ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「犬がいた季節」

2021年01月05日 | 書籍関連

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或る日、高校に迷い込んだ子犬。生徒と学校生活を送って行く中で、其の瞳に映った物とは。

最後の共通一次。自分の全力をぶつけ様と決心する。18歳の本気。

鈴鹿で、アイルトン・セナの激走に心通わせる2人。18歳の友情。

阪神・路大震災地下鉄サリン事件を通し、進路のを切る。18歳の決意。

スピッツの「スカーレット」を胸に、新たな世界へ。18歳の出発。

ノストラダムスの大予言。世界が滅亡するなら、先生はどうする?18歳の恋。

12年間、高校で暮らした犬・コーシローが触れて来た、数々の18歳の想い。
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伊吹有喜さんの小説犬がいた季節」は、「1988年、進学校・八稜高校の美術部に、1匹の捨て犬が迷い込んで来た。美術部の椅子に座り込んでいる所を見つけられた其の犬は、席の主・早瀬光司郎(はやせ こうしろう)の名前に因んで“コーシロー”と名付けられ、校内で飼われる事に。コーシローの面倒を見る生徒達が『コーシローの世話をする会』、通称『コーシロー会』を立ち上げ、以降、『其の年の代表者は、5年間使える日誌にコータローとの思い出を書き続け、卒業式が終わったら、何か一言を書く。』という伝統が出来た。」というストーリー展開。

此の作品は、6つの短編小説で構成されている。第1話「めぐる潮の音」は、昭和63年度卒業生(1988年4月~1989年3月)の姿を描いており、絵が非常に上手い早瀬光司郎とパン屋の娘・塩見優花(しおみ ゆうか)という2人の生徒が主人公。互いに恋心を持ち乍らも口に出せない2人のもどかしさや進路に悩む姿に、もうウン十年も前となってしまった自分の高校時代の思い出が重なる。

第2話は平成3年度卒業生(1991年4月~1992年3月)、第3話は平成6年度卒業生(1994年4月~1995年3月)、第4話は平成9年度卒業生(1997年4月~1998年3月)、第5話は平成11年度卒業生(1999年4月~2000年3月)の姿が描かれ、そして最終話は令和元年(2019年)夏という設定。詰まり、「昭和→平成→令和」という3つの時代が舞台となっており、高校3年生だった光司郎と優花が“アラフォー”になった状況で終わる物語。現役高校生達とOB達が、コータローを通じて結び付いて行き、彼等が言えない思いをコータローが“代弁”している。

当たり前の話だが、命は有限で在る。人だろうが犬だろうが、命の尽きる時が来る。高校3年生だった者達の前にも、悲しい現実が待ち構えている。

又、生きて行く上で、人は紆余曲折を経る。18歳だった頃には予想もしなかった出来事が、次々と起こって行くのが人生だ。自分もそうだったし、光司郎や優花、そして作品に登場する他の18歳達もそうだろう。喜怒哀楽、様々な感情に包まれて、生きて行くのだ。自分が経て来た日々を重ね合わせ、ほろりとした思いになったり、切なさや悲しみで何度も目頭が熱くなった。

1969年生まれの伊吹さんは、自分と同世代。だから、作品内で触れられる“時代時代の出来事”に、「そういう時代だったなあ・・・。」という懐かしさが在る。(「スピッツは元々、パンク・ロックのグループだった。」というのを初めて知り、「へー。」と驚かされたが。)

山本周五郎賞直木賞吉川英治文学新人賞等、名だたる文学賞の候補となって来た伊吹作品。残念な事に受賞には到らなかったけれど、今回の「犬がいた季節」は間違い無く“大きな賞”を取る事だろう。候補になれば、直木賞や本屋大賞を受賞する可能性は充分在ると思っている。

総合評価は、星4.5個とする。


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