麒麟が来る
第17回
長良川の対決
叔父の光安同様、十兵衛も道三についていく事を決心し、伝吾たちを連れて道三が向かった鶴山へ馬を走らせます。
帰蝶は、道三が高政に負けるものと思って、事前に越前へ逃げれるよう手配したにも関わらず、道三はそれを拒否した事で、すっかり呆れ果てていました。
そんな帰蝶とは違い、信長は作戦次第でまだ何とかなると考え、道三に援軍を出します。
長良川を挟んで、道三軍と高政軍は今にも戦いの火蓋が切られようとしていました。
そんな中、高政は十兵衛が参陣していない事に気づきます。
道三の方へ寝返ったのだろう。という言葉を稲葉から聞いた途端、高政は怒りが込み上げるのでした。
左 右
道三 高政
すると、そこへ信長の軍勢が道三を援護する為、こちらへ向かっているという一報が入ります。
それを聞いた高政は、信長が合流する前に道三軍を潰そうと、早朝、川を渡って先陣を切るのです。
どんどん追い込まれる道三軍。
高政軍が優勢となっていくにつれ、道三の兵達は、次々と引き上げていきますが、道三は槍を手に、高政めがけて馬を走らせたのでした。
道三と高政の戦いが終わり、十兵衛は明智家に戻ってきます。
光安の無事を確認したのもつかの間、伝吾から高政の軍勢が明智家に向かっている事を知らされのでした。
長良川の戦い
長良川の戦いは、子・義龍有利で始まりました。
義龍の軍は一説によれば道三の10倍ほどあったといわれます。すでに道三から義龍へ家督相続した後であり、道三が成り上がった経緯が経緯なので、求心力がなかったのが敗因のひとつです。
所詮、主君・頼芸を裏切って下剋上で成り上がった道三。義龍は道三の味方をしそうな者たちの平定も進めていました。
美濃国内には土岐氏に仕えていた旧臣たちも大勢います。このとき、義龍に頼芸の落胤のうわさがあったとしたら、正当な美濃国主の出身として彼に味方する者は多く、有利に動いたのではないでしょうか。
始まる前から結果はわかっていた戦い。4月18日、道三は鶴山に陣を張り、緒戦を有利に進めますが、乱戦の末、数日も経たないうちに義龍の勝利で幕を閉じます。
道三討ち死に
『信長公記』によれば、道三は討ち取られた際、長井道勝に鼻をそぎ落とされたと伝わっています。生け捕りにする予定でしたが、小牧源太が勢いのままに脛を薙ぎ払って道三の首を落としてしまったため、証拠として鼻を持ち帰ったといいます。
道三塚
この戦には道三の娘婿(帰蝶の夫)である信長も兵を出しましたが、間に合うことなく終わってしまいました。
ちなみに、この戦で道三に味方したという説があるのが明智氏です。光秀はこの戦で居城の明智城を追われ、長い牢人生活に突入することになったとか。
道三の敗因は、山から下りて長良川を渡って合戦に踏み切ったこと。山の要害にドンと構えていればまだしばらくは持ちこたえていたかもしれません。また、一番大きな敗因は「身から出た錆」でしょうか。道三に味方する者がほとんどいませんでした。