引きこもりの息子(44歳)を殺害した元農水省事務次官(76歳)が、1審で懲役6年の判決を受けた。
事前の報道では、執行猶予付きの実刑判決も予想されていたが、裁判員は懲役刑を科すと判断したものであり、同世代の自分には、この量刑の軽重は判断できない。子殺しの抑止と警鐘のためにはもっと重い刑罰とすべきであろうし、犯行動機の一つとして「川崎市で起きた”引きこもり中年の児童殺傷事件”と同じ様に、息子がこれ以上社会に迷惑を掛けないため」を挙げていることを重視して、犯行は一種の社会正義と考えるべきかもしれない。懲役刑選択の理由として、主治医や司法・行政の助力を頼まなかったことが挙げられているが、息子の引きこもり・家庭内暴力が始まった昭和末期から平成初期の世相を考えれば、それも仕方のないところではないだろうか。当時、桶川ストーカ殺人の例に見られるように警察は民事不介入を原則としており、行政機関にも引きこもりを相談する窓口や組織は無かったのではないだろうか。また、社会一般も、家庭内のいざこざは家庭内で処理すべきとする風潮が強く、息子の行状を表ざたにすることはためらわれたものと思う。さらには、社会に適応できない状況は精神疾患とする概念は無く発達障害という病名すらもあったかどうか疑問である。このような状況を考えれば、元次官の行動は当時の常識的・一般的な行動であり、ことさら不作為とするのは疑問である。これは、本事件以後、中高年の引きこもりに関する相談・問い合わせが急増したことでも明らかと思う。判決後に一部の識者は、家庭内のいざこざを明らかにすることが出世競争に響くことを恐れたためと”したり顔”で述べているが、他人や社会に自分の恥部・暗部・劣等を隠すのは通常のことで、子殺しにまで至る遠因とは思わない。もし、不出来な息子の存在を明らかにして事務次官まで上り詰めることができなかったら、そのことで息子に対して別の感情や怨念を抱き、別の形で噴出することも予想される。
現在、40~64歳の中高年の引きこもりは60万人以上と統計されているので、元農水省事務次官と同様な立場にある人(夫婦である場合が多いので)は優に100万人を超えるものと思われる。第一、この数字(多分調査も)や80-50問題(80代の親が50代の引きこもりを養育)自体が本件を契機に明らかとなったものであることを思えば、第2・第3の元次官が出現することも予想される。では根本である60万人の引きこもり中高年に対して行政・社会はどう対処すべきなのか、有効で具体的は解決策は見当たらないのが現状であるように思える。今回の事件と判決について”何とも遣り切れない思い””出口のない迷路を見つけた思い”のみ残されたように感じる。