新聞でも報じられていますが、岐阜市議会の副議長も務めた高橋かん(寛)市会議員が急逝しました。享年64歳。かけがえのない方を亡くしました。
「環境の『かん』」。市民の立場から、環境問題を中心に的確に問題をとらえ、市議会でも鋭い指摘を続けてきました。人体に有害な化学物質の汚染問題では先駆的に取り上げ、岐阜市の環境衛生行政を牽引してきました。また東海環状道・御望山ルート問題では、実に十数年にわたってトンネルルートを避けてほしい御望山山麓の団地住民の声を訴え続けました。
民主党県連においては、まさに重鎮として長年運営に関わり、その経験と温厚な人柄がもたらす人望で、的確に党の方向性を示していました。特に昨年夏の衆院選では柴橋さんの当選と民主党躍進の原動力の一人でした。
地域の支持者に会うと、「さっき、かんさんが来たよ」「きのう、かんさんとしゃべったよ」という声を、ここのところよく聞いていました。来年、春に向けて準備も進めていたようでした。十日ほど前には私のスピーチをわざわざ聞きに来ていただきました。
亡くなる日の朝、お会いした際にはご機嫌もよく、いつもの笑顔で、素敵な鞄に荷物を詰めて。「市議会の質問を書かんとな」と、いつものように議会質問に向け意欲十分でした。
お聞きしているところでは、ご苦労の多い政治家人生でした。ご心労も多く、ご無理も多かったのでしょう。私たち後輩の議員は、かんさんの培った土壌の上にいます。
きょうお通夜に行きました。たいへん多くの方が参列、位牌に書かれた法名は「宣説院」。かんさんに相応しい法名です。労働運動から始まり、五十五年体制の時代に保守地盤の中で闘い続け、市民の立場で次の時代の自治を拓いていた自治体政治家「高橋かん」さんをいつまでも覚えていただきたいと思います。