聖書から人生を考えよう

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聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★神が備えた「安全な住まい」

2005-12-13 | 「聖書と人生」
              


●「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」(ヨハネの福音書14:1~3)
  
 最近は、耐震強度偽装マンションや欠陥住宅問題など世間ではいろいろ話題になりクローズアップされていますが、よく考えて見ますと人間にとって「衣・食・住」の三つはどれもみな大切で、生きていくためには必要不可欠なものでありますが、特に「住まい」の問題は日常生活の拠り所であり、心身を休める場所であり、一番関心が高いのは当然のことであります。多くの方々にとって、「住宅やマンションは人生で一番高い買い物」であることは間違いないと思います。確かに多くの方は「安心して住める家」を買うために毎日汗を流して働いているのです。30年のローンの契約で数千万円で購入したマンションが、震度5程度の地震で簡単に倒壊の恐れがあるという耐震強度が偽装されたマンションであったというのであれば、一体これからどうしたいいのかと悩み、心身が疲れ果て、不安で夜も心が休まらないというのは当然であります。

 ところで、「住まい」にとって一番大切なのは、何かと言えば外観が美しいとか、安価であるとかではなくその建物の「安全性と耐久性」ではないでしょうか。地震や風雨などの天災をはじめ、暑さ寒さや外敵から家族を守ってくれる住まいには強くて長持ちして欲しいと願うのは当然のことであると思います。「安全性」の中には、もちろんシックハウスなど人間の健康を脅かすような有害な物質が含まれている建材が用いられるとか、他にも種々考えられますが、今はそのようなことをここで論ずることが私の本意ではありません。聖書から、「永遠に安全な住まい」についてみなさんと共に考えてみたいのです。

 冒頭に記しましたのは、新約聖書のヨハネの福音書の中で主イエス様が弟子たちを残して去って行こうとしていた時に語られたものです。主イエス様はやがて、敵に捕えられて十字架につけられることをご存じでありましたが、弟子たちを励ますために語られた箇所の一部であります。イエス様は、ここで「あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」と、やがて迎えようとしている十字架の死と復活、昇天、再臨などのことを予告して語られました。よみがえられたイエス様は、数十日後に天に昇って行かれましたが、イエス・キリストは、ご自身を信じる者たちを迎えるためにもう一度天からご再臨される方であります。

 そして、イエス様はこの時「わたし(イエス)の父の家には、住まいがたくさんあります。」と語られたのです。この箇所の英訳は、「 In my Father's house are many mansions」です。この訳によると天国でイエス様が備えておられる「住まい」は、「mansions(マンション)」となっています。一般的に、日本人が「高層集合住宅」としてイメージする「マンション」と英語の”mansion”の意味はかなり違っているようです。もともと英語の”mansion”の本当の意味は「大邸宅」なのであります。また、英語に堪能で外国で暮らしたことのある友人に聞いたところによると、日本人が「マンション」と考えているような建物(高層集合住宅)は、英米では”Apartment house”と言っているようです。「わたし(イエス)の父の家(house)には、住まい(mansion:大邸宅)がたくさんある。」というのは、人間の常識では考えられないことですが、天国の永遠の都(住まい)は私たちの理解を遥かに超えているすばらしい場所であることは間違いありません。

 さて、この地上には厳密な意味においては、いかなる災害にも耐えられると太鼓判を押せるような安全で恒久的(永続的)な「住まい」などというものは、現実には存在しません。形あるものは、必ずいつか古くなり、破損し、倒壊してしまうのです。人間の手で造るものは常に不完全であり、いつかは破壊し消滅してしまうのであります。しかし、イエス・キリストが今、天国で備えておられる場所(住まい)は、全く欠陥のない完全なものであり、そこに住む者に永遠に憩いと安らぎを与えてくれる場所であります。どんな心配も無用であります。そして、天国に備えれた「住まい」がすばらしいのは何故かと言いますと、それはそこには私たち罪人を愛してくださって十字架にまで架かって身代わりに死んでくださり、復活昇天されたイエス・キリストが共におられるからなのです。

 どんなに美しく素晴らしい大豪邸に住んだとしても、そこに愛する家族がいないなら孤独で淋しいものです。また、大邸宅で贅沢に暮らすことが出来ても、争いが絶えないような家なら心に安らぎがなく、不幸であります。「あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」とのイエス様の約束は何とすばらしい慰めに満ちたおことばではないでしょうか。天国で永遠の間イエス様のみそばで憩うことが出来るというのは、本当にすばらしいことですね。天国では、家のないいわゆるホームレスや孤児はいませんし、家が狭過ぎるという心配もありません。「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。」とイエス様は言われたのです。また、家が破損したり倒壊したりする心配をする必要もないのです。

 それでは、一体だれがそのようなとことに行くことができるのでしょうか。冒頭の聖句の少し後の箇所に次のようなみことばがあります。「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもと(天国)に来ることはありません。‥‥』」 (ヨハネの福音書14:6)。みなさん、どうか、間違ってはなりません。この地上の人生が終わって最終的にすべての人がそこに行くのではないのです。イエス・キリストを信じる者だけがそこに入ることができるのです。なぜなら、イエス様は全人類の罪の身代わりとなって十字架で死んでくださったからです。神が備えてくださったその尊い救いを拒むならば、永遠の滅び(地獄)しかないのです。

 イエス・キリストが語られた次の譬え話にも是非、目を留めてください。そして、安全で、賢明な人生設計を立てていただきたいのであります。「雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れなかった」と言われる家を建てたのは、その家を岩の上に建てたからです。当然、そのような家は地震にも耐えるのです。岩は、まさしくキリストであります。人生の最大の試練の時が来ても、人間の死に直面し神のさばきの日が来ても安全なのは、その「人生」という建物の土台と柱(あるいは鉄筋)を強固にすることであります。すなわち、キリストを信じて従い、キリストにゆだねる人生であります。外観だけを見てものごとを判断しないことが肝要であります。どうか、あなたも主イエス・キリストを信じて神が備えておられる永遠に続く安全な住まいに住むことの出来る方となられますように。

●「『‥‥だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。』 」(マタイの福音書7:24~27) 

 しかし、私たちの救いのために来て下さったイエス様は、神の御子ですから宮殿のような所に誕生されても当然の方ですが、家畜小屋から始められたこの地上のご生涯は実に貧しく質素なものでありました。

●「すると、イエスは彼に言われた。『狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子(イエス)には枕する所もありません。』」(ルカの福音書9:58)。 
 
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