聖書から人生を考えよう

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聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★体の不思議(器官:舌)

2005-05-23 | 「神の存在について」



  人間の体の器官の一つ一つについて、考えてみますと、誠に不思議と言わざるを得ません。例えば、今日は、「舌」について考えてみましょう。舌の役目は私たちの「門番」であり、「スポークスマン」でもあります。門番というのは、この小さな器官の取調べを受けずにはひとかけの食物も、一滴の液体も体の中に入り込めないからです。舌は口を通るすべてのものの味をみます。舌の表面にある約3,000の味蕾が、まだ誰も発見することの出来ない秘密の方法で、食物や飲物を味わうのです。このジュースは甘い、この漬物は少し塩が効き過ぎている、この薬はいつ飲んでも苦い、この夏みかんは酸っぱい、というように瞬時に判断するのです。「味覚は舌だけではありません」とある研究者は言っています。俗にのどちんこ、軟口蓋といわれる部分にも、舌の表面にあるのと同じ味の感覚器「味蕾」があり、甘味等を感じるのだそうです。
 
 そして、もしも少しでも変なものだと思うと、体の中にそれを入れないようにします。誰でも嫌なものを食べて、吐き気をもよおした経験があると思います。舌の「門番」が怪しいものを発見し、すぐにそいつを追い出せと連絡します。その結果、吐き気が起こり、体に害を与えるものを吐き出してしまうのです。しかし、「門番」というのは、ただ、通行人を調べるだけではありません。門の近くの交番を整理してスムーズに通行できるようにするのです。同じように舌は交通整理もします。今試しに舌を動かさずに物を食べてみてください。第一によくものを噛めないということに気づきます。食物を次から次へと歯の間に送り込んで、万遍なく噛み砕かせるのが舌の役目です。

 また、舌を動かさないと、物を飲み込むこともほとんどできません。舌の働きは実に巧妙で、歯で噛んだものをうまく移動させ咽頭へ送り、飲み込ませる役割があります。正月の新聞には、どこかのお年寄りが餅を喉につまらせて亡くなったという記事が毎年のようい載っています。これもお年寄りが飲み込みが悪いためです。特に入れ歯のお年寄りが多いそうです。舌がなければ、食べ物の味が分からなくなって、食事が味気なくなってしまうだろうと考えるでしょうが、実際には、食べ物を飲み込めない、すなわち食べられなくなってしまうのです。また、食べ物の中に少しでも異物が混じっていると、例えば、ご飯の中に砂一粒が入っていても、舌の先の微妙な動きで、口から出すことも可能です。

 さて、その次に「スポークスマン」というのは、言うまでもなく舌が話すためにどうしても必要なものだからです。舌くらい自由に動かすことの出来る器官は他にありません。私は英語の発音で、今でも「L」と「R」の区別が明確に出来ませんし、「S」と「th」の発音もうまく区別できません。しかし、それでも、舌は十分に称賛するに価する働きをしていることは疑う余地がありません。ヘレン・ケラーがサリバン女史の口の中に指をつっこんで、ある音を出す時に先生の舌がどんな位置でどんな形になっているかを確かめながら、発音を学んでいったありさまを読む時、大きな感動すら覚えますが、私たちの舌が無意識に必要な位置で必要な形をとるということを心から感謝せずにいることはできません。

 このように、体の器官の中のたった一つを考えてみても、実に不思議であり、私はこれを造られた創造者(神様)がいらっしゃることを少しも疑うことができません。進化論者は、目、耳、鼻、手、足、指、内臓の各器官、血液、神経などの一つ一つについて、また、この地球上のすべての生き物、広大な宇宙についても、すべて「偶然の産物」であると断言できるのでしょうか?進化論者の説明はあまりにも矛盾が多く、科学的というよりも非科学的と言わざるを得ません。知性的な動きをするものの背後には、それを設計し創造された知性を持たれたお方(神)を認めることは当然であり、これは理性的なことであります。

 今回は「舌」について書きましたので、それに関する聖書のことばをいくつか記したいと思います。聖書には、次のような警告があります。

●「あなたのに悪口を言わせず、くちびるに欺きを語らせるな。 悪を離れ、善を行なえ。平和を求め、それを追い求めよ。 」(詩篇34:13,14)。

●「私は言った。私は自分の道に気をつけよう。私がで罪を犯さないために。私の口に口輪をはめておこう。 」(詩篇39:1)。

●「彼らののどは、開いた墓であり、彼らはそので欺く。・・・彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、・・・彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。 」
       (ローマ人への手紙3:13,14)。

●「同様に、も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。あのように小さい火があのような大きい森を燃やします。 は火であり、不義の世界です。は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火によって焼かれます。 どのような種類の獣も鳥も、はうものも海の生き物も、人類によって制せられるし、すでに制せられています。 しかし、を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。 」(ヤコブの手紙3:5~8)。

●「私たちは、をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じをもって、神にかたどって造られた人をのろいます。」(ヤコブの手紙3:9)。

●「穏やかなはいのちの木。偽りのはたましいの破滅。」(箴言15:4)
 

 人間の舌は、ひとつは神様を賛美するために造られたのですが、これを私たちは正しく用いているでしょうか?「二枚舌」ということばがありますが、舌は一枚で十分で二枚もあれば、邪魔で仕方がありませんね(笑)。平気で嘘を言う変節の多い政治家のように舌を二枚も持っていないので、お互いに大切にしたいものであります。自分の舌を、いつわりや、ねたみや、陰口や、そしりなどのために使うことのないようにしたいものです。しかし、舌を正しく用いることは、神の救いと恵みがなければ、だれにも出来ないことであります。ところで、私たちのために十字架で死んでくださったイエス・キリストの舌はどのようなものであったのでしょうか。

●「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。」(ペテロ第一の手紙2:22,23)。