道三の城
鷺山城🏯から
信長の城
金華山 岐阜城を望む。
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鷺山城址
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長良川を挟んで南岸の金華山と対称的な位置にある。
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岐阜市より本巣郡へ入る途中にあるこの鷺山は高くはないが、標高六八メートル、周辺の平地の中では唯一の高地である。
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「美濃明細記」には分治の頃、佐竹常陸介秀義が居住したとある。秀義は新羅三郎義光四代の孫、佐竹常陸介隆義の子で、美濃国山田郷に地頭職を与えられていた。秀義以後の鷺山城は明瞭ではないが、戦国期に入ると最後の美濃守護となった土岐頼芸が一時居城とし、斎藤道三もまた隠居所とした。
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天文一七年(一五四八)斎藤規秀(道三)は稲葉山城(金華山上の岐阜城)を子義竜に譲り、みずからは鷺山城に隠居し道三と号した。義竜は道三の実子ではなく土岐頼芸の子であることを日根野弘就、武井助直らに知らされ、父頼芸を迫った道三を恨み、父子は離叛した。弘治元年(一五五五)義竜は道三が自分の代わりに、跡を継がせようとした二人の弟(孫四郎、喜平次)を殺した。道三は山県郡北野城(岐阜市三輪)の鷺見氏の城に逃れた。
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翌弘治二 年(一五五六)再び道三と義竜の軍は長良川で戦ったが、祟福寺の門前で、道三は討死した。道三の死後、鷺山城は廃されたこの頂上が城で城址を示す遺構は残っていない。道三の隠居所は山の東南山麓にあった。
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隠居所には長良川の水を引いて庭園が造られていたといわれるが山頂同様に遺構はない。織田信長の正室は道三の娘である。道三が東濃の豪族、長山城主(現可児市)明智光継の娘小見の方と結婚し、天文四年(一五三五)女子を出産この姫が信長に嫁した濃姫(通称美濃姫、本名は帰蝶)である。
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母娘は鷺山城に住んでいたので、古書には「鷺山殿」とも書かれている。また、明智光継の嫡子光綱の子息は後の明智日向守光秀であり、弘治二年明智氏の居城が義竜勢に攻められて一族滅亡の時城を逃れ出て諸国を流浪後、信長に登用された。
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