聖書から人生を考えよう

私のプログへようこそ!!
お互いに、たった一度だけの人生です。
聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★人生のはかなさ。

2004-12-16 | 「聖書と人生」



 今年も、いろいろな出来事があった年でしたが、もう、師走の半ばとなりましたね。「歳月人を待たず」との諺通り、月日の流れは早いですね。
ある本にこんな一言が書かれてあったのを最近読みました。
「60歳代は一年ごと、70歳代は一ケ月ごと、80歳代になると一日ごとに体力が衰えていく。気持ちはまだ若いつもりなのに‥‥。」 これは、老いて行く速さを実感した高齢者のことばです。

 私も、すでに60代前半になりましたが、自分では気持ちが若いつもりでも、悲しいことですが、確かに体力は年毎に確実に衰えて行くのを実感せざるを得ません。「光陰矢の如し」と言いますが、月日が流れるのは矢のように早いものです。そして、年を重ねるごとに、一年が過ぎ去るのが早く感じるようになるのは、私だけではないと思います。 

 加齢とともに、もの忘れもだんだん進んで行くように感じます。最近、とくに困るのは、普段よく知っている人なのに、その人の名前を思い出せないことが度々あるのです。また、買い物に出かけて、いざレジでお金を支払う時になってから、初めて財布を忘れて来たことに気づいたりすることもあるのですから、困ったものです。まだ、ボケが始まるにしては少し早すぎますね。

 若い時は、体力的に疲れても、一晩休むと翌日はもう疲れも取れてしまったものですが、 今は、ひどく疲れると、何日経っても疲れが取れないことがあるのです。だれでも、「年はとりたくないな~」と思うのが自然だと思いますが、でも、こればかりはどうにもなりません。人間の一生というのは、まことにはかなく、空しいものです。

 人間の生涯の空しさについて、今から約三千年も昔に書かれた詩篇の中に次のようなことばがあります。これはあのイスラエルの指導者モーセの祈りのことばなのです。荒野の40年の旅路で、儚く死んで行った沢山のイスラエルの同胞を彼は見て来たに違いありません。人生というのは、本当に儚いものではないでしょうか。

●「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。‥‥ それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。 」(詩篇90:10~12)。

 「私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください」とは、自分に残された生涯がどれだけであるかは誰にも知ることはできないので、神がすべてを支配している主権者であることを知って、自らの罪を悔い改めて、神に会う備えをして日々を生きることなのです。

 新約聖書の中でも、使徒ペテロは旧約の預言者イザヤのことばを引用して、人生の空しさを語り、その空しく希望のない人生から救われるのは、「キリストの福音」しかないことを強調しました。私たちを自己中心の罪の人生から救うために、キリストは十字架で死んでよみがえってくださったのです。それは、残された生涯を神のために生きるためであり、永遠に至る真の希望を持たせるためなのです。

●「『人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。』とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。 」(ペテロの第一の手紙1:24,25)

●「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ人への手紙6:23)。

●「あなたの若い日に、あなたの創造者(造り主:GOD)を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない。』という年月が近づく前に。」(伝道者の書12:1)。

     
★☆彡☆★彡★☆彡☆★彡★☆彡☆★彡★☆