聖書から人生を考えよう

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聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★人生の逆風に会うとき

2005-05-09 | 「人生の試練と逆境」

      (松前小島灯台)
  自分がまだ若い20代前半の頃ですが、海上保安学校(京都府舞鶴市)の灯台科を卒業したあと、数年間、北海道の南端にある松前灯台で通信士として働いていたことがありました。二ケ月に一度くらいの割合で、松前から30km位離れた所にある松前小島(冬は無人島)に、二人づつ15日間の交替勤務をしたことがありました。渡海交代は、函館から来る巡視船に乗って行うのですが、小島には大きな巡視船が着岸するような岸壁がありませんので、巡視船は沖に停泊して、15日間分の食糧などを漁師の小さな艀(はしけ)に巡視船から移し積んで小島の岸壁まで運ぶのです。しかし、暴風で海が荒れている時などは、この作業は命がけでありました。物凄い大きな波ですから、小舟は木の葉のように波の山に押し上げられるように上り、次には谷底にど~んと落ちるのですから、生きた心地がしないほどの恐怖感を味わいました。

 私たちの人生は、順風満帆、物事が何もかも順調にスムーズに進む日ばかりではありません。日々の天候ですら、いつも雲一つない快晴の日ばかりではなく、曇りの日もあれば雨や雪の日もあり、嵐の日もあります。人生には、楽しいこと、心踊るような嬉しいことばかりが続けばいいと思うことがあると思いますが、予期しないことが多く起こるのが人の一生ではないかと思います。若い時に、将来のためにいろいろ夢を抱き、バラ色の人生設計を立てるのですが、人生設計の90%以上は思い通りにならないというのが現実ではないでしょうか。失恋、わが子の病気、会社の倒産、離婚の危機、家族との死別の悲しみ、隣人とのトラブル、新築のマイホームが突然火災で焼失、あるいは台風なで倒壊流失、最愛の伴侶が突然病魔に‥‥etc。数え上げればきりがありません。

 さて、新約聖書の福音書の中には、次のような記事がありますので、書き記してみました。今、人生の逆風に遭遇しておられる方のために、何かの励ましか慰めを与えることができれば幸いです。

●「さて、その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、『さあ、向こう岸へ渡ろう。』と言われた。 そこで弟子たちは、群衆をあとに残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。他の舟もイエスについて行った。 すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水でいっぱいになった。 ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。『先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。』イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ。」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。 イエスは彼らに言われた。『どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。』 彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。『風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。』 ‥‥」(マルコの福音書4:35~41)。

 今から、約二千年前のことです。イエス様の弟子たちの一行が、ガリラヤ湖で激しい嵐に遭遇したのです。その中には、ペテロをはじめ、ベテランの漁師たちが四人もいましたが、自然の猛威の前には、人間の知識や経験は何の役に立ちませんでした。舟は大波をかぶり沈みそうになりました。その時イエス様は舟のとも(後ろ)の方で疲れて眠っておられたのです。「私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」と、弟子たちは悲鳴を上げ、助けを求めました。すると、イエス様は起き上がって、「黙れ、静まれ。」と命じられますと、大なぎになったのです。波が静かになり、鏡のようになった湖面を見て、弟子たちは非常に驚き、「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」と叫んだのは当然です。

 激しい暴風で、舟が木の葉のように揺れて弟子たちが慌てふためいていた時、イエス様だけは、何事もなかったかのように、舟のともの方で枕をして寝ておられたという箇所を読むと、私はいつも、心に平安を与えられます。人間にとって大問題と思うことも、イエス様にとっては、小さな問題に過ぎないのですね。あなたの「人生という舟」にイエス様を迎え入れたら、こわいものはありません。暴風は海上だけに吹くものではありません。あなたの人生にも、突然、人生の逆風が吹き荒れることがあるかもしれません。その時あなたは、どこに助けを求めるでしょうか。神様は次のように言われます。

●「苦難の日にはわたし(神)を呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。」(詩篇50:15)。

●「この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から連れ出された。 主があらしを静めると、波はないだ。 波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む港に導かれた。 」(詩篇107:)。

 弟子たちは荒れ狂う嵐に命じて「黙れ、静まれ。」と一喝して、大なぎにしたイエス様を見て、驚嘆し、「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」と言いましたが、イエス様とは一体どのようなお方なのでしょうか。主イエス様は、神の御子であり、聖書では次のように紹介されているほど、偉大な御方なのです。

●「すべてのものは、この方(イエス・キリスト)によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」(ヨハネの福音書1:3)。

●「‥‥万物は、御子(イエス・キリスト)によって造られ、御子のために造られたのです。 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。 」(コロサイ人への手紙1:16,17)。


 神様は、あなたの人生に真の平安と喜びを与えてくださる御方です。しかし、私たちはそのお方を忘れ、神様に背を向けた罪の中に人生を送っていることを聖書は教えています。人間は死後に神様のさばきを受けなければなりません。しかし、既述しましたように、イエス・キリストは、自然界をもご自身の思うままに支配することのできる力ある御方ですが、愛と恵みに満ちあふれたご生涯ののち、その罪とさばきからあなたを救うため十字架で死なれ、復活された救い主なのです。そして、人生の嵐を静め「平安」という港(天国)に導いてくださる方なのです。 あなたもこのようなすばらしい御方を、もっとお知りになりたいとは思われませんか?