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大人に負けるな!

弱者のままで、世界を変えることはできない

宮本武蔵『兵法三十五箇条』現代語訳

2011-11-23 20:57:02 | 武学
宮本武蔵は1645年、『五輪書』を書き終えて没した。62歳だった。その4年前(1641年)、細川藩主、細川忠利の命により、初めて自ら編み出した兵法「二天一流」の心得や太刀筋(技法)、体のさばき方について、36か条の項目ごとにまとめたものが、『兵法三十五箇条』である。

(1)この道を二刀と名付ける事

この道を二刀と名付け、太刀を二つ持つ事情は左手にはさして意味はない。太刀を片手で持つことに慣れさせるためである。
片手で持つ事の利点は軍陣、馬上、川沿い、細道、石原、人込み、駆けたり走ったりするときにある。
左手に武器や道具を持ち、両手ではままならない時は片手で太刀を取るしかない。太刀を片手で取ることは最初は重く感じられるが、慣れれば思いのままになるものだ。
例えば弓を射ることに熟練していれば、その力は強く、馬に乗ることが出来ればその力も有る。
庶民の技としては水主(水手=船頭)は櫓、櫂を使わせればその力が有る。農民は鋤、鍬を使わせればその力は強い。
太刀も修練すればその力が出来てくるものである。ただ弱い強いというのは人によって違うものであり、各々自分に応じた太刀を持つべきだ。

(2)兵法の道を例える所の事

この道は、大分(集団で)の兵法から、身一つの兵法に至るまで、すべて同じである。
今書いている身一つでの兵法で例えるならば頭は大将、手足は臣下郎等、胴体は足軽であり、そのように思い国を治め身を修めようとするならば、大小にかかわらず兵法の道においては同じ事である。
兵法の目指す姿はすべてを整え、余る所も、不足するところもなく、強くも、弱くもなく、頭から足の裏まで、等しく意識をいきわたらせ、偏りのない様に仕上げることである。

(3)太刀の扱いの事

太刀の持ち方・扱い方は、大指(=親指)、人差し指を浮かし、たけたか(=丈高・長く高い)中指、薬指、小指を締めて持つ。
太刀にも、手にも「生きる」「死ぬ」と言う事がある。
太刀を構えるとき、受けるとき、留めるときなどに、切ろうとする意志がなく居付く手は、これを死んでいると言う。
「生きる」とはいつであろうと、太刀と手が出合いやすく、硬くならずに切りやすいように自然体である事を「生きている」手と言う。
手首が絡むことなく、肘が伸び過ぎず、屈み過ぎず、腕の上筋は弱く、下筋を強く持つことだ。十分に確認する事だ。

(4)身の構えの事

姿勢については、顔はうつむかず、あまりあお向けず、肩は張らず、歪めず(バランスを崩さず)、胸を突き出さずに腹を出し、腰を曲げず、ひざを固めず、体をまっすぐにして、はたばり(端張り・物の幅)を広く、自分自身を大きく見せることだ。
常にその姿勢をとることで、それが自然な姿勢となってくる。十分に普段からその姿勢をとることを心掛けるべきである。

(5)足の運び方の事

足の運び方はその時その時で歩幅の大小や、遅い速いはあるが、常に歩くようにするものだ。
足使いで避けるべきことは、飛び足(駆け足)、浮き足(不安定な足)、踏み据える足(過剰に踏ん張りすぎる足)、力が抜けた足、遅れたり先走った足である。これらは皆避けるべきだ。
足場がいかに不安定であろうとも問題にならぬようにしっかりと地面を踏まなくてはならない。
これより後に書き付けることからより一層念をいれて学ぶことだ。

(6)目の治め方の事

目の向け方(治め方)については昔はさまざまな言われ方をしてきたが(もしくは、昔は自分もいろいろな事を試してみたが)今思うところは、目の向け方はほぼ相手の顔に向ける、目の治めどころは普段よりも少し細めるようにして、うらやか(うららか)に見るものだ。
目玉は動かさず、敵がどれほど近くにいようとも、またどれほどの間があろうとも、遠くを見るような目をする。
そのような目で見れば敵の技は言うに及ばず、左右両脇までもが見渡せる。視野を広く持つ事で全体を見る事ができ、敵がどう動こうとも柔軟に反応する事が出来る。
物の見方を「観」「見」とするなら、「観」の目は強く、「見」の目は弱くするべきだ。
あるいは敵に分からせる目というものもある。
(「観」の目とは、焦点をある一カ所に固定しない、全体を見通す目のことである。
「見」の目とは、通常、現代人が行っている、視界の中のどこか対象物に焦点をあてる目のことである)
意志というものは目に生じるものであり、物に現れるものではない。それをよく知った上でよくよく修練するべきだ。

(7)間合いの事

間の取り方はいろいろな道(分野、他の武道や芸能)において様々だろうが、とりあえず今は兵法において語るもので、別の道についてはひとまず置いておく。どんな道であろうとその道に入れば、それぞれの分野に適した間を知る事になるだろう。
とりあえず太刀を人に当てられる間は、相手の太刀もまた自分に当たる間である。人を討とうとする時はそれを忘れてしまうものだ。
それを分かった上でよくよく工夫をしなければならない。

(8)心持の事

心の持ち様はめらず(めげず、気持ちをくじけさせずに)、駆らず(焦らず)、たくまず(企まず)、おそれず、「直」に(身構えたりせず)心を広く持ちしなさい。
「意」のこころは軽く、「心」のこころは重く、こころを水のように(乱れなく揺らぎのない水のようにして)、その時々で敵と相対いしたり、何か突発的で予想外な出来事があったときであろうと対応していきなさい。
水(こころ)にはへきたん(増減=変化)があり、一滴の水の時(気が沈んでいたり心が狭かったり、不安定な時)もあれば滄海の時(海のように心広く穏やかで冷静で寛容な時)もある。
そういった自分の精神状態を常に把握して、その時々の対応の仕方をよく工夫しなさい。

(9) 兵法における上・中・下の位を知る事

兵法には身構えがある。太刀(剣術)にもいろいろな構えがあり、強く見えたり、速く見える戦い方があるがそれは位で言うならば下段である事を知らなければならない。
また、兵法にはこまやかで、小手先の技を見せ、テンポよく、派手なようで優れて見えるものがあるが、これは中段である。
上段の位に位置付けられる兵法とは強くもなく、弱くもなく、いかつくもなく、速くも、優れたようでもない。
動きが見苦しくなく、「大」にして「直」、「静」に見える兵法こそ上段と言える。
今の自分がどうであるのかよく吟味すべきだ。

(10)糸とかねという事

平常時であろうと、敵と対したときも、剣を交えたときも、糸(直線も曲線も描けるもの)とかね(矩=矩尺、直角に曲がった金属製のものさし・常に直線であり曲がらないもの)をこころの中に持つべきだ。
相手の心に糸をつけてみれば(相手の心と相手の五体を糸でつなぎ、その糸を見れば)、その糸の突っ張り方が強いところ弱いところ、糸がまっすぐなところ歪んでいるところ、糸が張っているところたるんだところがある。
それを自分の心の中の矩尺をまっすぐにしてその糸に当ててみれば相手の心が分かる。
その矩尺を以ってすれば、円い物も角張ったものも、長いものも短いものも、歪んでいるものもまっすぐなものも知れる。
その糸と矩尺が自分にとってどういうものか、つまり相手を分析する方法を自分で探し相手の長所、短所の見抜き方をよく工夫しなさい。

(11)太刀の道の事

太刀の道(太刀を振る際の道筋、ゴルフで言えばスイングプレーン)をよく知らなければ、太刀を思いのままに振る事はできない。
そのうえ強く振る事もできない。太刀のむね(刀背・みね)、ひら(平・刀の側面)を知らず、相手を切る事はできない。
太刀を小刀(脇差・太刀よりも軽いもの)のようにに使い、ましてやそくいべら(続飯箆=続飯「飯粒を練って作る糊」を作るときに使うヘラ)のように扱うのでは敵に対する心持ちにはなれない。
常に太刀の道を心得て太刀の重さによって太刀を「静」とし、敵に良く当たる様に鍛錬すべきである。

(12)打つと当たるという事

「打つ」と「当たる」という事について。どんな太刀を使おうとも、「打とう」とするところをしっかりと定め、ためし物等を切るように思い切り振れ。
「当たる」とは確かな打ち所が定まっていなくても何とはなしに当たってしまう事だ。
「当たる」というものにも、強く当たる場合がある。
しかしそれは「打つ」とは違う。太刀が敵の体に当たっても、敵の太刀に当たっても、当たりを外したとしても、気にすることはない。
思い通りに打とうとして打てず、ただ当たってしまうのは(8)「心持の事」のような心の状態になっておらず気が乱れているからだ。
その点を良く工夫しなさい。

(13)3つの先という事

兵法には3つの「先(せん)」(機先をを制すること、先手を取ること)がある。
1つ目は、自分が先に相手に打ちかかるときの「先」。2つ目は、敵が先に打ちかかるときの「先」。3つ目は、自分も敵も同時に打ちかかるときの「先」である。
自分が先に打ちかかるときの「先」では、体は太刀ととともに打ちかかるが、足と心は残して、ゆるむことなく、緊張しすぎることなく、敵の心を動かす。
敵が先に打ちかかるときの「先」では、自分の体に心をのこして、敵との間合いのちょうどいいとき、心をはなして、敵の動きにしたがって、そのまま先手を取るべきである。
自分も敵も同時に打ちかかるときの「先」では、わが身を強くして、太刀でも体でも足でも心でも、先手を取るべきである。
兵法においては、先手を取ることほど大事なことはない。

(14)渡を越すと云事

敵も自分も互いに太刀が当たるほどの間合いで、自分の太刀を打ちかけて渡(と)を越す(難所を越える、重大な局面に立ち向かう)と思う場合には、体も足も一緒に敵の体に密着すべきである。
渡を越せば、あれこれ心配することはなくなる。
このことは、後先の書付を読んで、よく考えるべきことである。

(15)太刀に替わる身の事

太刀を打ち出すときは、体は同時に動かすものではない。
敵を打とうとするときは、体は後からついてくるものである。
太刀と体と心を一緒に打ち出すことはない。なかにある心、なかにある体。
このことはよくよく考えるべきである。

(16)2つ足という事

2つ足とは、太刀を1つ打つうちに、足は2つ運ぶということである。
太刀に乗り、はずし、継ぐも引くも、足は2つ運ぶということである。
太刀を1つ打つのに、足を1つずつ運んでいては、体の動きが止まってしまい、自由がきかなくなる。
2つ足を運ぶということは、常に歩くような足の使い方をすることである。
このことはよくよく工夫すべきである。

(17)剣を踏むという事

敵の太刀の先を足で踏みつけるという心である。
敵の打ちかかる太刀のいきつく先を、我が左の足で踏みつける心である。
踏みつけるとき、太刀でも、体でも、心でも、先に仕掛ければ、どのようにも勝つことができる。
この心がなければ、ばたばたとして、うまくいかない。
足はゆったりとしていることもある。
剣を踏むことは何度もあることではない。
このことはよくよく工夫すべきである。

(18)陰を押えるという事

敵の身の内(目に見えない部分や動き=陰)を見れば、心の余っているところ(強く備えが十分なところ)と、心の不足しているところ(弱く備えが不十分なところ)があることが分かる。
心の余ったところに注意して、心の不足しているところが反映されている部分を攻めれば、敵は体勢やタイミングをはずしてしまい、用意に勝つことができる。
けれども、わが心を残し、攻める部分を十分に見極めることが肝心である。このことはよくよく工夫すべきである。

(19)影を動かすという事

影とは太陽の影のこと、目に見える動きのことである。
敵が太刀を後ろにしたりして(太刀を見えないようにして)体を前にだして構えるときは、心は見えない敵の太刀をおさえ、体は自然体にして、敵の動きの兆しがあるところを、我が太刀で打てば、必ず敵の体が動き出すものである。
敵が動き出せば、勝つことは簡単なことである。
以前はそうはしなかった。今は、こだわってしまう心を嫌い、敵の動きの兆しをみて打つ。
よくよく工夫してみることである。

(20)弦をはずすという事

弦とは弓の弦、つるのことである。
弦をはずすということは、敵も我も互いに強く引っ張り合っているときの対処法である。
体でも、太刀でも、足でも、心でも、この強く引っ張り合っている関係を、はやくはずすことである。
敵にとっては想定外の動きになるので、うまくはずすことができる。
工夫すべきことである。

(21)小櫛のおしへの事

小櫛の心とは、つながっている、くっつきあっている状態を解放するということである。
我が心に櫛をもって、敵とつながっている、くっつきあっている状態を、その状態に応じ解く心である。
敵とつながっている、くっつきあっている状態と、互いに引っ張りあっている状態は、一見しては似ている状態ではあるが、それは違う。
引っ張り合うのは強い心であり、つながっている、くっつきあっているのは弱い心である。
よくよく考えるべきである。

(22)拍子の間を知るという事

拍子の間を知るということは、敵によっては速い動きもあり、遅い動きもあり、敵の動きにしたがう拍子のことである。
心の遅い敵に対しては、我が身を動かさず、太刀の動きの兆しを知らせず、速く敵に当てる。
これが一拍子である。
敵の気の動きの速いときは、我が身と心をまず打ち、敵の動いた後を太刀で打つことである。
これが二の越ということである。
また、無念無想ということは、体は打つようにして心と体は残して、敵の気の間を動きの兆しを見せずに強く打つことである。
また、遅れ拍子ということは、敵が太刀で払い、受けようとするとき、動きを遅くして、拍子をずらす心で、敵の動きの間を打つことである。
よくよく工夫すべきことである。

(23)枕の押さえという事

枕の押さえということは、敵が太刀を打ち出そうとする兆しを受けて、敵の打とうとする「う」の字の頭を押さえるということである。
押さえ方は心でも体でも太刀でも押さえるということである。
敵の動きの兆しを知れば、敵を打つにも、敵に入るにも、敵の攻撃をはずすにも、先に打ちかかるにもよいことである。
枕を押さえるといいうことは、これらいずれの場合でも大事なことである。
よくよく鍛錬すべきことである。

(24)景気を知るという事

景気(気の状況)を知ることが大切である。
その場の景気や敵の景気が浮ついたものか沈潜したものか、浅いものか深いものか、強いものか弱いものかをよく見知るべきである。
「いとかねという事」=(10)参照=は常々のことであるが、景気は即座のことである。
その時の景気をよく見知ることができれば、どんな場合でも敵に勝つことができる。
よくよく考えてみるべきことである。

(25)敵に成るという事

戦いの場では、敵の立場になって考えることも必要になる。
敵は一人で取りこもっているのか、大敵なのか、武芸の優れた者なのか。敵の心の中を思い取るべきである。
敵が心の中で迷っていることを知らなければ、弱い敵を強敵と思い込み、武芸に優れていない者を武芸に優れた者とみなしてしまう。
そうなると、敵に優位性はないにもかかわらず、敵に優位性を与えてしまう。
敵の立場になって判断すべきである。

(27)縁の当たりという事

「縁」とはきっかけのことである。
近い間合いで敵の太刀が打ちかかってくるときは、我が太刀で張ることも受けることも当たることもある。
受けることも張ることも当たることも、すべては敵を「打つ」きっかけをつかむための動作である。
乗ることもはずすことも継ぐことも、すべては敵を「打つ」ためえに行っている動作である。
わが身も心も太刀も、すべては敵を「打つ」ことに集中すべきである。
このことは、よくよく考えてみるべきである。

(28)しつかう(漆・膠)のつきという事

漆(うるし)や膠(にかわ)がものにくっつくように、敵の体に自分の体を密着させることが大事である。
足や腰、顔ままでも密着させなければいけない。
体が密着していないと、敵はさまざまな技を仕掛けることができる。
敵につく拍子(タイミング)は(23)「枕の押さえ」の対応と同じである。
敵の打とうとする「う」の字の頭を押さえる拍子である。

(29)しうこう(秋猴)の身という事

 秋猴とは手の短い猿のことである。
敵と体を合わせる(ぶつかる)際は、左右の手はないと思って、敵の体につくべきである。
体ではなく手を出すことは間違いである。手を先に出せば、体は引いてしまうものである。
ただし、左の肩と「かいな」(腕のひじまでの部分)は役に立つ。
手先を使うべきではない。
敵につく拍子(タイミング)は前の項目と同じである。

(30)たけくらべ(丈比べ)という事

敵の体につくときは、敵と丈を比べるようにして、自分の体を伸ばして、敵の丈よりも自分の丈が高くなるようにすべきである。
敵につく拍子はやはり先の項目と同じである。
よく工夫すべきである。

(31)扉(とぼそ)のおしえという事

敵の体につくときは、自分の体の幅を広くまっすぐにして、敵の太刀も体も覆い隠すようにし、敵と自分の体に隙間ができないようにするべきである。
一方、身を縮める(小さくする)場合は、体を薄くまっすぐにして、敵の胸に、自分の肩を強く当てるべきである。
このことで敵を突き倒すことができる。
よくよく工夫すべきである。

 (32)将卒のおしえという事

兵法の真理をわきまえていれば、敵を軍隊の一兵卒であるとみなし、自分はその軍隊の将軍であると考えることができる。
敵に少しも自由にさせず、敵に太刀を振らせることも、敵をすくませることも、すべては自分の命令によってそうさせているのである。
敵にあれこれ工夫する余裕を与えないようにすべきである。
このことは特に肝要である。

(33)うこうむかう(有構無構)という事

太刀を持って構えることについて。どんな構えでも、構えるという心があることによって、太刀も体も居付く(固まる)ことになる。
どんな状況であっても、太刀を持つ際は、構えるという心をなくすべきである。
太刀構えは敵の動きによって変化する。
上段には3つのバリエーションがある。中段、下段の構えも、左右の脇に構える場合もそうである。
構えは形としてはあるが、構えはないと考えるべきである。
このことはよくよく考えるべきである。

(34)いわを(岩尾)の身という事

岩尾の身というは、動くことなくして、つよく大なる心なり。
身におのずから万理を得て、つきせぬ処なれば、生有る者は、皆よくる心有る也。無心の草木迄も、根ざしがたし。
ふる雨、吹く風もおなじこころなれば、この身よくよく吟味あるべし。

(35)期をしる事

期をしるということは、早き期を知り、遅き期を知り、のがるる期を知り、のがれざる期を知る。
一流に直道という極意の太刀あり。
この事品々口伝なり。

(36)万理一空の事

万理一空の所、書きあらわしがたく候へば、自身工夫なさるべきものなり。
右三十五箇条は、兵法の見立て、心持に至るまで大概書記申候。
若端々申残す処も、皆前に似たる事どもなり。
又一流に一身仕候太刀筋のしなじな口伝等は、書付におよばず。
猶御不審の処は、口上にて申しあぐべき也。

寛永18年2月吉日 新免武蔵  玄 信





宮本武蔵は、なぜ強かったのか? 『五輪書』に隠された究極の奥義「水」
高岡 英夫
講談社

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体が固くて悩んでいた空手家が、わずか90日で足が180度開いた方法

2011-07-20 23:29:37 | 武学
ストレッチの方法を間違えると、逆にどんどん体が固くなってしまいます!
この冊子で学べることは、
★間違えだらけのストレッチ
(間違えただけ強くなるは、)
★体の機能を知る
(頭で知っているから何度でもできる。無駄がない。)
★ストレス無く無理なくラクラク楽しながら開く方法
(冷たい北風でなくて暖かい太陽で)
★どうやって90日で開いたのか秘密を公開
(先生の言葉が、自分を変える)
★ただ開くだけでは意味がない。使えるストレッチ
(見せ掛けだけで終わらせないために)
★股関節の機能を高めるためのその他の重要なストレッチ
(動物はもともと四本足だ)
★あまり開かない方が良いケース
(固さがパワーを生む?)
★開いた後に、必ずやるべきことは?
(イザという時、すぐ開くために)

http://www.gekizou.biz/report.php?aid=1020289&cid=4437


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2011 THE OUTSIDER vol.1 ベストバウト

2011-06-13 19:30:03 | 武学
選手名: 齋藤匡彦 桜井貴大 宮永一輝 双黒龍 R・S・RYO 伊澤寿人 松岡洋平 幕大輔 金島欣和 武井勇輝 吉永啓之輔 山崎慎也 中村俊太 魔裟斗 沼尻和之 鳥海誠 庵野隆馬 萩原祐介 渡辺竜也 中根佑太 野村剛史 松田真吾




2011年の喧嘩始め、ジ・アウトサイダー第15戦開幕。チャンピオンが集結し豪華なマッチメイクが実現。60-65kgチャンピオン幕大輔に挑むのはアウトサイダー屈指のストライカー松岡洋平。無欲な男が初めて口にした挑戦表明、胸に秘めた熱き想いが拳に宿る。70-75kgチャンピオン伊澤寿人と対峙するのは謎の男Ryo。アマチュアで数々のタイトルを奪取してきたグラップラーが王者に挑む。そして65-70kgチャンピオン吉永啓之輔は、横浜大会での雪辱は晴らすべく再びZSTと激突。相手はプロ12戦をこなす実力者松田真吾。互いに団体の看板を背負い男たちはリングへと向かう。全28試合中11試合を厳選し収録したベストバウト版。男たちの生き様は今年も熱すぎる!




2011 THE OUTSIDER vol.1 ベストバウト






米国軍隊、警察、特殊部隊、政府機関で正式に採用されている科学的護身術~コンバット・ファイティング

ヒクソン直伝護身術バトルプログラム【BATTLE PROGRAM】
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裏プロレス史

2011-05-05 11:42:32 | 武学
 プロレスはその成立当時から、セメントはタブーだった。勝敗はプロモーターの一存で決まった。しかし、それは決してプロレスラーが弱いことを意味しない。少なくとも、一時期のアメリカにおいて、最も実力者がそろっていた業界がプロレスではないだろうか。
 確かに、プロレスはショービジネスであり、日常的に真剣勝負を興行しているわけではない。だが、それはプロレスの奥深い世界の、ほんの表面に過ぎない。ショーとしての顔の奥には、まぎれもない真剣勝負のエッセンスが息づいている。






 ◆興業試合◆

 明治時代には、柔道家がレスラーやボクサーを相手にする興業が、盛んに行なわれていたという。
 しかし、これは八百長試合だった。
 ともかく、これが日本におけるプロレスのルーツであることは間違いない。


 ◆マークス◆

 一昔前まで、アメリカでのプロレス興業には、「マークス」と呼ばれる腕自慢の飛び入り賞金マッチがつきものだった。
 マークスの多くは、レスリングの実力者とか、地元の喧嘩屋である。

 もしプロモーターに返り討ちを命じられれば、一介のレスラーにそれを断る権利はなく、もし負けでもしたら、「素人より弱いレスラー」として業界には残れなくなる。
 「プロモーターに絶対服従」という業界の掟が、実力の無いレスラーを淘汰していた。マサ・サイトーも、このようなマークスの相手を命じられ、サミングで返り討ちにしたと回想している。


 時には、プロモーターがマークス対策専用のレスラーを雇うこともあった。
 その中でも有名になったのがボブ・バックランドで、彼はいつもマークスをヘッドロックでギブアップさせていたという。


 これは手首関節を相手の頬の頭蓋結合部に押し当てて締めるというもので、陰のテクニックとしてレスラーに伝えられていたものだ。つなぎ技であるヘッドロックで素人をギブアップさせることで、プロのステイタスを誇示したのだった。



 ◆フッカー◆

 こうした技術を徹底的に突き詰めたのが、イギリスのビリーライレージム、別名スネークピットだった。
 ここではフリースタイル・レスリングの起源とされる「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」スタイル・レスリングが伝承されており、数々のフッカー(フックは、極めると同時に折ってしまうような危険なサブミッションのこと。フッカーは、これをマスターしたセメントの中のセメント)を育成した。
 フッカーの中でも最強と呼ばれているのが、幻の実力者ビリー・ジョイスである。


ゴッチは、その秘技を日本に伝えた。

 チャンピオンクラスがマークスの相手をすることは、滅多になかった。勝って当たり前、負ければ興業全体にダメージを受ける。
 従って、主に中堅以下のポジションにいるレスラーが、マークスを退ける役割を与えられた。前座レスラーだったジョイスは、その典型であろう。そうなれば、チャンピオンは彼らより強いことになり、一石二鳥だった。

 ジャイアント馬場は、セメントを、「レスリングの技術があり、かつ喧嘩度胸のあるレスラー」と定義している。
 彼らセメントに言わせると、そうした実力とショーでの人気を兼ね備えてはじめて、真のプロフェッショナルなのだという。



ジョシュはキャッチの技術を受け継いで総合のトップファイターに君臨している



 ◆パワープラント◆

 マクマホンジュニアのショーアップ路線により、セメントは業界から淘汰されていった。だがもちろん、プロレスそのもののレベルは向上している。打たれ強さや受け身の上手さなどは、格闘家をしのぐものがあるだろう。

 打撃系の経験者なら分かるだろうが、人の体は、急所を除いて叩かれるほど強くなる。例えば極真の選手なら、体の全面や脚は、まるで鎧をまとっているように頑丈だ。プロレスラーは、日々の試合で常に全身がそういった状態に保たれている。特に、回復力は尋常ではない。
 受け身の技術も、空中殺法や場外への落下があるため、スタントマン並みにレベルが高い。今や伝説となった、三沢が小橋を花道から(場外へ!)雪崩式タイガースープレックスで投げた場面を見せられた(しかも、2人はリングに戻って試合を続行した)ときには、改めて、自分がプロレス少年だったことに誇りを持ったものだ。こんなこと、プロレスラー以外の誰にできるだろう? ゴールドバーグなど、キャデラックにハネられてみせた。



 やっぱり、プロレスはキング・オブ・スポーツであり、プロレスラーは超人なのだ。

 逆に言えば、いくらルックスが良くても、超高度な身体能力がなければ、トップの座は保てない。ザ・ロックなどはルックスはいいが、身体能力がプロとしてはいまいちであり、案の定、プロレスから俳優業に重心を移した。

 こういったプロレスラーの養成機関の中でも有名なのが、ゴールドバーグやボブ・サップがいたことでも有名なアトランタの「モンスターファクトリー」、別名パワープラントだろう。フロアには3面のリングと最新のトレーニング設備が設置され、サブミッションのトレーニングも行なわれていた。ちなみに、ゴールドバーグもサンボや合気道の経験者だ。
 もともとNFLでもズバ抜けた体力の持ち主だったサップをして、あげたまま失神するほどのシゴキだというから、いかに厳しいかが伺える。
 カレリンのライバルだったマッド・ガファリは、1日で逃げ出したという。
 K-1のサム・グレコも、実はプラント出身。
 まさに、世界のトップアスリートが集結していたのだ。


ホーガンもヒロ・マツダ仕込みのセメントを身につけている



アメプロから総合格闘技に転向してすぐ世界王者になったレスナー



 ついでに言えば、いきなり火の玉を投げつけるといったとんでもない反則も、プロレスの恐さであろう。タイツ1枚でリングに上がって、どこに種を隠しておくのだろうか?
流血のあるときは、剃刀も隠し持っている。プロレスラーは、手品師並みのトリックもマスターしているのだ。
 これをもしストリートファイトでやられたら、お手上げである。人間がいきなり「火を吐く」とは、とても予想できない(笑)。
 喧嘩なら、もしかして悪役レスラーが最強ではないだろうか?





 ◆新日本プロレス道場◆



 いわゆるセメントの流れは、アメリカではなく、新日本プロレスに受け継がれた。
 新日の道場では、新人はゴッチから伝えられたキャッチスタイルを徹底的に叩き込まれた。この伝統は、新日を源流とする全ての団体に受け継がれている。
 そもそも、プロレスラーは他の格闘技で実績のある選手が多いので、ただでさえ強いのに、徹底的にセメントを叩き込まれるから鬼に金棒。

 リングスやパンクラスなどは、本当にセメント路線に変更してしまった。
 高田道場の桜庭は、ホイスに初黒星をつけている。そればかりか、試合の中で、一度膝を極めている。ホイスが公式戦で関節を極められた、唯一の瞬間だろう。グレイシーの神話を打ち破ったのは、まぎれもなく日本の「UWF」だった。



 桜庭は40代になるまで、公式戦で関節を極められたことがなかった。グラウンドテクニックでは、長期に渡って世界の頂点に君臨し続けた。やはり、「プロレスラーは本当に強い」のだ。
 こうした団体は打撃技、特にローキックにも習熟している。




 ◆修斗◆



 人気と実力を兼ね備えた、代表的なセメントである初代タイガーマスク(佐山サトル)が創始した格闘技が修斗である。
 佐山は、自らのベースであるキャッチレスリングに様々な格闘技のエッセンスを加え、スタンドもグラウンドも認める総合格闘競技を完成させた。
 その興業組織はボクシング並みに整備されており、八百長の入り込む余地はない。後頭部への打撃を認めることなども特徴だ。

 修斗のパイオニアとして絶対に忘れられないのが、伝説のシューター中井祐樹であろう。中井はバーリ・トゥード・ジャパンに出場し、軽量級の体格ながら、1回戦でUFC準優勝の実力者ゴルドーを破る。しかし、サミングのために、片目の視力を失ってしまった。
 だが、中井は棄権せず、準決勝で超ヘビー級のプロレスラーを破り、決勝で惜しくもヒクソンに敗れたものの、堂々の準優勝。修斗の技術の実戦性を証明した。



 また、総合中量級で世界のトップを走る五味も、主なタイトル歴は修斗のみ。五味は、修斗で強くなった。やはり修斗は、最強の総合格闘競技だろう。




 ◆ルタリーブリ◆

 ちなみに、プロレスを母体として産み出された格闘技は、修斗だけではない。ジュージュツのライバルとして知られるルタリーブリも、ルチャドールによって創始された。
 やはりサブミッションが技術の主体となるが、バーリトゥード用に進化したため、基本的には何でもアリだ。

 新日に留学したイワン・ゴメスは、ルタリーブリの王者だった。当時からヒールホールドや馬乗りビンタを使っていたという。


アリ・キックはゴメスのアドバイスを受けて完成された

ヒクソンの最強のライバルだったズールも、ルタリーブリのファイターだった。



 ◆ヒムナシオ・アトレティコ・マリーナ◆

 ルチャドール育成機関として最も有名なのが、マスカラスを筆頭とする大スターたちを次々と輩出した名門ジム「ヒムナシオ・アトレティコ・マリーナ」だろう。
 このジムでは派手な技はいっさい教えず、基礎体力とアマレスを徹底して叩き込まれる。ルチャドールたちが自信を持ってバーリトゥードにチャレンジするのも、このような土台があってこそ。

 もともとルチャのプロテストにはレスリング検定があり、一定以上の実力が無ければ、プロになれない。
 メキシコでは昔も今も、トップアスリートは小柄ならプロボクシング、大柄ならルチャへ進むのが定番だ。


かのマスカラスも、ボディビルやウエイトリフティング、レスリングのフリースタイルでメキシコを制した超スポーツエリートだった。柔道も少年時代から経験している。

 ヒムナシオ・マリーナで基礎を身に付け、地元でデビューしてある程度経験を積むと、いよいよルチャの総本山である「ヒムナシオ・アレナ・メヒコ」で高等技術訓練が行なわれる。
 場外転落の受け身や高度な空中殺法など、その訓練はスタントなみの厳しさ。メインイベンターとなれるのは、エリートの中でもさらにひと握りの超エリートに過ぎない。




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地上最強の肉食獣は?

2011-05-03 09:25:36 | 武学
写真 ライオンとトラを交配させた「ライガー」





現在、地上最強の猛獣は、全長3メートル、体重300キロを超えるシベリアトラだといわれています。最大のクマ、北極熊は最大で体重1トンを超えますが、シベリアではクマはトラのエサの一部であり、陸上ではトラにかなわないと考えられています。

しかし、そんなシベリアトラより、明らかに強いと考えられる肉食獣が存在します。

それは、父をライオン、母をトラに持つ交配種「ライガー」です。

交配種された動物の特徴に「雑種強勢」と呼ばれる、その両親に比べ優れるという現象があります。このことから、両親より巨大化する傾向にあり、一般的には40%も大きくなります。

具体的には、全長7m弱、体重600kgに達します!(@_@;)

それでいて、両親から受け継いだ身体能力はそのまま保持していますから、最大のトラやライオンでも、ライガーに比べれば子どもの体格です。まず勝ち目はありません。







ちなみに、ライオンのメスとトラのオスの組み合わせのタイゴンは、ライガーほど大きくないそうです。

オスのライガーは生殖機能を持たず、メスにはありますが、さらに生まれた子は生殖機能を持たないため、一個の確立された種とはいえません。しかし、個体としてみた場合、やはり地上最強の肉食獣であることは間違いないでしょう。







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喧嘩なら柔道最強かも

2011-05-01 16:04:27 | 武学
 あまり知られていないが、ヒョードルは、柔道でもロシアで五指に入る実力者だった。ヨーロッパ王者にもなっている。生活のためプロに転向したが、そのまま続けていても、メダルを獲得する可能性は十分にあった。
 ヒョードルの強さの秘密は、柔道で築いたベースにあるといっても過言ではない。宿敵ノゲイラも、柔道から柔術に転向した選手だ。

 史上初めて五輪柔道重量級と無差別級を両方制したウイリアム・ルスカは、新日に来日した外国人レスラーの中でも、喧嘩では最強だったと言われている。バーリトゥードに慣れているイワン・ゴメスを、セメントで叩きのめしている。
 吉田秀彦の総合での活躍については、いまさら述べるまでもないだろう。


 「素手喧嘩の9割は顔面へのパンチから始まる」といわれるが、これだけで決着がつくケースは、1割を切るだろう。素手のパンチは痛いけれども、テンプルかジョーを直撃しない限り、KOには至らない。
 むしろ、殴られないようにお互いの腕を制し合い、そのままつかみ合い、もつれ合いに移行するケースが、9割に達するのではないか。
 しかも、実際の喧嘩は双方が衣服を着ているので、柔道は、最も実際の素手喧嘩に近い局面の格闘技と考えられる。総合ジャケットマッチが開催されたら、上位は柔道経験者が独占してしまうだろう。



◆講道館◆

 嘉納治五郎は、もともと柔道を日本武道の集大成として完成させるつもりだった。剣や槍は言うに及ばず、砲術にまで関心を寄せ、柔道の体系に取り入れようと考えた。
 柔道には現在でも護身の型が残され、昇段審査には必須となっている。

 空手を本土に紹介したのも、嘉納だった。当て身技も型だけでなく、防具やグローブをつけてのフルコンタクト組手を導入し、柔道修業の一環にしようとしていた。

 残念ながらこの壮大な構想は果たせなかったが、当て身の無い今の柔道にも、日本武道のエッセンスが凝縮されている。
 今日でも、素手による殺人事件の大半が絞殺だが、ベテランの殺人犯になるほど、相手の襟を利用して首を絞めるという。生きるか死ぬかの中で淘汰され、洗練された末に残った技術が、柔道には生きている。

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 ◆ジュージュツ◆

 皮肉にも、講道館を破門された前田光世が、嘉納の理想を受け継ぐことになった。
 前田は、海外での他流試合を重ねる中で、自然に当て身の攻防を工夫するようになった。その結果到達したのは、柔道にレスリングのタックルなどを取り入れ、徹底した接近戦、寝技で勝負をつけるスタイルだった。
 これが定住先のブラジルで広まり、いわゆる「ジュージュツ」が成立する。

 破門の身である前田は、柔道を名乗ることができなかった。しかし、実戦に通用する柔道の確立を目指していた嘉納の理想を、誰よりも色濃く継いでいたのは、元祖の講道館ではなく、異端児・前田だった。
 その意味で、僕はグレイシー一族やブラジリアン・トップチームこそ、嘉納治五郎の真の後継者であり、正統の柔道の体現者ではないかと思っている。つまり、柔道には講道館柔道だけでなく、ブラジル式という別の流れも存在し、そっちこそ正統に近いというのが僕の考えだ。ホイスは、いつも日本武道の継承者の自覚の元に試合に望んでいるという。

 そのジュージュツのルールだが、ケーダ(投げ技)は2点にしかならず、1本は締めや極めのみ。
 立ち極めも認められている。とはいえ、試合の大半は寝技での攻防となる。
 モンターダ(馬乗り)がポイントになるので、いわゆる亀は使えない。他にパッサージンジクァールド(パスガード)、ハスパージ(スウィープ)、ジュエリオナバヒーガ(ニーオンザベリー)もポイントになる。

 とかく悪役にされやすいグレイシー一族だが、自らが100年かけて蓄積したメソッドを惜しげもなく公開したことは、尊敬に値する。それも、全ては異端児・前田光世の名誉を回復するためだった。
 グレイシーの秘技が研究され、誰もが学ぶようになるにつれ、彼らも今までのように簡単には勝てなくなっている。しかし、グレイシー一族が90年代の格闘技界最大の功労者であることは間違いない。

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 ◆高専柔道◆

 そのグレイシーの長老エリオに、唯一土をつけたことで知られる鬼の木村もまた、講道館とは一味違う高専柔道の猛者だった。
 高専柔道では引き込みが認められ、寝技での攻防が重視される。ちょうど、講道館とブラジル式の中間的なルールになる。かつて骨法が、この高専柔道に着目し、大幅にその技術を取り入れた。
 かつての高専では、投げ一本を認めず、誰もギブアップをしないので、結果的には一方が締め落とされるか、肘を折られるまで戦うという、バーリ・トゥードも真っ青のデスマッチが行なわれていた。

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 ◆サンボ◆

 やはり柔道を起源とした格闘技に、ロシアのサンボがある。講道館二段のワシーリ・オボチェフによって創始されたものだが、講道館との大きな相違として、脚関節技の存在が挙げられる。これは、相対的に上半身が強く、下半身が弱い白人ならではだろう。逆の体質である日本人は、彼らほど脚関節技に向いていないと僕は思う。それが、日本で脚関節技が発達しなかったひとつの理由だろう。

 しかしながら、手足を自由に極め合うサンボは、80年代の日本格闘技界に大きな影響を与えた。プロレスはもとより、修斗の成立も、サンボを抜きにして考えられなかっただろう。

 オランダ格闘技界のドンであるクリス・ドールマンも、サンボの世界王者だった。
 やはり世界王者となったアンドレィ・コピィロフは、ブラジル式の世界王者から16秒で一本取っている。
 UFCの初代グランドチャンピオンとなったオレッグ・タクタロフも、サンボの世界王者。
 ヴォルク・ハンも、国内無差別級で優勝している。
 ヒョードルも、ロシア選手権を3連覇した実力を持つ。

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スキルエントリー

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ヨーロッパ史上最強の剣士は?

2011-04-09 10:59:45 | 武学
写真 性別不明の天才剣士 エオンの騎士


江戸時代、日本で剣をはじめとした武術の諸流派が栄え、幾多の達人が登場したように、西洋においても、この時代に剣技が隆盛を極め、数々の名人が登場した。

ヨーロッパでは、王族から庶民に至るまで、いさかいは裁判ではなく決闘で決着する伝統があったので、男たちはこぞって剣の修練にいそしんだ。しかし、決闘に対する処罰が厳しくなり(ボクシングの復活と決闘の衰退は、無関係ではない)、また銃火器が発達するにつれて、次第に剣の伝統は廃れていった。

現在では、スポーツ化されたフェンシングにその面影を見るばかりだが、ヨーロッパにおいても、日本に勝るとも劣らない、奥深い武術の伝統があったのである。

その中でも、特に卓越した剣士を1人挙げろといわれれば、それはシャルル・ジュヌヴィエーヴ・ルイ・オーギュスト・アンドレ・ティモテ・デオン・ド・ボーモン、通称「エオンの騎士」以外に考えられない。



エオンの騎士はフランスに生まれ、3歳まで女の子として育てられた。軍事学校を卒業し、竜騎兵隊長にまでなったにもかかわらず、その美貌と美声から、「実は女ではないか」という疑惑が耐えなかった。また、本人もしばしば女装を繰り返した。何人もの男が、エオンの騎士に恋をしたが、エオンの騎士は色恋沙汰に全く関心を示さなかった。

常に女だという疑惑を持たれ続けていたエオンの騎士が、軍人としてその面目を保ち続けた秘訣は、剣の腕にあった。女装のまま決闘を繰り返しては、1度として傷を受けることなく、その全てに勝ち続けた。



歴史上のエオンの騎士の功績は、なんといってもルイ15世の全権公使として活躍し、『パリ条約』を成立させたことだろう。
さらに、密かにスコットランドと組んで、イギリスに対して有利な状況を作り上げた。エオンの騎士は、「第2のジャンヌ・ダルク」とまで呼ばれるようになる。
おまけに、「先王のしくんだ陰謀を暴露する」とルイ16世を脅迫し、12000リーヴルもの大金をせしめ、財産を築いている。



しかし、時は流れ、エオンの騎士の名声を脅かす、新世代の天才剣士が登場する。

彼の名は、サン・ジョルジュ。

サン・ジョルジュは騎士を父、黒人奴隷を母として生まれた。
卓越した運動神経と剣の腕を示し、わずか17歳で、パリ中の名だたる剣術教師を打ち負かした。
人々は、「彼こそ史上最強の剣士」だと褒め称えた。



エオンの騎士とサン・ジョルジュは、ヨーロッパ最強剣士の称号をかけて、1787年、ロンドンで公開決闘を行うことになる。

サン・ジョルジュは当時、現役の近衛騎兵であり、心身共に絶頂期にあった。

一方、エオンの騎士は、すでに59歳。いかに過去の決闘で無敗を誇ったとはいえ、とうてい、全盛期の力は望むべくもない。観衆は、若き混血の天才サン・ジョルジュの圧勝を信じた。



だが、人々は奇跡を見た。女装して現れた、すでに老境に近いエオンの騎士が、若く力強いジョルジュの剣先を全く寄せ付けず、一方的に7度の突きを成功させたのである。ジョルジュは命こそ失わなかったが、最強の称号は、完全にエオンの騎士のものになった。



武芸の達人は、東洋だけの専売特許ではなかった。エオンの騎士が生まれて初めて刀傷を受けたのは、実に68歳になってからだったという。おそらく、白内障で敵の剣先がよく見えなくなっていたのだろう。
その後も、剣術の模範演技で生計を立て、82歳で没している。



エオンの騎士の没後、その性別を調べるために、外科医が遺体の解剖を試みている。その結果は……




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アントニオ猪木最強論

2011-03-05 15:40:57 | 武学




僕は、20世紀最強の格闘家は、(牛を倒したマス大山を別格として)アントニオ猪木だったのではないかと考えています。

根拠は、かのアリ戦です。



この試合において、わずか3日前に決定されたルールは、

レスラーである猪木にとって、あまりにも不利な内容でした。



立ち蹴りやとび蹴りは全て禁止、

仰向けに倒す通常のタックルも、後頭部への攻撃と見なされるため反則です。

また現在の総合ルールと異なり、アリはロープにしがみついてテイクダウンを逃れることができます。

そのままブレイクがかかり、離れた状態で試合が再開されます。

猪木が組み付いてきたら、アリはただロープをつかめばいいわけです。



肘打ち・膝蹴り・チョップなども禁止されていたので

実質的な立ち技は、平手打ちと足払いくらいしか認められていなかったことになります。

(この足払いを拡大解釈して、スライディングキックが使われた)



また、仮にダウンを奪えたとしても、8カウントを数えるうちは追撃を認められません。

実際、猪木はアリから何度かダウンを奪いましたが、寝技に持ち込むには至りませんでした。



寝技をはじめ、レスラーの得意技は、ほぼ全て封じられていたわけです。



一方のアリは、全てのボクシング技が使えるだけでなく、

グローブを外して戦うことも認められていました。



この、200%ボクサー寄りのルールにおいて

試合を受ける挌闘家が、他にいるでしょうか?

しかし猪木は、実際にこのルールで

現役の世界ヘビー級チャンピオンと引き分けたのです。

しかも、アリは試合で受けた左脚のダメージで入院しています。

なお、左脚に攻撃を集中するよう猪木にアドバイスしたのは、マス大山でした。



絶体絶命の状態で活路を見出す勝負強さは、まさに猪木独特のものです。

やはり、20世紀の比類なき挌闘家だったといえるでしょう。





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宮本武蔵『独行道』

2011-03-04 13:34:46 | 武学
宮本武蔵:枯木鳴鵙図






正保2年(1645年)5月12日、病篤くなった武蔵が最後の力をふりしぼって書いたのが「独行道」二十一箇条だった。

 

  一.世々の道を背く事なし

  一.身に楽しみをたくまず

  一.万に依怙(頼ること)の心なし

  一.身を浅く思い、世を深く思う

  一.一生の間欲心思わず

  一.我事において後悔せず

  一.善悪に他を妬む心なし

  一.いずれの道にも別れを悲しまず

  一.自他ともに恨みかこつ心なし

  一.恋慕の道思いよる心なし

  一.物ごとに数寄好む事なし

  一.私宅において望む心なし

  一.身一つに美食を好まず

  一.末々代物なる古き道具所持せず

  一.わが身に至り、物忌みする事なし

  一.兵具は格別、世の道具たしなまず

  一.道においては、死をいとわず思う

  一.老身に財宝所領用ゆる心なし

  一.仏神は貴し、仏神をたのまず

  一.身を捨てても名利は捨てず

  一.常に兵法の道を離れず






居合刀 戦場刀 九州肥後同田貫 藤原正国写
クリエーター情報なし
しのびや.com


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ダイヤモンド社


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宮本武蔵 五輪書 現代語訳 地の巻

2011-02-24 13:04:23 | 武学
地の巻

この兵法の道を二天一流と名付ける。数十年来鍛錬してきた事を、初めて書物に顕そうと思った。時を記す、寛永二十年十月上旬の頃。所、九州肥後の地。岩戸山(市内を金峰山を挟んで反対の海側)に上り、天を拝し、観音(岩戸観音)を礼し、仏前に向う。我、生国は播磨の武士、新免武蔵守藤原玄信歳、以って六十、若年の昔より兵法の道に心を掛け、十三にして初めて勝負を為す。其の時、新当流有間喜兵衛と云ふ兵法者に打勝つ、十六歳にして但馬国、秋山と云ふ兵法者に打勝つ。二十一歳にして都に上り、天下の兵法者に会ひ、数度の勝負を決す、されど勝利を得ざると云ふこと無し。其後、国々、所々に至り、諸流の兵法者に行逢ひ、六十余度まで勝負をなすと云えども、一度も負け無し。それは、歳十三より二十八、九までの事なり。我三十を越えて、過去を思い見返るに、兵法を極めていて勝利したのではないと思う。生来の器用さが有って、自然の理が離れざる故ではないか、又は敵の法の兵法不足なる所なのか、其後なお深き道理を得ようと朝鍛夕錬して見れば、自を兵法の道に合ふように完成したのは、我が五十歳の頃なり。それより後は尋ね入るべき道なく、光陰を経た。兵法の理(これは万事に通ずるようだ)に従って、諸芸諸能の道を学んだが、万事に於て、我に師匠無し。(兵法の理に従えば師匠が無くても、そこそこやれる)今、此書を作ると云へども、仏法、儒道の古語をも借らず、軍記軍法の古きことをも用ひず、此の二天一流の見たての『実の心』を顕す気持ちは、天道と観世音を鏡とする気持ちで、透き通り、確としている。十月十日の夜、寅の一天に筆をとって書初るもの也。

兵法というのは武家の法である。将たる者は特別大事にこの兵法を思い、この兵法を体得しておくべきである。今の世の中に、確実に兵法を体得していて、人に伝え得るという武士は私以外にいない。まず、仏法は人を助ける道を顕し、儒者は文の道を顕し、医者は諸病を治す道、歌道者は和歌の道、数寄者、弓法者、諸芸、諸能それぞれ思い思いに稽古し、真実に大成している人はいるが、兵法の道では大成している人はまれだ。まず武士は文武両道を謹むのが道である。従ってこの道に不器用では済まぬ。武士はそれぞれの能力に応じて兵法を謹むべきものだ。おおかたの、”武士の心得”を“只死ぬる”のに儀に矮小化しているが、死ぬのは武士だけに限った事ではない。出家、女、百姓に至るまで、義理を思い、恥じを思い、死するべき時を思い、で差別は無い。武士が兵法を実践するとは、何事においても、人に優れているということを根本とすべきで、1対1の切り合いに勝ち、あるいは数人との戦いに勝ち、主君のために勝ち、名を挙げ身を立てようと思うのが道理である。常時すぐ役立つよう稽古し、万事に役に立つように教えることこれこそ兵法の実の道である(負けて死んだのでは、意味が無い)

漢土和朝までも此道を行ふ者を、『兵法の達者』と云ひ、云い伝へがある。本来,武士として、此法を学ばずと云ふ事あってはならない。、最近、兵法者と称して世を渡る者あり。是は剣術では大方そうである。常陸国鹿島や香取の社人どもが”明神の伝へ”と称して流派を立て、国々を廻り、人に宣伝しているのは最近の流行である。古より十能六芸と流行芸があり、その中に利用便法とか、奥義とか、芸全般に通ずる利方があるとか宣伝している。剣術全般にかぎらず、剣の技術にまでそのようなものがあるとは、剣術とはそのように簡単に身に付くものか?無論兵法とは、そんなに簡単に身に付くものではない。世の中を見ると、芸を売り物にする武芸者がいる、諸道具についても利用便法付きで売り出している。花はあるが、実がない。とりわけ兵法の実についての講釈が無いのだ。方法論を華やかな言葉で飾りたて、利用便法にして『わが道場では短い太刀の素晴らしい使い方を』、あるいは、『わが道場では長い太刀の素晴らしい使いかたを』と大声で宣伝している。うっかり習って、その利方を身につけでもしたら、『生兵法は大怪我の元』という結果になってしまう。
おおよそ、人の渡世に士農工商の四つの道がある。ひとつには農の道、農民は色々の農具で四季に合わせた作物を作る。二つには商の道。酒を作ったりして、醸造に適した道具を見つけ、その利を生かしている。それぞれがそれぞれの道具の利を生かして稼いでいる。三つ目に強調したいのは武士の道である。武士に置き換えて言うと、兵具が農具、道具にあたる。兵具をそろえ、兵具の利用便法を身につけ、大工が物差しで図面の確認をするように、寸暇を惜しんで、兵具の利用便法マスターする。
これこそ士農工商それぞれの道である。
これから、兵法の道を大工の道に喩え、書きあらわす。大工はおおいに工むと書く。兵法の道も多いに巧むが肝要であるので、大工に喩える。兵法を学ぼうと思うものは、この書の趣旨をよく思案して、弟子は糸だと思って(針の)師につながり、続く気持ちで絶えず稽古に励げめ。

大将は大工の棟梁と同じ。天下の尺度をわきまえ、国家の尺度を糾し、家の尺度を知るのが棟梁の道である。大工の棟梁は堂塔伽藍の尺度を覚え、宮殿楼閣の図面を知り、人々を使って家を建てる。それは大工の棟梁も武家の頭領も同じである。家を建てるには木を配り、まっすぐで節がなく、見かけの良い材木は表の柱とし、少し節があり、それでも真っ直ぐな木は、裏の柱とし、多少弱くても節がなく美しいのは、敷居、鴨居、戸障子などとし、節があって歪んでいるものは、その木の使い方を考察し、木をよく吟味し使用すればその家は長持ちする。材木の中でもフシが多く歪んでいて、弱いのは足場にでも使い、後には薪にでも使うのがよい。棟梁が(人手)大工を使うにあたっては、腕前の上中下を知り、あるいは床回り、あるいは戸障子、あるいは敷居,鴨居、天井というように、それぞれに応じて使い分け、腕の悪いものには根太をはらせ、もっと悪いものには楔を削らせるなど、人(大工)を見分けて使えば仕事の能率が上がって、手際よく行くものである、仕事のはかがゆき能率がよく、妥協が無く、余裕があって、人の仕事に使う神経の上中下を感じ、(時をみて)励まし、無理(押し付けない)を知る。こうした事を心得ているるということを、棟梁としての心得があるというのである。兵法の道理もまたこの様なものである。


兵卒は大工である。自ら道具を研ぎ、いろいろな金具のタガをこしらえ、大工箱に入れて持ち、棟梁のいいつけを聞いて、柱、梁を手斧で削り、床、棚を鉋で削り、透しものを彫り、規矩を糺し(寸法をただす)、手のかかる隅々まで立派に仕上げるのが大工である。図面の上でデザインし、自らの手にかけてその仕事を終える。それから、大工の下心得はよく切れる道具を持ち、暇をみてこれを研ぐことが肝要である。その道具を使って棚、机、又は行灯、爼板、鍋の蓋までも器用に工作するのが大工である。吟味しなければならん。大工の(基本的な)心得は仕事が後になって歪まないこと、止めを合わせること、カンナで上手く削ること、磨り減って使い物にならないような物を作らない事。これが肝要である。兵法の道をを学ぼうと思うならば書き記したことども、一つ一つ念をいれて、よく吟味しなければならない。

兵法を五つの道に分けて、巻ごとにその概要を書き、地、水、火、風、空に分け、五巻として表すものである。
地の巻においては、兵法の道のあらまし、我が流の見方を説いている。剣術だけをやっていては,本当の兵法の道を得ることはできない、大きいところから小さいところを知り、浅い所から深いところに至る、まっすぐな道を思い描くことになぞらえて、最初の巻を地の巻と名付ける。

第二は水の巻である。水を手本とし、心理を水に映す気持ちである。水というものは四角い容器にも、丸い容器にも従って形を変えたり、1滴ともなり、大海ともなる。水には青々とした深い淵がある、その清らかで、理解しやすい部分から我が一流の事をこの巻に書き顕す。剣術の道理を理解すれば、1人の敵に自由に勝ち、世のすべてに勝つこともできる。1人に勝つということでは、1人の敵であろうと、千万の敵であろうと同じことである。将たる者の兵法では、小さいことから大きいことを洞察する。一尺の金属から大仏を建立するのと同じである。このようなことは、細かく表現できるものではない。一を以って万を知ることが、兵法の道理なのである。我が一流のことをこの水の巻に表す。

第三は火の巻である。この巻では戦いのことを書く。火は、大きくなったり小さくなったりする。それになぞらえて戦いのことを書くのである。戦いの道は、個人と個人との戦いも、集団をもっての戦いも同じである。こころを大きくして、細部に注意を向け、よく研究してみなければならない。
ただし大きなところは見えやすく、小さいところは見にくい。というのは多人数でやることは直ちには戦術を転換できない。1人のことは、個人の心ひとつですぐ変わるから、小さいところがわかりにくい。こうしたこともよく研究することである。
この火の巻に書き表したことは、瞬間的に決まることであるから、日々に習熟して、平常心で向かえるように、心が動揺しないことが兵法の究所である。こうしたことから、戦い、勝負のことを火の巻として書き表す。

第四は風の巻である。この巻では、我が一流のことでなく、世間の兵法について各流派のことを書く。風というのは、昔風とか、今風とか、それぞれの家風などのことである。世間の兵法について、各流派の本質を書きあらわすのである。これが風である。他流派の本質をよく知らなければ、我が兵法の道を体得出来ない。道の鍛錬をして行くのにも、外道という事がある。自分では上達する道を行っていると思っても、本当の道ではない、間違った道を行くと、始めの少しの歪みが、後には大きな歪みとなるのである。調べるべきことである。他流派の兵法では、剣術を極めれば兵法が極まると思っているようだ。もっともだが誤りである。我が兵法の剣術の理と技においては別格と考えて貰いたい。世間の兵法を知らしめるために、風の巻を書き表すものである。

第五は空の巻である。この巻を空の巻と名付けるのは、他流が奥とか口とか、口幅ったく言っている事の本質を一口で言い表すためである。他流は道理をつかんだ積もりでいて、本当の道理から離れている。兵法の道とは、(空の状態で)自然に自由があり、自然に素晴らしい力を得、時期が到来して、拍子を知り、自然に打ち、自然に当たる、これがみな空の道である。自然に実の道に入る事を空の巻に書き留める也。



一 此一流二刀と名くる事
二刀(二天一流)と名付けるのは、武士は、将も兵卒もともに、二刀を腰に付けて役職を持つ。昔は太刀、小刀と云ふ。今は刀、脇差、と云ふ。武士たるもの、此の両刀を持つ事、細かに書顕す必要が無い。日ノ本の我が朝に於ては、何時からか腰に刀を帯びるのが武士の形式である。、此二つの利を(忘れかけた利)知らしめんために、二刀一流と云なり。鑓、長刀(なぎなた)その他の武具を使う者でも、刀は帯びる。一命を捨てる時は、道具を残さず役に立てぬまま、腰に納めて死する事、本意であるはずがない。我が流の道では、初心の者には太刀、(小)刀を両手に持って稽古をする、両手に物を持っては、左右ともに自由自在とは叶ひがたし。故に太刀を片手にて取り習はるす。鑓、長刀、大道具は別にして、刀、脇差に於てはいづれも片手にて持つ道具である。太刀を両手にて持って不都合な事は、第一馬上にて不都合、かけ走るとき不都合、沼、ふけ(深い田)、石原、険しき道、人ごみに不都合。左に弓、鑓を持ち、其外何れの道具を持っても、皆片手にて太刀を使ふものなれば、両手にて(1本の)太刀を構ふること実の道(本当に有利な)にあらず、若し片手にて打殺し難き時は、両手にても打留るべし、手間の要る事にても有るべからず(両手でうち殺せ)、先ず片手にて、太刀を振り憶え、二刀として太刀を片手にて振り覚ゆる。初て取りし時は、太刀重くして振り回し難きものだ。それは、太刀に限らず万事初めて取り付ける時は弓もツガイがたし、長刀も振りがたし、其道具道具に慣れて、弓も力強くなり、太刀も振りつけぬれば道の力を得て振り良くなる、太刀の道と云ふ事、早く振るにあらず、第二水の巻にて見るべし、太刀は広き所にてふり、脇差はせまき所にてふること、先づ道の本意である。二天一流においては、長きにも勝ち、短きにも勝つ。に依て太刀の寸を定めず。いずれにても勝事を得る心、一流の道なり。太刀一つ持たるよりも二つ持ちて善しき所は、多勢と一人して戦ふ時、又取り籠もり者(篭城者)などの時によきことあり、このような儀今委しく書顕すに及ばず、一を以て万をしるべし、兵法の道行ひ得ては一つも見えずと云ふ事なし、よく吟味有べきなり。





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宮本武蔵,五輪書 現代語訳 水の巻

2011-02-24 13:04:08 | 武学
二天一流の中心は水を手本として利のある方法をおこなうのものであるから、水の巻として一流の太刀筋を此の書に書顕すものなり。この道を細かく、心のままに書くことはできないが、たとえ言葉は届かなくとも、その利は自然とわかるであろう。この書物に記したことについては1言1言1字1字深く考えてほしい、いいかげんに思って学んだのでは、道と違う事を理解してしまうであろう。兵法において、勝つ道については、1人と1人の勝負として描き表してあっても、万人と万人の合戦の方法のことと考え大きく見ることが大切である。
兵法に限って、少しでも道を間違えたり、迷ったりすると道を外してしまうものである。この書物をただ見るだけでは法の神髄を極めることはできない。この書物に書かれていることをわが身にとっての書付と心づけ、心得てただ見るだけと思わず、親しむだけとも思わず、物まねするのでなく真に自分が見いだした利とするように、常に、それが身に付くよう、よくよく工夫しなければならない。


一 兵法心持の事
兵法の道においては、心の持ち方は『平常の心』と変わってはならない。平常も、戦いの時も、少しも変わることなく、心を広く、素直で敏感にし、緊張しすぎることなく、少しもたるむことなく、こころが偏らないように、真理を見抜き、心を流動自在な状態に保ち、その流れが一瞬も留まらないようによくよく注意しなければならない。動作が静かな時にも、心を静止させず、動作が激しく動くときにも、心を平静に保ち、心が動作に引きずられることなく、動作が心にとらわれることなく。どちらかと言うと、身より心の持ち方に気を配り、心は充実させ、また余計なところに心をとらわれぬようにする。外見は弱くとも、底の心は強く、底の心は他人に見抜かれないようにする。身分の低い者は大成している人の物の考え方を知り、成功者も大雑把すぎずに小さなことにも気を使って、大身も小身も、心をまっすぐにして、自分自身をひいき目に見ないように心を持つことが大切である。心の内がにごらず、ひろやかな心でとらわれないところから、物事を考えればならない。知恵も、心もひたすら磨くことが大切である。智恵を磨ぎ天下の理非をわきまへ、物事の善悪を知り、万の芸能其の道にわたり、世間の人に少しもだまされざる様にして後、兵法の智恵成るなり。兵法の智恵に於て、とりわけ間違いやすいものなり、戦の場万事せわしき時なりとも、兵法の道理を極め、動遥なき心、能々吟味すべし

一 兵法の身なりの事
体の姿勢は顔はうつむかず、あおむかず、まげず目を動かさず、額にしわを寄せず、眉の間にに皺をよせず、目の玉を動かさないようにして、瞬きをしないような気持ちで、目をやや細める様にする。
おだやかに見えるような顔つきで、鼻筋は真っ直ぐに、、、、ややアゴをだすようなき持ちで、、、、、、肩から全身は同じものと考える。両肩を下げ、背筋を真っ直ぐ、尻を出さず、ひざから足先まで力を入れて、腰がかがまぬように、腹を出す。楔(くさび)をしめるように、脇差を腹で押さえるように、おびがたるまぬように、、、。、、、、、、平常の身のこなしを闘いの身のこなし方として、、、、。

一 兵法の眼付と云ふ事
戦いのときの目の配り方は、大きくを広く配る必要がある。目には観の目と見の目がある。観の目は強く,見の目は弱く。離れたところははっきりとつかみ、身近な動きにはとらわれず、それを離してみることが兵法の上で最も大切である。敵の太刀の動きを知るが、動きに惑わされることがない様にするのが兵法の大事なのである。これらは個人の戦いにも、また多人数の戦いにも同じように重要である。こうしたことは忙しいときに急に身につけることはできないものである。この書付けをこころがけ、いつも目つきの変わらないように、反省しておくべきである。

一 太刀の持様の事
太刀の持ち方は親指と薬指を浮かすような心持ちで持ち、中指は閉めず緩めず、薬指と小指を締める気持ちで持つ。締め方に緩みがあるのはよくない。敵を切ることを念頭に置いて、太刀を持つ事に気がとらわれても良くない。敵を切るときにも、手の具合は変わることなくて、委縮して動きのとれないことがない様に持つべきである。もし敵の太刀を打ったり、受けたり、当たったり、抑えたりずることがあっても親指と、人さし指の調子を少し変えるくらいの気持ちで、とにかく相手を切るのだという気持ちで、太刀を取らなければならぬ。試し切りにするときも、また真剣で切り会う場合にも、『人を切るのだ』、ということでは刀の持ち方に変わりはない。
太刀の動きにせよ、刀の持ち方によ、とらわれ過ぎて『居着く』。動きがなくなってはならない。とらわれ過ぎて『居着く』ことは死の手であり、『居着く』事がないことが生の手である。
このことを十分に心得る必要がある。

一 足づかいの事
足の運びは、つま先を少し浮かせて、踵を強く踏む。足の使い方は、その時によって、大小遅速の相違は在るが、普通に歩むように使うこと。
飛ぶような足、浮きあがった足、固着するような足の三っはよくない足である。
足の使い方では、陰陽とういうことが肝心とされている。陰陽といのは、片足だけが動かされるのではなく、、切る時も、退く時も、受ける時も、右左と足を運ぶのである。くれぐれも、片足立ちの状態にならないよう十分注意しなければならない。


一 五方の構の事
五つのかまへは上段、中断、下段、ひだりのわき、右の脇に構える。
構えを五つに分かれるけれども、みな人を切るためで、待ち構える形はどう在るべきなどと思案するより、先に思案すべきは、敵を切ることであると考えよ。
構えは場合により、有利な方をとれ、上中下は本構え、両脇にかまえるのは応用の構え。兵法の極意では,最善の構えは中段であると心得よ。中段は大将の座である。後の四つはこれに従う。
、よくよく研究せよ。


一 太刀の道と云ふ事
太刀には道筋がある。どういうものかというと、普段自分が差す太刀を二本の指で振った時判る。、太刀をどのように振るべきかということをよく知っていれば、自由に振れるものである。太刀を早く振ろうとするから、太刀の道筋に逆らって自由に振れなくなるのである。太刀は振りいいように、静かに、振る気持ちが大切である、扇、小刀のように、早く振ろうと思うから、太刀の道筋を誤って振れなくなるのである。そうのような振り方は、”小刀刻み”、といって、こんな太刀で人を切ることはできないものである。太刀を使う時は、上げやすいほうに上げ、横に振った時は、横に戻し、自在に、大きくヒジを伸ばし、強く振ることが太刀の道である。我が兵法の五つの基本をよく使いおぼえれば、太刀を振る道が決まり、振り易くなるのである。よくよく鍛錬しなければならない。


一 五つの表(基本)第一の次第の事
五つの基本型について、その第1。第1の構えは、中段を取り、太刀先を敵の顔に付ける、敵にでくわし、敵が太刀をうち掛ける時、太刀を右に外して押さえる。また敵がうちかけた時、切先返しでうち、うちおろした太刀をそのままにしておきながら、敵が打ってくれば、下から敵の手をうつ。これが第1の基本型である。全てこの5つの基本型を読んだだけでは、それが合点できるものではない。五つの基本型については、手にとって太刀の道を稽古するべきところである。、この5つの太刀筋によって、わが兵法の道を体得すると、自在に、敵の打ってくる時の道筋がわかるようになる。従ってわが二刀の太刀の構えには、五つよりほかはないと教える所以である。、よくよく鍛錬すべきである、

一 表第二の次第の事
第二の太刀の振り方は上段にかまえ、敵がうちかけてくるところを一気に打つのである。敵を打ちはずした時は太刀をそのまんまにし、敵がまたうち掛けてきたとごろを下たからすくい上げてうつ。もう1度うつ場合も同じである。この基本型においては、様様な心の持ち方やいろいろの拍子があり、この基本形によって我が流の鍛錬をすれば、五つの太刀の振り方をこまやかに体得して、どのようにも勝つことできる、よく、稽古しなければならnai.


一 表第三の次第の事
第三の太刀の振り方は、下段に構えひき下げたような気持ちで、敵がうち掛けてきたところ、下から手をうつのである、手を打つところを敵はまた打ってくる。または、わが太刀をうち落とそうとする。そのタイミングの先を捉えて、敵の二の腕を横に切る気持ちである。下段で、敵の打ってくるところを一気に打ち止めてしまうことである。下段の構えは太刀筋を修練するのに、初心のときにも、鍛錬を積んだときにも、よく出会うものである。太刀をとって鍛錬すべきである。

一 表第四の次第の事
第四の構えは、左の脇に太刀を、横にかまえて敵がうち掛けてきた手を下から打たねばなぬ。下から打つのを、敵が我が太刀をうち落とそうとする。そこで、敵の手をうつ気持ちで、そのまま敵の太刀筋を受け、こんどは、自分の肩の上からハスカイに切る、これが太刀の振りようである、また敵がうちけてきたときにも、太刀の道筋で受けて、勝つことできる方法である、十分に研究しなければならない。


一 表第五の次第の事
第5は、太刀の構えは自分の右の脇に横にかまえて、敵がうち掛けてくるのを受け、我が太刀を横からハスカイに上段に振り上げ、上からまっすぐに切るのである。この振り方は、太刀の道をよく知るためのものである、この基本で、太刀を振りつけていれば、重い太刀も自由に振ることができるようになる。この5つの基本形については、細かく書きしるすことはできない。我が流の太刀の振り方をひと通り知り、拍子をこころえ、、敵の太刀筋を見分けることができるように、まず五つの太刀筋を日頃から鍛錬し、技を磨くことが肝要である。この太刀筋に習熟して、敵の心を見抜いては、様様な拍子で、どのようにも勝つことができるようになる、よくよく心得なければならん。

一 有構無構(構えがあって構えが無い)の教への事
構えがあって、構えがないというのは、太刀を構える形というものは、あるべきことではない。しかしながら5つの方向に向けることはかまえということもできる。太刀は敵の出方をきっかけとして、その場所により、状況に従い、臨機応変に、敵を切りやすいように構えることである。例えば上段も、場合によって、少し下げ気意味になれば中段となり、中段を、状況に応じてややあげれば上段となり、下段もときによって、少しあげれば、中段となる。また両脇の構えを位置によって、少し中の方へ出せば、中段、中段もまたは下段になるのである。このようなわけでかまえというものは、あってない理になる。ともかく太刀をとって、どんなことをしても、、敵を切ることが重要である。もし敵が切りかかってくる太刀を、あたる、ねばる、さわるなどいうことがあっても、それらは全て、敵を切るきっかけである、と心得よ。受けること、打つこと、あたること、さわることに思いが片寄るならば、敵を切ることはできなくなるであろ。何事も切るためのきっかけであるということ思うことが大切である、これをよく、よく検討しなければならない。大きな合戦ににあてはめてみれば、、軍勢を配置することが、構えにあたる、、これもすべて合戦に勝つ手段である。決まった形にとらわれることは悪いのである。よくよく、工夫すべきである。

一 敵を打に一拍子の打の事
敵を打つ拍子に、一拍子の打ちといって、敵とわれ等が太刀の届くほどところに位置をしめて、敵の心構えが出来ていない前に、自分の身も動かさず、気配もださず、素早く一気に打つ拍子がある。敵が太刀を引こう、外そう、打とう、、などと思う心が起こらないうちに打つ拍子が一拍子である。この拍子をよく習得し、、素早く打つことを、鍛錬しなければならぬ。


二の腰の拍子
"二の腰の拍子”というのは、自分がうちかかるタイミングで、敵が、いちはやく、はりのけ後退しときで、、敵が緊張した後のわずかな気のゆるみを見つけ、すかさず打つか、引いて出た気のゆるみをみつけを打つ。これが"二の腰の打ち”である、この書物だけでは、なかなか打つことはできないであろうが教え受ければ、たちまち、合点のいくところである。

”無念無想の打ち”
敵が打ちかかろうとし、われもをうち出そうとする。見も心も爆発しそうな緊張の一瞬。この瞬間、空の状態になり、鍛錬した身のこなしは(平常)心の命ずるまま打つのである。これを無念無想の打ちといって、最も大切な、うちでありしばしば出会ううちである、よくよく習得して鍛錬すべきである

”流水の打ち”
流水の打ち”とは敵と互角に競り合うとき、敵が早く引こう,早くはずそう、早く太刀をはねのけようとするのを、こちらは身も心も大きく保ち、太刀は体よりも遅く、いかにもゆっくりと、川の流れがよどんで静止するように、大きく打つ。
この打ちかたを習得すれば、確かに打ち良い、この時、敵の位置を良く見極めることが肝要である


一 石火の当りと云ふ事
"石火のあたり”とは、敵の太刀、と我が太刀とが接着し合う状態で、わが太刀を少しも上げることなく、はなはだ強く打つのである。これには足も強く、身も強く、手も強くして、その足と、身、手との3カ所の力を持って、早く打たなければならない、この打ち方はしばしば修練しなければ、打てないものである、よくよく鍛錬すれば強く打てるものである、

一 紅葉の打と云ふ事
"紅葉の打ち”とは、敵の太刀をたたき落としてしまうのだ。敵が中段に構え、打とう、たたこう、受けようとする時、自分は無念無想の打ち、あるいは、石火の打ち、などで敵の太刀を強くをうち、そのまま、敵の太刀をはねる気持ちで、切っ先を押し下げつつ打つならば、必ず敵の太刀は落ちるものである。このうちは鍛錬すれば、敵の、太刀を打ち落とすことは容易である。よくよく稽古しなければならない。


一 太刀に代はる身と云ふ事
”太刀にかわる身”。ということは”身にかわる太刀”といってもよい。敵を打つ場合に、わが太刀もわが身も、いっしょに動かして打ってかかっていく事は無いものである。敵の状態に応じてまずわが身を打ち込む態勢とし、太刀はそれに構わずして、敵に打ち込むのである
。もしくは身はそのままの態勢で、まず太刀によって打つこともあるが大抵の場合は身をまず打つ態勢にし、太刀はこれに従って打っていくものである。よくよく研究して打つ修練をつまなければならぬ。


一 打と当ると云ふ事
"打つ”ということ”『あたる』ということは別のものである。打つというのは、どのような打ち方でも、意識的に確実に打つということをいう。あたるというのは進んでいったところ突き当たったという心持ちで、非常に強くあたったとし、敵がたちまち死ぬほどあたっても、これはあたりなのである。打つというのは、意識的に打つことである。この点をよくよく調べてみなければならぬ。
敵の手でも足でもあたるというのはまずあたることである。それはあたってから強く打つためである。あたるとはさわるというほどのことである。よく習得するならば、これは別々のことであることがわかる。工夫すべきである。


一 しゅうこうの身と云ふ事
”秋(さる)猴身”とは、手を出さないという心持ちである。敵にわが身を寄せていくとき少しも手を出す心を持たず、敵が打つより早くへ身を寄せていくことである。手を出そうと思えば必ずには遠のいてしまうものであるから全身を素早く敵に寄せてしまうことである。互いに手の届くほどの間合ならば、身を寄せてしまうことも容易である。よくよく調べなければならぬ


一 しっかうの入身と云ふ事
”漆膠の身”とは漆膠をつけたように、敵の身に我が身を密着させて離れぬことである。敵の身に近づくとき、頭も、身も足もすべてへぴったりとよせ付ける、大抵の人は顔や足は速く寄せ付けても、とかく身だけは後に残るものである。敵の身にわが身をよくつけ、少しも身にすき間のない様に付けるものである。よくよく検討すべきである。


一 たけくらべと云ふ事
”たけくらべ”というのは身の丈比べで、敵に身を寄せたとき、わが身が縮まないないようにして、足も腰も首も十分に伸ばし、敵の顔と自分の顔を並べ、背丈を比べれば、自分の方が勝つと思うほどに身を十分に伸ばし気でも押し、強く入ることが肝心である。よくよく工夫しなければならぬ。


一 ねばりをかくると云ふ事
粘り掛けるのだ!自分の太刀を敵の太刀につけて、離れないような気持ちで、身を入れることを言う。ねばるとは、太刀が容易に離れるようにする心持ちであり、あまり強くすぎない気持ちで入り込まねばならぬ。敵の太刀につけてねばり掛けて入り込むときにはどれだけ静かに身を入れてもよい。ねばるということと、もつれるということは違うことであり。ねばるのは強いが、もつれるのは弱い。このことをよくわきまえよ。


一 身のあたりと云ふ事
身あたりとは、敵の間際に入り込み、身で敵にあたることである。自分の顔をややそむけ、自分の左の肩を出し、敵の胸に突き当たるのである。ぶち当たって跳ね飛ばすき気概で、はずむように懐に入るのである。こうして入ることに修練を詰めば、敵を2間も3間もふっとばすほど強力となるものである。敵が死にそうになるまで、あたるものである。よくよく鍛錬せよ

三つの受けの事
三つの受け方というのは敵に入り込むのである。敵がうち出す太刀を受け、自分の太刀で敵の目を突く、敵の太刀を自分の右に外し入る。また、突きうけで、敵が打ってくる太刀を敵の右の目をつくようにして、首をはさむような心持ちで、突きかけ入る、又打かかってくるとき、短い太刀で受け、太刀はそれほど気にせず、左の手で、敵の顔をつくようにして入り込むのである。以上が3つの受け方であるが、いずれも左の手をにぎり、その拳で敵の顔をつくようにして入る。よくよく鍛錬せよ。


一 おもてをさすと云ふ事
顔を差すというのは、立会いのときに、たえず敵の顔を自分の刀の先でつく気持ちでいることである。気を前にだし、敵の顔を突き刺そうという心があれば、敵は顔も体ものけぞるようになる。敵が、顔や体身をのけぞらせれば、勝つチャンスが膨らむ。よくよく工夫せよ。戦いの間に、敵が身のけぞらせるような状態になれば、もはや勝利である。従って顔を差すことを忘れてはならない。兵法を稽古をする間に、この気の持ち方をよく鍛錬すべきである。


一 心をさすと云ふ事
心臓を刺すというのは、戦い中で、上がつかえ、脇もつかえているようなところで、切ることがどうしてもできない時、敵をつくことである。わが太刀の峰をまっすぐに敵に見せ、切先を下げ、太刀先がいがまないように引いておいて、敵の胸を突くのである。もし自分が疲れきった時あるいは刀が切れないようになったときには、。この方法をもっぱら用いるようにする。よくわかっていなければならぬ。

一 喝咄と云ふ事
”喝””咄”というのは、打ちかかり敵を押し込む時、敵がうち返し、跳ね返す時、下から刀を突き上げ、返す刀でを打つ。どちらも早い拍子で、喝とうち、咄と突き上げ、”喝咄”と打つ呼吸である。この拍子はいつも打ち合の際にはよく出会うものである。喝と咄のやり方は、刀の切先をあげるようにして敵をつく、刀を上げると同時に一気に打つ拍子である。よく稽古し調べてみなければならないことである。

一 はり受と云ふ事
はりうけとは敵と打ちあうとき、”とたんどたん”というような拍子で、敵が打ってくるのを自分の太刀ではたいて置いて打つことである。
はたくということはさして強くはたくものではなく、また受けるものでもない。敵が打ってくる太刀をはたき、敵を制して打つことである。はたくことによって先手を取り、先手を取って打つことが肝心である。はたく拍子が上手になると敵がどんなに強く打っても、少しでもはたく気さえあれば、こちらの太刀先が落ちることはない充分に習得して調べなければなら
ない。


一 多敵の位の事
多敵の位というのは、こちらは1人で大勢の敵と戦うときのことである。我が太刀と脇差を抜いて左右に広げ、構えるのである。敵が四方からかかってきても、一方へ追い回す気概である。敵がかかってくる位置、前後の気配をよく見抜いて、先にくるものとまず戦い、大きな全体の動きに目の配り、敵がうちかかってくる位置を心得、左右の刀を振り違える。切り下ろし、戻す刀で脇の敵を切る気概で、素早く太刀を両脇の態勢にもどす。敵が出てきたところを強く切り込み、打ち崩し、そのまま敵が出てくるの打ちかかり、打ち崩していくことである。大切なことは、一方から魚ツナガリの敵をを追い込むような心持ちでかかり、敵の隊列が乱れて、重なりあったと見たら、そのまま間はおかないで強く打ち込むのである。敵が固まっているところを真正面からまともに追い回せば、はかがいかない。また敵が出てきたところを、打とうとすれば、こちらが後手になってはかが行かない。敵の打ちかかる拍子を受けて、崩れる拍子を知り勝利を得ることである。折りに触れて大勢よせ集め、これを追い込む方法に習熟してその確信を得れば、1人の敵も10人20人の敵も冷静に戦えるものであるよくよく稽古して調べるべきである。

一 打あひの利の事
”打ち合いの利”ということ。(打ち合いで勝ちを収める道理)自得することである。細かには書き切れせることではない。よくよく稽古して勝利への道を知るべきである。全て兵法の真の道を表すは太刀である。口伝である。


一 一つの打と云ふ事
決闘に向かったら,確実に勝利を得ることである。しかし、これは兵法を十分に学ばなければその道を体得することはできない。このことをよくよく鍛錬すれば、兵法をこころのままに行うことができるようになり、思うとうりに勝利を得ることができる。よくよく稽古すべきである。

一 直通の位といふ事
直通の心というのは二刀一流の真実の極意を受けて伝えるものである。よくよく鍛錬してこの兵法の道を身につけることが肝要である。口伝である。

右に書きききるしたのは、二天一流の剣術の概要をこの巻で述べた。兵法に従って太刀を取り、相手に勝つ道を会得するには、まず五つ
の基本形で、五方の構えを知り、太刀の使い方ををおぼえ、全身が柔らかになり、心を反応させ、従い、兵法の拍子を掴み、ひとりでに太刀も手さばきも冴えて、身も足も自然に円滑に動き、自由自在になる。それに従って、1人に勝ち。2人に勝ち。兵法における善悪がわかるようになり。この書物内容を、1か条1か条稽古して。敵と戦い、次第次第に兵法の利を会得するのである。
このことをいつも心掛けながら、しかも急がず、おりにふれて闘って、そのこつをおぼえ、どんな人と打ち合っても相手の心を知っておくのである。
千里の道も一歩ずつ運ぶのである、ゆっくりと気長に取り組み、この兵法の道を修業をすることは武士の務めであると心得て、今日は昨日の自分に勝ち、明日は自分より下手なものに勝つ。つぎには自分より上手なものに勝つと思い、この書物の通りに鍛錬を積み少しもわき道に心を迷わさないように考えよ。
たとえどんな敵にうち勝っても、一流に反するような勝ち方では、実の道ではない。この一流の道理を念頭に置き、一人で数十人の敵にも勝つ心得も忘れてはならない。そうなればあとは、実の知識と実践によって、多人数の時も、1対1の決闘のことも会得することができるであろう。千日の稽古を鍛といい。万日の稽古を錬というのである。よくよく調べるべきことである
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宮本武蔵,五輪書 現代語訳 火の巻

2011-02-24 13:03:42 | 武学
二天一流の兵法におい、戦いのことを火の勢いに見立てて、勝負に関することを火の巻として、この巻に書きあらわす。世に兵法と呼ばれるものをだれもかれももが矮小化し、指先の力加減、手首の動きなどを。あるいは扇を持って、ひじから先の小器用さを述べ、また竹刀などでわずかなスピード技を述べ、手や足の動きを練習し、小器用さだけ得ようとしている。わが兵法にあっては、数度の勝負に命をかけて打ち合い、死ぬか生きるかの兵法を実戦した。刀の道筋をおぼえ、敵の打つ太刀の強弱を知り、太刀筋をわきまえ、敵を倒す鍛錬を覚えようというのに、このような小手先だけの、小さな、弱々しい技では問題にならない。特に六具に身をを固めた実戦の場などで、小手先によることなど考えることもできない。さらに命がけの戦いで、1人で5人、10人とも戦い、確実に勝利するのが我が道である。
従がって1人で10人に勝つことも、1,000人で万人に勝つことも何ら違いはないのが道理である。よくよく調べなければならない。しかしながら、普段の稽古で、1,000人も万人も集めて訓練をすることはできない。例えひとりで太刀をとっても、その時その時の敵の計り事を見抜き、敵の強弱や勝機への手だてを知り、兵法の智恵の力を以って万人に勝つところを極めた後、この道の達人たり得る。兵法の正しい道を、自分が極めようとしっかり決意し、朝に鍛、夕に錬、技を磨き尽くした後に、人は自在自然に奇特な力を得、自由自在の神秘な力を持つことができるようになる。これが兵法を行う神髄である。


一 場の次第と云ふ事
場の位置を見極める。陽を後ろに背負って構える。陽を後ろにする事ができないときは、右の脇へ陽を持ってくる。座敷においても、明かりを後ろに、右脇に。自分の後ろの場がつまらないように。夜なども、敵の見える場においては、火を後ろに負ひ、または明かりを右わきにする。敵を見下ろす、少しでも高いところに構える心を。座敷では上座が高きところ思うべし。
さて、戦いになって、敵を追い回すこと、自分の左の方へ
追い回す。難所を敵の後ろに、とにかく敵を難所追いやること。
難所で敵に場を見せず、伺わせず油断なくせり込む。
座敷においても、敷居、鴨居、障子、縁、柱なども同様、いずれも適を追い回す。足場の悪い方へ。または、脇に構造物のあるところへ。いずれも場を利用し。場の利に勝ちを抑えることが肝心。よくよく吟味し鍛錬あるべき。
兵法の道を鍛錬する者は、平常心の時から、座敷に居ても構造物の利や、位置の利を考え、野山に出ても、山の地の利を考え、川でも、沼でも、いつも地の利を考える心構えが肝要である。


一 三つの先と云ふ事(先手)
三つの先、一つは我が方より敵へ掛る時の先手、之を『懸の先』と云ふなり。又一つは敵より我方にかゝる時の先手、是は『たいの先』と云ふなり。又一つは我もかゝり敵もかゝり合う時の先手、『対々の先』と云ふ是三つの先なり。何れの戦いの初めにも此三つの先より外はなし。先の状況により勝つ事を得るものなれば、『先』と云ふ事兵法の第一なり。先の状況の仔細は様々あるが、ケースバイケースで論理的に分析し利を生かし、敵の心を見、我兵法の智恵を以て勝つ事なれば、細やかに書き分ける事ではない。第一『懸の先』は、我かゝらんと思ふ時、静にして時をはかり、俄かに早くかゝるのが『先』である。身体の上を強く早くし、底をのこす気持ちでやる『先』、又我心の思いを強くして、しかも、足は常の足より少し早い程度で、敵のわきへ寄ると、早く揉(もむ)み立つる『先』、又心も敵に照準を合わせて、初、中、後、同じ事に敵を挫(くじく)ぐ心にて、こころの底までつよき心に勝を考え、標準をぶち抜く、是れ何れも懸の先なり。第二待(対)の先、敵が我方へかゝりくる時、感知出来ていず弱きやうに見せて、敵がちかくなって、つんと強くはなれて飛つくやうに見せて(狼狽を装い)、敵のたるみを見て、直につよく勝つ事、これ一つの先である。又敵かゝり来る時、我もなほ強くなって出る時、敵のかゝる拍子の変わるタイミングを受け、そのまゝ勝を得る事、是が『対の先』の利なり。第三『対々の先』、敵が早くかゝるには我は静につよくかゝり、敵近くなって、つんと思い切った態勢になり、敵が対応出来ないと見ゆる時、直につよく勝つのである、又敵静にかゝる時、我身軽やかに少し早くかゝりて、敵近くなりて一揉み揉み、敵の対応にしたがひ、強く勝つ事是体々の先である、此の道理を細かく書き分けがたし。此書き付けを以て大略工夫あるべし、此の三つの先はケースバイケースで、常時、我が方より先にかゝる訳でも無いのだが、我方より計って、敵を追い廻はしたいものである、いづれも『先』の事は兵法の智力を以て勝つ事を得る肝心の事で、よくゝゝ鍛錬あるべし



『枕を抑える』とは。頭を上げさせないということ。兵法勝負の道においては相手に自分をひき回され、後手に回ることはよくない。何としても敵を思いままに引き回したいもの。従って、相手もそのように思う。自分もその気があるわけで,であるから相手の出方を察知することができなくては、先手を取ることはできない。兵法において敵が打ってくるのを止め、突くのを抑え、組み付いてくるところを揉ぎ離すなどをすることなどである。枕を抑えるというのは、自分が一流の兵法を心得て、敵に向かい合うとしたら、敵が思う意図を事前に見破って、敵が打とうとするならば打つの字『う』で先制して、その後をさせないという意味であり、それがまくら押さえるとういうこと。例えば敵がかかろうとしすれば『か』の字で先制する、飛ぼうとうすれば『と』字で先制する、切ろうとすれば『き』の字で抑えていくことで、皆同じこと。敵が自分にどのように仕掛けてきたときも、役に立たないことは敵のするままに任せて、肝心の事をおさえて、敵にさせない様にするのが、兵法において特に重要。敵のすること抑えようと思うのは後手である。まずこちらは、どんなことでも兵法の道に任せ、技を行いながら、敵も技を直そうとする出端をおさえ、敵のどんな企図も一切役に立たない様にし、敵を自由に引き来回すことこそ真の兵法の達人。これはただ鍛錬の結果。枕を抑えるということをよくよく調べなければならぬ。


渡を越すというのは、例えば海を渡るのに、瀬戸というところもあり、また40里、50里の長い海上を渡るのを『渡』というように難所を乗り切るというほどの意味。
人の一生のうちにも危機を超えるという場合も多い。船路にあってはその『渡』のところを知り、船の位置を知り、日の良しあしをよく知って、友船を出さなくとも、1人で出港し、その時々の状況に応じて、あるいは横風に、あるいは追い風を受け、もし風向きが変わっても風に頼らず、二里や三里は櫓を漕いででも港に着く。『渡』を越す。人の世も一大事を乗り越える、『渡』を越すと思い全力を尽くして危機を乗り越えるということがなければならぬ。兵法戦いの時にも、渡を越す気持ちが大切。敵の程度を知り、自分の能力を正しく判断して、兵法の道理によって危機を乗り切るということは、優れた船頭が海を渡るのと同じ。危機を乗り切ればその後は心配ない。渡を越したしたことによって敵に弱みを生じさせ、わが身は優位に立つことができ、たいていの場合早々と、勝ちを得ることができる。多人数の戦いの上でも、一対一の勝負の上でも、渡を起こすというのは大切。



一 景気を知ると云ふ事
景気を見るというのは、多人数の戦いでは敵の意気が盛んか、衰えているかを知り、相手の人数のことを知り、その場の状況を知り、敵の状態をよく知って、こちらの人数をどう動かし、この兵法の利によって確実に勝てるというところを見込み、先の状況を見通して闘うということ。また一対一の戦いにあっては、敵の流派をわきまえ、相手の性質をよく見て、その人の短所長所を見分けて敵の意表をつき、間の拍子をよく知って先手をとっていくことが。物事の景気というのは、自分の知力さえ優れていれば、必ず見える。一流の兵法を自由にこなせれば、敵の心の内ををよく推し量って、勝ちをしめる手段は多く見いだすことができるはず。


一 けんをふむと云ふ事
剣を踏む。ということは、もっぱら兵法において用いる。まず多人数の戦いでは、敵が弓、鉄砲用いてこちらへ打ち掛け、仕掛けてくるというときには、敵はまず弓、鉄砲うち掛けて、その後から攻めかかるものであるから、こちらもまた、弓をツガエ鉄砲に火薬を詰めていては、敵陣に押し入ることはできない。このような場合、敵が弓鉄砲などを放つ前に、いち早く攻め入るように心がけ、早くかかれば敵は、弓の弦をあてがことも、鉄砲を撃つこともできない。敵が仕掛けてくるところをそのまま自然に受け止め、敵の攻撃を踏みつけて勝つこと。1対1の戦いでも、敵が打ってくる太刀を受けていては、とたんとたんという拍子になって、勝負のはかがいかない。敵が打ち掛ける太刀を踏みつける気概で、先制攻撃で勝ち、二の太刀など許さないようにすべし。踏むというのは、足にはかぎらず、身にても踏み、こころにても踏み、勿論太刀にても踏み付け、二の太刀などさせないように心得るべし。これが、すなわち、物事の先。敵の仕掛けるのと同時にぶつかるというのではなく、そのまま後に取り付き機先を制する(クロスカウンター)ことである。


一 くづれを知ると云ふ事
崩れるということは何事についてもあるものである。家が崩れるのも、身が崩れるのも敵が崩れることもみな、その時にあたって、拍子が狂ってしまって崩れるのである。多人数の戦いにおいても、敵が崩れる拍子を捉まえて、その間を取り逃さないように追い立てることが肝心である。崩れるのを外してしまえば、盛り返す場合もある。また一対一の兵法においても、戦っているうちに、敵の拍子が狂って、崩れ目が出てくるものである。その時油断すれば敵はまた立ち直り、態勢を取り戻しどうにもならなくなるものである。敵の崩れ目を突き、立ち直ることができないように、確実に追い討ちをかけることが大切である。追い打ちをかけるとは、一気に強く打つことである。敵が立ち直れない様に討ちはなすものである。この討ちはなすということを、よくよく理解しなければならない。討ちはなさければ、ぐずぐずしがちになる。


一 敵になると云ふ事
敵になるというのは、わが身を敵の身になり代わって考えるというのである。世の中を見ると、例えば盗人などが、家の中に立てこもったると、非常に強い敵のように思えてしまう。敵の身になっみいれば、逃げ込んで、世の中の人を皆敵とし、自分ではどうにもならなくなっている。進退極まった気持ちになっているのである。立てこもっているのは、キジであり討ち取りに入り込んでいくものは鷹である。この状態を分析すべきだ。多人数の戦いにおいても、敵は強いものと思いこんで、大事をとって消極的になるものである。しかし良い人数を持ち、兵法の道理を知り、敵にうち勝つところをよく心得ていれば心配すべきことではない。一対一の兵法においても、敵の身になって思ってみよ。兵法をよく心得て、剣の理にも明るく、道理に優れているものに当たっている。必ず負けると思っているものである。


一 四手をはなすと云ふ事
四つの手を離す。というのは敵もわれも同じ気持ちとなり、互いに張り合う状態になっては、戦いはどうにもならなくなるので、張り合うようになったと思えば、そのままの状態を捨て、別の方法で勝つことを知れというのである。多人数の戦いによっては、4つに張り合う状況になっては、決着がつかず、味方の人数も多く失うものである。こういう場合は、早く転身して敵の意表をつくような方法で勝つことが最も大切である。また一対一の兵法にあっても四つ手になったと思ったら、状況をかえて、敵の様子を見て、いろいろと変わった手段で、勝利を得ることが肝要である。



一 かげを動かすと云ふ事
陰を動かすというのは、敵の中の動きが見分けられない場合の方法である。多人数の戦いにあっても、どうしても敵の状況が分からないときには、こちらから強く仕掛けるように見せ掛けて、敵の出方を見分けるものである。出方が分かればいろいろな方法で、勝つことはたやすいものである。また一対一の戦いにおいても、敵が後ろに太刀をかまえたり、脇にかまえたりしたとき、不意に討とうとすれば、敵はその意図を、太刀に表すものである。敵の意図があらわれ、知れた時には、こちらはそれに応じた手をとって、確かに勝利を収めることができる。こちらが油断すれば、拍子を外してしまうものである。


一 影を抑ふると云ふ事
影を抑えるというのは、敵の方からかかってくる意図が見えた時の方法。多人数の戦いにあっては、敵が仕掛けてこようとするところを、こちらからその戦法を抑える調子を強く見せれば、敵は強い態度をに押されて、やり方を変えるもの。こちらも戦法をかえて虚心に、敵の先手を取り、勝ちを得る。一対一の戦いにおいても、敵から生じる強い気を、我が拍子によって抑え、くじけた拍子に、こちらは勝利を見出し、先手を取っていく。



一 移らかすと云ふ事
物事には移らせるということがある。例えば眠りなどもうつり、あるいは、あくびなども人にうつる。時が移るということもある。多人数の戦いにおいて、敵落ち着きがなく、ことを急ごうとする気が見えたときは、こちらは少しもそれに構わぬようにして、いかにもゆったりとなったと見せると、敵もこちらに引き込まれて、気分がたるむ。そのような気分が、敵に移ったと思ったとき、こちらは心を空にして早く強く打ちかかることによって、勝利を得ることができる。個人の戦いにおいても、わが身も心もゆったりと、敵がたるむ間をとらえて、強く早く、先手を打って勝つこと。また酔わせるといって、これに似たことがある。ひとつは心にイヤ気が差すこと。ひとつは心に落ち着きがなくなること。ひとつは心が弱くなることであり、こちらの心に相手を引き込むこと。


一 むかつかすると云ふ事
心を興奮動揺させるということは、いろんな場合にはある。ひとつは危険な場合、二つは無理な場合に、三つには予測しないことが起きた場合。これをよく研究すべき。多人数の戦いでも、相手方の心を動揺させること。敵の予測しないところを激しい勢いで仕掛けて、敵のこころが定まらないうちに、こちらの有利なように、先手をかけて勝つこと。また一対一の戦いでもはじめはゆっくりした様子で、急に強くかかり、敵の心の動揺に応じて、息を抜かず、こちらの優位のまま、勝ちを得ること。



一 おびやかすと云ふ事
おびえるということは物事によくあることで、思いもよらぬことに怯えること。多人数の戦いにあって敵を脅かすことは、目に見えることだけではない。あるいはものの声で脅し、あるいは小さな兵力を大きく見せて脅し。または、横から不意に脅かすなど、すべて脅かすこと。そして敵がおびえた拍子をとらえて、有利に勝ねばならない。1対1の戦いにおいても、身をもって脅し、太刀を以って脅かし、声をもって脅し、敵が思いもかけのことを不意に仕掛けて、敵がおびえたところにつけ入り、そのまま勝利を得ること。


一 まぶるゝと云ふ事
まぶるるというのは、敵と自分が接近して、互いに強く張り合って、思うようにならないとみれば、そのまま敵とひとつに混ざり合って、まざりあううちに有利に勝つこと、大切な事である。多人数の戦いでも少人数の戦いでも、敵と味方が分かれて向き合っていて、違いに張り合って勝負が決まらないときには、そのまま敵とからみあい、互いに敵味方の区別が分からなくなるようにして、その中で有利な方法をつかみ、絶対に勝つこと。



一 かどにさはると云ふ事
角にさわるというのは、一般に強いものを押すのに、そのまままっすぐに押し込むのは容易なことではない。多人数の戦いにあっては、敵の人数をよく見て、強く突出した所の角を攻めて、優位に立つことができる。突出した角がのめるに従い、全体も勢いがなくなる。その勢いのなくなる中でも、出ているところ、出ているところを攻めて、勝利を得る。一対一の戦いでも、敵の体の角に損傷をあたえれば、からだの全体が次第に崩れた態勢になって、容易に勝ちを得ることができる。この道理をよくよく検討して勝ちを得ることをわきまえること



一 うろめかすと云ふ事
うろたえさせるというのは、敵にしっかりとした心を持たせない様にすること。多人数の戦いにあっては、戦場において敵の意図を見抜き、わが兵法の智力によって、敵の心をそこか、ここか、あれやこれやと迷わせたり、遅いか早いかと迷わせて、敵の心がうろたえたさせた拍子を捕まえて、確実に勝利を得る方法をわきまえる。また一対一の戦いにおいても、自分は時期をとらえて、いろいろな技を仕掛け、あるいは打つと見せ、あるいは突くと見せ、また入り込むと思わせ、敵のうろたえた様子につけ込み、思いのままに勝つところ、これが是れ戦の専である



一 三つの声と云ふ事
三つの声とは初、中、後の声といって、三つに分けた声のことを言う。時と場所により、声を掛ける。声は勢いを付けるものであるから、火事や、風波に向かってもかける。声は勢いを示す。多人数の戦いにあっては、戦いの最初にかける声は、相手を威圧するように大きく掛ける。また戦いの間の声は調子を低くし、底から出るような声をかける。戦いに勝った後には、大きく強く声をかける、これが三つの声である。一対一の戦いにおいても、敵を動かそうとするためには、打つと見せて、初めにエイと声をかけ、声の後から太刀を出す。また敵をうち破った後に声をかけるのは、勝ちを知らせる声である。これを戦後の声という。太刀を打つとを同時に大きく声を掛けることはない。もし戦いの最中にかける声は、拍子に乗るための声で、低く掛ける。



一 まぎるゝと云ふ事
まぎれるというのは、多人数の戦いの場合に人数が対峙し合って、敵が強いと見たときは、まぎれるといって、敵の一方にかかり、敵が崩れたと見たならば、直ちにうち捨てて、また他の強いところにかかるのをいう。いわばつづら織り模様にかかること。1人で多勢を敵に回して、闘うときにもこの心がけが大切。一方ばかりに勝ち抜くのではなく、一方が逃げ出せば、今度は別の強い方へかかり、敵の拍子を見とって、あるいは左、あるいは右と、つづら折りの心持ちで打って行く。敵の力の程度を見極め、打ち込んでいく場合には、一歩も引かぬ心持ちで、強く打ち込み勝利を得る。1対1の時も、敵の足元に身を寄せて入り込んでいく、敵が強いときにはやはりこの心得。まぎれるというのは一歩も引くことを知らず、紛れ込んでいこと



一 ひしぐと云ふ事
ひしぐというのは、例えば敵を弱く見なして、自分は強い気で一気におし潰すこと。多人数の戦いにはあっては敵が少人数であることを見抜いたとき、又は、たとえ多人数であっても、敵がうろたえて弱みが見えれば、初めから優勢に乗じて完膚なきまでにうちのめすもの。もし一気におし潰すことが出来ないと、盛り返されることがある。手のうちにに握って、おしつぶすこと。
また一対一の戦いのときにも自分より未熟な者、また敵の拍子が狂ったとき、退めになったときには、少しも息をつかせず、目を会わせないないようにして、一気にうちのめすことが。少しも立ち直ることができないことが第一。


一 山海の変りと云ふ事
山海の心というのは、敵とわれ等が戦う時に同じことをたびたび繰り返すことはないというのである
同じことを2度繰り返すのは仕方がないが、三度してはならない。敵にわざを仕掛けるのに、1度で成功しない時には、もう1度攻めたててもその効果はなくなる。全く違ったやり方を、敵の意表をついて仕掛け、それでもうまくいかなければ、さらにまた別の方法を仕掛けよ。
このように敵が山と思えば海、海と思えば山と意表をついて仕掛けるのが兵法の道。



一 底をぬくと云ふ事
底を抜くというのは、敵と戦ううちに、兵法の技をもって形の上では敵に勝つように見えても、敵が敵愾心を持ち続けているので、表面では負けていても、心底では負けていないことがある。そのような時にはこちらは素早く心持ちを変えて、敵の気力をくじき、敵を心底から負けた状態にしてしまうことを見届けること。こうして底を抜くというのは太刀によっても、体によっても、また心によっても底を抜く。敵が心底から崩れてしまった場合にはこちらも心を残しておく必要はないが、そうでないときには、心を残しておかねばならぬ。敵も心を残しているなら、なかなか崩れない。多人数の戦いにも一人ひとりの戦いにもこの底を抜くということをよくよく鍛錬しなければならない。


一 新になると云ふ事
新になるというのは、敵が自分と戦うときに、もつれる状況になってうまくはかがいかなくなったとき、自分の意図をふり捨てて、新しく物事を始める気持ちで、その拍子になり勝ちを見いだすことである。新になるのは、何時も敵と自分とがギシギシするような状況になったと思えば、そのままこちらの意思を変え、まったく違った方法で勝ちを締めるのである。
多人数の戦いにあっても、新たになるということをわきまえることが肝心である。兵法に達っしたものの智力をもってすれば、容易に見えるものである。



一 鼠頭牛首と云ふ事
『ネズミの頭牛の首と』いうのは、敵と戦ううちに互いに細かいところばかり気を取られて、もつれる状況になったとき、兵法の道をネズミの頭から牛の首を思うように、細かなところにとらわれず、ポイントを思い返し、局面の転換を図ることを兵法の心掛けで、”鼠頭牛首”と云ふ。武士たる者は平生も、ネズミの頭を牛の首のように、変化を見ることが肝心である。多人数の戦いおいてもこの心掛けを忘れてはならない。


一 将卒を知ると云ふ事
将卒を知るというのは、どんな戦いの時にも自分の思うようになったら、たえずこの”将卒を知る”という方法を行い、兵法の智力を得て、自分の敵となるものすべて我が兵卒と考えて、自分の指図のままに従わせることができるものと心得て、敵を自由に引き回すことを言う。このようになれば自分は将、敵は兵卒となる



一 束をはなすと云ふ事
柄を離すというのは、いろんないろいろな意味がある。刀を持たないでも勝つ道もあり、また太刀以外のもので勝つこともある。さまざまな意味があるのでいちいち書きしるすことはできない。



一 岩石の身と云ふ事
巌の身というのは兵法の道を得ることにより、たちまちにして厳のように堅固となり、どんなことがあっても切られることなく、動かされぬようになること。口伝である。



右に書き記したことはに、一流の剣術の場合に絶えず思いあたること。今初めて兵法に勝つ道を書きあらわしたものであるから、前後の道理が少し混乱して細かく表現することができない。しかしながらこの道を修めようとする人のためには、道しるべとなる。自分が若年のときから兵法の道に心を傾け、剣術の1通りのことを修練し、鍛錬しさまざまな考え方を身に付けたが、他の流派を見ていると、あるいは口先だけでうまい講釈をしたり、あるいは手先で細かい技巧こなし、他人の目には有為のように見えるが、ひとつも真実がない。もちろんこうした兵法は、体を鍛え心を鍛えているとは思うけれども、皆後世への病弊となり、兵法の本当の道が伝わらない。兵法の正しい道が朽ちていく。剣術の正しい道というものは、敵と戦って勝つことであり、これこそ絶対に変わらないことである。わが兵法の智力を得て正しい兵法の道を実践していけば、勝ち得ることは絶対に疑い得ない。

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宮本武蔵,五輪書 現代語訳 風の巻

2011-02-24 13:03:09 | 武学
兵法の道では、他流の道を知ることが大切と考えて、他流のさまざまな兵法をここに書付け、『風の巻』としてこの巻を表した。他流の道を知らなくては、一流の道を的確に表現することは出来ない。大きな太刀を使い、道場で強いということだけをその兵法の売りにしてはならない。、ある流派は短い太刀を使って剣法に専念する。あるいは多くの太刀筋を使い分けて、太刀の構えを表だ、奥だと称して道を伝える流派もある。
これらがのすべてが正しい道でないことを、この巻の中にはっきり書き表し、兵法の善悪理非をはっきりさせる。一流の兵法は彼らとは全く違ったものである。
他流の人々は武芸の道を生計の手段とし、華やかな技巧を飾って、道場で売りものに仕立てているのであって、全く兵法の正しい道からは外れたものである。また世間の兵法の発展を剣術だけに小さく限定してしまい、太刀を振る訓練をし、強い身のこなしを憶え、時間をかけているようだが、いずれも真の兵法のみちでない。
ここに他の流派の欠点をいちいち書き表しておくので、よくよく吟味してわが二刀一流の道理を学んでもらいたい。


一 他流に大なる太刀を持つ事
他流に大きな太刀を好むものがある。我が一流の兵法から見れば、この流派を弱者の兵法とみる。その理由は、他の流儀では敵に勝つ道理を云わず、手段に偏って勝つ方法を云い、太刀の長さを長所として、敵の太刀の届かぬところから勝ちを得ようとするので、長い太刀を好むからである。世間で”一寸、勝り”とを言っているのは兵法を知らぬ者の言い分にすぎない。そうであるから兵法の道理を会得していなくって、太刀の長さによって遠いところから勝ちを得ようとするのは、心の弱さのためであって、これをを弱者の兵法と見立てたのである。
もし敵と近づいて互いに組み会うほどのときは、太刀が長いほど打つことができず、太刀を自由に振り回すこともできず、太刀やっかいとなって、短い脇差を振るよりも劣るものである。オールマイティじゃない。長い太刀の流派にはその言い分はあろうが、それは独り善がりのへ理屈にすぎない。正しい道よりみれば道理のないことである。もし長い太刀を持たないで、短い太刀を使うときには必ず負けざるを得ないであろう。
また戦いの場所により、上下左右などに空間がないときや、また脇差だけが使える場合においても、長い太刀に執着していると兵法に対する不信感に発展していき、兵法自体の発展にも悪い。人によって、力が弱く長い太刀をを使えないものもある。昔から大は小兼ねるといわれており、むやみに長い太刀の嫌うのではない。ただ長い太刀にばかり執着する心を嫌うのである。
多人数の戦いにあてはめた場合、長い太刀は多くの人数に相当し、短い太刀は小人数にあたる。小人数と大人数と闘うことはできないであろうか。小人数で多人数に勝った例はいくらもある。我が流においては、狭い考えを嫌うのである。よくよく吟味しなければならない。


一 他流において強みの太刀と云ふ事
太刀において、強い太刀に弱い太刀ということはあるはずがない。強い気持ちで振る太刀は粗雑なものとなる。粗雑な太刀だけでは勝ちを得るのは難しいものである。また強い太刀だと言っても人切るとき、強く切ろうとするばかりでは、かえって切れないものである。試し切りの場合にも強く切ろうとするのはよくない。だれでも敵と切り合うとき弱く切ろう、強く切ろうとか考えるものではない。ただ、人を切り殺そうと思うときは、強くきろうとも思わず、もちろん、弱く切ろうとも思わない。敵を殺す程と思うだけである。また力を込めた太刀で、相手の太刀を強く打てば、体制が崩れ悪い結果が生じるものである。相手の太刀に強く当たれば、我が太刀もそのために折れてしまうものである。そういうわけであるから、強く振る太刀ということはありえないのである。多人数の戦いにあてはめてみれば、強力な軍勢を
持ち、戦いに力強く勝とうとすれば、敵も当然強力な兵卒をそろえて、激しい戦いをしようとするので、これはどちらも同じである。戦いに勝つことは正しい道理なしには勝つことはできない。我が一流の兵法の道おいては、無理なことは少しも思わず、兵法の智力によって、どのようにも勝ちを得るということをよくよく工夫せよ。



一 他流に短き太刀を用ゆる事
短い太刀で勝とうとするのは正しい道ではない。昔から太刀、小刀と分けて、長い、短いをいい表している。一般に力の強いものは大きな刀も軽く振ることができるので、わざわざ短い太刀を用いる必要はないのである。そのわけは長さの利点を活用して槍やなぎなたを使うものだからである。
短い太刀を特に愛用するものは、敵が振るう太刀の間を、隙につけ入ろうと思うのであり、このように心が偏ったのはよくない。また敵の好きな様になってばかりいると、すべてが後手となり、敵ともつれ合うことになってよくない。さらにまた、短い太刀によって敵の中へ入り込み1本とろうとするやり方では、(道場で1本取れるが)大敵の中では通用しないものである。
短い太刀ばかりを用いたものは多くの敵に対して、切り払おう、自由に飛び回ろうと思っても、すべてが受け太刀となり、敵とからみあってしまって、確実な兵法の正しい道ではない。同じことならば、わが身は強くまっすぐな状態にして、敵を追い回し、飛び跳ねさせ、うろたえさせるように仕掛けて、確実に勝利を得ることが道である。
多人数の戦いにあっても同じ道理である。同じことならば、大軍勢でいきなり敵に攻め込み、即座にせん滅することが兵法の道である。世間の人々が、兵法を習うのに、常日頃から受ける、交わす、くぐるなどのことばかりで習っていると、潜在的な心に引きずられて、後手に回り、敵に追い回されてしまうものである。兵法の道は正しく、まっすぐなものであるから、正しい道理を以って敵を追いまわし、相手を従えていくことが大切である。よくよく吟味せよ。


一 他流に太刀かず多き事
他流において、数多くの太刀の使い方を人に伝えていることは、兵法を売り物に仕立てて、太刀の使い方をいろいろ知っていることを、初心者に感心させるためであろう。これは兵法で最も嫌うべきことである。
その理由は、人を切るのにいろいろの方法があると考えるのが誤りだからである。人を切るということに変わりはない。兵法知るもの知らないもの、女子供であっても、敵を切るということに多くのやり方があるわけではない。切るということ以外には、突く、薙ぐことがあるだけである。とにかく敵を切ることが兵法の道であれば、そのほかに多くの使い方があるべきはずはない。しかしながらその場所や事情によって、例えば上や脇がつまっているところでは、太刀がツカエない様に持つから、太刀の持ち方には五方といって、五種類はあるはずである。それ以外に付け加えて、手を捻るとか、身を捻り、飛びひらき、敵を切ることは正しい兵法の道ではない。敵を切るのに、ひねったり、飛んだり、開いたりして切れるものではない、全く役に立たないことである。
わが兵法にあっては身も心もまっすぐにして、敵をひるませ、ゆがめて、平静さを失ったところで勝つ、このように思う事が肝心なのである。よくよく吟味せよ。(小技は決定的チャンスを掴むまでの便法で,失敗の可能性もあり、合戦では応用できない。)


一 他流に太刀の構を用ゆる事
太刀の構え方に重点を置くのは誤った考え方である。世間一般には構えをするということは敵がいない場合のことであろう。そのわけは昔からの先例や、今の時代の方法はなどと法則性をつくることは、勝負の道にはあり得ない。相手に具合が悪いように仕込むことなのである。物事の構えというのは、動遥しない体制をとるための用心なのである。城ををかまえたり、陣をかまえたりすることは、人に仕掛けられても、少しも動遥しない状態をいい表しているのであるが、これは平常のことである。ところが兵法の勝負の道では、何事も先手先手を心掛けることである。これに反して構えるということは、先手を待っている状態である。よくよく工夫せよ。
兵法の勝負の道では、、相手の構えを揺させ、おびやかし、敵をうろたえさせ、敵が混乱して拍子が狂っているところに乗じて勝つのであるから、構えなどという後手の態度を嫌うのである。従ってわが兵法においては、有構無構すなわち構えがあって構えがないというのである。
多人数の戦いの場合にも、敵の兵数に多少を知って、戦場の状態を見極め、我が人数の程度ははかり、その長所を生かして人数を決め、戦いを始めることが合戦に最も重要なことである。人に先手を仕掛けられたときと、自分から仕掛けたときには戦いの有利さは倍も違う。太刀をよく構え、敵の太刀をよく受けよく、弾いたと思っても、所詮受け身というものは、槍や薙刀のような長いものを持っていても、防御にこしらえた柵が槍長太刀を跳ね返しているのと同じことで、本当に敵を打つことはできない。どちらにしても、結果的に負けるなら槍薙刀の代わりに柵木を武器にしても同じである。よく吟味すべきである


一 他流に目付といふ事
他流では目付といって、それぞれの流儀により、敵の太刀に見を付けるものと、手に目をつけるもの、また、顔、足などに目をつけるものがある。このように特別に目付けを強調すると、それに惑わされて、兵法の迷いとなるものである。その訳は例えば、鞠蹴る人は鞠に目をつけていないのに、自在に蹴る。ものに習熟するということによって、確かに目でものを追う必要はない。また曲芸などをするものの技にも其の道に習熟すれば、戸板を鼻の上に立てたり、刀をいくらでも手玉に取る、これも皆確かに目をつけることなのだけれども、いつも手慣れているから自然によく見える。兵法においてもその時々の敵との戦いに熟れ、人の技量が解り、兵法の道をを体得できれば、太刀の遠近遅速までもすべて見えるものである。目のつけどころは、相手の心に付いた目で、心眼を働らかせねばならないのである。であるから
我が一流においては、観、見の二通りの目付けがある。観の目を強くして敵の心を見、その場の位を見、大きく目つけてして、その戦いの流れを見て、正しくを勝つことに専心しなければならない。多人数の戦いにおいて、小さいいいところに目をつけてはならない。前にも書いたように、細く小さく目をつけることは、大きな目的を見失い、迷う心が出来て、勝つことを逃すものである。この道理をよくよく吟味して鍛錬すべきである。


一 他流に足つかひ有事
足の踏み方に浮き足、飛び足、はね足、踏みつける足、からす足などと言っていろいろとある。これらはわが兵法から見ればすべて不十分と思われる。浮き足を嫌う理由は、戦いになれば必ず足は浮くようになるので、しっかりと確実に足を踏むことが大切である。また飛び足もよくないのは、飛びあがるとそれによって、次の動作が自由を失うからである。幾度も飛ぶ必要はないのだから、飛び足はよくないのである。また、はねるという気持ちがあってはうまく行かないものである。踏みつける足は待ちの足で特に嫌う、敵に先手を取られる。その他にからす足などと、いろんな速い足遣いがある。また沼、深田、山、川、石原、細道などでも闘う場合が在るから、その場所によって飛び跳ねることができない。平常心のときの姿勢で足らず、あまらず、足が乱れのないようにすべきだ。多人数の戦いにあっても、足の運びが肝要である。敵の意図や手段が理解できないまま、やたらに早くかかれば拍子が狂って、勝ちがたいものである。敵にうろたえがあって、崩れ目が見えるのに、早く勝負をつけることができなくなるのである。敵がうろたえ,崩れる状況をよく見わけて、少しも敵に余裕を与えないようにして勝つことが肝心である。よくよく鍛錬せよ。


一 他の兵法に早きを用ゆること
兵法で、さばきが素早いというのは本筋ではない。素早いということは、物事にある拍子のリズムに合わせるもので、速いリズム、遅いリズムといろいろあり、上級者のリズムは早いようには見えないえないものだ。例えば、朝から暮れまでで160キロから200キロと、早く歩く人もある。要領の悪い人は1日中急ぎ続けてもハカがいかず、くたびれ儲けになる。踊り上手に合わせるのに、謡が下手ならば遅れるのを恐
れて、忙しいリズムになる。またツツミ太鼓で老松を打つと静寂感が漂うものだが、下手はこれにも遅れる。高砂は急テンポのリズムだが、早すぎるとよくない。”こける”と言って間が外れる、もちろん遅れてはよくない。とにかく上手のすることはゆっくり見えて、間が飛んだりしない。何事も慣れた、上手のをすることは、忙しくは見えない。鍛錬して、道の理を知れ。特に兵法の道で早すぎるリズムはよくない。沼、深田では、足も、体も動かしにくいので、太刀筋はもっと動かしにくい。早く切ろうと焦ると、扇や小刀のような小ぶりなものならともかく、着実に切ろうとしても切れない、よく考慮せよ。多人数の戦いにしても、早く早くと急ぐう気持ちはよくない。”枕を押さえる”を思い出し、それくらいの気持ちで丁度良い。無駄で無分別の行動はしないで、冷静になり、人に動かされないことが肝要である。この心を工夫し鍛錬するべきである



一 他流に奥表と云う事
兵法のことにおいて、いずれを表といい、何を奥ということができようか。芸によっては時折、極意秘伝などと言って、奥義に通ずる入り口があるけれども、いざ敵と討ち合うときになれば、表で戦い奥で人で切るなどというものではない。わが兵法を人に教える場合には、初めて兵法を習うなう人には、その人の技量に応じて、早く出来そうなところからまず習わせ、早く理解できるような道理などを教え、理解しがたい道理については、その人の理解の進んでいったところ頃合いに従って、次第に深い道理をの後に教えていくように心がけている。しかしながら大抵は実際に敵と打ち合うときの道理を通して理解させているのであるから、奥義に通じる入り口ということはないのである。例えば世間一般に山の奥へ行こうとしてもっと奥へ行こうと思えばかえって、入り口に出てしまうものである。何事の道であっても奥義が役に立つこともあり、また表を使って有効なこともある。この兵法の道にあっては、何をかくして、何を公にするか、などあるであろうか。従ってわが流儀を伝えるには誓詞やは罰文などというものは用いない。この兵法を学ぶ人の智力を見て正しい道を教え、兵法を学ぶうちに身につくさまざまな欠点を除き、自然に武士の道の正しいあり方を悟らせて、動揺しない心にすることがわが兵法の人に教える道であるよくよく鍛錬しなければならぬ。


右は他流の兵法を九カ条として風の巻としてあらまし書き表した。一流一流について、入り口より奥義までを詳しく書きが表さなければならないが、わざと何々の何の極意といった名を記すことはしなかった。そのわけは、それぞれの流派による理論は、その人、各自の考えがあるから、同じ流儀の中でも多少は見解の違いがあるものであるから、後々までのためにどの流派の太刀筋ということは書かなかったのである。そこで他流の大体を九つに分けてみたのである。世間の正しい道理からすれば、長い太刀に偏り、あるいは短い太刀こそ良しとし、強弱のみにこだわり、大まかなことも、また細かなこともすべて偏った道であることが、他流の入り口や奥義のことを書かなくともすべて解るはずであろう。我が一流の兵法にあっては太刀の使い方に初心も奥義もない。極意の構えなどということもない。ただ心の正しい動きによって兵法の特長をわきまえることが最も肝心なのである





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宮本武蔵,五輪書 現代語訳 空の巻

2011-02-24 13:02:30 | 武学
二刀一流の兵法の道を空の巻として書きあらわす。空というものは、見ようとして見えないもので、心と体にいっぱいに満たした状態が空である。もちろん、空とはないということである。存在が見えない。世間一般においては、悪い言い方をすれば、物をわきまえていないことを空であると誤解している。それは本当の空ではない。この兵法の道においても、武士の兵法を理解していないので、空の状態にはなっていないのに、いろいろと迷い、どうしていいのか分からなくなり、空虚になってしまっている状態を空と誤解しがちであるけれども、これは真の空ではない。武士は兵法の道を確かに覚え、その他の武芸をよく理解し、武士のおこなう道がはっきり理解出来ていて、心が迷わない状態で、日々を怠らずに鍛錬し、心、意の2つの心を磨き、観、見の目を研ぎ、少しもくもりがなく、迷いの雲が晴れている状態こそ真の空と思うべきである。
実の道を知らずにいるのは、仏法によらず、世間の法によらず、自分で正しい道と思っていて、いいことだと思っているけれども、本当の道から考えると、世の中の大きなほんものの尺度に合わせてみると、贔屓目であったり、歪んでいたりで、正しい道から外れているのである。この道理をよくわきまえて、まっすぐなところに基本を置き、実の心を道として、兵法の道を広く行い、ただしく、明らかに、物事を大きく捉え、空の境地に到達し、道は空に成る事だと見極める。
空には、善があり惡無し 智があり、理があり、道が有り、(真)心の根本は空也




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猪木イズムとは何だったのか

2011-02-18 23:24:44 | 武学




「いつ何時、誰の挑戦でも受ける!」

今にして思うと、猪木イズムを象徴するとされているこの言葉は、あながちハッタリではなかったのではないでしょうか。



僕が、最も猪木イズムを感じる試合は、かのアクラム・ペールワン戦です。

この試合は、土壇場でアクラムがワークを拒否し、猪木は試合直前になって真剣勝負を受けざるを得なくなります。

しかも、通常のルールではなく、ラウンド無制限でギブアップかTKOでのみ決着をつけるというリアル・デスマッチ。。。

おまけに、当時は情報も少ないので、アクラムがどんな技を使うのかも分かりません。

万が一敗れれば、アリ戦で築いた名誉を一瞬で失うことになります。

今、この状況でリングに上がるプロレスラーがいるでしょうか?



案の定、試合はアクラムが猪木の腕に噛み付き、猪木もサミングで応酬するなど、ルール無用の凄惨な果し合いになります。

最終的には、猪木がアクラムの腕を折って勝利し、アリ戦で築いた名誉を死守したのです。





もっとも、このときの猪木の心境は

「とうとう来るべき時がきたか」

というものだったと思います。

なぜなら、猪木にとってはセメントも含めてプロレスだからです。



古くは、師匠である力道山が木村政彦に突如セメントを仕掛けてKOしたこともあります。



もちろん、木村にしてみれば不意打ちだったという言い訳もできますが、現実に大観衆の前でKOされてしまえば、イメージダウンは避けられません。

リングに上がれば、いつセメントを仕掛けられても、自力で対処できなければならない。

それこそ、猪木が師から学んだプロレス哲学だったのでしょう。もちろんゴッチの影響もあったでしょうが。



猪木イズムとは



「いつ何時誰のセメントでも受ける」



覚悟のことであると、僕は解釈しています。

事実、リング上の猪木は、相手の攻撃を受けるときにも、決して警戒を解かず、急所を狙われたらすぐに反撃できる態勢を保っているように見えます。





この前提で改めて猪木の歴史を眺めると、凄まじい事実が判明します。

つまり、もしルスカやウイリーがいきなりセメントを仕掛けてきても、受けて立つ覚悟があったからこそ、マッチメイクしたということになります。

猪木は、結局前田日明からのシングルでの挑戦を受けませんでしたが、裏を返すと、少なくともシングルで対戦した相手とは、ガチで勝てる自信があったということです。

実際、前田はセメントで猪木に勝つ可能性の最も大きかったレスラーでしょう。全盛期ならともかく、すでに40代だった猪木にとっては、リスクの大きすぎる相手です。



猪木イズムを受け継いだのは、やはりその前田日明しかいません。



アンドレとのシュート・マッチはあまりにも有名ですが、ディック・フライへの制裁も、格闘王の底力を改めて天下に示した事件でしょう。



確かに、猪木も前田も、ほとんどセメントはやっていません。

しかしそれこそ、彼らが真の勝負師であることの証でしょう。

第一、そんなに頻繁にセメントをやっていたら身体がもちませんし、手の内を満天下に曝してしまうことになります。

最強であり続けるには、無駄なセメントは極力避けなければならないのです。

かのルー・テーズは、まず先に相手の関節を極めて、実力差を思い知らせたといいます。

最初からセメントを諦めさせるのが理想です。



試合となったら、まずはあらゆる謀略を駆使して(笑)勝利を確保する。

しかし、万が一にもセメントを挑まれたら、そのときは実力で徹底的にねじ伏せる。

そのためのテクニック・コンディションは、常に維持し続ける。

それこそ、僕の考える猪木イズムです。






新日本プロレス全史 三十年 激動の記録

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