岐阜県議会議員 太田維久(おおた・まさひさ)のblog

再生、飛躍、「政策維新」
生活を支え、生命を守る政治を実現する。

県議会厚生環境委員会視察(二日目・2)

2010年10月30日 23時32分06秒 | 県政全般
佐賀市に戻って、「佐賀県療育支援センターあそしあ」です。
昨年4月に、それまであった県立の障がい児施設「春日園」と通園施設「くすのみ園」を統合した施設です。あわせて療育指導者の養成研修、市町の療育事業支援なども行っています。
知的障がいを持った子供たちの保護、訓練などを行う「春日園」の部門が定員40人、親の育児放棄でこの施設の保護を受ける子どももいるとかで、障がいを抱えた子どもとその家庭の重い課題も垣間見ました。また、就学前の知的発達に遅れがみられる幼児に対し、社会性や生活習慣を身に着けてもらう「くすのみ園」の部門は定員30人とのことです。



施設は佐賀市の平野部から北部山地にさしかかる辺りに位置しています。どちらかというと郊外です。こうした施設は駐車場も必要ですが、街中にあったほうがいいと思います。


続いて、車で10分ほどのところにある社会福祉法人佐賀整肢学園です。



岐阜県の希望が丘学園同様、手足に障がいを抱えた子どもたちの支援にあたっています。昭和35年の設立、障がいに応じた治療やリハビリなどにあたるほか、重度心身障がい児(者)の医療看護、通園による支援なども行っています。設立当初は手足に障がいを抱える子どもたちの支援が中心でしたが、重度心身障がい児(者)の支援が増え、特に入園(たんぽぽ学園)による看護が120人になります。この施設も視察しました。ベッドから起きることが出来ない重い障がいを持った子どもたち、付ききりで看護にあたる看護師。施設入所を待つ人たちは多いけれど、財政的な困難から定員を増やしたり、他の同様の施設をつくることも難しいのが実情。これは岐阜県でも全く同様です。保護者の負担を考えるとこうした施設に入所するのは望ましいのですが、なかには施設に入所させたあと全く面会に来ない保護者もいるとか・・・そして入所している人たちも子どもだけでなく、最高齢は60歳くらいになるそうです。重い障がいを抱えた人の尊厳と保護者の負担軽減、立場的に厳しい人たちにそのための光があたるべきなのに、あたらない。厚生行政の役割というのは、こうした人たちを支え続けることと改めて思います。


佐賀市から車で1時間半ほど、大分県日田市に移動です。到着はもう夕方なので、伝統的建造物保存地区に指定されている「豆田町地区」を見学しました。日田市は同じ伝建地区がある高山市に少し似ています。江戸時代に天領で代官所があったことがあるのでしょう。




上の写真は草野家住宅、ろうそくの材料で栄えた商家です。ひな祭りにひな人形を通りなどに飾るイベントの発祥がここだそうです。下は「日本丸」という薬で知られていた岩尾薬局、城郭づくりの三階建ては立派です。街並みの雰囲気はいいのですが、気付いたのは車の往来が多いこと。基本的に、地元の方なのでしょうが、せめて一方通行にした方がいいのではないかと思います。



県議会厚生環境委員会視察(二日目・1)

2010年10月30日 01時17分48秒 | 県政全般
一日目は佐賀県の北部に位置する唐津市で泊まりました。日本海(玄界灘)に面した唐津市は人口12万人余り、県庁所在地の佐賀市より福岡市都市圏のほうが馴染みがあるそうです。朝から冷え込んだこの日は海からの冷たい北風が吹いていました。西高東低の冬型の気圧配置になると、唐津市は特に寒くなるのでしょう。

最初は財団法人佐賀県環境クリーン財団が運営するクリーンパークさが、産廃中間処理施設、管理型最終処分場などを備えた複合廃棄物処理施設です。



写真はオペレータールーム、この手の施設ではどこも同じような様子だと思います。去年三月の竣工なので、最新のガス化燃焼溶融炉などを備えています。また最終処分場では、これも一般的だと思いますが、底部に処分場からの水分を地下に浸透させない遮蔽シートを敷き詰め、漏水検知システムを設けています。下の写真がそのセンサー、その下の写真のように漏水がないか毎日検知しています。




この処理施設は佐賀県、唐津市などの市町、経済界がいっしょになってつくった財団法人の運営です。この場所はもとは採石場だったところ。そこに民間の業者が産廃処分場をつくることになり、反対が起きて場所を行政で買い取ったそうです。ところが他の有効活用策がなく、佐賀県内の産廃処分場がひっ迫していることから、結局は産廃処分場になったといういきさつがあります。

このあと、佐賀市にまた戻ります。佐賀市は人口23万人余り、街中はほぼ平坦な地形です。大きな工場は少なく、第三次産業が主軸の産業構成は岐阜市とも共通のところがあります。もっとも岐阜市は人口は倍近くです。
佐賀といえば、鍋島藩の化け猫騒動が知られている?ところ。この話、戦国大名の龍造寺家を鍋島家が乗っ取ったことで、大名家を継げなかった龍造寺家の遺児の恨みつらみの話ということです。もっとも鍋島家からすれば龍造寺家とは姻戚関係にあり、龍造寺家の興隆にたいへん貢献をしているのですから、実力主義の江戸時代初期では乗っ取りではなく引き継ぎなのでしょう。その後、鍋島家の佐賀藩は35万石、西国の雄藩のひとつに数えられますが、内情は鍋島一族、龍造寺一族の支藩があり、藩主の領土は数万石、長崎警備の任もあり財政はひっ迫状態だったということです。


厚生環境委員会視察(一日目)

2010年10月27日 08時42分58秒 | 県政全般
25日から27日までの三日間、県議会厚生環境常任委員会の県外視察が行われてました。
初日は、佐賀県立病院好生館の視察です。



佐賀県立病院は旧鍋島藩の病院に由来し、現在では佐賀県内唯一の県立病院です。佐賀市中心部にありますが平成26年4月にやや郊外に移転する計画です。ここも岐阜県の県立病院同様、今年4月に独立行政法人に移行しています。病床数は535人で、岐阜県立総合医療センターの9割くらいの規模です。
独立行政法人移行前の協議内容を調べてみますと、看護師が足りず、当局は「独立行政法人移行後も7対1看護は困難」との認識を示していました(ちなみに総合医療センターは7対1)。ところが今年度看護師は、なんと50人の増。かなり頑張って医師看護師確保をしたのですが、周辺の医療機関にしわ寄せはないのだろうか、気がかりなところです。ちなみに院長は「知事からは県内でなく、福岡県から連れてこい」と言われているそうです。



公的な大規模医療施設として佐賀市には他に佐賀大学付属病院、NHO佐賀病院(旧国立佐賀病院)があります。この病院では、周産期医療はNHO佐賀病院に比重を移すなど、医療機関同士の役割分担を進めているということでした。




感無量

2010年10月25日 01時29分14秒 | その他
私でも験を担ぐことがあるのです。夜、可児市の選挙事務所に向かうため、玄関を出てからいったん家に戻ってネクタイを赤に替えました。赤いネクタイは勝負ネクタイでもあります。議会質問のときなど勝負がかかったときは必ず赤です。リーフレットでも赤のネクタイをしています。理由は「アメリカ民主党の政治家の勝負ネクタイにならって」と説明しています。

可児市長選は50%と低い投票率でした。午後から雨が降ったこともあります。県幹部同士の選挙、とだけクローズアップされがちだったのかも知れません。投票率の低いことは後日考えるとして、投票率が低いと向こうが有利と見られていたからです。
それでも結果を出しました!

<中日新聞>
岐阜県可児市長選は24日投開票され、無所属新人で元県総務部長の冨田成輝氏(57)=民主推薦=が、無所属新人で元県ぎふ清流国体推進局長の近藤登氏(56)を破り初当選した。当日有権者数は7万6750人。投票率は50・53%で、前回の50・85%をわずかに下回った。
現職で4期目の山田豊市長(78)が引退を表明し、16年ぶりに10万人都市の新たなかじ取り役を決める選挙。冨田氏は「直接市民と接しながらまちづくりを進めたい」と9月上旬に正式に出馬表明。「市民が主役の市政」を掲げ、民主や連合岐阜、自民系の一部市議の支援を受けた。
政策では、情報公開の徹底や市民目線でのムダ削減のほか、「高齢者福祉は社会の根幹」と介護の充実などを訴え、自民系の市議会最大会派「誠颯(せいふう)会」や山田市長の応援を受けた近藤氏を退けた。

 ◇可児市長選確定得票
当 21,948 冨田成輝 無新<1> =民
   16,412 近藤登  無新 





ブログでも紹介してきたように、地元岐阜市の活動の傍ら、可児市に何度か入り、本当に微力ですが応援を続けてきました。
ちょうど一年前の視察で、夕食を終えて宿に帰りがてら冨田さんから可児市に対する思いを聞いて、「そういうことになれば応援する!」と約束をしました。思えば、私の一年目、議会質問に対し、迅速に対応してくれたこと、県立病院の経営形態見直しなどについて議会での応酬、ときには緊張をはらむようなこともありました。私のまだ少しの議会活動のなかで一番関わりのあった幹部だったかも知れません。
県職員もいろいろな思いがあったことでしょう。が、互いに究極的な思いは地域をよくすることであるとして推薦を出したのです。敗れた近藤さんも優秀な方ですし、当然苦楽を共にした人もいるわけです。でも選挙は勝たないと理想に近づけないのですから、みな頑張りました。
仲間が日々応援に入っていること、そして可児市は今井先輩の地盤であることも、私がやらねばならない理由でした。

しかし、感無量です。

ちなみに、あすから三日間(27日まで)、佐賀県と大分県に厚生環境委員会の視察に行ってます。視察箇所は、佐賀県立病院(岐阜県立三病院と同様今年4月に独立行政法人化)、産廃処理施設、障がい者福祉施設、環境配慮型の大規模食品工場などです。





農業フェスティバル

2010年10月24日 00時03分37秒 | その他
岐阜県の農業フェスティバルは毎年恒例のものとしては県内有数の集客イベントでしょう。きょうとあす、県庁前広場などで開催されます。きょうは午前中、お邪魔しましたが、相変わらず大変な賑わいでした。出展者などにはお世話になっている人も多く、毎年行くのですがいいイベントだと思います。農業や県産品のPRもさることながら、県内の森林や林業について子どもも学ぶことが出来るのがいいです。岐阜市はじめ都市部の人々も、森林の持つ機能に理解をもっと深め、林業の現状と将来を考える機会はまだまだ少ないと思いますので。

写真はデジカメが不調で撮れませんでした。

きょうは本当に慌ただしく、あいさつ回りを済ませてフェスティバル会場をあとにして可児市に入り、市長選最後のテコ入れ。夕方、岐阜に戻って支援者たちとジャズコンサートへ。楽屋でもあいさつをさせてもらいました。

「維新」

2010年10月21日 21時55分42秒 | Weblog

私自身のキャッチフレーズを考えていました。「NHK大河ドラマ『龍馬伝』もやっていることだし、名前にちなんで『維新』という言葉を入れたらどうか」という意見が出ました。「維新」という言葉は政治家が好きな言葉です。「剛腕維新」という著作がありました。最近では「大阪維新の会」が話題になっています。いままで自分では意識して使っていなかった言葉ですが、せっかくなのでどんどん使おうかなと思っています。
「維新」という言葉の出典は中国の古典、四書五経のひとつ「詩経」の「大雅・文王」の一節に由来します。

「文王之什」  

文王在上、於昭于天。
周雖舊邦、其命維新。
有周不顯、帝命不時。
文王陟降、在帝左右。
 
文王: 亹亹文王、令聞不已。
陳錫哉周、侯文王孫子。
文王孫子、本支百世。
凡周之士、不顯亦世。

文王: 世之不顯、厥猶翼翼。
思皇多士、生此王國。
王國克生、維周之。
濟濟多士、文王以寧

この第一節にある「周雖舊邦、其命維新(周は古き邦といえども、其の命維れ新たなり)」が由来です。私の名前が「まさひさ」でなく「これひさ」と言われるのは「維れ」が「これ」と読まれるからです。周というのはいまから3000年余り前の中国の古代王朝で儒学の祖・孔子が理想とした国家です。古くからある国の周に新たな天命(あるいは民意)が降りて政権が代わった、ということで、全く新しい国・権力が政権を獲得した所謂「革命(天命が革る・かわる)」に比べて穏やかなことから、どちらかというと保守的政治家に好まれる言葉ですね。
ちなみに周という国はいまの西安(長安)に都を置いたのですが、発祥の地は「岐山」の麓にあった「周原」ということです。この「岐山」は「岐阜」の地名の由来になっている。そんな訳で私は名前からして岐阜と縁があるんだ、という話を、前回の自分の選挙のときに古典を紐解いて話をしたら「何を小難しいことを言ってんだ」と怒られたことがあります(汗

キャッチフレーズというのは明瞭で、力強く、志がこもっていることが望ましい。何とか「維新」を使ってうまく考えてみます。
他の人が「維新」と言っても「それ、太田の名前だな」ということにもなりますね。


大会の季節

2010年10月15日 16時13分41秒 | その他
この時期、労働組合の大会が相次ぎます。応援していただいている労組の大会に出席させてもらっています。先週末はUIゼンセン、きのうはヘルパーの労組と続き、きょうは県立病院労働組合の定期大会でした。



こちらは来賓ではないですね。

午後からは県職連合の大会でした。こちらは労働界のほか、私含めた県議会議員、国会議員秘書など多くの来賓が来ていました。

旧岐阜県庁舎の見学会(イカス旧県庁舎を活かす)

2010年10月15日 01時18分24秒 | まちづくり
この荘厳な階段、豪華な会議室は国会議事堂ではないのです。




岐阜市司町の旧岐阜県庁、いまの岐阜総合庁舎の正面部分にあります。設計したのは大垣出身の建築家で国会議事堂も設計した人だとか。昭和初期の行政建築物の特徴をいまに残している貴重な建築物です。
旧岐阜県庁を残し活用してゆこうという取り組みは8月にブログで伝えました。きょうは一般市民による見学会が開かれました。旧県庁は岐阜市民でも特別な用事がないと内部を見た人は少ないと思います。また耐震性が低いため、一般の公開は限られています(でも耐震性に問題があるこの庁舎で日常的に仕事をしている人たちが大勢いて、庁舎自体何とかしないといけないのですが)。今日は庁舎管理の責任者にあたる副局長が立ち会ってくださいました。
いつも繰り返しですが、こうした価値のあるものを残したいけど県財政はひっ迫している。岐阜市もお金がかかるものを押しつけられるのはかなわない。いまの段階では、この旧県庁舎をどうするか、県や市に尋ねてもいい返答が出てこないというのが実情です。だからこそ、市民で金はなくても知恵は出すという取り組みをしてゆこうと考えています。

一般質問の感想

2010年10月10日 00時30分56秒 | 県政全般
県議会の第4回定例会一般質問がきのうで終わりました。前回の第3回定例会で代表質問を行った私は、今回は質問の順番ではありませんでした。そういったときに限って、取り上げたい課題があるものです。しかし、会派で活動をしているので、よほど「今やらなければ」という理由がない限り、順番を守るべきかも知れません。委員会の担当分野の課題ならば、委員会で審議しています。
でも、自分が議会以外の活動で汗をかいているテーマを他の議員に質問されると悔しいものです。功名心とかの問題ではなく。何のことかはいつもブログをご覧になっている方はわかるでしょう。特に県職員の方は。

さて、今回の議会では、7月15日のゲリラ豪雨による災害の検証と生物多様性地域戦略を取り上げた質問が多かったのが特徴です。
特に災害については、尊い人命が失われていることもあり、議員からの意見を参考にして災害に強い岐阜県づくりに更に取り組んでいただきたいと思います。特別委員会では私も課題を指摘しました(先日のブログを参照してください)。引き続き検証と提案を続けてゆく積りです。
生物多様性地域戦略については名古屋市でCOP10が開かれることもあるのでしょう。これについての質問はちょうど二年前に私が初めて行いました(功名心)。ただ、先進県の千葉県の議員から聞いたことがあるのですが、どうも作ったはいいが・・・ということになっているらしいです。生物多様性地域戦略とは、生物多様性のある環境の継続的な利用可能を目指すものでもあるので、この戦略が県土利用計画や基盤整備の計画などの基礎になるべきだと考えています。そうした観点はまだ少ないでしょう。

一般質問三日目は思ったより早く終わったので、高山市に向かい、たいへんお世話になっている方のご家族のお通夜に間に合いました。謹んでご冥福をお祈りします。
帰りに久し振りにせせらぎ街道を通りましたが、夜遅い時間だと高速でなくても使い勝手がいいですね。濃飛トンネルも無料になったし。せせらぎ街道は思い出が多いので、見直されて欲しいものです。西ウレ峠の紅葉はもうすぐだと思います。

功名心

2010年10月09日 22時24分41秒 | その他

捜査対象に、捜査情報を伝える。あり得ないし、あってはならないことだろうけど、さもありなん、という思いも実はします。報道によれば、この記者は「手柄になると思った」と話しているそうです。

「情報漏えいのNHK記者『手柄になるかもと考えた』」
朝日新聞 2010年10月9日15時0分
   
NHKの報道局スポーツ部の記者が今年7月、大相撲の野球賭博問題で警視庁が家宅捜索に乗り出すとの情報を捜査対象の親方にメールで送っていた問題で、この記者がNHKの内部調査に対し、「メールを送った相手側から家宅捜索の情報がとれれば手柄になるかもと考えた」と話していることが分かった。
NHK関係者によると、記者は7月6日夕、NHKが大相撲名古屋場所の中継を見送ったことを知り、東京・国技館に取材に行った。そこで知り合いのスポーツ紙の記者から「明日、相撲協会に対して警察の捜査が行われるようだ」と耳にしたという。 旧知の時津風親方(元幕内時津海)に電話をしたがつながらず、7日午前0時ごろ、「明日、賭博関連で数カ所に警察の捜索が入るようです。ガセ情報だったらすいません。他言無用でお願いします」などとするメールを携帯電話から送った。
NHKの内部調査に対して記者は、親方にメールを送った動機について「家宅捜索についての情報が入っているかもしれない。ひょっとしたら捜索の情報が確認できるかもしれないと思った」などと話しているという。
NHK関係者によると、NHKは当時、警視庁の一斉捜索が近く行われる公算が大きいと見ていた。だが、具体的な日時などの情報はつかんでいなかったという。NHKは記者会見で「この記者は捜査情報を知る立場になかった」と説明している。
実際の家宅捜索は7日朝、警視庁組織犯罪対策3課が、賭博にかかわったことを自己申告した力士らが所属する相撲部屋などを対象に賭博開帳図利容疑で行った。

ネタ元、あるいは事件の当事者に食い込み、特ダネ・独自ネタをとるのが記者の手腕。食い込むために、この記者は情報提供をしたのでしょう。情報提供、あるいは情報交換は普通のことですが、やってはならない情報を提供してしまった。やってはいけない、ということについての判断が出来なかったということです。功名心に逆らえなかったのでしょう。
恐らく、他の報道機関でも多かれ少なかれ共通すると思うのですが、NHKでは特ダネをとることが非常に高く評価されます。いわゆる全中、つまり全国放送で、しかも朝、昼、夜7時のニュースの一番最初で特ダネを飾ることができれば表彰ものです。明らかにされていなかった問題や事件を暴く、あるいは不正を糾弾する特ダネは社会的に意味があり、NHKではそうしたニュースも非常に多くあるのですが、他の社より早く報道する競争に意味がどれほどあるのでしょうか(いわゆる選挙の当確打ちも同じです)。つまり、社内の記者同士の競争(出世であったり、希望する部署への異動であったり)の判断材料として、特ダネ・独自ネタをとれるという観点で技量を見るのです。そしてその傾向は年々強くなりました。社内競争があるのは企業では当然です。しかし、報道は、NHKに限りませんが公共性を帯びている。人事について、競争以外の判断基準も重視しないと、コンプライアンスとか報道倫理とかいったものはますます顧みられなくなってしまうでしょう。そして記事の中にも、世の中を驚かせるようなことはないものの、じっくりと考えさせるような記事や地域社会のささやかな人のつながりを紹介し応援するような記事は記者の仕事ではなくなることでしょう。