護憲+グループ・ごまめのブログ

護憲+・現憲法を守るグループの一人して、今後の社会の状況を戦時を経験した一人として社会を見つめていきたいと思います。

第6部  京城と総括編  この5

2007年10月15日 15時55分19秒 | 戦前・戦中・戦後を語る
第6部  京城と総括編  この5

 妹は、今まで心の中に溜め込んだ事を吐き出して、すこしは気持ちが楽になったのかも分かりません。
 お兄ちゃんには絶対言わないでと、家内が言っていましたのでそれに従おうと思いました。

 また、弟の気持ちも分かり過ぎるほど分かります。親が、子供を預けたり食料に交換したりする。現在の人々には分からないでしょう。
 其の様な逃避行のなかで、小学校6年生の子供が、3年生の妹と二人で日本に帰ってきたと言うだけで奇跡だと思います。
 だから弟も責めることはできません。

 また妹の気持ちも痛いほどわかります。千キロ近く兄を信用して満州の荒野を移動する。これを書いていても、弟妹と再会した時にはガリガリの栄養失調、疥癬だらけの皮膚、思い出しても涙が流れてきます。

 弟は、近所に住っていますから、月に何度か散歩がてらに寄っていきます。でも引き揚げ船に乗船する前の妹が言っていたような話はしたことはありません。
 と言うことは、弟にも心の中に傷として残っているのかも分かりません。しかし、それを確かめることにより、弟の傷口を余計に深くする恐れも有ると思うからです。弟妹たちの傷口をもう此れ以上大きくするのは兄としてたまらないのです。

 先に述べたように私は朝鮮で強制的に連れていかれる情景は見ていなく聞いてもいません。先日、学生時代の友人と電話をした時にこの件を聞きましたが私と同じことをいっていました。

 ですから、売られて行った娘さんも戦後かえってきた時に親御さんが、弟と同じ心境だとすると本当の話をしたでしょうか。弟のように自分の負の部分は話さないと思うのです。

 しかし、前線に慰安所が有ったことは事実です。
 私は先に述べたように、朝鮮領内で官憲が強制的に婦女子を集めれば暴動のおこる可能性をしてきしましたが、敗戦前は其のくらい緊迫したのを感じました。

 私が一つ思い当たることは、当時女子挺身隊と言うものがあったと記憶しています。これが何をしていた物かは全く分かりません。
 従妹が挺身隊に行こうと言うと親がもの凄く反対していましたから。当時はかなり危険な事をするのだと思っていました。
 引き上げて一時世話になった娘さんは戦地で将校相手の今でいう慰安婦と言うことは分かっていましたが、彼女も女子挺身隊員だという記憶があります。しかし半世紀以上の昔の話、嫌な思いは自分から進んでは話さないでしょうし、80以上の老齢か亡くなっているのが現実なのです。

 関係者の殆どの方が亡くなり、此の様な思い出したくない話は、弟と同じく心に鍵をかけて真相は益々わかりにくくなります。

 問題はどうして多くの朝鮮の女性を集めたか。私の見た範囲では朝鮮で官憲が強制的に連行したのは見ていない。しかし現実には売られていく姿は見ている。そのギャップの整理が頭の中でつかないのです。

 と言っても強制連行を軍隊という暴力集団が全くしていないともおもわないが、もしかすると誰かに代行をさせて騙して連れ去っていると言う予測は出来ないことはない。

   


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
御機嫌伺い (蔵龍隠士)
2007-10-15 16:37:31
ごまめの翁 様

 >明日、検査にいってくる
 とのこと。別条ないことを祈念しております。

 いづれにせよ、ご自愛ください。
 またのブログを楽しみに待たせていただきます。
 「おっ復帰か」とも思ったのでしたが。
 怱 々
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こんばんは (おーちゃん)
2007-10-15 19:12:09
私も先日、人間ドックを受けてきました。
結果はいろいろありましたが・・・(苦笑)
明日の検査、気持ちを楽にして臨んで下さい。
いち早いブログの復帰をお待ち申し上げます
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どうか、ゆったりと。。。 (鳥居正宏)
2007-10-16 01:10:36
ごまめの翁 さま。

いままで、ずっと、ほぼ毎日のようにトラックバックをいただき、私も毎日のように、楽しみに訪問させていただいていました。

でも、毎日というのは、たいへんですよね。これからは、どうか、ゆったりと、お身体をいたわりつつ、気長に続けてください。

私も、明日のごまめの翁さまの検査結果に別条のないことを祈っています。
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なにとぞm(_ _)m (TOJC)
2007-10-18 12:38:57
訪問だけでこれが初コメントです。検査結果に別条なくお早い復帰を祈っていますm(_ _)m
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