ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

サバルタン研究

2003年09月11日 | 読書
 太田さんの知のあり方にはとても共感する。ゲバラやキューバ革命を相対化し批判する。かといって「今だから言える」ような批判をのうのうとたれるようなことはしない。歴史の痛みを我がこととして捉える感性には共鳴しきり。
 ただし、本書は評論集なので同じ記述の重複があったりしてやや冗漫。ま、しかたないか。
 本書はゲバラの伝記ではないから、先に何冊か読んでおいたほうが理解に役立つ。

ゲバラを脱神話化する / 太田昌国著. -- 現代企画室, 2000


こういうのを読むと『サバルタンと歴史』(崎山政毅著 青土社 2001)と通底するものを強く感じる。彼らはともに南米の農民たちに心を寄せ、その革命のロマンに心弾ませることから研究生活に入った。太田さんは学界人ではないから、語法が多少違う(とても読みやすい)が、崎山さんももう少し読みやすく書いてくれたら助かるのだが、彼の論もやはり「社会変革」の多様性について苦渋の言葉が連なる。「サバルタン」とよばれる植民地従属国の虐げられた人々の存在を十把一絡げに語るような先進国研究者の語法に異議を申し立てる内容なのだが、それがまたけっこう複雑な思考経路を辿っていく。下手をすると無限循環論法に陥るのではないかと錯覚するぐらいだ。
 ニカラグア革命をとりあげた部分の論考では具体的な状況が描かれているため、ここは生き生きした叙述が見られ、著者崎山氏の「ロマンティスト」たる本領発揮といった感があり、わたしは大変好感を持って読んだ。革命は貧しい農民達を解放しなかったこと。白人である社会主義者たちが先住民固有の文化を無視して上から革命を推し進めようとして結局は失敗したこと、が描かれている。
 これはゲバラが社会主義革命を夢見てコンゴへ赴き、そこでのゲリラ戦に失敗して失意のうちに帰国したことと同じ文脈で読むことができる。「サバルタン」への眼差しがいかに厳しくサバルタン自身によって見据え返されるものなのか、歴史の痛苦な反省を崎山氏はわたしたちに呈示する。

 一読して感じることは、松田素二著『抵抗する都市』と共通する認識が本書を貫いているということだ。研究者はどの位置に立つのか? 他者の語りに耳を寄せるとはどういうことなのか? それを先進国学界の言葉で表現することは何を意味するのか?
 現状へのコミットメントを真摯に願う研究者ほど、今は混迷の中にあるが、その苦しみと模索の中から何かが生まれる、と希望をもちたい。