる、、、便利な片想いが良い。

俳優や、歌手に、」

都合よく青春の恋人役を押し付けることが出来て

結構、、、楽しんでいたりした。

欣也ちゃんの、時代劇から八甲田山

裕ちゃんの天然の「イカス!」

健さんの、裸電球のような哀歌のある背中

王様と私の「ユールブリンナー」、、、あれは決して「ハゲ」ではなかった。

三船敏郎の椿三十郎、、、最高のおとこくささだったね~~~

アランドロンの太陽がいっぱい

美貌の青年だけに「悪」が凄味があるよね~~~。

ゲリークーパーの西部劇

イングリッドとの鐘が鳴る、、、心の涙の鐘が鳴る

戦争と平和と、作品との間で、、、悩んでしまう。

風と共に去りぬ、、、「クラークゲーブルと「ビビアンリー」

「ロバートミチャム」

クルトユルゲンスの、、、青い瞳!、、、眼下の敵

アランラッドの金髪!

ドクトルジバゴの作品の伝えてくるもの、、、

ブロマイドを集めたりもしていた。

日本映画で、もう一度見たいのが!!!

日輪!、、、月形龍之介と、片岡知恵蔵の、、、土手の上の出会い!

読書と、映画にくるっていた青春時代だった。

実際の、同級生や、上級生には、誤解の多い17歳まで

一切関心を寄せないように

節度、調節、恋愛ブレーキ、青春脱線予防のためにも、

アイドルや、人気俳優のブロマイドが、

マイペース保持剤のように、

結構な枚数、カバンに入っていた。

女性同士で、

休み時間に、写真を真ん中に置いて、

彼らが出ている映画や、

LPレコード、舞台の話で盛り上がっていた。

映画、、、シャンソン、演歌、ジャズ、ラテン、、、、フォークソング

外人部隊の、ポールアンカ、、、や、

青春は、言葉のサラダを盛り付けたように

自分だけの世界を、あたかも、共有している錯覚で

友達と、はしゃぎまわっていた、、、中学時代~高校2年まで。。

 大学を卒業するころからは、

銀巴里で、丸山明宏?こんな字だったかな?

仲代さんのシャンソンを聴きに行っていたりした。

ヨイトマケノ歌を聞いたときは、、、感情がこみあげてきて、

貧しさの中の日本の風景が、涙の向こうに歪んで見えた。

平和ボケした昭和の晩年から、、、

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息子の代になって

息子は「マルタ」のサクソフォンに魅せられて、

高校時代は受験勉強は、

「一拍、、、休んでしまった結果となりました。」

誰かに、魅せられるという事は

その人に、青春の時間、、、

いいえ、人生での追分で

思わぬ方向について行ってしまうから、

時間が空洞になったまま、時だけが過ぎてゆく。

気が付いたときは、浪人、、、。

振り返れば、よそ見は遺伝子の中に組み込まれていたのかもしれません。

私の兄弟は、皆、

受験にまっしぐらという直情型ではなかった。

アッチで道草、こっちで道草、

試験よりも真剣に、全身全霊で、漫画本とか、音楽とか、、、

国体目指して、体操とか、、、卓球、テニス、、、、

恋愛ままごとが、無駄な時間に思えない、、、笑える性格?

 

弟だけが、千葉大の医学部に合格したが、

弟の同級生は、結構な回数我が家にやって来ては

食事をして言ったりしていたせいか?

いまだに、仲良しの延長上で、あるようだ、。

今も釧路あたりで、夏を楽しんでいるかもしれない

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うらやましいほど、魅力のある性格をしているのが

弟であります。

天然に計算抜きで、、、物事に打ち込み、長続きする、、、!!

まさに夢追う真っ直ぐな若さの頭脳が永遠に続くだろう。

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兄貴は、年がかなり離れているせいもあり

戦前生まれの「男優先。女性差別、女はこうあるべき、、という石頭。」

私は、遠くからお付き合いをしている自分に気が付きます。

兄嫁とは、喧嘩も一回もしないほど、

きちんと向き合って話したことがないまま

庭の、いろいろな季節の花を観ているように、

傍観者であった自分に気が付きます。

若かりし青春の受験の、真っただ中で

疎開地の緩やかな、おおらかな時間の流れになれているせいなのか?

あくせく、受験に専念するという気分にはなれなかった。

      (^^!

高校時代には、サインコサインを授業する数学の先生を主人公に

「モグラ」の一日、、、と題した8コマ漫画を描いて居たりして、

「モグラ」というニックネームの数学の教諭に見つかってしまった。

 

怒られるかと思って立ったら、

「オイ!この漫画、先生にクレ!」と言われて、

クラスからは「クスクス笑いが聴こえる中、しどろもどろで、、、」

「ハ、ハ、ハィ!」と答えて、

一瞬、真っ赤になっている自分がわかるような熱線が、

ホッペタあたりに感じた事を、今も思い出す。

 

弟を除いて、、、弟だけは天然の素直な夢追う頑張り屋だ。

 

兄弟姉妹の我ら!「残り三人は、私立大学に進学した。

何たる怠慢!何たるドジ!、、、何たる力の出しそこない。

戦争傘下で戦いに次ぐ戦いの

両親の苦労も知らず、、、力をだしきったのか?

親に恥ずかしくないのか?

自問自答したのは、大学中に父が亡くなり、反省した時であった。

日大に通っていたことが幸いした。

ありったけの取れるだけ免許をとって、卒業することに方針を変更した。

ESSクラブに入っていたこともあり、英会話の為に

大学受験生の英語と化学の家庭教師を始めた。

北大に現役合格した同級生が、夏休みは交代してくれた。

彼にとっても、帰省代金を稼げるので、上機嫌であった。

私は、その間、夏山登山で、100種類の生薬植物を採取するのに、

ヤサツとドウランを担いで、黒姫山まで、山、又山を越えて、

すかんぽと、小魚やエビ、野草のお浸しを食べながら、

大学の夏の宿題の100種の薬草を集めて、歩き回った思い出が懐かしい。

あの時習った、滝戸先生と、山内先生とは、

晩年に薬剤師として復帰した時に

現役薬剤師に戻って、息子たちの私大の授業料を稼いでいる時代に

薬剤師会を通して、イベントで再会できたのでした。、

生薬、漢方、植物学の天然の魅力に引き込まれながらも

大学時代に父親を失った事の自覚は大きく人生を左右するほどに

「自立して生きてゆく事。未亡人の母を守る事。実家の存続に努力を惜しまない。」

自戒の念がありました。、、、欲を抑えて、一族の存続に沿って進路を選ぼう。。。と。

大学院に行きたかった。日大は、学門をする同級生より、

臨床に、実践に、生きてゆく同級生が多かった。

薬学科では、一部の学生が、工業化学の大学院に進学していたが

ほとんどが、大学院には進学しなかったように記憶している。

私は、4年間の在学中に、夜間の大学院の講義を受講することで

教員免許をゲットしました。中学と、高校の物理と化学、地学などの理科。

充実したフィールドワークに参加させていただいた地学の実習を思い出します。

昇仙峡を歩きながら、ヒスイの原石の蛇紋岩を探したときは、、、ヤッター!!!

大学時代は、青春そのものだった。

日大は、一部の学生が学門のドアをたたけば

必ず答えてくれる奥行きがあることは、素晴らしい事でした。

しかし、、、私立である以上、金銭的な裏付けがないと、前に進めません。

大学院での自分の為の研究生活をあきらめて、

断腸の想いで、就職することにしました。

教授の紹介で、東京大学の医学部の薬理学教室に就職しました。

寿退職で、技官が辞めてしまうので、補充するという求人でした。

教授の恩師にあたるの先生の研究室という事でした。

、、、寿退職の、、穴埋めスタッフというわけでした。

研究者は貧乏だというイメージが強い日本ですが、

外見が地味なだけで、

恵まれすぎる豪華なご両親の息子さん方が目立ちました。

研究生活をしていて、、、万一、人生で、何も出来なかったとしても、

食べるために稼ぐ必要のない環境の

選ばれた、本当の意味の豊かな人々のようにお見受けしました。

滝戸先生も、東京大学のとある研究室で学問されて、

日大の教授になられて、私たちに授業してくれたのですよね。

子育てもピークの40歳の後半に、

仕事の延長で、薬剤師会の学会に参加して、

長野県の山々のフィールドワークで、

上田(あげた先生)先生の会長の学会に集積しました。

韓国の薬科大学の女性の教授の先生方も

大勢参加されていました。

長野県に於いては「延喜式」という古典の資料にも記されているように

朝鮮ニンジンの栽培が成功した貴重な土地柄でもあり、

輸出された朝鮮ニンジンは

紅参になって、

再び日本で消費されたという時代でした。

滝戸先生の教え子という、ラッキーな参加で、

国際学会を、済州島で体験することが出来ました。

次代の生薬学の教授候補の先生方の

最先端の発表の中に

バイオ革命の時代にふさわしい報告もあり、

再び学問の面白さに、、、振り回されました。

韓国の、国際学会の付属した済州島の日の出峰の登山にも参加できました。

参加メンバーが、プロのフィールドを職業としているだけあって、

私は、どん尻で、

やっとついて行った事が、

今も、苦笑いしながら、楽しい思い出です。

でっぷりと、研究生活を送れる先生方とも

生薬学がすたれてしまわないように、、

臨床と結びつけた研究の大事さを

参加していた韓国の教授が、フィールドの雑談で、話されていました。

すったもんだの青春から、結婚後の第二の節目の

日大の恩師との再会で、頭脳が刺激を受けて、若返りました。

振り返れば、敬遠していた長男の頑張りと

母のピアノ教授の、たくましい収入のおかげさまで、

父の早逝にも関わらず、大学卒業しましたが

卒業旅行のお金は出せないと、兄から言われ

犬山城と川下りは、断念ですが参加できませんでした。

しかし、、、大学を出ておいたことが、

晩年

若年性痴呆になりそうな、家事雑用に閉じ込められた主婦から

結婚前の、知人や恩師に再会できて、刺激を受けたおかげさまで

今日73歳になった今も、日記を綴る頭脳の若さをキープできました。

日大は、追求する生徒には門戸が開かれていると思いました。

社会の縮図を見るように、全てのジャンルの学部があり、

国際的にコミュニケーションがあり、

日大の懐の深さは、入学した生徒に生涯教育の実際を与えてくれました。

今でも、正会員としての登録は、母校への感謝です。

*********************************

御嬢さん教育を受けながら、、、お金がないという、、、

一族大勢、祖父も皆、、居候を抱えて、父は復員してきた弟を

早稲田卒業して、結婚式まで世話するという、

戦後の、一族の復活の大黒柱が

重量制限と、従軍中の父の体のダメージが、耐量をオーバーしたという

働き過ぎの、突然死でした。、、、

寂しかったよね、、、焼き場の煙を観ながら、、、涙が湧いて出てきてしまった。

惜しいよね、、、54歳で、美しい、、、男盛りのハンサムだった父。

北海道大学の学生だった同級生は、試験中だったのに、

帰還して、一緒に悲しんでくれた。

彼は、札幌に帰って、すぐに結婚したと知らせが届いた。

別れあれば、、、出会いがあるね、、、

今の主人は、、、北大卒ですが

全くの、付き合いはありませんでした。

東京に帰るつもりだったこともあり、

東京に帰っても、私の家が開業だったので

従業員の住宅もあったし、父が外科医だったので、

看板を下ろすよりも、

我が家の開業に、当座入ってくれるとい鵜ことが、

母との間で、彼の先輩を通じて交渉されたものであり、

事態が事態だけに、、、、私は取引の商品として、

一人の国立での外科医が

我が家の益男(サザエさんの漫画のマスオ)さんになってくれるなら

母が「お父さんが、、、若くなって還ってくるのよ」という、、、

藁をもつかむ未亡人の、復活を祈って、私は、商品化した一瞬でした。

医学部出ているから、付き合わなくても、最低のマナーはあるはずと信じた。

おっとりとした、絵に描いた餅を喰えると思うほど、

雑念が無いように見えた主人との出会いは

少なくとも、無給医の、奨学金の返済を迫られるぞん底からの

未来の出世払いにすべてを託して、

我が家の、来ていただけるはずの未来の相棒への投資からの出発でした、

こんな、結婚の動機ですから、子供を産み育て、家事をして、又、

薬剤師として働きながらも、東京へ帰還する日に備えた。

兄からの、手紙も、経営状態や、会計報告や、100通を超える通信の中

彼は、封も切らず、返事もせず、黙々と、我が道を進んでいった。

息子が小学校の時、大学からの呼び戻しの声がかかった。

自宅の電話を握る主人の手は、まるで汗をかいた額のようであった。

東京に帰還するつもりの舵が、

大学に還り教官になる事になったのです。

、、、、帰還の種の貯金は、大学生活の再突入で、

大学生活の軍資金に回る事となった。

、、、、裏切られたわけではないが、、、

一介の開業医の相棒を努めるよりは、

母校で再び呼んでくださったのですから、

次代を担う若手のエースが現れて、そのサポートに

何らかの役割を担えると判断したのでしょう、、、

舵はヘヤピンカーブを曲がるがごとく、、、実家の東京を削除したのです。

それからの私は北海道に住人としての傘下ですから、、、

よそ者の一代目の疎外から、甘んじて、実績を造り、

子供は北海道の子供に育て、北海道の大学を卒業させて、

北海道のお嫁さんを迎え、

二代目は北海道人として、本籍も札幌に移しました。

大学に戻った主人は

民間病院と、大学を繋ぐ要素の一翼を果たせたこともあり、

医師会から感謝状をいただいたり、

大学でも、どのグループにも中立で、同門会長を任されたり。

民間病院に移ってからは、東京の出身であることも多くの仕事上の

人と人の立会人にもひつようとされて、

故郷は北海道の主人に生まれ変わりました。

主人には、北大での友が居てくれる。

主人には職場の人が、温かい、

札幌で、衣料一筋に生きた50余年は、

今でも主人を必要としてくれる患者さんが居るという事。

元来、、医家に育った私は

父が医師だというだけで

2歳の時、囲炉裏に突き落とされて、

大やけどを受けている。

医師の御利益に預かる立場の、のうのうと生きれると思われる娘は

それだけで、嫉妬の的になるほど、恵まれて見えたのでした。

戦争で親を亡くした者や、

片手や片足で復員してきた父に、育てられて、中卒後すぐに

我が家の使用人になっていた、ハンデを背負った職員を

父は、准看に育てて、村の若者との仲人をしていた。

患者さんの中には、貧しさから精神を患った人もいた。

5人の我が子を、一晩で命を奪った事件も起きた。

私の火傷は、妬みから解き放たれるためにも

必要な事だったのかもしれません。

父は、その職員を解雇することもなく、

准看にまで育て上げて、心からの謝罪を言える大人になる手助けをした。

私の火傷は、多くの名医との出会いをもたらしてくれました。

京都大学の、近藤鋭矢先生や警察病院の大森先生。

生涯忘れられない主治医でした。

日大の理工学部の試験の時の面接でも、

右手の火傷の事に質問がありました。

ピアノが弾けること。

試験管を右手で3本操作できることなどの実践をクリヤーして

その日の昼には、「他大学を受けていたら、全てキャンセルして下さい。」

あなたは合格です。と通達を受けた。

右手は見事に完治していた、

植皮の皮膚の色の違いは、機能的な完治の前には問題にされなかった。

この時からも、医学には深く敬意を払っています。

医師と結婚しても、愛情など、むしろ邪魔だと思っていた。

社会へ貢献できる年月が、一日でも多くと祈るだけでした。

54歳で死んでしまった父を、もったいないと思う反面、

子供だった我ら兄弟が、我勝ちに父の愛情を欲したことが

甘えだったと気が付くとき、

夫には、、愛情も、甘えも無関係な家庭を築いていたのだと思ったのです。

人は自分が大好きだ、自分が可愛いでしょう、、、俺俺俺、、、の、

自分愛だからこそ、艱難辛苦の医学部を突破できたのだと理解して、

便利な存在に徹するような、心の自立で、孤独な北国の冬を

黙々と、雪を搔いて70歳を過ぎました。

主人も、北大を卒業したのでなかったら、きっと、、寂しかったはずです。

北大の先生方はインターナショナルな広い心の方が多く、

女性の世界のように、きっと、疎外も、妬みも、意地悪も、無くて、

片腹痛いと、かんらかんらの、大きな心の人たちでしょう。

高校時代の同級生が、早稲だと、横浜の医学部と、合格して、

迷っているとき、名に迷ってるのよ!

考えること要らないでしょう!北大でしょう!!と

背中を押したには私でした。

受験雑誌で、蛍雪時代という本のインタビューの座談会で

学校代表で、出席した時、掲載された蛍雪時代の本の

1ページ目の写真が、北大のポプラ並木でした。

学生が一度は思うでしょう!!

北海道の、こうした学び舎で、大学時代を送ってみたいと、、、!

主人は、北大に入学して7年の間に

故郷東京を捨ててしまうほどの、心の居場所を創り上げたのでしょうね。

頭の知識の中だけで、

故郷東京からの祖ですりあうまで行かなかった私に

着得そうだった故郷の再来を感じて、

母に向かって、私は、(東京に帰り、無くなった父の代わりに)

お宅を手伝いますから、、、」と。

消えそうだった故郷さんの袖を思わずつかんだ行動が

私本人では無くて、私の母へ

「故郷に帰る足場になってほしいと」

とどのつまりは、私は、

主人の故郷を懐かしむきっかけだっただけだったと。

結婚生活の70歳を過ぎてから、

しみじみと、、、思いました。

心の中で、北大という大地の父に抱かれながら

故郷の今は何も無くなってしまった幻を、思い続ける寂しさを

「惚れぬいた北海道の女性」と再婚して、

故郷を忘れること以外

もやもやと、故郷を思う寂しさは、

私では埋めるのは無理でしょうね!

そのくせ、、、故郷に帰るチャンスが来たときには

大学にUーターンしているし、

男心の人生のヴィジョンと

実力不足の間で、もやもやと、時は流れた。

「精一杯、、、便利屋を請け負ってあげるから、」

後期高齢者になっても、劇的な恋の出会いが有ったら

その時は、あなたの人としての目覚めを祝って、

私の御役目終わりとして、、、本州に還りますから。

全てを捨てて、北海道しかないと、気が付いて、

地元の患者さんを通して、地元への貢献を、

人生の目的にしてほしいと思っています。

恋に出逢えなかったときは、人として、今一つ、、足りないまま

便利屋さんの私に出逢えたことは、

神様の医師をする者への

尊いご配慮と、神に感謝して、

便利屋さん以上でもそれ以下でもなかった

私に、思いやりの心で、開城して、

人生全うしてください。

 

*****************************

つまり、、、主人はは欲張りなのかもしれません

自分発の事柄でないと、ネットで裏をとるように人を認めません。、

一枚の着物の表と裏で、同体であるとか

普通の男女の一心同体の出会いがありません。

孤独なのか孤高なのか?

追求しないことにしています。

プロポーズの言葉もいまだにありません。

母からもらったから、、、という。

母が音楽大学を卒業して居ることを評価していたり、

忘れられない初恋の女性が東京芸大卒業して居るとか、

がんちゃんという幼馴染が東大にいったとか?

大学にも一番2番3番とあるようです。

その人が、何を大学で学んだかが気になりますが

何処のだいがくを出たかという事に

順番を付けてほしくありませんね、

東大出て、ハーバードに行って、、、

何を習って身に着けてきてかという事は大切だと思いますが

職業に、順番が無いように、

優秀でなければ意見は却下というのであれば、

優秀な大学卒業というイメージに凝り固まった思い入れは

受験戦争の刷り込まれた、、、洗脳された価値観としか思えない。

日大は「社会の縮図のような大学だっただけに、

玉石混合で、価値観も幅広くて

何処にでも、私の居場所はありました。

北大は、北海道で、強烈な競争相手の大学や私立大学に

囲まれていないから、なんでも一番だから、

大きな、、、大きな、、、見落としが出来るのかもしれませんよ!

人間の「持って生まれたエネルギーは一定で平等だから!」

エネルギーの配分を、学門や研究にかけた大学を絶対勝ちの原点に据えて

頭の中に独自の放物線のグラフを書いて、勝手に価値づけられると

都合の良い便利屋以外に、、、価値がみえなくなりませんか?

もっと、、もっと素晴らしい

大自然が設計した、

行動する者だけが、

行動で描く価値に満ち溢れた

共感する感動の一瞬を共有して

順番はつけられない

友達以上になれなせんか?

 

医学部は、病院は、私にとっては結界のある「聖域」だけに

病院以外の話題や、話で、人生を共有したかったのですよ。

今までの50年は

私は、傍観者なので、

見たまま感じたままを書き連ねただけで

男社会の、深い面や、

理解されないジャンルの仕事関係彩との間で

苦労もあったに違いありません。

個人病院から、出発した札幌発展の黎明期には

中央東京都、札幌自治体の綱引きの中で

緩衝剤になれたら、物事は、穏やかに進むわけですから

主人の性格は、必要な旗を持ちながら

全体が決める場所に素直に立ち尽くす正確には、

頭が下がりますが、

薬剤師の私は

「薬の中では上品(じょうほん)」と思っていますが。

取り留めもない日記ですから、

思った時に書いておかないと、、、

すぐに忘れてしまうので、

 

あなたは、、、どこにいらっしゃるのか?

主張がないのでわかりません。

、留守宅に還ってくるあなたの魂は、病院に残したまま、

高校野球を見に帰ってきているようにしか、、、

感じられないのは

不思議でしょう?

その点、、、

無くなったはずの父は、いつも私と居てくれるから不思議です。

 

 

 

戦争に行って、全身的に栄養」障害にかかっていたのかもしれない父は

54歳で、過労死で、診療生活のさなか、患者さんの救急の手術の執刀の翌日、、、

私立に在学中の娘と息子を4人、残し過労死。

母は、、、

「お父さん、、、ずるいわよ!全部私に、、、後を頼むなんて。」

さすがに、、、しょんぼりしてしまった母でした。

    **********************

我が家のピンチに、当面してから、

われら、兄弟は、弟を除いて三人は

全身に電気が走ったような危機感に目覚めた。

    **********************

昨日までの、ノーテンキな学生時代は

いきなり、、、幕が降りた。

大学の卒業旅行にも、参加できなかった、、、

アルバイトと重なってしまって、、、。

西銀座のファーマシーで夜間の販売を担当しているときなんか

近くの航空会社のホテルに泊まっているという外人さんが

薬品には目もくれづに、妊娠予防のスキンを30箱も購入して

「サンキュー!!」と笑顔で現金で支払っていったときのことが

文化の違いとは申せ、

人種の違いの性生活のギャップを感じたものでした。

父が亡くなってから卒業までは、14科目のうち

13科目まで優をとれてしまうほど、

落第は出来ない!、、、と緊張感を持って試験に臨みました。

ピンチになっても、火事場の馬鹿力が、卒業まで導いてくれました。

**********************************

振り返れば、、、人生で

「放っておいてください、、、と背中に書いているがごとく」

授業が終わると、図書館に行って、自分の世界に閉じこもっていた

中学生時代が、最高に、自由でした。」

 

楽しかった中学時代の

校門の目の前に、大きく両手を広げて建っていた図書館の事が

折に触れては思い出して、心はいつも解き放されるのは本の中でした。。

中学三年生まで、幸せだった。

思いっきり楽しめる本がすぐ読めた。

柔道漫画のイガグリ君など

手塚漫画とサザエさんと、

勝山ひろし、、、目にお星さまの少女を描く挿絵画家が任期だった小説本。

カバヤキャラメルなどを買うと、籤運の強い予期は

『あたり』くじで、世界名作文庫が一冊ゲットできた。

父が、戦争で、かなり、膵臓など

わかりにくいところが故障している可能性があったとも知らず、、、に。

カバヤ文庫が欲しくて、

当たりくじが出るまで、キャラメルを買っては

友達に、「キャラメルの箱を配っていた、、、バカな私。」

でも、、、、あの時の自分が、、、

嫌いになれないのが、おかしくて一人笑いしている。

                              つづく

 

 

                             つづく

 


若さが怖いと思うときがあります。

2017-07-29 23:14:48 | Weblog

 

人生は長くても、、、100年とちょっと、、、。

数学者になるのなら、20歳で何かに気が付き、素数とまではゆかなくとも

下図の謎を解けないと、老化してゆく頭脳には、人工知能が代用するだろう。

昭和25年前後だったと記憶しているが、疎開地の山奥に

サイヤ?さんと言ったかな?自転車の荷台に本を積んで売りに来ていた。

小学校一年生の私は、自転車の後ろを追いかけて、

本を買いに走った。

子供には複雑な漢字に見えたが「タンカイ」と読むのだと、

父が教えてくれた。その本は5センチぐらいの厚さがあり、

「巨人ガランガラン」という絵小説の連載を掲載していた、

毎月、連載の絵小説が待ちどうしくて、

私は、幼いながらに、字を覚えて、ワクワクドキドキ、、、読みふけった。

多分、同じ本だったか?別の雑誌だったか?、記憶は、今一だが、

手塚治虫の、絵が未熟な頃の「ロック冒険記」の作品が出ていた。

その日を皮切りに、手塚漫画は、大学卒業まで、新刊が出るたびに

読みふけっていた。

ざら紙の単行本になっていた「月世界旅行」

ヒゲ親父や御茶ノ水博士の手書きの絵と手書きの文字の吹き出しに

手塚治虫が自ら書き込んだと思えるセリフが描かれていた。

なかでも、総天然色の、コントラストの激しいカラーで

「砂漠の魔王」という絵本漫画が、私を虜にした。

ターバンの真ん中の宝石を回すと

砂漠の魔王が、現れるのであった。

クリックすると「U-チューブ」現れるのと、

同じぐらい感動した。

高校生まで、初版の紙質の悪い、現職のカラーの「砂漠の魔王」が

現実から、夢の世界に、行ったり来たりの青春時代だった。

                         明日に続く

 

漫画家のまだ、少ない時代で

タンクタンクロウ、など、田川泡水?だったかな?

サザエさん、


踊りたくなるとき、

2017-07-26 03:02:07 | Weblog

熱い日々、早朝5時に起きて、庭の水撒き、ゴミ集め、早朝散歩と

あっという間に9時になった。部屋の掃除、洗濯、、、涼しいうちに済ませ

蒲団の手入れ、、、家事には終わりがない。

とりあえず朝シャンにあおられて「朝シャワー」でさっぱりする。

ついでに、目が覚める。はっきりと、覚醒する。

10時ごろになって朝食に

、昨日コンビニで買っておいた、ミニ冷やしラーメンを食べると、

気温が少し涼しく感じてきた。

今年の夏は例年になく、猛暑、夜の10度以上の気温の低下と

身体の調節が難しい。

ストレスを受けると、老人の領域に入る私は、免疫が低下するらしい。

チョットした虫刺されや、草木の汁で、水泡が出来て、

つぶすと、なかなか長い間、発赤して治らない。

「明日ありと思うな、、、窓の三日月見上げ、夜半に豪雨のあるやもしれぬ」

他人事とは思えない、、、想定外の水害に

立ち上がり復興させてゆく政府も、自治体も、本人も

気候変動の災害に、頑張るしかありません。

薬にも、ステロイドの特効性は、皆の知るところですが、

使い方を一歩間違うと、

表面だけが治癒して、深部は治らなかったり、

表面の皮膚が独特の変質した組織変化が出現する。

各地の、災害の復興には、

再びより規模の大きな豪雨二耐えられるような修復を期待する。

北海道の札幌帯広を結ぶ道路も、修復の途中経過が放映された。

新潟、秋田、群馬、大分、九州北部、、、

報道は、

日本全土に被害を与えた豪雨が

被害を与えた農作物の水に浸かった枝豆や稲をを映している、

これでもかと続く災害に、TVを観ている私たちにまで

恐怖と、万策尽きた焦燥感が襲ってくる。

深夜まで、ニュースを聞いていたが、0時を過ぎると

NHKは『阿波踊りを放映し始めた。」

何とも言えない災害の続く豪雨やがけ崩れや、

地震の放映と、猛暑で、ストレスの塊になっていた。

人間の心は、

踊りによって、

何もかも忘れられるひと時を得られることを

知った。

日頃の小さな事が原因のストレスは

この、日記ブログに書くことで少しは収まる。

かなわない夜の猛暑の中で、

日本列島、、、これでもか、、、、と、続く豪雨被害。

阿波踊りを、、、づーと観ていた。

踊りながら人波が動いてゆき、

時間が流れてゆく。

人は、踊る事で、昇華してゆく。、

こうしたことが救いだと思い

部屋の中で、TVの手振り身振りをまねて、、

番組が終わるまで、一人で、部屋で、、踊っていました。

ふと、我に返り、、、夜中の3時になっていることに気付く。

これから、歯を磨いて、顔を洗って、、、寝ます。

お休み為さい。、、


6月からの気候変動7月の猛暑と豪雨

2017-07-23 21:26:46 | Weblog

 

屋根の雨を盥やバケツに貯めてみた。

短い時間に、庭木に播く水のストックが、満タンになった。

短時間の豪雨でした。

札幌だけではなく、日本各地、豪雨。

湿度の高い27度~33°C

今年の一日の最高気温と最低気温は格差もある。

ひどい時は10度をはるかに超えて変動する。

後期高齢者は、続く高温にバテ気味で

歯磨き、うがい、舌苔の消毒が手抜かりになる。

去年の今頃に続き

今年も、前庭神経炎からだろうか?

眩暈に倒れて、セファドールを飲んでいる老人に出逢う。

毎日の猛暑で、バテテしまった老人たちは

ご自分のきめ細かな手入れをする気力が、低下するのだろうか?

この季節になると、

我が家でも、消毒効果のあるうがい液

例えば「システマとか、イソジンとか、、、で

いつもよりは30秒ぐらい、長い時間口に含んで殺菌する。

必要最低限の外出や、散歩になり

ひざ裏の筋肉がなまって、階段を上がるとき

膝が痛い!!!!!

気候の、想定外な変動に、

身体のバランスをとる能力がついてゆけない。

だらけてしまわないように

ローズピンクのシャツとジーンズで

内なる元気を、無理やり引出しては

木や枝のごみ収集には、

木々の選定を思い切ってした。

汗だくの運動着を脱いで、35度のお風呂に飛び込んで

昼寝のように長い時間、

水と仲良く暑さをしのいだ。

例年ならば、札幌は8月から10日ぐらい

湿度の高い高温熱帯夜が続くのが例年だったが、

地球温暖化は、、、果して本当にやってきては

氷河を割って融けはじめるのだろうか?

水位はあがってくるのだろうか?

もしも、杞憂に終わらないで

現実に大陸の水位が上がってきたら、

人は、、、反省するだろうね、、、、

列島改造して、湿原の蛇行を直線にしたことや、

マングローブの森を伐採した事や

世界の都市の緑をスカイスクレイパーに変えた事、、、

地球を巨大ダンプで石炭層を採掘して大きな穴だらけにしたことや

地下鉄の立体に交差した開発など、、、

原子炉や、高速道路

便利なインフラも、両刃の剣だと知ったとき

何が起きるのか、、、その時

人は、想定外という言葉を用意していますね。

大きな、、、大きな、、、被害をTVで観るにつけ

何とか、、、未然に防げないものだろうかと、、、

考え込んでしまう映像です。

もとの地球にもどせるのだろうか?

本当の幸せは、地球の呼吸を止めないで

未来の孫子の時代に、自然と共存した町を

情操教育も自然から受けながら

月がトッテモ、、、きれいだから、

風薫る自然の美味しい空気を吸いながら

遠回りして帰る恋人たちが

少子化などを、

あっという間に解決してくれる事かもしれませんね。

子供を産み、育てたくなる社会って、、、

地下鉄で、スマホを観ている異様な光景が、

一段落しないと

デジタル化された若者の心には

野生という、、、出産という、、、異性への憧れという

アナログな社会の環境が必要かもしれません。

出産も、育児も、愛という、天与の感情が条件でしょう?

スマホのアプリで、指先の筋肉だけが、反応する男女に

全身を使う出産の条件が、大義になるのがわかります。

子供や孫は未来に放たれた矢のように

私はついてゆくことも、私物化することも、

出来ない異次元のような「人工頭脳」の時代に生きてゆきます。

中東の戦争で廃墟になった戦場をニュースで観ながら

緑の地球に戻してほしいと、、、願わずにはいられません。

科学の果ての地球還りを願う、、、73歳の希望です。

 

 

 


基礎と臨床を漠然と認識するとき

2017-07-22 13:31:29 | Weblog

戦後の進学熱の燃え盛っていた時期は

国の教科書で、素直に勉強する生徒の間では

点取り虫も現れるのは仕方のない、、、

サヴァイヴァル勉強時代出逢った。

日本史の試験を前に

時代の変遷のポイントの出来事を

唄にして覚えている学友たち。

頼朝はいちいち国を支配する、、、1192年は、、、

違うだろう!

いい国造ろうと思案するだろう!、、、1192ね~~~

武士の時代がいい国ね~~!

K高校のクラスメートは、高校で就職してゆく人

卒業と同時に結婚する人、

学芸大合格しても、家業のラーメン屋さんの

暖簾を選ぶ人、

まばゆいライトはあたらなくても、

T大の教授さまでも、出来ないミクロの精密なネジを造れる人、、、

漠然と分類するなら

技に生きてる「臨床家」のような、、、ミニ工場の一人社長。

その腕を頼って弟子の気持ちのように見習いに入り

社長と人生そのものを一緒に生きようとする

そのような環境のクラスメートが何人かいた。

当然、クラスメートも、親の職人の腕を誇りに思うから

大学を受験するが、合格しても、家業を継ぐから

進学率は、もしかしたら

正確な学力は受験雑誌には反映しないのではないか?と、、、思えるほど

もったいない大学の合格を、

女性がゆえに? 

家庭事情がゆえに?

それとも、人生を臨床で生きると、親を尊敬するから?

ともかく、、、自分という、流されない性格を軸に

たくましく、卒業してゆくクラスメートが、、、印象に残っている。

見栄も、外聞もこだわる前に、

たくましい、生きる術に、

生きがいを求めて、互いに卒業して別れていった。

****************

なぜ、、、今、、、臨床と基礎の事を考えてしまうのか?

ヒステリックなT女性議員の事を考えてしまう。

筆者の卒業し都立高校は下町にあった。

下町の、貧しい高校からは、

ハーバードにも、

オックスホードにも

道は、まず、

金銭面からも、

家庭の応援からも、

社会の配置からも

至難の進学路であることは確かである。

いったん、高校で勤めて、

進学のお金を自前で稼いで、

アメリカに渡り、、、アメリカの大学に入学した同窓生は存在する。

社会の片隅で、窓際の労働に耐え、

30歳から国際的な免許を取得したという、たくましい同窓生も居る。

自給自足の、独学に勝る努力を結果に結びつけた者もいる。

戦争で、全財産と兄弟3人を失い、13年に及ぶ疎開地で

心身ともに復活した敗戦を体感した我が家も、

故郷の市谷はもはや手の届かない地区として変貌しており

実家の在ったあたりには、巨大なビルが建っていた。

根っこが基礎的な地味な家の父と、

明治生まれなのに、斬髪で、革靴を履き、

自転車で通学していた母が、

新橋のフロリダという

ダンスホールで、出逢ってしまったのは

大正時代も終わろうとする頃でした。

近衛さんがドイツより   *じゃじゃじゃ ジャン、、、の

クラシックの譜面を日本に持ち帰った時期に

事もあろうに、、、

音楽大学に進学して、

ショルツセンセイご指導を受けたという。

どういう、、、女性なのか?

今も、私は母を理解するには至っていない、、、が!

外科医と、音楽家、ダンスと戦争、

敗戦と復興、

世界の中の日本と

経済の流れと、支配階級

イデオロギーと

政治という臨床

どのように、、、ベクトルは引き合い、

どのように、打ち消しあい

どのように合力となって

社会世論を移動させているのか、、、宇宙を観るより見当がつかない。

 

ノーベル賞が、爆弾を称賛しているとは考えられないが。

科学は、間違いなく地球を汚染してゆく戦争の武器を造った。

歴史のサークルで、

パリ大学のミュージアムのゼミに参加した事があった。

日本語とフランス語を流ちょうに話す「大人の女性」の通訳が

当時の研究所がそのまま保存されている現状を

日本語に翻訳しながら説明しながら

パリに誇りを感じつつ、

こうした忍耐の居る学術的なガイドをしている事に

大人の持つ、言葉には表現できないメッセージで

日本の、引率してくれたT大の教授に、

何かを託して、接しているのが、雰囲気として

幼い未熟な私にも、、、空気として伝わってきた。

成り行きなのか?計画していて、案内されたのか?

私には解らないが

モアッサン博士の実験室を訪問した。

教壇にあたるような大きな机の上の壁に

受賞したノーベル賞が、、、額に飾ってあった。

その額を降ろして、

額から、ノーベル賞の賞状を

教壇に置いて、

至近距離からの観察の機会をくださいました。

当時の時代背景からのノーベル賞の意味することを

実験室丸ごとの保存で、

パリは、日本の歴史探求のグループに

大きなメッセージを伝えてくれました。

**********************

政治的に、臨床的に外交をする人、

基礎的に文化外交をする学者の先生方。

基礎と臨床の間で、

社会の何の役にも立たないかもしれないが、

「知っておこう!」という

とりあえず、参加して、全てをカメラに収めて

大きな波に浮いている泡沫のような、、、私が

必然の時とひらめいたら、

損得も、忖度も一切の雑念を除外した空気の中で

提出できるように整理だけして、、、

考えは。。。十年後に意味を見出したりしている。

参加者、、、なんて、、、と、、、バカにできない時が熟成させる。

臨床は、見えない基礎に支えられている。

基礎は臨床家の理屈を超えた実践の結果で精進してゆく

ヒステリックになってしまったT女性議員さんの場合、

秘書さんとか、

運転手さんとかの臨床力を

信用すれば、、、良かったのではないでしょうか?

「臨床力」には、宝が隠れていることに気が付いていないのでは?

人間のエネルギーは一定の持ちエネルギーがある。

臨床的に生きる人たちは、

理屈を超えた実践の結果を五感に於いて体得し

理屈抜きに

全身の筋肉に蓄えて指標にして次に進んで行く。

基礎的な学者系の、理屈やさんにとっては、

「違うだろう!、、、」と、

頭で考えたデーターに基づいて、「理屈上の正解」を持っている。

いつも正しい答えがある。

学校でも正しい答えを教える。

正しい、、とか、、、間違っている、、、とか、、、

自分以外は基本的に信用できない哀しいエリートの弱点。

裁判ではないが、世相を超えて、時代を超えて

何年も経過して、時代の価値観や視点が変わってゆく中で、

国境を越えて、歴史を超えて、、、

未来に放たれた矢がどこに向かうかで

正しいか?

まちがっているか?

判定は、正しいのか?間違っているのかではなくて

時とともに、結果は

変わって来てしまうという、、

、答えのないものが多いはずである。

もし、、、光秀が 

下剋上に走らなかったとすれば、、、?

信長が、本能寺で死ななかったら?

鎖国は無かったかもしれない、、、と

考える歴史家だっている。

***************************

中原中也や

寺山修二や

若き頃、多大な影響を受けた詩人であるが、

一方、、、

泣き節と間違っている。。学友たち!

鼻息の荒かった17歳のころ!

浪人時代の受験時代の学生も結構居たが

カニと戯れる、、、弱さと解釈していた。

石川啄木も、多くの素直な哀歌を残している。

時代が代わり、価値観が変わると

平安時代に、

これらの歌や詩が、巻物になって残っただろうか?

国語のテストの正解は、

時代とともに、、、

正しくないと判断されることだってある。

*************正解なんて無いに等しい**********

臨床的に生きる政治家が、

基礎的な学問の思考過程を身に着けて、

正しいとか、間違っている、、とか

ちがうだろう!、、とか、狭い視点で

対象物を観始めた時は

もはや、、、臨床家にも、基礎学者にも成りえない。

視野狭窄に等しい時間貧乏だと、、、思いませんか?

時間を造ってくれるのは、信じられる心かもしれません。

亀さんは動きが緩やかだから万年も生きると象徴される。

愚図がグズでなくなり、時間を造ってくれる恩人にもなる。

貴重な、、学門や知見を身に着けた豊田さんの弱点は

自分から観て、

今、

プラスに働かない現象を

「間違っていると認識してしまう事ではなかろうか?」

「間違い」と認識する、、、

高学歴の人にありがちな

正解があると信じて、答えに正解をランクづけてしまう共通点がある。」

「正しいことがある」と、、、

狭い学問的な世界の条件付きの答えに

自分の都合を重ねるからではなかろうか?

変域のある不等式を

解答求めて勉強していた時の答えを思い出してほしいと思う。

基礎学者の頭のまま、

政治という、一分前の答えが状況により変わる舞台に立った時、

これぞ臨床!と、思えるような政治家の

とっさの判断で、

「何が、世界の空気の中で役立つかをセレクトしてほしい」

まともな普通の人に、

自分の判断に沿って、

自分の考えた事と同じ答えを求めるのは

どこか?大人げないと思いませんか?

自分の枠の中の正しい変域に合わそうとするのは

自分の手足とまちがっていませんか?

同志を募るか、自分に心酔しているフアンか

娘の生きがいが自分の生きがいと混同している母親か

利害が全く一致しているペアのダンサーでも

愛とは違う、、愛以上の空気を感じて、相手の思うとおりに遂行するなんて、、、

誰に、、そのような、、、神がかった行動が、先回りして出来ようか?

泥をなめあい、泥をかぶった底辺から、学者さまの世界まで

貧乏という、心のエネルギーの不足した人や、

弱い心の人間という、とる事しか思い当たらない欠落。

金持ち過ぎて、飽食に次ぐ飽食が

自分第一になる事以外は、我慢できないという

「思いやりの心」が

芽生える体験の機会を

すっ飛ばしてしまって、点にならないことは認められない集団。

さまざまな条件の人間が住んでいる地球上の国々。

多様文化のバランスをとる事が、仕事の一部かもしれない政治家としては

「これしか認めない正解」のある

自己の生きてきた時間内の都合の良いことを正解と思うならば

泥にまみえて、戦争に行き、屍の山を踏み越えて

敗戦後の日本をふかっつさせてきた先人たちの、

正しくない、、、何と言おうと、、、戦争は間違っている。

「戦争」という戦場で

正しいことを探し続けた昭和生まれの人間たちが

何をもって、、、正しい事や、間違っているだろう!といえるのか?

若さと、経験の未熟さを感じるのは、私だけだろうか?

完璧を求めることの贅沢さを知っていても

完璧でないことのリスクの方が怖いのは、、、良くわかりますが。

急遽、、スーパーな良い頭で、学習して、

「おとしどころ」をとっさに判断して、、

遅れてきた武蔵が小次郎に勝つのが

もっと柔軟に、周りのスタッフを信じて

「訳はともかく、君に任せたのだから、、」というように、

信じることが、部下ができるのでは?ないですかk?

相棒を信じることが、最初の一歩です、

人を信じることから、協力する仲間になり、

支えあうのが

臨床の世界のように思えるのです。」

政治家さんは、、、臨床力に長けていないと、

正解なんてない世界を

正解に導いてゆくのでしょう?

外野で、未熟な主婦の井戸端の

よせ集めの感想は

T女性議員さんの

スーパーな頭脳を使う事の出来る

懐刀になれる知恵袋の

臨床家がさんに出逢ってほしいものですね。

ダンスを躍らせるように、

リードの男役を買って出て

ステップを踏んで、リードして、

世の中の動きという音楽のメロディーに合わせて

ステップを踏めるように

ペアになる事ではないですかね?

スパーな頭は、世の中の流れを曲に例えるなら

ステップはリーダーが示唆して、一緒にステップを踏んで

世間の注目は、華やかな衣装の女性が引けば良いでしょう?

リーダーの相棒は、影と間違う保護色で、

づ脳の使いどころをセレクトして、

次は、、マンボのステップ頭脳でね!

次はルンバだよ、、、番うよA10の神経で

美味しいお顔でよ!、、、とか????

ひとりで、完璧主義だと、人にやってもらえる部分も自分でするから

人生の時間もタイムアップになり

ヒステリー状態のパニックが、、、

孤独の中で押し寄せることはあるとおもいませんか?

こんな結論に、、、とりあえず、、、今日はまとまりました。

阿部さんの女性起用の政治には賛同しますが、

女性は、5時間でも、6時間でも

鏡を見ていられる、、、生まれながらの、、、

不思議な、、、自己愛の部分があります。

認められたい、、、注目されたい、、、振り回したい。。。

性格を持っているからして、

権力の権化になると、、、

自分の人生で、体験してきた

しごかれ経験や、いじわるされた事や、

嫉妬されて被害を感じたことなど

そのまま、部下に向かって、

ゲロしてしまう、、、不用心なストレス解消をする人もいます。

やられた事の類似の事を増幅して、誰かにストレスを回してしまう。

その結果、部下にとってはパワハラするという事にもつながってゆく。

*******************

「弱い人間、、、狭い人間、、、貧乏な心、、、他人のふんどしを使う性格

アピーラー、等の上に

108つの除夜の鐘が必要な煩悩の罪が

母性という本能の神っているとしか思えないベールで被われて

履歴はダイヤの輝きに真珠のイメージが、

人柄の本性を覆い隠してゆくとき

自戒して、原点に立ち返り、人も自分も、、、

生かされてきていることに立ち返る必要があると、、、痛感している。

女性の男性に勝る能力は、、、

子供を産む野生である

子供を守ろうとする母性である。

だから、、、

洗練され洗練され、、、学問した女性でも

肉食が恋しくて、、、一部のヴェジタリアンが、

時には、肉に反応する心を抑えるがごとく

日本の猫化けは

行燈の油をなめる生き物であることを、、、否めないと思う。

誰もが聖書を読み、

旅先のホテルの引き出しの仏教の本を読むように

人生を振り返り、、、

自分を律するために多くの事を知ろうとする。

母という、多くの愛に目覚め、

自分を律する精神の力を

自然はくれたと思っている。

私は100以上の神社仏閣、お寺にお参りして、

御朱印の受け取りとともに

踏み外す事のなかった人生に感謝すると

井戸端の奥さん方の共通の人生観であった。

奉納した授業料は、私の持って生まれた業の浄化に

祈りとともに、日々、、自戒を忘れないようにしています。

これは、、、踏み外しそうになって

ご主人の大きな愛の後ろ盾で、もとの鞘に収まったK子さん。

これは、、、個人的な日記であり

公開しているブログではありません。

親友縁者に、、考えを伝えたり、

電話でたしなめあう意見を

交したりしている、、、個人的な

切磋琢磨の為のブログです。

時代の話題をテーマに

思いつくまま。。。そこはかとつづれば、、、あやしゅうこそ

モノグル★けれ。、、、第二段でした。

次の瞬間、、、

間違いに気が付くと、、、修正しますので

ボケ防止の意見と思ってね

 

 

 

 

 

 


富士山の湧水の深夜放送

2017-07-22 02:31:07 | Weblog

結婚以来。主人とは夕食を、家庭で一緒に楽しむことがない。

深夜に近くなって、帰宅することが多い若かりし日々を振り返ると

7時ごろ、先に夕食を子供たちと済ませ、後片付けもして、

8時だよ!全員集合!をTVで観ていました。

今は、一人で夕食を済ませ、主人が帰って来てから、

ほうれんそうには熱湯をかける。

ミニトマトと、きゅうりと、ハムやソーセージは定食のように彩に使う。

生卵と、とろろ昆布の汁物は、自分で「汁のもとを使ってお湯を入れる。

トーフも一度沸かしたものを冷蔵庫で冷ましておく。

疲れて、ふやけて帰ってきた主人も

食事を済ませると、充電したスマホのように

いろんなアプリが立ち上がる。

ニュースを聞きながら、朝刊と夕刊に目を通す。

やがて、12時近くなって風呂に入ったりすることが多い。

私は、夕食を出した後は、深夜まで爆睡する。

主人が寝ると入れ替わりに起きて、炊事場をカタズケル。

やおら、、、洗濯機のスイッチを入れて、

しんやTVに夢中になる。

昨日は、富士山の湧水が、崖の途中からいく筋もの滝となって

見事な景色になっているのを見た。

湧水は、静岡のワサビの畑になり、澄明な池になり

富士山はあたり一帯の貯水の山であると

解説していた。

深夜に富士山のあたりを観光できる「今」という時代は

ちょんまげの時代の、、、お殿様でも出来ない技ですね。

そして、番組は「世界の秘境に飛び、宇宙の星空に飛ぶ。

深夜の3時になると、バイクの音がして

近所の深夜作業の叔父さんが帰宅する。

私は、ここら辺で、ネットに向かう。

一日のニュウ―スや、無料の動画が面白い。

そろそろ、明け方に向かう頃、

状差しに、カタン!と音がして、、、、朝刊が入る。

我が家は、道新を購読している。

新幹線開通の時の道新は、、今でもとってあり、

折に触れて、何回でもめくってみる。

全面新幹線の記事が「カラー写真」で報じられて

子供の時のように、、、嬉しい。

今日も、深夜の自分の時間を楽しみながら、

明け方2時間の睡眠をとる。

6時30分には、庭に水をまいて、

私も目覚める。

夫を送り出して、ゴミを捨てて、洗濯物を干して、

掃除をして

又、、、一時間眠る。

昼ご飯をTVを観ながら済ます。

1時ごろから、9時間起きていられるから、

この間に、主婦の仕事をテンコモリニする。

いつしか、、、73歳になっていた。

、、、、、

先日、、、自然のままに、大往生されし

105歳のDr.の聖人は

自分の時間をどう使うか、、、という事が

人生だというような意味に受け取れるような事もおっしゃられていた。

世の為、人の為、多くの患者さんの先生をしながら

多くのメッセージも残され、、、、

先生だけは、富士見の先生だと思っている。

私は、家族にとって、人生のワサビ畑を栽培しながら

湧水の毛細血管の役割をしながらも

何かの役割を果たしていると、、、信じたい。

この小さな水の働きは

湧いても、消えても、知っているのは家族だけかもしれないが、

人生の時間は、滝よりも速く流れて行った。

未来に放たれた子供たちと、孫たちと、

過ぎてゆく時間が海で会えるのなら、、、人生も

輪廻転生の湧水のように、

地球を潤しながら、、、澄明に光りながら

白糸の滝のように

惜しげもなく、、、流れ行けるのに、、、

人は、、、どこからやって来て、、、どこに行くのだろうね?

富士山よ、、、何万年の時間を生き続ける不二よ!

 


富士山  

2017-07-13 16:52:25 | Weblog

 

美しい富士山を見たのは

小松川高校の一年生の時でした。

月曜から学期末テストがあるから

今回はテスト前の勉強をしないで受けようと

決心するのには勇気が要った事が甦る。

 

クラスメートと、

部活で予定していた

三つ峠山に向かったのでした。

 

お父さんがテーラーで

紳士服を仕立てているからかどうか?

それは無関係に

下町の高校生のなかでは、

しなやかに、のびやかに

都会的な垢抜けした、

ヨン様のような優しい雰囲気の学生も居た。

冬のソナタを、、、何年か前に幼馴染が電話してきて

忙しい年末の大掃除の手を止めて

初めから、終わりまで、何時間もみた事があった。

年末に集中的に観ることになり、

山の中で迷ったヒロインを、ヨン様が探す場面があった。

その時、

高校生の時に登った三つ峠山や、

蓼科山が思い出されたものだった。

日本の高校生は、冬のソナタの二人のように

ロマンチックな要素は、、、さらさらなかったのが、、、

今頃の年になって、おかしくも懐かしい。

三つ峠山の岩の壁あたりまで来たとき

ゴルフボール大の雹が降ってきた。

リュックを頭に乗っけて、岩の間に身をひそめ

雹が止むのを待っていた。

誰と誰が身を寄せ合っているのかは意識はなかったが

互いに身を寄せ合い、リュックをバリケードにして

恐怖の時間を共有した。

山の天気は気まぐれで、

霧が晴れ、

空は雲が流れて青空が見えてきました。

山の斜面を大木が弓なりに弧を描き

空をキャンパスに

富士山の絶景が現れたのです。

今までの恐怖とは裏腹に、

夏の富士山は魂を奪われてしまうほど、

神々しくもあり、雄大でもあり、空の舞台に現れた衝撃は

皆と立ち尽くしたまま、、、絶句して観ていました。

私たちの高校時代は、

圧倒する富士山の魅力の前に

全てを忘れて感動した、、、あの時間を共有したという

皆が居てくれるそれだけが青春だったような、、、青春でした。

ここのところ、、、NHK の、富士山を、夜も翌日も、

懲りずに同じ番組に魅せられっぱなしでした。

富士山に魂を奪われたカメラマンの気持ちが

伝わってくる写真の数々でしたね。

子育てを終わって、50歳ぐらいの時、

富士山の樹海の植物探索に

運よく参加できました。

昭和大学の植物園の園長さんや

北大の農学部の方や、

薬草園で働いていたヒマラヤ登山をしながら

植物の限界線の苔を採取してきた北大の助手さんや

ベテランの探索を重ねたメンバーに、運よく加えていただいたのです。

富士山の5合目に着いた時は、

こんなところに「トリカブトの群生」があるのかと

ビックリしました。

トリカブトは、烏頭という小さな根が付き

次の年はそこから目を出し花が咲くので

十年後に来ると、移動しているので面白いから

また来よう!、、、そのような話をしながら

土砂降りの殺風景な小石だらけの斜面を

泥んこになって、、、cat and dog の雨の中を

びしょびしょになって、浅間神社まで降りてきました。

全部着替えて、タコ紐で干場を造り

老化の所に干し物をさせていただきました。

疲れてしまって、狛犬の下で眠ってしまいました。

富士山は、、、登るより、、、眺めた方が美しいという事が

びっしょりと、、、

パンツまで雨に濡れて、

未熟な登山者は、べそをかいたのでした。

登山の事を思えば、、、何時間だって、富士山の番組にかじりついて

夜明かしも何のそのという、、、楽しいテレビ登山の73歳の婆ちゃんでした。

 


内閣支持率って?国民の何パーセントの意見なの?

2017-07-12 12:32:01 | Weblog

とにかく、、、私は政治音痴です。

初めにお断りしておきます。

これは、最近の井戸端会議をまとめたものです。

 

あんなに、体力の限界まで、

世界を訪問して、お体大丈夫なのかしら?

かって、

民主党政権の時

世界のビィップが???

相手にしてくれないのが表情で解りましたが、

日本の危機感がありましたよね。

阿部さんになってから、

オバマさんと、

広島で,

原子爆弾の被害の人類に及ぼす破壊を危惧する、、、

平和への願いを共有した一瞬

核戦争のない世界が来ると信じられそうな

快挙が感じられました。

阿部総理とか、佐藤総理は、大きな国際的な政治の

大切な事をやってのけたと、おもわない?

阿部総理の天運を

神様が守ったかのごとく

新薬が登場して、

病状を改善してゆく効力があります。

阿部さんのお体も、

激務に耐えて、外交をされていると思いませんか?

世界に交流を求められる、、、

日本の顔にもなりつつあるでしょう?

後進国にも出かけられていますね。

グローバルな政治をされているように思っていました。

オバマさんから、

今の大統領に新しく変わった政権も

かなり、難しいお人柄で

ある実業家タイプの首相にもかかわらず

交流を、じょうずにやって、

すごいな~~~と

感心して観ていました。

70歳前後の主婦ばかりの政治談議は

ほとんど、、、個人的な思惑の域を出ませんね。

資料もないし、、、政治の何たるかも知らないし

勝手な思惑を、心に浮かぶままに

編集して、キーをたたけば、、、

あやしゅうこそモノグル★けれ。。。m(**m

 

          ************************************

 

。。。。。。まだまだ続きますよ、、、井戸端会議が。。。。

グローバルに駆け回り、

お疲れと思うわよね。、、、阿部さん。

世界の中への

日本のこれからを左右する外交を

阿部夫妻は

、しっかりやっていらっしゃるのではと思っているでしょう?  

 あなたも?

お茶の間は、安心していました。

それが、

国内の、

小学校や、獣医学校

学部の創設で。。。

ごたごたし始めましたね?!

ごちゃごちゃになっていますが、

sijirituga

sagattatte ?

?????????

私はデパートに2日続けてショッピングするのも

おっくう。。。なのに、

あの国、この国、国際会議、国内会議

江戸時代なら「直訴」レベルで、

訴える方も、そうとうのリスクと

背後に、民衆の代表意見という、お墨付きがあって

やっと、上訴、、、の、、時代から

言論の自由の平成時代とは申せ、

インタヴィユーの、

傍若無人な品性のない質問の仕方を観ていると

世界で観られている時代だけに

ある程度、質問マニュアルに沿って、質問して

首相や、大臣があくせく歩いているときに

答えられる空気でない時に

質問するインタビューのマイクが、

あまりにも、イージーゴウ。。。?で

ありおりはべりいまそがり、、、と、

受験に必ず出題された

日本の敬語は、心も、態度も、パパラッチ化されたように

安っぽくなってしまったことが、残念です。

TVを観ているお茶の間は

こうした、、、国のビィップの答えは

歩きながら答えられることを

期待していないと思いますよ。

親しき仲にも礼儀あり。。。て

日本の堕落のように思いませんか?

裃来て、、それがしは、と、

名乗らなくても、マイクを向けるからには、

どこどこの記者の、または、インタビュアーの

だれだれですが、、、今、質問してもよろしいですか?

聞いてる側の、レベルがわかる、自己の名前を名乗るべきと思いながら

群衆を率いる、鼠の大軍を崖に誘ってしまう笛吹きのような

子供のころの童話が思い出され、

支持率とか、人気で政治を鵜が課さないでほしいと思いませんか?

日本は、、、世界の中で、どのような役割を引き受けつつ

必要とされるポジションを獲得して、

世界から支持率の高い国を目指して

核戦争のない世界になる事の

根っこのある政治を願っているのよね。

日本の女性は、インテリが増えましたが

物事を客観的に観るあまり

一緒に泥んこになって

指導したり、導いたりする母心が減少したみたい。

保育園の空きがないのは困りますが、

保育園に3歳までの育児を丸投げするのは

もったいなさすぎる母の幸せを、放棄してしまうほどに

3歳までの成長は、人生のIQ以外の能力を

母親から、マンツーマンで、皮膚呼吸で吸収するという

時間単位、一日単位の変化に満ちていますから、

自宅で育児が出来る条件整理を政治に取り入れると

心身一如のバランスのとれた、子供を育てられるのではなかろうか?

世の中、、、老人施設があふれてゆく反面

老人の居る「サザエさんの家庭」が

究極の教育ではなかろうか?

これが、成功して、老人も、息子や孫たちも

二世帯、三世帯家族用の住居で

便宜を図りあえば

まさに

温故知新の、奥行きのある、、、IQばかりにこだわらない

別の能力も評価される、

穏やかな国家に向かえるのと違うだろうか?

阿部さんは、女性議員を推進したことは評価できると思いますが

能力にこだわりすぎているのかもしれません。

女性議員は

もめてる男の子たちに、母親の一言が必要な如く

母性の高い、高橋知事さんのようなタイプの人が

きっと、国会でも必要なのではないですか?

IQが高く、学歴が高すぎる女性は

多くのサポーターが居たからこそ、ハーバードまで行けたのでしょうから

サポーターを必要とするタイプだと解釈できます。

むしろ、、、サポートできるタイプの女性議員の方が

人間の能力評価の幅を広げて、

今後の女性教育の目標も

多岐に及んで行くとおもいませんか?

美人党首も、母親でいらっしゃるから

母性の愛情のなせる業は、

凄いエネルギーを持っていることに着目して

これからの女性教育は、IQはスパコンが導くであろうから

情操とか、母親独特の予知能力とか、直感、、、

一瞬にして、天災、事変、人災を感知する能力を開発すれば

人を使うのではなく

支持者を幅広く、、、まるで磁石がくぎを寄せ付けるように

協力者をゲットできるのが

女性の天分かもしれません。

戦後の、昭和天皇陛下のご苦労を引き継がれて

平成天皇が国民とともに

復興をされた日本を

再び戦火に巻き込むことのないように

日本の女性の中に

あの戦火の中で

美智子様のような「国のお母様」が育っていられたことに

日本は、やはり、、、凄い潜在した恵みのある国と思います。

日本をすくうタイプの女性は

どこかに居るはずと思います。

少子化、、、女性主導型、、、インテリ社会の自己愛の高い女性、、

女性進出して、問題も多く

人工的なエネルギーを土台に輝く女性の維持は

百人の秘書でも足りなかった現実を考えると

受験戦争の生み出した「光に見えて、、、実は、、ブラックホール」

白鳥座という、、、夢の優雅さの星座の中に

ブラックホールは存在した。

日本を救い世界に役割を果たせるのは

影のようで、陰ではなく、、男性に従属しているようで従属していない

脇役でありながら、、、脇役でない、、、

一枚の着物の裏と表のように

裏で勝負は決まると思うのですよね。

女性議員さんの握っているのは

日本の運命かもしれませんから。

阿部さんの次の人事には、

献身の神の域に近い

母性を持った日本の強気母の様な人で

二次的にIQも高く、、人間力の満ちた「愛」のある女性!

そのような議員さんが内閣に入ることで

足の引っ張り合いのような、野次の飛び交う国会を卒業して

三世代の家族の結束のような国会にして、

南北はじめ、世界の中での日本の仕事を

堅実に重ね、、、

後でジャブが効いてくるような

堅実なネットワークを充実させてほしいものですね。

目下国会から受けるお茶の間の感想は

ご自分の俺俺、、、私様が邪魔で

世の中見えない「平和ボケの酔っぱらいの様な、、、」

危うい物を速く駆逐して、行かないと、

民間との価値観の食い違いの文化が

ネット社会やスマホ普及で、致命傷な評価の食い違いが

想定外支持率変動のマスコミ政治になるのではないかと

フアンです。

ビジョン!

イデオロギー

国民性

宗教、、、

等々、、、多くのファクターを考えて

柔軟な国会の居なってください。

日本をよろしく導いてください。

混乱の渦に巻き込まないように

最新の注意で結束してください。

今は、、、結束の時期です。

そのように思いませんか?

短絡して、、、ミサイルが飛んでくるかもしれない

パソコン頭脳の時代に、

祈るばかりです。

平和を!

このブログは、、個人の日記です

後悔していない日記に

迷って入って来られた読者の皆さんには

73歳の、、、戦争体験の時代に生きた

込み入った世界の絡み合いが

戦争に導いてしまうことがあった

過去の歴史を、大切な教訓としてください。

偉いのは私様と言っている場合ではないのです。

正しい事や正解がないのが世界ですから。

正解のクイズ王のようなエリートに

何が欠けているのか、、、

世界を動かすのは「お金?」「IQの高さ?」「一流大学?」

一流企業? パソコンの学習能力が世界を動かす前に

人間が、機会に負けない天与の母性を、針より鋭く磨き

事前に危険を察知したいと、、、ふと、、、思う。

 

日本の国会議員さんは、外国の出身の議員さんも多いし

日本の中に、自分たちの住みやすい理想を考えていても

根本の文化が違うから

、阿部さんの失態を穿り返しているようでは

有能な、稀有なる頭脳の使いこなしに失敗するかもね。

小学校の例の事件の放映の時、、、

TVでうつっていた夫人が

「~~~」て叫んでいたでしょう

怖くなったわよね、

国内の騒乱の隙を突かれて、

内輪もめは、脇が甘い所ではありません。

東大、、、ハーバード、、、官僚、、、挫折知らずのエリート。

もしかしたら、教授が医局員を指導してゆくように

凄い上司が指導すれば

日本の宝な様な頭脳の戦力として

社会のシステム作りなどに

スーパーなアイデアを持っていたかもしれないわね。

スコミの繰り返す豊田議員の音声を聞きながら、

ほしいひとだね~~~もったいないね~~~

何とか、、、この方に「人を使うという事」を、ガイドできないの?

豊田さんの、偏ってはいるが、

スーパーに使える能力も

使いこなす人が居なければ

今までかけた東大生への税金も、教育費も

ハーバードで使った外貨も、

まとめて、、、ドブに捨てるような結果と同じになるわね。

2~3億円の税金をかけて、学習してもらった頭脳が

そのまま、、、何の国防にも使われないで、

役立てないままなんて、、、何とか人間の思いやりの心が出来るまで

研修をしてもらって、人間力を兼ね備えてもらて、

日本の発展の為に、、活躍してもらいたいわね。

放射性物質と一緒にしているわけではありませんけど

阿部さんの疲れ切った、

ストレスで、爆発しそうな

苦虫かみつぶしたような表情は、、、御気の毒だけど、

孫子の兵法とか

中国の兵法は、

尤も愛していた女性を、、、バッサリ!!!!!

ビックリして、皆従った。

世界を相手に外交をしている阿部首相のお疲れを、

癒すどころか

帰宅ソウソウ、

玄関先で、

てんこ盛りの文句を言うような風景を連想するわ。

外交という、国単位の、ダイナミックなストレスへの忍耐力を

評価肢体ですね。

内助の功、、、であるべき国会議員が、、、

、国会はイデオロギーが異なっても

日本を、

世界からも守る、、、家族のはずでしょう?

マスコミを上手く操って、

花園のような理想を連想させても

九州の台風被害、土砂崩れに見るように

日本の「想定外被害」は、

阿部のミックスを飲み込むほど、これでもかと、、立て続けに起きています。

私たちも、一丸になって、協力してきました。

ここ3年間は、小さなツワーや、温泉も控えて

被災地復興税の支払いに、全力をかけて、義務を果たしてきましたが

国会の予算は、あれこれ報道されるのを聞く限りでは

我々庶民の想像をはるかに超えたバンカブルな動きの渦を巻きこんで

複雑に動いてゆくのですね。

今だけのリーダーシップの獲得を競うのではなくて

温故知新、、、敗戦の怖さを思い出そう。

普段はNHKを基本の放送として、

そのマナーを

発言の自由と、資料の確かな推敲と

嵐を起こして、咲く花を吹き飛ばさない配慮ある公共性を

バロメーターに、お茶の間は、みています。

 

マスコミが先導してゆく政治が、

なにか、、、日本全体が、騙されてゆくようで不安です。

何処の地下鉄の駅でもスマホを観ている若者は

筋肉も弱くなり、目も近眼になり、デジタルな仮想世界を見つめて

現実を観ないので、行動にかけているから、

老人が、ふらりと、目の前に立っていても

席を譲らないで、ゲームをしているし、、、、

御しやすい若者を養成させているかもしれないし

アナログ時代大切にしていた

日本の武士道は消えて

商業ペースの、コマーシャルだらけのTVに

なってしまったのは、

品という総合力が導く武器を捨てた放送界?

損か得か?視聴率上がるか下がるかを気にせずに

今でしょう!って、、、必然性のあることを

編集してほしいわね!。

欲得が先行されるTVには、若者への影響が慮られるわね。

興味本心の放送が多くなったと思いませんか?

*******************************

むかし、、、トリスウイスキーのコマーシャルが大好きでしたが

最近のコマーシャルは、、、ペーソスが無くなりましたね。

折角のTVの時間を配給されているのですもの

組み合わせも、コシノジュンコさんぐらい

みた事のない、強烈な、コマーシャル作品にしたら?

一般から、動画で募集したらば?

この化粧品使ったら、、、宇宙人になりました!!!!!なんてね。

うーん、、、なるほどね~~~いいね~~~って

むかしは、コマーシャルが楽しく観れました。

押し付けではなくて、

品物の馨が匂ってってくるような、

雰囲気に

詩心がありました。

食事時に、便器そのものに、ウンチが詰まっている官を

製品で、汚れを落とすという

最高に、自社の損得しか考えない

「クッサイ、、、コマーシャルとか。

(++   (&&   やめて欲しいわね。

、芸のなさすぎ?。

日本自体が、

知能の高い人間、

効率よく商売する社会

学習するロボットと、

だんだん、心が

寂しくなります。

越路吹雪さんのように

後姿で、肩で、「無口な謎の笑みを投げかけ

視聴者に追いかけさせるような

凹のコマーシャルの方が、のめりこむと思うのよ、。

コマーシャルになると、

さわやかな小さなヴォリュームで

その化粧品のテーマソングが聴こえ

化粧瓶がダンスして、素敵な香水の瓶に変身して、目をうばうとか?

IQは高いが、、

、もっと大切な、、、何かが欠けてる。

ハーバード卒業して、、

、「はげ~~~」という言葉を選ぶ??、

すべからく、「そのジャンルの先生だから、」

相手に任せて信じて、

計画ごとに体験してもらう事で、

今日の考察など、共有し

スピーディになる時間をあげることが

人使いの、、イロハ、、、よね。

運転手は、プライドもあるし、、

技もあるし、

体験があれば、2度目はスムースだろうし

時間をくれる右腕になるとおもわない?

 

まず、、、「人を使えない性格」から、

勉強や能力とは違う方から、指導者を付けて、

学習をすることで、その能力を

日本の為に役立ててほしいね。

 

親孝行とか、3代同居とか、知能では学べない

サザエさんの時代に育った私は、

本気で、バラバラになった家族を集められる

3階建のビルを建てるのが目標だった時期もありますが。

あんまり、場所が良すぎて、、、

地下鉄の駅の至近な場所だったこともあり

固定資産税が高くて、維持できなくなりました。

色々と、まっすぐ行かないことが多くなり、

手放してしまって、負債が出来たことがありました。

理想的な事や、スカーとすることを

計画しても

日本では、出る杭になって

税金やら、何やらかんやら、、、経営が行き詰まるか

巨大借金で、公共性のあるものにしてゆかないと

銀行の融資がストップするか、高い利息になります。

、、、手放してしまってから、、、気が付いたのですが、、、

小さくても、事業となれば、公共性を備えないと、

ローンだけが残る仕組みに、、、なっていた。

素人の私は気が付かなかった。

つまり、ジャンルの違う

「不動産の世界」の事は

私は、赤ちゃんだってこと!

買った時点の半額、仲介料、そして、、、取り壊し代金

人生のタイム―アップの73歳。

夢を中座させると、、、赤字。

「私様」って言えるような、、、

オールマイティな思想は、

現代社会では、、、ありえない、、、思い上がりかもね。、、

国民は櫓を漕ぐ

私様はクレオパトラ?。。。

優秀な人であっても

自分しか見えない人は、

教育界の点取り虫のように

虚しい。

これらの周辺の女性の

進出を推奨する阿部首相に

向かい風ばかり来るのは、気の毒です。

その点、

阿部さんは、疲れていたところ、

世界の舞台で

、「日本はまけてたまるか!、、」て

サミットやら、首脳会談やら、国連やらで

がんばって来られたから、

疲れが残ったまま、激務の応援駆けつけでしょう!?

東京都議選の応援では、

民衆の野次に閉口されたとお見受けしました。

応援の時も、野次を飛ばしているのは

一般民衆と、雰囲気がちょっと違って

、野次が仕事のように、板についていましたね。

TVには映っていました。

外国で世界を相手の緊張が、

残ってしまうのはしかたないことですよ。

「負けてたまるか!」の、気迫で、

世界の

巨大なポテンシャルエネルギーのある

首脳と向き合い

お疲れだったと思いました。

気迫の切り替えが出来なかったとも、、、とれますよね。

阿部さんは、少し休んでいただくと、

疲れも取れて、

こんな人たち、、、て、

野次に駆けつけていた人の事を言ったのではないですか?

演説は、貴重な考えの発表の場で会うから

コンサート同様に、静かにきくといいでしょう。

講義は、演説の後にすればよかったでしょう。

疲れがとれれば

野次ぐらいではびくともしなくなるのではないかしら?

支持率って、、、真に受けると

かの国の、ようにも、

EU脱退の国のようにもなりかねないわね、、、

      ミサイルが飛んでる間は、、、

      穏やかに、結束して

      国会は一丸となって、、、日本を守ってください。

      罠の、掛け合いや、

      失言や、

      足の引っ張り合いは

      イタコ一枚下地獄かもしれない、、、

      現実の日本で、平和ボケしていると、、、想定外の人災かも!

      一瞬のうちに、日本沈没しないように目覚めること、気付くこと。

      平和ボケしている国会議員が居るってことかもしれませんね。

       さすがに、、、失言の女性は、、、防衛大臣は荷が重いのでは?

言っておきますが、、、政治音痴の奥さん方の

井戸端会議を、編集した、、、たわいもない

言いたい放題の感想でした。 

ブログですが、公開していない日記メモ同然のサイトなので

たまたま、外から訪問してくれた方には

失礼があるかもしれませんが、

個人的なつぶやきとして

大きな心で、受け止めて、共感するところだけ、愉しいと考えてください。

 でも、、、       無知は罪なのでしょうね。

 

世界からも、握手してくれる首相になって

ほっとしていますが、

マスコミが、あんまり「言論の自由を先行させると、、、」

ダイアナ妃のパパラッチを思い出してしまいます。

豊田議員は「人を使えないという、、、弱点がありそうですね。」

しかし、能力はあるのだから、

彼女の場合は

優秀すぎて、

普通の人がバカに見えるという

狭い、学会や、知識や、学歴が評価される

点取りの縦社会に

閉じ込められて、

狭い価値観で育てられた不幸に

同情して、

もっと、社会の

したたかな人間関係を

体験できる部署で、学んでもらえば

前向きにかんがえられませんか??

半端ではない能力を、だれか、、、

彼女を扱える、凄い能力の先輩級の人と

組み合わせれば、

その能力を、、、

どぶに捨てなくても良いのではと

思えるのですが。

 

阿部首相には、、、

国内の事でストレスを与えないように

もっと回りがしっかりして

守りを強くして、

首相には

世界の中の日本を考えてほしいですね。

 

角をためて、ウシを殺す、、、みたいに。

コロコロ変わる日本の首相を

「ダメな国」と、、、後進国なら考えてしまう可能性はゼロではない。

短絡した理解が怖い。

短絡させる要素を持たないように。

全員で日本を負けさせない。、

外向きの顔を弱体化させるのは

後進国のレベルで認識されるから

短絡したミサイルが飛んでこないとは

限らないとおもいませんか?

内閣の交代は、

外国からの視点で、

日本の評価の下がるやり方は、、、今は避けてほしい。

内閣支持率も、

民放が、良く考えて放送しないと、

観ているのは、外国であり

手の内を大公開していることになりませんか?

 

私の中の、、、胸騒ぎは

知的なデジタルの走り過ぎは、

愛のない国を造ってしまうとおもいませんか?

 

阿部首相は、国内の事で煩わせず、

国内は、内助の功で、

世界としたたかに

充実した交流が出来るように、

今は、、、平和を考えてほしいですね。

 

阿部さんをつぶすような放送は、、、

日本の脇があまくなりませんか?

緊迫した、世界への信用が大切です。

、交代がめまぐるしいと

新しい首相で、

すぐに外交のフィルムはつなげますか?

世界に向かって新しい首相が発信しても、

東南アジアの人間は、モンゴール系なので

日本人だって解ってもらうまでには

後進国の国民にとっては

迷ってしまうかもしれませんよね。

 

想定外の自然災害さえなければ、

かなり経済は良かったに違いなかったと

推定される実績を思い出して

褒めて褒めて、良い面を、国民皆で引き出して

 

それでも本人が花道を下がるとき

新しい首相が、前の首相に花束を渡す事で

日本の内政が引き継がれてゆくと、人が交代しても、

世界は、阿部首相の功績とともに、期待してくれると

思うんですけどね~~~

国会議員が真摯になってもいいのではないですか?

登場するマナーのある政治の世界も、

世界への政治ではありませんか?

短絡か?

自己評価の高すぎか?

文化の遅延か?

恐怖からなのか?

自己顕示からなのか?

女性の能力を、国会全体で、育てる期待をもって

、回りの指導力で

どうにかならないのかしら?

解りません?????

短絡して、、、ミサイルが飛んでこないことを

祈っています。

人間とロボットの違いが、

限りなくゼロに近くなるような

パソコン時代に、

感受性や、愛情や、母性を 

IQ以上に評価して、人間が

人間らしく在りつづけるように

人間は元素というブロックで造られてはいない。

パソコンの判断は、IQは高いでしょうが、、涙は流せない。

バランスのある国に、

日は昇ると、、、

信じているわ。

21世紀に、、時の止まった国から、

武器よさらば、、、

世界が結束して戦いを防止するときではないのかな~~

地球の巨大な氷塊も流れ出しているらしい。

成層圏は汚れ、

多くの宇宙の塵も天候を微妙にかえているのでは?

空の掃除当番を決めたらどうでしょうね。

地球こそ、

尤もエネルギーを持った資本と言えるでしょう。

地球を汚さなければ

太陽と月と地球が、人間を生かし続けてくれるはず!。

戦争で儲ける国が無いように、

経済の流れを変えて

地球が生み出すエネルギーを大切にして

地球を壊さないで、

経済のもとになるように

水の循環のように

地球そのものが生み出す経済も巡回させれば

戦争を起こさなくても、、、エネルギーは不滅に

ロンダリングするのではないですか?

植樹の心で、、、。

皆、、、欲張りは、、、タコが自分の足を喰って無くなるよ!

今日の井戸端会議は、、、このあたりで、、、御開きにしましょうね。


旧友の74歳は、、、第二回目の空の巣症候群かな?

2017-07-11 10:50:14 | Weblog

 

医療関係の家に育った私には、

健康相談のポストになると思っている知人が多い。

私が、目的ではありません。

主人も、兄も、弟も、息子も、医師であるという関係で、

なにかと、相談事を、電話で受けることがある。

本人の相談なら、

まず、,,まだまだ、常識内だけど、、、(++!

 

周りの

「医師を仕事とする縁者」に

話の持って行きようもあるが、、、

 

先日は、従業員があれこれ苦痛を訴えるので、

医師の意見を聴きたいのだという。

 

「電話で、しかも、本人でない者の話を聞いても、答えようがない」

 

その方には、とりあえず

「検診検査をするように進めてください。」

そう伝えて、電話を切ると、

再び、かかってきた。

「本人は、100パーセント、検診検査を受信したいと言っている」

一呼吸、、、おいてから、

「弟さんが、名医が見つかる何とか、、、というTVに出ていたから、

弟さんの所で検診検査を進めることにしたいので、

お姉さんから、電話を入れておいてほしい。」、、、(++!、、、

「直接行ったらいいでしょう!

私なんか、外野だから、間に入るのは、間違ってるよ。」

友人なので、ヅケヅケと、、、ほんしんを言った。

、、、、、、沈黙、、、

そう思いながらも、一緒に机並べて、大きくなった間柄だから

非常識だと、、、わかっていながら、、、弟に電話した。

*******************

子供のころより、私よりはるかに頭の良かった弟は、

姉の非常識も、常々、丸ごと大目に見てくれて善処する知恵をくれる。

今回も、、、

「実はね、本人じゃないんアだけど、、、

これこれ、、こんな状態で、勤務休んでいるんだというのよね、、、

重症のような気もする話し方なんだけど、、、本人じゃないから、、、

迷ったんだけど、そちらに検診検査に行くように言ってもいいかな~~?」

 

「イイよ、(^^!      

来るように言って、お姉ちゃんの友人と一緒に、

僕が応対するから、、、」

忙しい中、簡単明瞭に引き受けてくれた。

友人には折り返し電話で念を押した。

 

「あなたは友人だけど、患者さん本人は私は知らない人だから、

必ず、あなたが、今回の話の責任者として、患者さんに付き添って、

指定された日時時間に、必ず検診検査に行くように約束してね!」

弟とは言っても、医療の話となると、私にとっては「聖域」に近い。

友人は、「勿論解ってる!」と言った。

「口利きだけで、患者さん本人が現れないと、莫大な迷惑がかかることぐらい

常識よ!」

彼女は声は学生時代のまま年をとらない。

それから、私は、無関係の如く、気楽な日々を過ごしていた。

ひと月も過ぎただろうか?

友人から、電話が入った。

「思っていたよりづっと重症で、検査の結果、

ステージが高い

がんだったのよ!、

弟さんは、診断後、名医を紹介してくれて

無事に手術が成功して、退院したのよ!ありがとう!」

弟からも、間もなく電話が入った。

「この間の患者さんね、、、運がいいよね!友達を経由して

僕のとこに来たこともあって、

僕も、知ってるドクターで、尤もあの疾患にかけては知られている

がんセンターのDrに手術をお願いしたんだよ、

手術は成功したから、安心して。」

知人の知人という、、、見知らぬ患者さんの事で、

落ち着かない毎日を送ったが、

その後、

一年経ってから、彼女は仕事に復帰していると、

明るい知らせが来た。

「もう、、、私をポストにしないでね。結構、心配が増えるんだから、、」

友人は、「ごめんごめん、、、でも、凄い人助けになったんだから!」

「あなたの弟さんに、どうしても診断してほしかったから、」

奥の手しか思いつかなかったのよ!」、、、

彼女らしく、高らかに笑って、

「後から梨送るから、、許せ許せ、、、ョ」と、言って電話を切った。

同じ母から生まれてきたとは思えない、、、、弟。

弟の存在が、

多くの患者さんのベストの方向につながるのなら、

、、、私自身は「医師」の付属物と思われても

、仕方がない位置に居る。

甘んじて、ポストの役割を受けることしか道はないと、思った。

人生が短すぎるのよね、

男の子育てて、次から次へ孫が生まれて

おせっかいの手助けに夢中になっているうち

人生が過ぎてしまっていたのよね。

**************言い訳に過ぎないけど************

今日は今日とで、

幼馴染の知人から、

「旦那さんに、聴いてほしい症状があるんだけど、、」

聞いた答えを明日、電話するから、教えてと言う、、、幼馴染。

、、、やれやれ、、、私は一体、、、何なんでしょうね?

「直接、病院に行ってください、何ぼあなたでも、御断りよ。

主人に伝えたところで、、、結果は同じよ。」

まず、、、患者さんを、「実際に診療しないと」、

答えないのが医師ですから。

      お願よ!親友だった、、、、、今は 「おばあちゃんたち!」

私自身に用事があって、

私の意見が必要なときのみ

お電話くださいね。

 

私は、、、取次やさんでは、、、有りませんから

 

命を預かる仕事の医師が周りに居ると

勘違いされる、、、

家庭では主人は医師ではなくて

主婦の用意万端のスペースに、

毎日通ってくる宿泊客の様な、、、お客様みたい。

私が、周りの職業が医師の家族の中で

権力があると思うのは、、、大間違いなんよ、、、(==

緻密だった頭脳も

惚けの年代に入りました。

私は、、、惚けないぞ!!!、、、

 

私自身役に立つ独立した婆さんですよ!

よろしく、思い出してね、

一緒に遊んだ幼いころを。

!私自身にお電話頂戴ね、、この次は!

 


「名誉」築きし人には、氷山の見えない部分と考え、慎重に接したい

2017-07-08 05:14:49 | Weblog

医療関係の家に育った自分には、

知恵は、働く皆の背中から学んだ。

「箴言同様に謹んで学びました。」

 たった一人の命を救うのに、

必死になっている、健康の限界と闘ってていた父の背中。

、マスコミは、その命の花の部分を預かっている。

マスコミは一瞬にして、人生の花も、実も

叩き落とす嵐を巻き起こすときもあるから、

だから、TVも、ラジオも、新聞も、、、私物化しては、、、、

人間の世界の花園は壊される、、、

大切な、風なんだと、、、思うときがある。

 

      

 13年勤めた疎開地の無医村を去るとき

橋は人で埋まり、駐在さんが、、、橋が落ちるからと

人の整理を始めた、、、お別れの日

父は、何を大切にしてきた人か、

、、、、戦後の日本で、果たした役割が、、、背中に映って見えた。

皆、一人一人、、、一生懸命生きてきた。

                    

 

 

 

 

 


美は力なり

2017-07-03 10:13:50 | Weblog

 

都議選、、、すごいですね~~~~!

あのお年になっても

美貌も、若さも、能力も、、、衰えを見せない

都民ファアーストのリーダーの、、、しなやかな美貌

鴬のような声

東大卒のハーバード大卒?だったかしら

もし、この女性のような、、、しなやかさを兼ね備えていたら

自民党の選挙直前のイメージは凋落しなかったかもしれませんね。

女性リーダーにとって

本人がオールマイティになろうとすると

あの、、、女性議員さんのように

ハートで手伝ってくれて

一緒に生きてくれるチームが出来そこなうので

女性は、美しくて、しなやかで、年齢に応じた華が見事であれば

チルドレンと報じていられるけれど

いわゆる「能力集団」が、一緒に東京をファ―ストにするために

一緒に生きてくれるから、

合体ロボットのように

必要な時は必要な能力部品を合体させて

一緒に東京の為に生きれば、

2回目だって、

皆で一人だってわかるから、

クイーンはスマイルと、周辺機器の操作によって

スパコン政治が出来る東京都になれば

オリンピックの成功は間違いなしですね。

スマホ時代になり

東京の性質も大きく変わり目に突入しましたから

各自書く方向のプロの腕があるチルドレンと呼ばれている若者たちが

大車輪となって、小池さんの人脈の協力の下で

世界の国を招き入れるオリンピックを

新たなる機能を備えて、日本の一大チャームポイント東京として

歴史に残るオリンピックになる事を祈っています。

 

美しい理知的なのに、しなやかな美声で

語ることが、詩のように響くのは

大勢の聴衆を前にしても

「あなただけと、、、話しているのよ、、」というような

自己のアピールの要素がないという感じがするのは

歌舞伎の福助さんもたじたじの、「芸の力」にも似て

今回は、、、政治音痴の私には

「美」は「力」なり、、、、と

仕草、声、動き、、スマイル、、、緑、、、全て自然な強さに思えて

東京の世代交代のリーダーに思えました。

若者よ!この機会に気付け!

気付きこそ、

チルドレンとして生まれ

大きく東京の空に羽ばたき、世界とつながり

平和な世界に向けて

オリンピックを地球の平和の為に成功させてほしい。

東京の小学校を卒業して

御茶ノ水の日大で大学生活を過ごし

恩師の師であった東京大学の薬理の教室で

東京を自分の居場所だと思って過ごしていた。

東京を離れて過ごす自分が想像できなかった。

お爺ちゃんは宮内庁に勤務していた。

父は慈恵医科大学を卒業している

母は国立音楽大学を卒業。

長男は、東京に帰れるつもりだったから

東京で出産しました。

しかし、、、医学部という学閥は、私のような蚊帳の外の者の都合で

動いてくれるほど、小さな世界ではありませんでした。

しかし、子供たちは、晩年は再び東京に戻る日が来るだろう。

勤務地はともかく、父の代まで

何百年も東京に居た家族は

実家を手放し、それぞれの仕事のしやすい場所に

住居を移した、

私だけが、24歳の6月

東京を離れて、飛行機に乗ったまま

時間が止まっている。

札幌は竜宮城だったかもしれません。

我が子と出逢い

孫と出逢い

東京では、おそらくできなかったであろう

スキーや、自然の中の子育てが出来た。

それだけに、50年も住んでいるのに

別荘暮らしのような、異次元の別の世界だった。

いつも東京を思い出したり、

大学時代の学友から電話がかかると

未来の東京を想像する。

********************************

世代交代して、世界の東京に向かって

役割のある東京は

永遠に、、、日本の平和を守る玄関であってほしい。

政治は、わかりませんが

過去の歴史は非常に興味がありますので、

関東大震災も、空襲も乗り越えて

東京オリンピックが開催されたころ、

父も母も、私も、復興した東京で、幸せなひと時だった。

戦争の残した傷跡は

、、、、半端なものではなかった。

50年も、札幌の羊が丘の小さな一軒家で

一年の半分は雪を搔きながら、

時間は止まったまま、子供たちを育てた。

必ず!東京には、帰りますから

オリンピックまでは、惚けずに生きて

先祖のお墓の宝仙寺までお参りに行きますからね。

親類の皆様、忘れないでね、、、生き得る限り、、、彼岸には逢いましょうね。

ありがとう、、、東京都と札幌と

 両方を故郷に出来た生涯を

感謝して、も母とも、兄弟とも、

早すぎるお別れだった54歳の

素敵な中年のままの父とも、

心で語らいに戻りますからね。

兄弟の絆の「法事」を、いつも、東京の菩提寺で行ってくれた事は

東京を離れた私には、家族との大切な団欒でもありました。

東京オリンピックの時は

父はすでに、ゆっくちと休める宇宙に旅立った後でした。

再びの「東京オリンピック!」に

家族の心は次元を超えて出逢えるでしょう!

 

素晴らしい世界の宝物になるような

オリンピックにしてください。

体操の、選手

リレーの選手

水泳の選手

、、、、、

色々な種目が、夢中な時間を過ごさせてくれました。

卓球の愛ちゃんのように

世代交代して咲き続けることを、楽しみにしています。

その時まで、緑のリーダーの女性の、美の力が揺るがないように

国民の一人として、応援しています。

これは、、、個人的な日記ですので、

親族、友人、私との「幼馴染」の

あなたに向けて、書いています・