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「ゆるキャン△」に登場しない大井川鐡道を巡る その7 蒸気機関車の部品類 下

2024年03月05日 | ゆるキャン△

 大代川側線のヤード内にレールと一緒に並べてあった、三つの運転席の部品を見ました。いずれも修理またはレストア中の機関車のそれのようでしたが、北側の上図の運転席は、機関車のナンバーが側面にチョーク書きされていました。

 

 御覧のように、C56-135と読めます。C56形135号機です。かつて兵庫県加東市の播磨中央公園に静態保存されていた機関車で、令和3年に大井川鐵道へ譲渡され、令和4年に搬入されて動態復元を目指してのクラウドファンディングが実施されています。

 動態復元へのレストア工事期間は令和5年1月から令和7年12月までの予定であるそうですが、私が訪れたのは令和5年11月ですから、既にレストア作業が進行しているようでした。だから運転席が外されて置かれていたわけです。

 

 C56形135号機の運転席の内部を見ました。内部の配管や小機器が付いたままになっています。子供の頃、父が蒸気機関車の製造法について簡単に教えてくれましたが、確か、おおまかには台車と動輪とボイラーと運転席と石炭庫と水タンクの6つの部品に分かれていて、これらを組み合わせたら機関車が出来上がる、という内容だったと思います。

 

 なので、上図の運転室内の様々な小部品も、運転席という一つのユニットの構築パーツとしてセットで組み付けられているのだろうな、と思いました。

 

 運転席の底部はありませんでした。車台が床面にあたるので、そこに運転席をかぶせてセットするわけです。

 大井川鐡道には現時点で千頭駅にC56形44号機がいて、これはジェームスに扮したままで静態保存状態になっています。現時点では公式サイトで「ただいま運行しておりません」とあって、未だに動態扱いになっていますので、今回C56形135号機を導入してレストアすることで、C56形44号機の後継機として営業運転させる計画がある、ということなのかもしれません。

 ちなみにC56形44号機は、大井川鐡道が保有する蒸気機関車のなかで唯一、Nゲージでの商品化がなされていません。その理由は、太平洋戦争中にタイ・ビルマ方面へ送られて戦時輸送に使われ、戦後はタイ国鉄に供与されてあちらの仕様になっていて、そのまま帰国して昭和54年に大井川鐡道に引き取られており、日本の通常のC56形とは各所で形状がことなるから、とされています。目立つのが運転席の屋根の形状、石炭庫のサイドの形状ですが、あとは日本の仕様に戻されていると聞きます。

 なので、C56形135号機が復活すれば、こちらは純然たる日本の仕様ですから、C11形190号機と同じように復活記念のNゲージ製品が発売されるものと予想しています。出たら、必ず買います。

 

 中央の運転席はトーマス用のものでした。C11形の運転席なので、おそらくC11形227号機の部品でしょう。

 

 南側の運転席もC11形の運転席でした。こちらはナンバーのチョーク書きが見当たりませんでした。この時点で修理中なのはC11形227号機の他は、令和5年に富山県高岡市から搬入されたC11形217号機がありますから、トーマス用の青い運転席がC11形227号機のものであれば、こちらはC11形217号機のものである可能性が高いです。

 

 中央の運転席の内部を見ました。トーマス用の青い運転席です。

 南側のの運転席の内部を見ました。天井が白く塗られていますので、令和5年まで富山県高岡市で静態保存されてきたC11形217号機じゃないかな、と思います。

 

 中央の運転席の内部には何らかの操作ハンドルやレバーが付いたままになっていました。

 

 レールの横に置かれていた、大きな台形の部品です。何の部品かは分かりませんでしたが、並べ方からみて2個でワンセットのような雰囲気がありました。

 

 これも何の部品なのか全然分かりませんでした。ここまで見て、ふと時計を見ると早くも30分余りが経過していました。蒸気機関車の数多くの部品を間近に見るのが面白過ぎて、しばらく時の経つのを忘れていたのでした。
 それで、大代川側線の車輛のほうを見に行くことにしました。  (続く)

 

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