20年近く前
長男の嫁さんが
カーネーションの花の紙箱入りを
配達してくれたことが思い出されます。
北海道は歴史も100年ぐらいですし
最後の戦争の西南戦争の後も
函館戦争があったり、
決して
新政府に反旗を翻す人たちではなかったかもしれないが
西郷さんに
連れて行ってもらえなかった武士たちが、
武士道においても、
武士らしい「死に場所」を求めて、
「時代に殉死する」しか、
道が無かったのでは?あるまいか?
今のように、、、スマホやマスコミで
情報が末端まで行き届いていたら
北海道の文化は、一回りちがってみえていたかもしれません。
嫁さんは、新しい時代のコンダクターの指揮棒に従順である。
母の日、、、、息子夫婦と嫁さん、、、
母親役は、北海道の習慣がわからないので、
全面において、受容して、
こういう習慣なのだと認識してゆく。
2キロと離れていないところに住んでいるのですから
「母の日のカーネーションは送ってくれるより、
孫を誘って、親子孫と、嫁さんと
合同の母の日にして、回転ずしにでも行きましょう」
私は、初めの一回で、
「花の紙箱入りの母の日の感謝より、食事が良い」と
軌道を変えてしまいました。
「庭には一斉に花が咲き始める北国の5月に
サッポロの郊外は万華鏡のような美しさです。」
カーネーションは
町の中心のマンション暮らしのご家庭には素敵ですが
ここ、、、羊ケ丘の近くには
5月は花が一斉に咲き、
プラスチックの鉢植えの入った紙箱入りのカーネーションは
隅に追いやられてしまいます。
大輪の、遺伝子操作をしたいろいろの色の
カーネ~ションの切り花を
アーティストが花束にしたものを
デパートで勧めてくれますが
「母の日」という
割烹着の雰囲気が無くて、
私には似合わない。
岸恵子さんとか、翔んでる素敵な母親に似合いそうな花束である。
花より孫子との会食がいいと思った。
それから、20年近くたって
今年も、孫子と爺ちゃん婆ちゃんの
回転ずし母の日が続きました。
「今年からは、母の日は卒業しますよ。」
来年からは、孫たち中心で母の日を盛り上げてね。
婆ちゃんになるからね。
息子にも、「母の日は卒業ですよ」
またまた、、、軌道修正をしてしまった。

来年の母の日は、
故郷が、、、実家が無くなったけれど
お寺には、父母のお墓が残っているので、
上京して、
父母に再び会いに行く、、、自分の為の母の日をと。
冷たい心ではないけれど、
時間が大切な後期高齢者の朝の為に。
私は私の母に会いに行く日にしなければ、、、と、思う。

回転寿司会食の後、
「笑点」に間に合うように、
息子たち孫たちが
自宅門前まで、車で送ってくれました。
降りるとき、
嫁さんが言いました。
「これは、、、孫たちが、選んでくれたものなので、
母の日のプレゼントです、」
小瓶に入ったオイルに着けた桜の花が
ゆったりと、、、上下しながら
花の舞を見せてくれる、、、オイル芸術品でもある。
手の中に握れて、思わず、ありがとう!と受け取った。
孫たちが、ウインドウを開けて、手のひらを合わせて
「心のハグ」の母の日となった。
息子は無口に見守っている。
次男からはメールが来た。
「母の日だね!」忘れては居ない。
ボロボロに働いた、、、グローブのようになった手を見つめて
2人から、8人家族になった50年を振り返ると
やっぱり、、、、母をすることは
母になることの前に、肝に銘じて天に誓わないと、
家族は作れないと思いました。
母、、、自分をさておいて、、、母をする。
「令和」元年の母の日であった。