岐阜大学医学部跡地に整備される市の中央図書館について、設計者選定の審査をしたところ、最終的に残った設計士はいずれも世界的な方々ばかりだったそうです。と、いう新聞記事が出ていました。記事には、「ここまで現代建築を代表する著名な人が集まるとは」と舌を巻くほどの設計士ら70人の応募があった、と書かれています。素晴らしいですね。きっと世界に誇れる建物ができるのでしょう。期待しましょう。
とは言え、医学部跡地に図書館をつくることへの市民の期待は実際どうなのでしょうか。医学部跡地利用については普段よく話題に上りますが、図書館や今の市民会館に代わるものをつくることに対して批判的な意見を多く聞きます。きょう行った座談会でもそうした声を聞きました。まあ、議員によっては「市民の多くは図書館を作れと言っている」という人もいるでしょうけど。
以前、何年も前にブログで書いたことがあるのですが、私は市民図書館のような施設は宇佐の県図書館があるので十分だと思っています。実際、県図書館の機能は地元市民の利用に軸を置いた市民図書館のようになっているそうです。一方で、市内のコミュニティーセンターなど公共の建物にある図書館機能を高めることは望ましいと思います。例えば、JR岐阜駅のハートフルスクエアの図書館はサラリーマンの需要を考え、ビジネス書を増やすとか。こうした施策の方が事業費もかからないでしょう。そして医学部跡地は薬大移転と医療、福祉を組み合わせ、若者とお年寄りが集まる核にしたほうが望ましいと、いまだに思っています。
図書館は公共の知を育む重要な施設。自治体が取り組むべき大事な施策のひとつです。しかし、ネットや電子書籍の普及で公共知の在り方も変わってきています。高名な設計士による後世に残る建築物は価値があるものになるかも知れませんが、未来会館やふれあい会館といったハコモノ行政といわれたころに作られた県の施設がいまどう見られているのか、これは教訓です。