札幌の地震があってから、、、あと3ヶ月で何と、、、かれこれ1年。
ゆっくり、急がず、長いスパンで、修復してゆこうと思いながら
あちこちの、、、ヘアークラックが在りまして
ゆっくり補修しましよう、、、と
とりあえず、、、3日計画で
1日目は天気予報で20度を超す青天の朝4時起きて
3畳の付設したサンルームもどきの屋根に
シーラーを塗りました。
中2日置いて、
素人向けに売られている油性ペンキの茶色を
上から塗装をかけました。
ただし、先端30センチはぐるりとも、塗り残しました。
それから一週間たって、
ペンキが乾いてから、
屋根の真ん中に寝そべって
塗り残しの、、、ぐるり30センチを
おもむろに、塗りました。
屋根から落ちるのだけは、、、ごめんなさいだから!
この年で、一階の屋根とはいえ
2,7メーターはある所から落下すると
、、、骨折するかもしれません。
ペンキやさんなら1時間で終わらせるところ
10日かかって、
何とか、完成しました。
後は、、
50年たったトタンの車庫の屋根は
10年前にトタン事取り換えました。
しかし、後期高齢者にもうすぐなる私は
免許の返納と、
車庫を撤去することも考えているから、
当座1~2年使えることを考えると、
この屋根も、
あちこち穴が目立つ。
台所用の金属テープで穴を防ぎ
その上から、ペンキを塗る予定です。
昭和50年前後のミサワホームは
北海道ミサワという
会社が建てたミサワランドの一角の
建売住宅である。
バブル景気のピークで
一生、、、持ち家が持てないような不安が後押しになって
たまたま案内された建売を
買ってしまった。
我が家の門の真ん前も、その横の家も、斜め後ろも
全てミサワホームである。
購入してから、トラブル続きで
今回の地震の後、
真横の家は売りに出され、
土地代金で買い手がつき、
ミサワの家は解体撤去された。
解体するのを見続けていましたが
パネルは頑丈で、
解体はもったいないと思うくらい。
しかし、トイレとか、
家の機能が壊れてしまい、
売りに出したと言っていた、
角地に見えて、道路沿いに市の持ち分の土地があり
角地の優位な建蔽率は無い。
購入当時は、隣からの申し入れで
30センチほど境界線より、我が家の敷地を手前にひいて
当方が言われるままに塀を建てることを承諾した。
120万もするので、びっくりしたが、
若かったこともあり、利率9パーセントの
ミサワの提携ローンを借り。20年ローンとした。
ボーナス期2回23万円の支払いと、毎月10万弱のローン支払いが来た、
無給医の生活では生活できなくなり、民間の病院に固定したので
初めてのマイホームらしい23坪の、変な形の屋根が
世相に無知な、私たちの、ストラグルのスタートが始まった。
境界線の両方にまたがっていた下水用のマンホールは
塀を建てる工事の時
隣の敷地の移されて、
そのマンホールに
当方の下水がつながってゆくという
造成地の市に提出されている測量図とは
かなり違った、まっすぐには行かない境界の塀が
隣の申し出のままにつくりあげた。
今回、隣が売却され、
購入して仲介に入った不動産屋さんが
新たに測量をして、いろいろ言いてくるが、、、
50年も経ってしまっている塀を、
どうせよというのか、、、大きさの違う測量の束石を
いくつも埋めては掘り返して、境界を動かしていた50年前。
10歳以上も年上のお隣さんの言うままに
自宅の庭側に境界を何十センチか引いて
お隣さんのご満足のゆくままに
当方で塀を建てることに同意した。
50年たって、
お隣さん側に移動されてしまった
下水のマンホールが
隣の敷地に入ってしまっており、困惑している。
当時は、ミサワのパネルが良くても、
組み立てや、内装や、配管が、
パテントを持った専門家が
監視するために短時間回ってくるだけで
土木、建築や大工さんが、
地道な工法で家を完成させていなかった、
地耐力や建蔽率などの基本の部分や、
市の境界石を、
建てた家の建蔽率に関係するのだろう、、きっと。
家の坪数が広すぎたりすると、
建ぺい律に合わせて、
道路側まで動かしてしまうという、専門家の来ていない時間、
せちがらい東京で育った私には
理解できないルーズさであった。
しかも、後から入れた束石は
一回りサイズが大きくて、
ぐるりに面取りがある、
測量の正確さの印として使うのには
面取りは不正確になる恐れもあろう。
まともに住めたのは3年間だけで、
毎月修理が入るので、
つかれはてて、
区切りの良いところで
大手の社宅とし貸しました。
しかし、屋根の作りが雪を計算にしなかったのか、
暖気の冬には
スガ漏れ☜ポタポタ水滴が落下。
本州の東京より北に住むのは初めてげあり、
入居者も静岡の人であり
冬の寒い北海道で、不安が募り、
屋根を修理してほしいというのだった。
結局、家賃の二年分の値段で
トタン屋根の全面張り替えて、
ストッパーの小屋根を撤去してもらったら、
小屋根の糊しろみたいな襟には
30センチぐらいのねじくぎが十数本刺さったままで
小屋根は撤去してくれた。
借家人は、度重なるメンテナンスに
浸から果てて出て行ってしまいました。
家なんて、貸しても、あれこれ言ってくるので
貸すのはやめました
空き家になってから囲碁の40年間は
本家を広く使うための、物置代わりに重宝している、
又、便利な空間として使っているが
水道も、何十年も使っていない、
契約するには、
配管をやり直さないと無理である。
トイレも、過渡期の電気便座が未使用のままだ。
何より不思議なのが、
水洗トイレなのに、、、トラップというのだろうか?
曲がりく練った臭気止めの為にあるはずの「
水を停滞させておく管の部分が無くて
まっすぐな落下式のトイレを設置している
隣が壊してしまって更地になったには良いが
本来無関係な「我が家に、、、何やかやと
約束する書類に判をくれと言ってくるのでまいっている。」
測量を依頼されている若者が、
仕事熱心な、資格を許されている専門家なので
まじ目な感じの良い青年なので
自宅の食堂にあがってもらって
話を聞いてあげては居るが
境界や、隣の敷地に移動してしまっている一個しかない下水のマンホールなど
未来のトラブルを抱えたまま
あたらしい家を建てる前に、
もともとあった境界線の真下に
両方の家が対等な使用権があるように
市の方で、不動産屋さんにきちんと話し合ってほしいものです。
購入当時から、境界線の移動や
下水の土管の埋めなおしや、
業者が何回も境界の束石を動かすので、
どれが本当の束石なのか
解らないくらい、あちこち入っていて、
ずさんにセメントで
古くからあった境界石を塗装目隠ししてしまっている。
今回、更地になっているうちに
隣同士で
声の大きい方の言い分が通る書類の交換で
孫子の代まで、トラブルの原因を持ち越さないようにしてほしい。
造成した団地の一角の建売を買った物の、
あまりの改修工事の続くうるささに負けて
隣の言うままに塀を設置して、
喧嘩にならないうちに、
斜め後ろに、大変なローンを抱えて
新築の家に移り住んだ。
何十年も、隣の離れは物置として使っているが
家を買い損じると、大変な負債を抱えたままに
固定資産税だけ払うというリスクがある、
金銭的なことは、頑張って、家内も両方で努めることで
切り抜けたが、、、
明らかに、更地になった今、
いわれなき塀の設置など、
言い分を、聞く必要があったのかと思うような
業者と、市の専門家同士の良い仕事をしてくだされば
2軒目の家に移らなくても済んだのではないかと思うのです。
水道も、契約していなくて、使っていなかったのですが
使用していると言って、40か月分以上の料金をまとめて支払いました。
実際は一滴も水道は使ってン氏のです
その後、内勤の専門家の市の職員が来て、検査の結果、
住居人以外の責任になる、市の水道局の責任個所の
漏水が、何十年も続いていたために
庭の水がたまったままだったことを突き止めてくれましたが、
支払った40か月分の水道料金は、
昔の事として、戻って吐きませんでした。
長く水道を使う事を危惧して契約していなかったため
隣の地続きの本家から、ホースで水を撒いたり
巨大ゴミ箱に雨水を貯めたりして、
庭だけは諜報に楽しんでいます。
今回の地震で、
ミサワホームの弱点だったところは、メンテナンスして、
パネルの頑丈なのを生かして、
サイデングを、
免許保持者に本人直に、
工事現場に付きりの監督するという契約のもとに
無事に、立派に
施工して、
見違えるほど、
リホームの高価が現れて
新築のような外観にだけはなりました。、
次は、、、
工事用の、生活からはみ出した貯金がたまれば、
旅行も、レジャーも、買い物も控えて
まず、念願の
水道を設置しなおして
冬でも凍らない防寒をした使える配管にしたいと思っています。
ミサワは天候の暖かな静岡あたりでは
知らない業者は居ないという
素敵な家を建立している評価のある設計です。
本社のパネルは
南極探検の夢のあるビジョンのもとに
五区間の地に建物を建てたという
夢のある業者であることは確かです、
昭和50年ころ、北海道にはまだ、入ってきたばかりの
パネル工法だったという記憶があります。
北海道ミサワは
本州の気候に適した設計に忠実に
台所から風呂場に、水道鉄管が
部屋の中を裸で天井下を走っています。
その管を
スポンジ製のクリーム色や銀色カバーで巻いてあります。
冬の北海道では、買い物から帰ると、凍ってしまいます。
それ以来
借家として、貸し出しても、
大家さんが隣に居るという事は、
毎日、トラブルを起こしては
大家が解決しなくてはなりませんでした。
それ以来、、大型の使用済みの家具や
肩もみ機械や、本州に行った息子の学習机や
真綿の入った布団など、本なども保管している、
今回は、、、地震の被害に遭いましたが、
負けては居られません。
少しずつ、内部のリホームをすることで、
地震の破損も修理して、
何十年かぶりに、
使える家として、取り戻したいと計画しています。
地震の被害からの立ち直りの決心が
どうしてようかわからなかった家を、
復活させるべく、、、、
孫子に変なものを残さないように
「シュウカツ」の意味でも、
機動部分のてこ入れリフォームを
長いスパンで、
楽しんで完成させたいとおもっています。
病院勉めは、普通の企業のように
退職金が在りません。
30000人も足りないと報道された
北海道新聞の記事を読みながら、
医術というのは、
歳をとればとるほど、経験が積み上がり
患者さんの予約も入るし
主人が現役で就業しているので、
一か所づつ、修理しながら、復活を
出来るまで、頑張ると言ってくれています。
ありえないと思っていた
「北海道の地震被害」が
頑張ること、
ピンチをチャンスに変える努力で
喪失感を無くして、心がやられないように
75歳にして、
せっかく買った、高いローン利率の
使い損ねた新築時代をもう一度
チャランジする余生の仕事をくれたのでした。
ただし、、、長い。無理のないリホームを
一部屋づつ、
5年スパンで勧めないと
老後の生きる充実を無くして、、、家が残っても
どちらが大切かは、良く良く、、考えなければなりません。
復活を、その都度、、、喜びに近い感情を味わいながら
創る楽しみを、
老後の課題にしたいと思います、
これは、明日ボケても
何をしようとしていたのか
思い出せるように、
ブログに書いておきます。
、言うことで、
やらねばならない自分の課題として
自分を頑張らせる作戦として、
不動産の強敵をクリヤーで来たらと思うのです。
5年は、、、かかりそう、、、
私80歳で、、、念願の、畳のある日本間に
自分の部屋が持てるかもしれませんね。
北海道の平成30年の9月の地震は
びっくりしました、」
離れのモルタル落下で
モルタル撤去とサイディングで
臨時出費が200万以上かかってしまったが、
来年こそ
電気も、水道も配線、配管のやり直しが必須な矢先
ヘアークラックのようなところは。
あらかじめ、冬の結露で
傷が大きくなるのだけは予防の意味でも
修理が必須ですが、
優先順位は、まず、
主人の健康品や食料。
記念日やイベントの代わりに
孫子おや3代で、
「回転すしや」に行こうと決めてある。
母の日もカーネーションは要らないからと
孫子と回転寿司やに行った。
「明日の父の日」も、
ネクタイも、おしゃれな手帳もいらないから、
上手いラーメン食いに行こうや!と、
主人は息子に話していた。
孫子から、ラーメンの贈り物って最高の父の日でしょう!!!
核家族や別居の増えた時代だけに
家庭感覚の優先する
肩ひじ張らない食事会が
我が家では何年も続いている。
食事会の後は、「笑点」に間に合うように
自宅まで車で送ってもらって、、、
「じゃ~~~またね!」
この次は、孫の誕生日に会食をする。
友達や、嫁さん側の親類のお誘いがあった時には
義理の親の記念日には
誘いはそちら優先で
次の日曜日や、、、次の次の日の祭日とかにする。
時間も奪わない、余計なこともしない。
振り返れば、イベントの度に
子供の行きつけや、孫の父兄の人気の店とか
店を選ぶのは、孫子に任せて同行する、
孫が高校に入学してからは
会食で時間を奪わないように気を使い
孫子が行ける日に設定する。
「君子の交わり淡き事会食の如し「^^!!???」
何かのイベントに合わせて、会食するという家族は
胃袋の主張がある限り
断絶の世代にはならないというメリットがあります。
いつの世も、胃袋はすべての者の鎹であると思う。
TVを観ていると、
スタッフ、ゲストが、
何やら食べるシーンが多くなった。
昔、、、
大橋巨泉さんと、相撲は大鵬、野球は巨人、卵焼き。
今は、野球は大谷、栗山監督!!
「何やってんのよ!!、、、どうして、ホームラン4本行かないのよ!!」
言ったとか言わないとか、、、親子よりも絆がある様な
何とも,、、おかしい!愉快な!、、、ほんと でも 嘘でも、、、楽しい。
「絆」、、、胃袋以外の絆のむつかしさをふと思いながら、
大谷選手を育てた栗山さんって、
きっと、、、
すごい心の
持主なんだろう~~~な!
人を育てること、
素材を選んでくる打ち込み方、、、
そして、「べー―ブルースの再来
のような夢のある大谷選手。
戦争のない平和が生み出す時代の寵児。
平和であるという事は
人間を作物に例えるのなら、
もっとも肥えた土壌の畑でのみ
世界に通用する作物のように、
人間も育てられるという環境なのでしょうか??
体格と言い
性格と言い
技術と言い
野球に対する情熱と言い
人試合で4本のヒット!
その中でも、 ホームランもさることながら
最後のヒットはすごいと思った。
あんなに低い、カーブのかかった球を
大谷選手はバットでとらえた!!!
人は酔うものは愛せる。
大谷選手は、、、とんでもない球も愛してヒットにできる。
昼間も見た!
真夜中の4時ごろも、
起きて、、、もう一度見た!!!
レッドソックスに、、、大谷選手在り!
久しく、興奮して、野球にかじりついた日が無かっただけに
昨日は、、、寝不足になって、
今日は、、、昼頃に、頭も精神も作動し始めた。
なんの話を書くつもりだったのか???
まだまだ、、、大谷フィーバーが今も残っているのだろう。
長生きすることは楽しい興奮もありますね。
和製べ―ブルースに飛翔してゆく、
未来の夢が実現しそうな
見事な最後のヒットでしたね。