当ブログでは過去に、阿久悠氏や松任谷由実さん、中島みゆきさん、岩谷時子さん、小林亜星氏、古関裕而氏、平尾昌晃氏、いずみたく氏、渡辺宙明氏、菊池俊輔氏、冬木透氏、千家和也氏、筒美京平氏、松本隆氏、なかにし礼氏、古賀政男氏、服部良一氏、そして川内康範氏と、“昭和の歌謡界”を牽引した天才的な作詞家&作曲家を取り上げて来た。今回は和製ポップスの開拓者の1人でも在る宮川泰氏の作品から、ベスト10を選んでみたい。
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「宮川泰作品ベスト10」
1位; 「『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』OP曲」【動画】
2位: 「銀色の道」【動画】
3位; 「宇宙戦艦ヤマト」【動画】
4位: 「ウナ・セラ・ディ東京」【動画】
5位: 「恋のバカンス」【動画】
6位: 「カリキュラマシーンのテーマ」【動画】
7位: 「シャボン玉ホリデー」【動画】
8位: 「ふりむかないで」【動画】
9位: 「逢いたくて逢いたくて」【動画】
10位:「ウンジャラゲ」【歌】 / 「『ズームイン!!朝!』のOP曲」【曲】
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1969年10月7日から1970年3月31日迄、そして1970年10月6日から1971年3月30日迄、日本テレビ系列で放送されていたヴァラエティー番組「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」。放送された期間は併せて「約1年」という短さが意外な程、面白い番組だった。毎回、約1時間半の放送時間内に、150本近くのショート・コントを詰め込み、矢継ぎ早に見せて行くというスタイルは非常に斬新で、「後のヴァラエティー番組に、多大な影響を与えた。」と言われている。
上記したOPの動画を見ると、出演している中に物故者がとても多い。50年以上前の番組なのだから、仕方無い事なのだろうが、凄いのは此のOP曲の“現役感”。CMやTV番組のBGM等に使われ続け、日本音楽著作権協会(JASRAC)の著作権使用料分配額(国内作品)ランキングでは、2008年度~2011年度は年間10位、2012年度は年間7位を獲得しているのだ。 (平成元年から平成31年迄の国内作品分配額ランキングでは47位。)くどい様だが、50年以上前に作られた曲がで在る。そんなにも経っているのに古びる事無く、“今”も聞かれ続けているのは、本当に凄い事。*1
「巨泉×前武ゲバゲバ90分」と似た雰囲気を持つ「カリキュラマシーン」も、子供の頃良く見ていた番組。此のOP曲「カリキュラマシーンのテーマ」も現役感が在り、(自分は見ていないのだが)ヴァラエティー番組「チコちゃんに叱られる!」のOP曲【曲】として使われているそうだ。
又、今回初めて知ったのだが、「JRA関西地区ファンファーレ(阪神競馬場[宝塚記念を除く。]、京都競馬場、中京競馬場[中京はG1競走のみ。]」【曲】も宮川作品なのだとか。
*1 6年前に開催された陸上自衛隊の第12音楽隊の定期演奏会でも、「『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』のOP曲」が演奏された【動画】と言う。
giants-55さんが挙げられているベストテン、2位から9位までは、どれも好きな曲ばかりで納得です。
しかしビックリしたのが1位の「巨泉×前武ゲバゲバ90分!のOP曲。この番組、私もよく見てましたが、あの曲が宮川さんの作曲だったとはまったく知りませんでした。耳に馴染んで、その後もいろんな所でよく聞きましたね。
10位のクレージーキャッツの「ウンジャラゲ」も宮川さんだったのですね。wikipediaで作品リスト見てたら、植木等の「シビレ節」も宮川さん作曲。映画の「ニッポン無責任野郎」以降のクレージー映画もほとんど宮川さんが音楽を担当してますし、結構クレージーキャッツとの仕事が多いのも意外でした。
宮川さんの音楽界に残した功績は計り知れませんね。
特に素晴らしいのが「恋のバカンス」。私は当時これを聴いて、てっきり外国の曲のカヴァー盤だとばかり思ってました。それくらい日本離れした、ジャズ的なフィーリングの曲でした。これはやはり、宮川さん自身の編曲の力も大きいと思います(第5回日本レコード大賞編曲賞受賞)。いわゆる(洋楽的な雰囲気を持つという意味での)“和製ポップス”のさきがけとも言えるでしょう。
もう一つ素晴らしいのが、「恋のフーガ」の編曲。これは作曲はすぎやまこういちさんですが、宮川さんはイントロにティンパニーの連打を入れるという大胆な編曲を行い、これが見事成功して大ヒットとなりました。すぎやまさんは宮川さんの見事な編曲に敬意を表し、自分の印税の一部を宮川さんに渡したそうです(笑)。
ザ・ピーナッツが世界的に有名なデュオとして活躍出来たのも、宮川さんの功績と言えるでしょう。
wikipedia読んでて驚いたのが、『シャボン玉ホリデー』の音楽担当時、ハナ肇からクレージーキャッツに誘われ、本人もその気になったというくだり。これは多分、'60年にピアノ担当の石橋エータローが結核で離脱した時、代わりのピアニストとして宮川さんに白羽の矢が立ったものと思われます。その時は渡辺晋夫妻が反対してこの話はなくなったそうですが、もし宮川さんが本当にクレージーに加入してたら、日本のポップス音楽界の歴史は変わっていたかも知れませんね(なお結局石橋さんの代わりに加入したのが桜井センリさん)。
それにしても、宮川さんがハナ肇さんに金ダライでどつかれるシーン、見たかった気がします(笑)。
「『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』のOP曲」、此の作品を宮川氏が手掛けた事を知ったのは、社会人になって以降でした。「落ち込んでいても、気分を高揚させてくれる。」という名曲。
「新しい感覚を取り入れ、日本の音楽界を大きく変えた。」というのは、服部良一氏もそうでしたね。既成概念に捉われていたならば、恐らくは生み出せなかった事でしょう。
「ザ・ドリフターズ」の初期メンバーには、坂本九氏や小野ヤスシ氏が居たそうです。坂本九氏が在籍し続けたら、恐らくドリフはコメディー路線には行かず、従来通りのバンドという形で進んでいた様に思います。
又、長さんと喧嘩別れしたと言われている小野ヤスシ氏がドリフに在籍し続けていたならば、コメディー路線に進む事は在っても、我々が知るドリフのテイストとは異なっていた事でしょう。
「荒井注氏が脱退しなかったら、又は志村けん氏がメンバーにならなかったら。」、同様に我々が知るドリフとは違っていた筈。運命という物を強く感じる訳ですが、クレージーキャッツに宮川氏が参加していたら・・・どういう化学反応を起こしていた事か。リアル・タイムではクレージーキャッツを知らない世代ですが、想像すると、ワクワクします。