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もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

大東亜戦争開戦記念日を前に

2019年12月07日 | 歴史

 明8日は大東亜戦争の開戦記念日である。

 近年は開戦記念日がメディアにとり上げられることが少なくなってきたが、黄色人種が敢然として白人支配に挑戦を決意した日である。全ての戦争を犯罪・侵略と規定する現代にあっては考えられないことであるが、開戦劈頭の真珠湾攻撃の勝報には歓喜した国民の提灯行列が全国で行われたと聞いている。11月30日の中曽根康弘氏の追悼で、氏の海軍の軍歴が以後の政治信条に投影していると書いたが、総じて海軍出身者は日本海軍に好感・郷愁を抱いているのではないだろうか。本日は高松宮殿下(海軍大佐)のエピソードと海軍の部下指導である。当時の皇族は、国威と民心高揚のために名誉的階級の下に軍籍に身を置かれるのが一般的であったが、殿下は、通常の海軍士官と同様に兵学校・砲術学校高等科・海軍大学に学ばれ、戦艦「比叡」砲術長・海軍軍令部や大本営海軍部の幕僚を勤める等、海軍の実情・下情に通じた海軍軍人であられた。海上自衛隊に対しては、昭和62(1987)年に崩御されるまで、高級幹部会議(会同)に参集した将官を宮邸に招かれて懇談されるのが常であったと聞いている。勿論、自分は会同に参加できる地位ではなく、参加した将官から漏れ聞いたことであるが、殿下晩年の昭和61年の懇談で「自分が死ねば、皇室と海上自衛隊を繋ぐ糸が切れる」と寂しそうに述べられたそうである。宮殿下の他にも阿川弘之氏(終戦時大尉)、鶴田浩二氏(予備少尉)などは、海軍生活を懐かしむ以上に礼賛することを常としていた。これは、人員補充の必要に迫られた戦争末期は別にして、将兵の殆どが陸軍と違って志願兵であったこと、一蓮托生の艦艇生活に起因するのかもしれないが、部下指導(人作り)によるものと信じている。海軍の部下指導は、山本五十六元帥の次の言葉に凝縮される。曰く、
①「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず」ここまでは有名であるが、提督は続けて
②「
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。」
③「
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」
と述べている。自分流の解釈であるが、①は兵(現場作業員)育成、②は中級士官(幕僚又は下級管理者)育成、③は高級士官(上級管理者又は後継者)育成、をそれぞれ念頭に置いたものではないだろうか。これは、現在の世相・職場教育・人間関係にとっても瞑すべきものであり、会社ぐるみの不祥事やパワハラ報道に接するたびに思い出される。

 以上ののエピソードで想像できる海軍生活に、OBが郷愁を抱くのは当然であろう。とはいえ、戦艦「陸奥」爆沈の原因となったような陰湿な上下関係・艦内生活があったことも事実であるが、何事にも万に一つの異端が存在するのは止むを得ないことである。しかしながら、万に一つの異端が頻発する世相を嘆きつつ「開戦記念日」を待つものである。