聖書から人生を考えよう

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聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★人生の建築と土台

2005-05-16 | 「聖書と人生」
        ★=====(ピサの斜塔)====★

  イタリヤ北部を旅行する人たちの多くはあの有名なピサの斜塔を見に行きます。ピサの斜塔は、1173年に建設が開始されましたが、着工当初から地盤沈下により斜塔は傾き始め、3階部分まで達したところで一時中断されています。後に傾いた部分をまっすぐに修正しながら建築が再開されたので3階部分から上は少し湾曲しており、着工から200年近く経過した1370年にようやく完成しました。土台にひび割れができ、その結果、垂直方向から3.5メートルほど、傾いています。この塔の傾きを利用してガリレオは「落体の実験」を行ったと言われています。
 
 高さは北側は55,22メートル、南側55,52メートルとその差は70センチ。この傾きは1年に1ミリずつ傾き続けてきたので全世界が「いつ倒れてしまうのか」と心配していました。現代の科学者たちは、この塔を崩壊から救うためには、不安定な塔の土台の修理を急がなければならないと考え、長い間の工事期間、斜塔にはワイヤーがいくつも貼り付けられ、斜塔の根元にコンクリートなどを流し込みようやくこの傾きは止まったと言われていますが、やっとこのワイヤーも取り除かれ今のすっきりした斜塔があるのですが、果たして今後、この斜塔は一体どうなるのでしょうか?

 さて、建築物を建てる時に、一番大切なのは「土台」であることは言うまでもありません。今日、何千万という人々の人生は、ちょうどピサの斜塔のようです。その人たちは、社会的にも有益な職業に携わっており、人生という建物を一生懸命築いています。しかし、その土台はどうでしょうか。たえず崩壊の危険のある、ひび割れの入った土台なのではないでしょうか。「人生」の建築中に、不平、妬み、貪欲、高慢、悪口といった危険な割れ目(心の罪)に出会うとき、人は悩み、心配し、また挫折と孤独を味わうときもあります。この世には、人間の作った多くの哲学、宗教、イデオロギーがありますが、これらは単なる砂の土台に過ぎません。それらの上に建てられた人生は、完全に押しつぶされて、影も形も残さないようになる運命にあります。

 適当でない土台の上に建てたことによって生じる人生問題は、過去何千年も人間が経験して来たものです。そして、それは厳粛で決定的な結果をもたらすものであります。およそ、二千年ほど前に、イエス・キリストはこの人生建築の問題にふれて、次のように直言されました。

●「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」(マタイの福音書7:24~27)。

 このイエス・キリストのことばに対する応答は、人間が一生のうちで行う決心のうちでも最も重大なものです。なぜなら、イエスのことばが終わりの日にその人をさばくからです。賢い人も愚かな人もイエスのことばを聞きました。賢い人とはその求めに応じてキリストを信じて従った人たちでした。イエスは、哲学や宗教、迷信のようなものを土台であるとは言っておられません。イエスのことば、また聖書全体はイエス・キリストご自身を、堅固な変わることのない揺り動くことのない岩として示しています。その上に、絶対的な確信をもって家を建てる人は、賢い人です。

 「だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。 」(1コリント3:11)と聖書にあります。この土台は唯一です。なぜなら、イエス・キリストは生きておられ、永遠なる神のただひとりの御子で、すべてのものの創造主であり、また、それを保っておられるお方であるからです。そして、神の御子は聖よく正しいご生涯の終わりに私たちの罪のために死なれ、三日目に墓の中からよみがえられ、確かに人類の救い主であられることを証明されました。

 賢い人は、岩の上に家を建てるのです。そのような人は、人生の浮き沈みにあっても、喜びの日にも悲しみの日にも、健康な時にも病の時にも、富める時にも貧しい時にも、死の日を迎えても墓のかなたの人生の夜明けにおいても、揺れ動くことのない確信を持つことができます。それは、その人が今も生きておられる神の御子という土台の上に絶えず、信頼をおいているからです。あなたは、人生の苦難、死の恐怖、世の終末などの激しい嵐や洪水がやって来たときに、簡単に押し流されてしまう空しい砂(この世の富や、哲学、宗教など)の上に土台を置いて人生の建築をする愚かな人の仲間とならないようにお勧めします。

 建築物の場合は土台も建物も生命のない物質です。しかし、神の御子にゆだねることは、実際的な経験です。イエス・キリストに自分の人生をゆだねている人は、滅びることなく、永遠のいのちを持っていますから、キリストのうちに安心していることが出来るのです。あなたの人生のうちで最も重大なことは、今、キリストを信じ、従う決心をすることです。次のような興味深い話があります。

 スコットランドのあるクリスチャンの老婦人が死にかかっていました。ある日、ひとりの友達が来て、「あなたは、死の中へ落ち込みかけていますよ。」と言いました。すると、その老婦人は答えました。「私は若い時に、自分の人生を岩なるキリストにおゆだねして毎日を過ごして来ました。そして、今、私は死ぬところですが、落ち込んでいるのではありませんよ。なぜって、考えてみてもごらんなさい。岩を通り抜けて落ち込むことなどあり得ないからです。イエス・キリストは、私が死の影の谷を歩む時にも私とともにいてくださいます。私が落ち込むことはあり得ないのです。永遠の岩の上にしっかり寄りかかっていますからね」。

●「主が家を建てるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。」(詩篇127:1)。

●「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほでに世を愛された。それは、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3:16)。 

●「この方(キリスト)以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには私たちが救われる名としては、どのような名も、人間には与えられていないからです。」(使徒の働き:4:12)。


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