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「ゆるキャン△」に登場しない大井川鐡道を巡る その15 客車6号車から1号車と補機

2024年03月30日 | ゆるキャン△

 SL急行かわね路号の出発時刻までまだ間があったので、私が乗る客車7号車以外の客車も一通り見てゆきました。上図は6号車です。

 

 6号車の車体側面のプレートと車番表記です。オハ35形の559号車と分かります。プレートは他の客車とは異なって吊り下げタイプです。

 オハ35形は、国鉄オハ35系列客車の中心的存在となる三等車です。戦前の昭和十四年(1939)から戦後の昭和二十三年(1948)にかけて日本車輌、日立製作所、汽車製造、川崎車輛、近畿車輛、帝国車輛、新潟鐵工所、国鉄の小倉、大宮、大井、鷹取の各工場で合計1301輌が製造されており、時期により各種のバリエーションがあるそうです。

 大井川鐡道には8輌が譲渡され、うち1輌が車体の腐食劣化により平成二十八年に解体されています。あとの7輌はいまも健在です。上図のオハ35-559は戦前の製造分にあたり、昭和五十六年(1981)の譲渡分であるそうです。

 

 オハ35-559の車内です。天井以外の車内材は木を用いており、いかにも戦前の客車という雰囲気でした。

 

 天井の扇風機や室内灯も製造当初からの備品がそのまま維持されているそうですが、文化財的にみたら第一級の保存度です。長く使用していれば交換されている部品が、ずっと交換されないままですから、いかに大切に守られてメンテナンスも丁寧に継続されてきたかが分かります。
 こういうところに、大井川鐡道さんの丁寧かつ堅実なメンテナンスぶりがうかがえます。

 

 5号車の車体側面のプレートと車番表記です。オハフ33形の469号車と分かります。プレートは枠にスライドさせてはめ込む形式です。

 オハフ33形はオハ35形系列の一車種である三等緩急車です。戦前の昭和十四年(1939)から戦後の昭和二十三年(1948)にかけて、日本車輌、日立製作所、汽車製造、川崎車輛、田中車輛、帝国車輛、新潟鐵工所で合計606輌が製造されています。

 大井川鐡道に譲渡されたオハ35形8輌のうち、2輌がオハフ33形です。2輌とも戦前の製造分にあたり、大井川鐡道へは昭和五十一年(1976)に譲渡されています。車内は6号車のオハ35-559とほぼ同じですが、緩急車ですので、後位の出入台側にブレーキ弁のある車掌室が設置されています。

 

 オハフ33-469の後位の出入台側の車掌室の内部です。窓際の大きな丸い縦のハンドルがブレーキ弁です。

 

 そのまま車内通路を進んで4号車に入りました。4号車から車体色がオレンジ色に変わったので、これはきかんしゃトーマス列車でも使われてるアニー、クララベルのカラーの客車だな、と気付きました。

 

 4号車の車内です。さきに見てきたオハ35形系列とは違って、車内が明るくて近代的な雰囲気になっていました。近年の電車や気動車の車内とあまり変わらない感じで、これは戦後の客車だろうな、と思いました。

 

 いったん外に出て4号車の外観を確かめました。

 

 車体側面の中央に行ってみました。が、かわね路号のプレートのみで車番表記がありませんでした。そうか、トーマス号の客車は劇中のアニー、クララベルの仕様に合わせてあるから、車体色をオレンジ色にしただけではなく、文字も消してあるわけか、と理解しました。

 

 ならば妻面の目立たない所の車番表記は残されているだろう、車体検査上の必要な表記部分だから消してはいないだろう、と考えて見てみました。上図のようにちゃんとありました。下の車番表記まで撮れていなかったので上図では分かりませんが、スハフ42形の286号車でした。

 スハフ42形は、国鉄スハ43系客車の一車種で、スハ43形の緩急車版として製造された三等客車です。国鉄が昭和二十六年(1951)から昭和三十年(1955)にかけて製造した客車の形式群の一部にあたります。
 大井川鐡道には4輌が譲渡され、現在は4輌ともトーマス号の客車用としてオレンジ色に塗られています。

 

 続いて3号車に行きました。外観はさきに見たスハフ42-286と変わらないように思いました。

 

 妻面の車番表記を確かめると、オハ47形の512号車と分かりました。これもスハフ42形と同じく国鉄スハ43系客車の一車種です。なので、外観だけでなく車内も、さきに見たスハフ42-286と同じ雰囲気でした。

 大井川鐡道には4輌のオハ47形がありますが、後日川本氏に教えてもらったところによりますと、厳密にはオハ47形というのはオハ46形の台車を変更して軽量化したタイプで、このタイプは大井川鐡道にはオハ47-81の1輌しかない、ということでした。
 なので、上図のオハ47-512を含む3輌は、スハ43形の軽量化タイプのオハ46形を大井川鐡道への譲渡入線時に形式変更しただけ、ということでした。

 続く2号車も、オハ47-512と同じスハ43形軽量化タイプのオハ46形を形式変更した車輌で、側面の車番表記はオハ47-398でした。外観も車内もオハ47-512と同じでした。

 

 1号車に行きました。おや、車掌室の窓の四隅が丸いな、オハ47形とは違うのかな、と気付きました。

 

 妻面の車番表記を確かめると、スハフ42-184とありました。なるほどこれもスハフ42形か、と理解しました。さきに見た4号車のスハフ42-286と同じ車輌でした。

 

 反対側の妻面に残されている「日本国有鉄道」つまり国鉄の銘板です。こういうものもきちんと残してあるのが素晴らしいですね。

 国鉄が民営化されて現在のJRになったのは、昭和62年(1987)4月のことでした。当時の私は大学三回生でしたから、当時の各地での、さよなら国鉄・初めましてJR、等のイベント類の様子も見聞きしていました。20歳までは、私鉄以外の鉄道はみんな国鉄であるのが普通で、新幹線も国鉄だったのですから、その頃の記憶というのはなかなか消えないどころか、いまだに鮮やかな記憶の一部として残っています。

 なので、こういう国鉄の銘板を見ると、大学生の頃までの昔を思い出してしまいます。

 

 そして最後尾の補機は電気機関車のE31形34号機でした。この機関車は今までにも何度か見かけましたが、こんな近くで見るのは初めてでした。そしてこの機関車がこれから乗るSL急行かわね路号の補機を務めるのですから、親しみすら感じられてしまいました。

 ということで、この日のSL急行かわね路号の編成内容は、C10形8号機、スハフ43-2、オハ35-559、オハフ33-469、スハフ42-286、オハ47-512、オハ47-398、スハフ42-184、E31形34号機、という並びであることを確認しました。

 その際に気付いたのは、この機関車2輌と客車7輌の9輌編成列車を、自分の手元にあるNゲージ車輌でだいたい再現出来るかもしれない、ということでした。
 現時点ではオハ47形の2輌が手元にありませんが、これはトーマス客車シリーズのスハ43形の準同型車輌ですから、オハ47-512、オハ47-398の2輌はトーマス客車シリーズのスハ43形に置き換えれば、車体色はそのままでオーケーです。

 それで、今回の旅行から帰宅した翌日の夕食後に、NゲージでそのSL急行かわね路号の9輌編成列車を再現しました。ループ状のレイアウトを作り、C10形8号機を先頭にして走らせてみましたが、私よりも嫁さんのほうが大喜びでスマホで何枚も撮影し、モケジョ仲間にメールで送りつけていたのでした。  (続く)

 

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