民平的幸せ体感記3【40代編】

かつて世界一周一人旅をした「みんぺ~」のユルくてどうでもいいブログ。ちょっとハッピーな気持ちになれるとかなれないとか。

オレンジリボンに取り組むきっかけ

2018年12月12日 | 児童養護施設の仕事
親友と言える友達にラインで応援をお願いした所、友情をお金で計るようなコトはやめた方が良いと指摘を受けた。

なるほど、と思った。

丁寧さに欠いたボクの落ち度でもあるし、その指摘に対抗するつもりもない。

長年の付き合いがある親友はそう感じた訳だし、ボクにある種の失望をした訳だから。

何通か長いメッセージのやりとりをしたけど、たぶん会って話さないと伝わらないと思うし、会っても理解はされないかもしれない。

でも大切な親友だから、伝えたいし、出来れば応援してもらいたいと思ってはいる。

親友だからこその意見を真摯に受け止めたいと思っている。

ありがとう。

さて、子ども虐待防止の啓発活動であるオレンジリボンや今回のプロジェクトにエネルギーを注ぐ理由、後付けを含めたら沢山あるけど、基盤となる想いと経験がある。

少し長くなるけど、読んでもらえたら嬉しいです。

この仕事に就いて18年目、その前は児童養護施設とか児童虐待なんて、興味関心外だし、人生の中で考えるきっかけもなかった。

まさに無知、無関心だったのである。

教育学部で子どもへの教育を学んでいたにも関わらず、だ。

児童虐待という問題が、まだまだ世間的に重要視されていなかった時代背景もある。

その後18年間、仕事を通して、多くの虐待ケースを知り、施設入所後、保護者に代わっての支援という形で傷ついた子ども達に向き合ってきた。

今日まで、全国で悲惨な虐待死事件が度々報道されてきたのはご存知の通り。

年間50人近くの子どもが虐待により、命を失っている現実がある。

一般市民の多くは、それを自分とは無縁の家族の悲しい事件としか捉えず、無責任な同情心だけ持つだろう。

「ひどい親がいるもんだねぇ」

「かわいそうに」

そして、気がつくと、虐待で命が奪われる事件に慣れてしまっているんじゃないだろうか。

「あ、またか」

「イヤな世の中になってきたねぇ」

こういう仕事に携わるボクでさえ、どこかそんな風に思う傾向はあった。

だからそういう想いや感覚は否定できない。

五年くらい前、とある全国的な研修を受けた。

児童虐待について、それによって受ける心の傷について、専門家としてどう向き合っていくべきか、本当に沢山のコトを学べた。

子どもが一番愛されるべき親から否定され、虐待を受けるコトがいかに辛く苦しいことか再認識した。

その研修の帰り道、とある虐待死事件が報じられた。

虐待を受け、殺され、衣装ケースに入れられる…

そんな痛ましい事件を知り、気がつくと涙が溢れていた。

その子の想いにシンクロして、辛く、悲しく、心が張り裂けそうになった。

ゴメンナサイ。

大人の一人として心から無念に思い、申し訳なく感じた。

その時にボクは誓ったのである。

その子に約束したのである。

こういう悲しい事件を防ぐために、減らすために、無くすために、ボクが出来るコトは何でもやってあげる、と。

ちょっとやそっとのことには負けずに頑張るから、と。

そんな頃だった。

同期の仲間にオレンジリボンという啓発の形があると紹介され、一緒に長野県でも立ち上げないかと誘われたのは。

ボクは即答した。

よし、やろうと。

それから必死に活動してきた。

費やした時間とエネルギーは膨大だ。

自分に出来ると思ったことはとりあえずしてきた。

時には批判も浴びてきた。

でも信念持って行動してきたつもりだ。

今回のプロジェクトはそんな中で出会った一つの形。

これで満足するつもりも、これで解決するとも思っていない。

あの子の死が報われるとも思っていない。

でもあと約二週間は、このプロジェクト成功、いや大成功に向けて全力で取り組もうと思っている。

後に続くかもしれない、社会的養護に力を注ぐ沢山の団体や施設に想いやエネルギーが繋がっていくと信じている。


まずは児童養護施設のこと、そこで生活する子どもたちのコトを知ってもらいたいです。

文中にもありますが、同情ではなく、前向きなエールが必要なのです。

別に可哀想な子たちなんかじゃないので。

ただ、お金が絡むだけに、不快な想いをする方がいたらゴメンナサイ。

でもお金が必要なのは事実なんです。

額によって想いを図ったりするつもりも一切ないです。

ご理解下さい。

※サラッと大口の寄付をして下さった某有名社長さん(月に行こうとしている方)に対して驚愕したのは事実ですが。まぁ全く別次元の話ですね。