ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

コンパクトにまとまった『日本とドイツ 二つの戦後思想』

2005年09月03日 | 読書
 この本は梶ピエールさんのブログに「お奨め」とあったのでそそられて読んだ本。やっぱり、おもしろかった。ついでにうちのつれあいにも薦めたら、彼も面白がって、ただいま読書中である。この本は「はじめに」を読むとついつい「これは面白そう」と思わせるものがある。だいたいが仲正さんの本は前書きがものすごく面白いのだ。

 何が面白いかというと、内容ももちろんだけど、文体かな。真面目くさった顔をしてぺろっと面白いことを言って周りを笑わせる人っているよね、そんな感じ。ご本人はすごく真面目に固い内容を取り上げているのに、へろっと面白いことをズケズケっと書いてしまう。技なのか天然なのか知らないけど、面白い。エスカレートすれば単なる罵詈雑言になりそうなところがそうなっていないのがいい、上品な辛口のまとめ方なのだ。たとえばこんなふう。

「私はしばしば、(元)マルクス主義学者と一緒に仕事をすることがあるが、彼らはよく、「日本のマルクス主義は、実践面では全然ダメだったけど、アカデミックな研究の蓄積では世界で最高水準だ」という言い方をする――マルクス主義者がそんなことを自慢してはダメだと思うのだが。」(p138)

 吉本隆明の「啓蒙主義批判」について触れた部分では、

「”吉本主義者”の中には、「大衆の共同幻想」の根深さを理由にして、現状肯定へと傾いてしまった者が少ないない。今頃になって、「吉本は、実際にはただのマイホーム主義ではなかったのか」と、かつのカリスマを非難している元新左翼あるいは左翼シンパはかなり多い――そういうのは、吉本のせいではなくて、自己責任だと私は思う」(p178)

 浅田彰が登場したときに左派からの反応が鈍かった理由について述べている部分。

「彼の文体があまりにも”おフランス系”――言い換えれば、軽い――の文芸批評風であったため、伝統的な左翼にとっては当初、正面から対決しなければならない”敵”とは思えなかったようである。単に、不真面目でノンポリな若者の代表として嫌っていただけと言うべきかもしれない」(p214)


 戦後日本の思想史を語る本はいくらでもあるだろうし、敗戦直後の思想史を世代論的言説分析というかたちで示してみせた労作『<民主>と<愛国>』(小熊英二)という大部な本もあるけれど、本書ほどコンパクトに手際よくやった仕事はないんじゃなかろうか。

 難を言えば、前半の「戦争責任」論をもう少しつきつめてほしかった。後半はポストモダンの現状(この20年の思想状況)を非常に手際よくまとめてあってそれはそれでおもしろかったのだが、「戦争責任論」を読みたい人には前半の記述は薄く、さらに後半には興味をそそられにくいだろう。

 いずれにしても日本の思想史をドイツと比べると見えてくることがいろいろあるものだ。やはり相対化というのはものごとをすっきりみせてくれる。これ、ドイツではなく別の国と比較するとまた別の位相が見えてくるのだろうな。

 コンパクトにまとめてある本書をさらにコンパクトにここに説明してしまうとそのおもしろみが半減するような気がするが、わたしがそそられた/印象に残った部分を列挙すると……

 日本の護憲派の限界がどこにあるのか、ハーバマスの「憲法愛国主義」との関連での分析。
 日本におけるマルクス主義受容のいいかげんさ、あるいは「なんでもマルクス」で押し通す愚直さの実態。
 そして、最後に、ポスト・ポストモダンの現状にふれて、「知識人の死」宣言を下す部分。動物化しきったアニメ・オタクたちは、浅田彰や東浩紀が書いた本をわざわざ読まなくても「シラケつつノリ、ノリつつシラケル」生き方を自然と実践している。動物化した世界には啓蒙は不要だ。

 ところで、本書をめぐって「評論誌カルチャー・レビューBlog版」で論争が繰り広げられているので、参考までに。ちょっと論点が噛み合っていないように見えるのだが、けっこうおもしろかった。特に黒猫房主さんのエントリー記事は、戦争責任論を考える上で勉強になった。

<書誌情報>

 日本とドイツ二つの戦後思想 / 仲正昌樹著. 光文社, 2005.(光文社新書)