日本という国は、300年もの間、、、鎖国が成り立っていたという、
いわば天然の要塞である海に囲まれていましたよね。
その、、、海を飛び越える情報が目前にやってきています。
男尊女卑の外側からは見えない、、、
歴史的な身分制度は
いったいどのような体質が、
かたくなに日本を支配してきているのだろうか。?
日本国内の問題に見えて、
実は世界の見えないシステムが
会社の組織図のように、
女性は受付や、秘書や、キーパンチャー、、、etc,
根本的な問題に
かかわることが出来ないシステムが
組まれているような気がしてならない。
女性ピアニストも、バレーリーナも、モデルも
姿かたちでは、男性が真似のできない優雅さもある。
世襲制にも似た効果で、
親がその道のプロであったり
才能を育てる人脈や組織に通じているため
英才教育の道が見えることも
大きな要因であるとは思うが、
スポーツ選手など、知力、体力、経済力 人格、ともに優れている。
卵の時代から、違うという事を感じながら
楽しませてもらう方の人生は、幸福ですが
客席の人生は、多くの謎を感じながら
人生は終わってしまう、、、
男性は、歌舞伎の女形の芸術をもって、
女性も及ばない次元の魅力を感じさせるのは
男性ばかりの「芸術」のチームだからではないでしょうか?
素材の中に天然の女性を入れないことで
人工的な、全く別の
男性側から認識する女性の美を強調しながら
舞台という、スポットを当てた空間に
音、色、光、男性という骨太のオーラーの素材
あらゆるジャンルのプロの総合力で
時間を支配してゆく。
何百年の歴史の磨きが必要な、作業と、形而上の感覚の出会いが
天然には無い、人工の的な、計算されつくした心理状態の上に
客となって、舞台を見上げるにも、自前の修行が必要という
不思議な、客席が主役になれるように導く技があると思います。
男と女、、、研究者は、やはり、、、男性であるのが、日本なのかもしれません。
女性は臨床家なのかもしれません。
しかし、女性には、男性にない天与のひらめきがあるのです。
結婚によって、そのひらめきは泥田になって
見事な稲を育てる方向の、名脇役となってゆくのでしょう。
一握りの女性を、2歳ぐらいから
研究者として育てれば、
すっかり遅れてしまった「生命科学の研究」や
内分泌の研究に、女性という天然の味方が、身体の内側から
研究の行方を導いてくれるひらめきが育てられると思うのです。
男性は、優れていても、
どうしても、何かが足りないと思うほど
形のない部分で、ひらめきや、説明不可能な部分で
女性の持っている天与の部分が無いために
闘いという、勝ち残りの世界を作ってしまうのではなかろうか。
大きな根本の部分で、
エネルギー戦に持ち込むと、
勝負になってしまうから、
日本の未来は、計算機で決められてしまうのではなかろうか?
優れた建築は素材の選び方で初めに
追従の許さないトータルな存在感を大切にしていると思うのです。
ヨーロッパの国々の建物や町並みは
歴史を背負って今なおあり続ける建築素材で出来ていたり
100年のスパンで、
世代ごとに
家を建てる徒労に
人生が終わる日本の女性の人生は
「家内」とは、、、よく言ったものだと思います。
「嫁に行く」、、、苗字も男性側を名乗ることになる。
私の場合は、男3人、女性の私が一人、
8人兄弟のうち4人が、戦後を生きることになった。
敗戦の日本を、立ち上がらせる団塊の世代の果たした役目はすごかった。
女性は、黙々と「家内」の役割に徹して
男性の給料の中でやりくりし、
子供を産み、育て、孫の世話をドタバタとしているうちに
後期高齢者になっている自分に気が付くという生活が
日本の中流の下~中の、スタンダードな家庭模様だと思うのです。