聖書から人生を考えよう

私のプログへようこそ!!
お互いに、たった一度だけの人生です。
聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★驚くべき恵み・・・!

2006-06-18 | 「聖書と人生」
 
 

●「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。 」(ローマ人への手紙1:16)。

 みなさんは、「アメイジング・グレース」(Amazing grace)という歌をご存じだと思います。「驚くべき恵み」(聖歌229番)という意味の賛美歌ですが、差別を乗り越え希望と連帯を乗り越える歌として一般の人々にも広く歌われているようです。この歌の作詞者は18世紀の英国のロンドンで生まれたJhon Newtn(ジョン・ニュートン)(1725~1807)という人です。彼の父は地中海航路の商船の指揮官で、彼も11歳の時から父に従って船に乗り、仕事を手伝うようになりました。やがてお父さんが引退したあとはひとりで船乗りとして働くようになるのですが、ある時乗組員になった船がアフリカのある港からアメリカ大陸へ黒人を奴隷として運ぶ船であったのです。そして彼はこの船で、彼自身が奴隷のように過酷な労働を強いられたのです。

 そんな彼を救出したのは彼の父の友人であった船長さんでした。彼はその後独立して自分で船を持つようになりますが、その若き船長となった彼に託された仕事が、また奴隷の運搬であったのです。アフリカとアメリカを今度は自分が指揮して黒人たちを運搬するようになったのです。当時の奴隷貿易は過酷を極めるひどいものであったと言われています。彼は、暗い船底に奴隷たちを押し込め、反乱を恐れて、奴隷たちを恐れて、暴力を振るったのです。そして、彼はこのような無慈悲な生活を送りながら、何の罪悪感もありませんでした。

 そんなあるとき、彼は航海中に大きな嵐に出会ったのです。船はかつてないほど激しく揺れ、浸水も起きて、生命の危険に晒され、もう駄目かと感じた時、彼の心にかつて読んだ聖書の言葉がよみがえって来ました。最初は彼の罪を責める言葉が浮かびましたが、ジョン・ニュートンの母が彼に渡した聖書を読み、神は求める者に答えてくださるという約束を知り、深い慰めを感じて、彼は初めて「おお、神よ。助け給え!」と心から祈ったのです。すると不思議なことにその祈りのあと急に嵐はやみ、彼の船は奇跡的に助かったのです。

 この時、ジョン・ニュートンの心の中で大きな変化と転向が起きたのです。彼はそれを自分の第二の誕生日としてしっかり記憶していました。それは1748年5月10日、彼が22歳の時です。それまで奴隷船の黒人たちは家畜以下の扱いをうけていたのですが、これ以降、彼の船に乗せられた黒人奴隷たちだけは最低限の人間としての尊厳だけは守られるような扱いをされるようになりました。やがて彼は1755年頃に病気がもとで船の仕事から引退しますが、この後の人生を彼は一生神に仕えるために過ごしました。ラテン語を学び、聖書も勉強しなおして、キリストの福音を伝える者と変えられたのです。

 この「アメイジング・グレイス」は1765年頃に書かれたものと思われますが(作曲者は不詳)、奴隷貿易などという罪深いことをしていた自分のようなものにまで、神は祈りに応えて救いを与えてくれたという奇蹟に対する感動を歌ったものです。私は、「アメイジング・グレイス」が作詞された背後にこのような出来事があったのを詳しく知ったのは、最近のことですが、そのことを知ってからあらためてこの歌の歌詞を読んでみて、涙と共に大きな感動を覚えるのです。確かにジョン・ニュートンは罪深いことをしたのですが、神の前ではこのような悪人も等しく罪と永遠の滅びから救われるのだというすばらしい恵みと真実がここにあるのです。

「 驚くばかりの恵みなりき      この身の汚れを知れるわれに。
  
  恵みはわが身の恐れを消し    まかするこころを起させたり。

  危険をも罠をも避けえたるは   恵みのみわざというほかなし。

  みくにに着く朝いよよ高く      恵みのみ神を讃えまつらん。」

                          (聖歌229番)


 「驚くべき恵み!何と胸をときめかせる言葉でしょう!自分のような無頼漢をさえ救われるとは!私はかつて失われていたのに、今は神に見出され、かつて目が見えなかったのに、今や見ることができるとは何とすばらしいことでしょう・・・・・!」この歌詞には、神の溢れる恵みへの純粋な喜びと感謝の心が溢れているのがよく伝わって来ます。ジョン・ニュートンは数年の後に奴隷貿易から足を洗い、最後にはキリストの恵みの福音を伝える伝道者となって神様に仕えるようになったのです。何と多くの人々がイエス・キリストを信じることによって変えられたことでしょうか。イエス・キリストとともに十字架につけられた極悪な強盗の一人は、自分の罪深さを悟り、信仰を告白しました。そして、彼は十字架上で、死の直前に救われたのです。

 約2000年前、あのエリコの町において、不正な富で私服を肥やしていた取税人ザアカイ(ルカの福音書19章)は、イエス・キリストとの出会いを経験して、自分の富を貧しい人に施すことを約束しました。神を汚す者としてクリスチャンを迫害していたパウロは、復活された栄光のイエス・キリストに出会って、その人生は180度方向転換させられ、その時まで反対していたそのキリストの福音をローマにまで伝えたのです。イエス・キリストを信じた人たちは、極悪人も罪と欲望の奴隷であった人も、みな人生の方向を180度転換して神の栄光を表す者となったのです。これは、まことに不思議なことです。それは一体、なぜでしょうか。

 それは、冒頭のみ言葉に書かれてあるように、キリストの福音は、私たちの心を捕らえ、私たちの人生を根本から変えてしまう神の力なのです。イエス・キリストに出会い、自分自身の個人的な救い主として信じ受け入れる時、あなたの人生は滅びから救いへ、迷いから喜びへと変えられるのであります。どうぞ、あなたも、イエス・キリストを信じて、このすばらしい体験をご自分のものとなさってください。

●「あなたがた(クリスチャン)は、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。 」(エペソ人への手紙2:8,9)。

●「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント人への手紙5:17)。

●「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」(Ⅰコリント人への手紙1:18)。  



   ■□☆★☆□■☆★☆□■☆★☆□■ 


最新の画像もっと見る