花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

戦後の大学受験生の挫折

2019-05-08 06:44:20 | Weblog

戦後の復活に向かっての若者たちの登竜門は

なんたって、、、目指せ東大!でした。

旧制の東京府の時代にできた公立高校は

日比谷、新宿、両国、戸山 、、、、まるで東大予備軍の学校でした。


大学受験の顛末は

合格すれば官軍

不合格は賊軍?

中学に進学すると

「受験」の強風が竜巻きさえ起こしかねない勢いで
生徒たちを巻き込んでゆきました。


男子学生たちは、
共通テストの「アチーブ800点越え」を目指して
東大に近道の高校を目指して、

まるで、東大合格が、敗戦からの日本を背負えるか如く
「東大合格が目的」「目指せ東大」「東大以外は目に入らない??」

女性の私から言わせると、
男性は生きるためのライバルが強すぎる。
混乱した戦後の社会では
国立大学もリーダーとしては絶対の強さはあるが

国立と言えば、なにやかやと、
箸のこけたのまで取締の規則ずくめで、
戦乱の後のめちゃくちゃ社会の立て直しは
規則より、機転で合法的に目的に向かう社会派の
私立大学の働きは
研究と臨床の両輪があるように

左近の桜に相当すると、私はごく普通に考えていた。

愛でたく両国高校を突破して、10番前後に鎮座した兄上は

当時、80~100人は東大に進学していた実績から、

10番を堅持すれば「東大は合格できる」と

点数獲得人生にまっしぐらの、、、兄貴だった。

頼朝は、、いちいち国を支配する!、、、兄の年代暗記の唱である。

頼朝は、、、いい国創ると武士の世に、、、私はこちらの覚え方でした。

東大に入学できると信じていた兄は

「三四郎池を観に行こう、、、夢二の絵を見に行こう、、、時計台を、、、」

日曜日になると、東大散歩をしながら

銀杏並木に感動しながら、

「銀杏の木は「亜科」という、、、紛らわしいものが無くて良い!」

「銀杏の実の銀杏は、茶わん蒸しにするとおいしいよね!」

答えになっていない会話をしながら

兄と妹は東大の広い敷地を抜けて、上野公園や

ハスの花咲く不忍池まで上野界隈から、歩き続けた。

慈恵会病院の医師だった時代
父は大陸の大学に西洋医学の指導と銃後の御奉公の時代有った。

大切な幼少時代、兄は自由な国語を学ぶチャンスを逸していた。

日本語の持つ詫びや寂び、、

千年単位の時間で熟成された短歌や和歌など深くは理解していない。

古池や蛙とび込む水の音、、、静けさの岩に染み入るセミの声も

作者の意図した情景は、、、丸暗記という気配があった。

物理化学は得意で、一橋大学を突破した親友が

しばしば兄に教えてもらっていた。

穏やかで、常識的で、英語や国語の深い意味を察知する友人であった。

その友人が、、、

「ちーちゃんは、僕らのグループではダントツに頭が良いが、、、
融通が利かないので、、、、東大受験に絞り込むのはどうだろう?
他も受けたらいいと思うよ。」

私には、思ったことをニコニコという学生だった。
「根拠はあるの?」

「、、、ん、、根拠とまではいかないが、
東京大学を近視眼的に見てるよね。
受験というのは、研究ではないのだから、
人間的なバランスが試されると思うよ。」

世界史なんか、、、選択するのは不利だよね。
しかも、電話帳みたいな厚い本を選んで、年代も地図も丸暗記!」

「東大って、、、知識を試すより、
何故戦争が起こったのか?
キッカケはどういう事件が原因か?

それが原因になった世界の国々の利害関係はどうか?
日本という国の世界の中の座標はどのあたりか?

自分的に、知識の総括をしないと、
東大は、知識を試すほど問題はシンプルでないと思うんだよ。」

だから、僕なら「日本史」と「社会」を選ぶと、言っていた。



兄には、、「桜散る」の電報が来ました。

私立医科大学に進学した兄は、目的を失ってしまったのか?

人間そのものが変わってしまいました。
東大に入学したら、学問一筋に、頑張って、
日本の戦後に復興の貢献を通り越して
世界に追いつき追い抜く夢に活きたかった。

お金のことを考えないで活きれたら、
学問は足下に有った。、、、などと、、、ぼやきながら

「良いか!お前たち!(弟妹に向かって、眼を吊り上げた!)」
兄の言いたいことを要約すると、兄の世界観もぼんやり見える。

東大にしんがくできたら、ドンはスイスあたりの世界の頭脳が支配者だが

僕は「金が要る人生に行かざるを得ない。」

「金が無いのは頭が無いのと同じ扱いを受ける社会の海を泳ぎ切らねばならない。」

「親父の残した開業の医療施設は僕が継ぐ。」
「お前たちも、公立は無理だろうから、僕が学資を稼ぐから、
相続の放棄をする反を押してくれ、、、」



兄は、立場上、東大に合格していれば、
親も、兄弟も捨てて、学問をとるという選択肢には
異論がないと思っていたみたいである。

戦後のドサクサ時代の東大合格と不合格とでは
廻りの理解度が異なっていたのでした。

            つづく(^^!