今読んでいる本で面白い部分がありましたので紹介します。
ケンタッキー大学の研究チームが180人の修道女を対象に、彼女たちが20代からつけていた日記を調べた。そこでわかったことは、
前向きな気持ちを多く記していた修道女は、ネガティブな気持ちを多く記していた修道女より、平均して7年も長く生きていたのです。
つまり前向きな気持ちでいることは長生きの秘訣といえます。
感情はおおまかにいって、「愛」と「恐怖」の二つに分類できます。
「感謝」「許し」「思いやり」「称賛」といった「愛の感情」は、心臓を膨らませ、心拍リズムを一定にしますが、
「怒り」「悲しみ」「苦しみ」「罪悪感」といった「恐怖の感情」は、心拍数を縮小させ、心拍リズムを混乱させます。
ならば『意識的に』愛の気持ちを抱くことによって、心臓を膨らませ、心拍リズムを安定させることができるのではないでしょうか。
へ~そうなの?と疑うのはかまいませんが、私はそれもあると思っています。
ということで普段から「愛の感情」を持つためには、私はこういうものを使っております。
津軽塗りの盃です。いまはあまりお見かけしませんが・・・・
お酒を注ぐところはこうなっています。左下に何か書いてありますね。
そうなのです「愛」の字がさりげなく書いてあります。珍しいでしょ。
お酒を飲のむたびに「愛」を感じるわけです
こんな小さな「愛」では満足しない!という時は・・・
このような盃も用意してあります
左右の起き上がりこぼしは縁起物らしいです。
明日川越市で宴会がありますので、これで酒を酌み交わして盛り上がるつもりです。参加者のみなさんお楽しみに・・・・・
シスターたちの話、興味深いですね。僕も最近つくづくキリスト教の教義は死後のためではなく、生きる知恵の宗教なんだな、と思います。
神さまと言う見えないものがどのような存在なのか?どこまで力が及ぶのか?などといくら考えても人間の力では答えが出ないものを(半ばクヨクヨと考えることなく)生きる力として、神さまと言う(それが本当の神さまの姿ではなくとも)概念の力を借りて楽しくいきるのはどうするか?がキリスト教なのでしょう。
だから昨日の自分より今日の自分が如何に楽しく生きるか?が「愛の宗教」と呼ばれる所以だと思います。
明日は車なので一献頂くのは罷りなりませんね。
飲みすぎませんように
ではジュースをついで乾杯しましょう。
ど、どうして分かったのですか
最近下心がバレバレです