花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

植物のサバイバル

2019-05-31 11:14:37 | Weblog

動かない

目立たない

相手に触れずに 光をさえぎる枝を伸ばす。

根っこは走る、、、どこまでも

鳥さんに、おいしい果物を食べてもらって

鳥の運ぶ種は距離を問わない、

タンポポの綿毛は

落下傘部隊のように、植物同士のセクトを超えて着地する

植物の知恵って、、、すごいと思いますよね
目に見えることで感心するのは、まだまだいっぱいあります。

色ですよね!
虫たちを呼び寄せる妖艶な花の色!
清純な色!
反射して光で存在を知らせる色と花びらの表面!

神が活きよ!と言ってあらん限りの知恵を授けた「箴言」を
植物は実行する。

この優しくて美しくて、強くて謙虚で、ズーズー強い生命体は

じっと動かないふりをして、止まったためしはない。

風邪を利用して、落ち葉を運ばせ、冬を超えると

春一番を呼び寄せて、
冬の汚れた落ち葉をカタズケる。
生きる設計のたしかさよ、。



大学時代に「生薬学の先生が、塩の結晶で出来たレンズを教えてくれた。」

植物の細胞レベルを超えて、分子レベルの機器分析のレンズであった。

夏休みの宿題は

100種類以上の、薬草を採取してきて

標本にして提出するという、、、

大学時代のひと夏が、山中宿泊という技が身に着く宿題であった。
植物の学名は亜科に至るまで
ラテン語で暗記させられた。

、、、勉強は自分で進んでするものであることは常識だが、、、

植物をラテン語で丸暗記しないと単位がとれない生薬学は
受験勉強の再来の合格のための作業だった。

「馬鹿野郎!、、、こんなの、、カタカナで書ければいいだろう!、、、」

反抗していた男子学生も、

覚えるまで単位をくれない頑固さに屈服して

屋上で念仏のように

ロザテェー、、、バリエタす、、、もう嫌だ―~~~!
わめきながら覚えていたのが、、、何ともおかしくよみがえり

独り言のように笑いがこみ上げてくる。

ラテン語が何で必要なのか、、、

ずーと後のなってから、感謝で理解できたのは、
チェルシー薬用植物園に実習参加したとき
西暦1400年ぐらいからの植物が

他科と交配することなく、歴史的に株分け保存されていたという

ラテン語の標識を見て歩いたとき、

無理やり叩き込まれたラテン語の標識が

歴史を超えて、目の前にあることを認識できたときでした。

卒後、、、何十年も経ってからの医薬史の
国際交流イベントに参加できた時の、驚くべき感動でした。

その足で、フランスのパリ大学の薬草園に行ったときにも

マンドラゴラの、青いトマトのような実を着けた植物に出逢ったとき

思わずシャッターを押しながら、

ラテン語のおかげで、フランスのパリ大学の植物園が

忘れられない面白い植物に感動でき☜

本でしか見れなかった植物の万国共通の標識のおかげで

日大で叩き込まれたラテン語が

後日、感動の植物園探索の時間をくれたという経験を

我が日記にはしっかりと、、、記しておきます。

徹底的に植物を楽しむのなら、ラテン語は武器になるという事でした。

子育てが終わってから、

生薬学会の会長さんをしていた恩師のフィールド実習に

薬剤師会の会員という所属で参加した。

入笠山、や信州一帯の山での実習だった。
韓国の女性教授の先生も複数参加しておられ、

日本との国際交流を、感謝して、多くの韓国の学生も参加していた。

朝鮮ニンジンは、日光が当たらないように黒いテントで覆われたところで

ニンジン独特の、手のひらのような葉をひらつかせていた。

もともとは、延喜式によると、韓国から入ってきたニンジンの種を

信州で栽培に成功して以来、

日本で育てた朝鮮ニンジンが一級品として

韓国に渡り、

蒸してから日光に干した「紅参」として

日本に戻ってきていることなどが

学会後のゼミで聴くことが出来たりして、、、、。

へ~~~と思うほど

植物は国際交流の民間版として
大使の役割を果たしていたのだと、、、再認識させられた事を思い出す。

今、、、

漢方処方を採用している大学では

生薬学が正式な単位として、カリキュラムに入りつつあるとか、、、

すでに、単位取得に義務があるとか、、、聞くこともあったが、

正直言って、生薬を学ばないで

漢方処方を、理解するのは困難であるとおもいます。

ツムラのエキス剤で

漢方処方は医師の手によって医療界に珍重されるようになっていますが、

それも、、、昭和のヒットな事ではあると思いますが、

コーヒーを「カフェインざおと考えて、粉薬として、効果だけを考えるのと

馨、香り、臭い、香ばしさ、苦み、甘味、、、

五巻のリフレッシュを伴いながらの

成分の雑多な生薬が、

各臓器でプロドラッグとして、体内動態する経路を

薬理的に突き止められれば

お茶の世界の精神作用に及ぼすファクターのように

生薬の湯液の及ぼす有効成分と言われている成分以外の物質の役割が
解ってきて、薬学から、生薬学が消役してしまうことが残念でなりません。

電子顕微鏡も設備として大学にも入る時代になったのですから

医学部の生薬学とは

一味違った、実学を伴った

薬理学的な臓器への有効成分と、触媒的に成分を有効にしてゆく雑物質を

クリやランスだけではなくて、

各臓器のスライス解剖片をチュウシツして

化学変化や、変化しないで、プロドラックとしての

何らかの効果を見つければ、

臨床の医師のの視点とは異なった

漢方処方の、生の湯液の、作用の違いが

薬学的には面白う純粋に興味の対象としての

実権がやがては機械力やITと奏効して

漢方処方の「日本版生湯液バイオ加工」みたいな新製品が

老人ホームのサプリメントのように

愛好者がお茶間隔で「イカリ草エキス間隔で常用して」

五タイ山散策中に出逢った「そんしばく先生」のように

120歳までも、それ以上までも、、、

生存できる日が来るかもしれませんね。

日本人が描いたと思っていた「医心方」などの原本が

西安の山の洞穴に隠されていたなんて、、、

現地で説明されて、半信半疑で帰ってきました。

植物にうつつを抜かせたのも、
私立の薬学部に進学した息子の
授業料を稼ぎ出そうと、

主婦から、会社員として、正職員復帰したことがきっかけでした。
化学は日進月歩だから、やがては時代についてゆけない年齢になる、

その時には年寄りになった薬剤師は職場が無くなる。

機械力や化学力の分野と違う自然物の漢方処方は

臨床でも、病気の重い時期と治癒に向かう時期と

治癒しても不安でぶり帰りそうな時期や

くしゃみのような、病気ではないが

小青竜湯のように特効薬と言えるほど

効果のある漢方処方だってあるから、

最先端の臨床医の治療と、健康状態の間の

すき間を埋める役割が、嗜好品以上に必要だと感じている。
植物は、、、神様の創った傑作員だと思います。

大學は卒業していなくても
薬草の実学なら
学者さんも舌を巻くという
ゲンチアナを北海道に根づかせた爺ちゃんが
北海道の山の中の薬草園で銅像になっていた。

感動した大学の先生が
爺ちゃんの生薬日記を
立派な布の本にして図書館に置いてあった。

一部分けてほしいと言ったら、、、
一万円だというので、

決して高額貰っているわけではない月給で
買い求めた。

その本を紹介してくれた北大の助手さんは
実学の実力で、多くの大学教授の論文のもとになる植物を

標準植物として採用される実力で栽培していた。

チエルシー植物園で撮影した、アルバムを見せると

「大黄」の起源植物の写真を見つけて

「このスライドをくれや1」というので、

こうした貴重なスライドは

価値の解る人にあげてもよいと思い

私は、ヒマラヤ登山でも、植物の境目の苔を採取してきたという

実力でのし上がった、、、その助手さんにスライドを差し上げた。

お礼にと、レモングラスのドライにした一束をくれた。

植物を仲介に、解る人と話すことの時間は

アッツという間に過ぎていった。

あの時の助手さんは、絶滅危惧種の「ムラサキ」、、つまり
紫根の植物であるが、

自分の担当のゾーンに群生させていた。

世の中には

学歴ウンヌンではなくて

舌を巻く実学の大家というのが

北海道には、、、あちこちに居るから、

北国は、どんなに科学が進んでも

アナログの世界は大切にするべきだと、、、痛感した。
表面の小技ではなくて、

自然ごと、天気気候風土植物丸ごと同化した現場の力を持っている

学歴ウンヌンではない、、、泥だらけの知識の塊のじっちゃんが居る。

NHKの朝ドラの、酪農家のじっちゃんのように。
北海道には、発見して、認識するのには

教授クラスの机上の学門がベースにないと

その、、、含蓄ある、、、つぶやきを、、、聞き逃し

じっちゃんの世界の宝の知識の光に気が付かないものだ。

北海道でなければ見いだせなかっただろう低温の世界。!

低温科学の先生の
文庫本に
目から鱗の北国ならではの認識を覚えたのは

振り返ると昨日のような気もしてくる。



その根っこにあった事は

高校時代に、教えられた山の裾から頂上までに

四季が詰まっていたとい体験だった。


學校の山の寮の有った蓼科山に登って

岩だらけの山頂から、360度ぐるり見渡し

どの山を歩くか、学友たちと話し合った。

富士山と対決したという、、、八ヶ岳は

くっきりと空の海の橋杭岩のように
、渡れそうな景色であった。

思い出の中の登山は

蓼科山は高校時代も、

洋服屋の久保さんや

先生になった由紀子ちゃんや、

早稲田大学に行ったのに

美容師さんになった竹さんたちと登った。

あの時リーダーだった菅井さんは

山の案内がプロ級に思えた。


谷川岳にも登山するほどの
山の好きな先輩だった。

「山と渓谷」に投稿した写真が掲載されて

雑誌を片手にニコニコしていたこともあった。

写真部、化学部、美術部に
出入りしていたこともあって

山は十数人の同窓生で登ることになった。

久保さんはペンタックスを愛用していた。


三つ峠を皮切りに

大井川に添って北上しながら山を越え

岡を超え、夜叉神峠に出て、南アルプス連峰にたどり着いた。

さいころキャラメルのような雹に遭ったり

リュックを頭にのせて

岩の間に身をひそめたり、

リーダーの指示に従って

青息吐息の「薬草探索」を兼ねた登山を楽しんだ。

≪花筏≫という、、、実に

葉っぱのど真ん中に

3つの花が咲いている薬草を採取したっけ!!!。

その後    何十年もして、



生薬学会の会長を、つとめられた恩師が

健康雑誌にカラーグラフを交えて

花筏の記事を載せていた。

ロマンのある薬草だった。


薬学部には生薬学の授業が盛んな頃在学していた。

牧野博士と東京大学時代に植物の研究をされたという

木村雄四郎先生が和漢薬の授業をされていた。

一句一語聞き漏らすまいと

ノートをとりながら、

植物の持つ薬剤効果のある部分を絵に描いて

その植物を探しては
プレパラートをつくるのに夢中だった。

木村先生は名著が多い先生で、

いまだに、
和漢薬の本などをめくっては

山野草と突き合わせて、新しい感動があるから、

植物の世界は「友」でもある。

本には書かれていませんが

大学生の頃の授業で

黒板に書かれた

「植物の形態の見分け方のノート」は

いまだに重宝な知識の泉になっている。

命が100年は無いだろうと思うと、

庭には、

グラスウールの空き箱をベッドにして

赤い花のイチゴなどが、

魅力をふりまいている。



私がこの世とさようならしたときに、

庭を片付けやすいように

地植えはしないで、いつでもひと箱づつ

興味のある人が、持って行ってくれるといいと思っています。


去年まで、地植えしていた「北海当帰」や

名寄の園長先生が学会の時、

サンプルに使ったセンキュウなどは

我が家の庭に根付いていましたが

去年のうちに、根っこから引き抜いて

マニュアルに沿って陰干ししました。

途中、息子の要る本州に出かけている間に、

主人が、枯れてしまったのと勘違いして、

根っこを土に埋め戻してしまっていました。


結局、、、、生薬サンプルとして、、、

保存するには、及ばなくて、

庭からは、学術用の植物は消えてゆきました。


何かの世話をすること、、、そのことが

精神的に集中でき☜楽しくもあり

植物の集うお店に通うような感覚で、

毎日、愛する植物たちの友人に
ドリンクに相当する水や栄養を撒きに行きます。


花を愛でるわけでもなく、

庭の調和を楽しむでもなく、

一見すると、雑草の箱入り、鉢入りの

魅力のない庭に見えます。


私だけが、楽しんでいるという

植物の庭で、

植物同士の静かなる戦いを、、、長いスパンで観察しながら

オウギの塊根に攻めてゆく
ムスカリの
数多のちびっこ球根の兵隊に
応戦しながら葉も茎もからしてゆく「オウギ!」

死滅ぎりぎりで、オウギを単独のバケツに移し
ムスカリの球根は
グラスウールの箱に植えなおした。

たった2日で
オウギは元気を取り戻し
あたらしい葉を出し張りが戻った。

球根と塊根の壮絶の闘いでした。


ほ~ておけなくて、

剪定することで、光の譲り合いのある

雑草の庭を、一人で楽しんでいます。


幼いころ




疎開中に、父が作っていた薬草園の、、、

箱庭版のイメージですが、

いつの間にか、当帰芍薬散の

シャクヤクが、数本残るぐらいが

華やかさを感じるだけです。






">

今回の北海道の地震の時

部屋の中は、小物や雑貨が落ちてきて

足の踏み場もなくなった。

長いスパンで、一日一平方片付け作戦で、

鈍感にならないと

ストレスで病気になると感じたから、

主人の部屋だけ、

早急に、元に戻し、

いまだに、物が床に転がっている。

お互いに、、、またいで過ごしている。

捨ててしまうには、いまいち、買い直しが面倒である。




雪は美しく、厳しく、優しく、

寒さから、、、厳寒の寒さから、、、

零度に守ってくれる。
雪は寒さから、守ってくれたのだった。

零度なら、何とかなる。

冬は4時間外で雪かきをしていることも
苦痛ではなくなったが、、、

人生の、自分の持ち時間の4分の一を

除雪で失うのは、、、もったいない人生であったと思う。

ふと気が付くと、

後期高齢者の主人が、

今も、医師として、患者さんに慕われて、

手作りの、イクラや漬物や、木彫りの自転車を
貰って帰ってくる。

断るのは医療にも良くないから
、受け取ってありがとうという

心の治療にもなるからと、

小物を持って帰ってくる時、
ふと、、、この頃、、、

生きていた自分を振り返り、

山に例えれば、

山の背コースを登り切ったときの

白山の登頂成功の時の気分です。

ひたすら、登ってきましたが、、

山は厳しく、険しく、、、美しかった。


「蓼科山から見渡した雲海と、、、八ヶ岳の姿が思い出されます。」

富士山と喧嘩しなくて、、、よかった !

富士山の五合目より上には植物は見当たらない、

落石を注意しながら、無味乾燥な砕石の上を歩くような気分だが。

ここは天下の富士山である。

医師をすることだけに的を絞ったから
生き残った主人の決断。


北海道の医師は、少ないので、雑務に従事させては
医師の無駄遣いになるという感覚でよいのでしょうか?


植物は、人生の、悲喜こもごもの日常を

いろいろな葉っぱの姿で風に揺れながら

語ってくれる、

山や、植物がそのまま保存されている地球であれば

地球の歴史学者ともとれる、
植物たちが伝えてくる在りようが話す言葉が


心から、、、愛しく

涙で見上げられる年齢になったことを、

孤独というのかもしれないが、、、、
植物は友達だと思っている。

小さな庭で

小さな植物に

ペットボトルで飲み物を配りながら、

友達に囲まれた日々が、

いとおしく、、、思い出されるこの頃です。、、




大学時代にやりたかった、生命科学の続を

かなり気楽に楽しみながら



形骸を楽しむというよりは


一人の世界で、、、遊んでいる。

杏子っこの本に

遊びをせんとや、、、生まれけん

戯れせんとや    生まれけん、、、

遊ぶ子供の、、、、という文を思い出しながら、

75歳は幼児帰りで

こどものように、

一人遊びが楽しい時代の始まりです。






































































































































































薬学の中では極めて「アナログの世界の授業だった。」

植物は、、、歴史の中で医療を支えてきた。

高分子の化学物質や、バイオや、生化学の遺伝子のらせん構造の授業と

植物を学ぶ面白さは、生徒の間でも大きく方向が分かれた時代でもあった。




無味乾燥な試験管やビーカーの実験室に囲まれた日常に

潤いがあるフィールドの実習課題であったことが思い出される。

山を見る、岩を見る、植物と出会う

季節を感じる、

裾野とてっぺんの地層に

何億年単位の生きてきた地球の顔のしわを見る、


真夏の頂上の雪渓を歩きながら、

岩と、雪と、崖のような頂上が

遠目には

なんと神々しく見えるのかと

驚いたりもした。

富士山だけは、、、登らなければよかったと、、、、「

美しすぎる富士山の

砕石のような5合目以上を

恨めしく思いながら登った。

石だらけになる手前には

「トリカブトの群生があった。」

富士山よ、、、永遠の私の信じる富士山よ、、、

知らない方が、あこがれたまま、、、永遠の美の神だった、

今では富士山は私の心の中では、、、マスラオ、、、!


生薬の恩師が、

採集した100種の山の薬草をめくりながら、

満足そうに笑った、

千葉県の薬草園の授業の後、

研究に使うと言えば

研究中の「オウギの苗を下さった。」



上下を感じさせないご指導には

学問をされる方の

豊かな面が、純粋の興味に向かうという

産まれる前からの贅沢なまっすぐ差を感じながら

生徒はお手本として、巻き込まれながら、

植物を純粋な気持ちで学びました。




登山の面白さを教えてくださった生薬学は

機器分析の発展や多くの合成や

分析や、化学の発展が時代をとらえていったのかどうか?

高分子化学や合成化学、バイオや、遺伝子工学と

薬学の授業は

時代とともに薬物動態や

票的治療などの

遺伝子組み換えや、免疫学を視野に置いた創薬へとかわってきたようです。

私立の薬学大学では臨床薬剤師として即戦力になる様な

実習も入ってきて、血中濃度などの業務には欠かせない

臨床の授業も入ってきてるようですね。

孫が、、、薬学に興味を示しているのですが、、、

これからの時代を考えると、

苦労が多い割には、

一般から

「薬をかき混ぜているのが薬剤師だ」と思われるのも

報われない一面もあります。

「好きな道に進めばいいよ、、、」

人生は、好きな事なら頑張れるからね、、、

孫には、気楽な答えをしては見たものの。。。

学生時代の生薬学の恩師から

小石川植物園の

見目麗しい植物画の絵ハガキをいただき

あれから、、、何十年もたっているのに、

壁に額絵として飾ってあります。

先生は

東京大学で博士号取得された後

日大の教授として私たちをご指導してくださいましたが

入笠山で、上田先生の主催された日韓合同の学会に参加したとき

山の寮の近くの水辺で

燕尾センノウという

激しく燃えるようなオレンジの

ナデシコ科の花を見つけ、

名前を教えてくださいました。



^、

思いでは尽きることはありません。

この続きは、、、又、、、

学友よ!お元気で