今日の朝のワイドショー番組で鳥越俊太郎とクリント・イーストウッドとが対談していた。鳥越俊太郎70歳、イーストウッド80歳という。
イーストウッドといえば、夕陽のガンマンで、自分の棺桶(実はこの中に彼の愛用の銃が入っている)を引きずりながら荒野を歩くシーンが頭の中にでてくる。僕の青春時代の懐かしい映画だ。鳥越俊太郎さんも彼への懐かしさは強いようで、是非会いたいとの思いが実現したという。
鳥越さんは大腸がんを罹患され、以後転移などで4度も手術をされているという。4度もしているとは知らなかった。僕も癌になり手術をしたが、幸いその後の経緯はすこぶる良く何の治療もしていない。
4度も手術をすれば、やはり「死」というものを身近?に感じるんだろう。イーストウッドとの対談でも、この「死」をモチーフに話が進んで行った。イーストウッドのまもなく公開される映画「ヒア・アフター」もこの死がテーマだ。
僕は医師から癌を宣告された時、先ず僕のいなくなった家族をイメージした。「死」が恐怖だとか、「生きたい」とかそういう気持ちよりも無機質に僕が家族の中で透明人間化していた。
イーストウッドは鳥越に「死ぬことに夢中にならないように」と言っていた。「死に夢中」・・・「夢中」の訳をしているが英語で何と言ったのか知りたいが・・・
僕は「死」が現実の問題となった時、「死」に夢中になるなというよりも、むしろ人間は「死」に夢中になれないのではないかと思う。あまりにも厳しい現実が迫った時、人間の心理機能はその現実を無機質化していくように思うのだが・・・
ということは、「死」に夢中になっている間は「生」に執着していることになる?
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