ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

「ポリーナ、私を踊る」 バレリー・ミュラー アンジェラン・プレルジョカージュ

2019-02-14 07:19:17 | 映画


こういうバレエ映画が観たかった!というとあまりに雑ではあるのですが、案外こういうようなバレエダンサーもの(昔風にバレリーナもの、と言った方がわかりやすいかもですが)って映画にない気がするのですよ。

もちろん、アメリカのミュージカルダンサーものを入れると結構あるのかもですが、クラシック&コンテンポラリーバレエ映画というと良いものは少なくなってしまいます。
というのもバレエは舞台でバレエを観たほうが良いではないか、というのもあるかもしれないのですがそれでも単なるバレエそのものだけでなくバレエダンサーの物語を観てみたい、となると日本ならばもう山岸凉子のマンガを見るしかないし(あれ以上に素晴らしいバレエ物語が描ける人がいるだろうか、いるとするなら萩尾望都くらい)海外のなら映画というよりドキュメンタリーを見たほうが良い気がします。

本作はフランス映画で原作はバンドデシネだということで、なんだか納得する思いでした。冒頭辺りでまだ幼いポリーナの足を持って高く上げさせる場面があるのですが、そのポーズが山岸凉子「黒鳥」の中でミスターBがタニィという少女の足を持つポーズとそっくりに思えて(じつはそっくりではないのですが)どこかで関連があるのかしらと思ってしまいました。

ポリーナが天才少女として描かれるのではなくむしろ体は堅いし感情表現も上手くないのだけど次第にじっくりと才能を開花させていく、という筋立ても日本ではあまりないように思えます。日本物は天才が好きなのですよね。
貧しい生い立ちで特別に支援をもらえるようなことがあるわけでもなくむしろ親が危ない仕事にも手を出して娘を応援するしかない、という設定も共感します。

が、親元を離れ一人外国で生活していくもののホテル代もなくなり町を彷徨うポリーナが売春や麻薬などに陥ることもなくバレエを続けていく道を歩んで行けたのは危うい奇跡のようにも思えるのです。
荒んだ生活に陥りそうになったポリーナを「そんな君を見たくない」と言って早朝の散歩に誘うカールとの港でのダンスは彼女を救い出すものでした。


それにしてもヨーロッパのバレエを観て当たり前なのかもしれませんがいつも感じさせられるのはバレエにおいて「男女の愛」というテーマが常にあることです。
あの有名な「ボレロ」にしてもまさに男女の愛そのものの踊りでありますね。
「男女の性愛」と言った方がもっと良いのでしょうか。
そういった男女が互いを求め愛し合う、というテーマは日本でははっきり言って皆無、といっていいように思います。
私自身日本人なのでそういう感情というかテーマを心底理解できるとは思えませんがヨーロッパ特にフランスなどの国における男女の愛を描いた作品を観るとはっとさせられてしまいます。
バレエだけでなくフィギュアスケートでも映画でも男女の愛こそが根本にあるという意識を感じます。

ポリーナが師に教えられます。
「ただ美しいだけではなく自分自身を表現しなければならない」「あの二人には愛があるのがわかる(ポリーナにはそれがない)」
ただバレエの映画だというだけでないのです。

ラストはポリーナの顔が映し出され、森の中に鹿が入っていく美しい終わり方になっています。
森の中の鹿、というイメージはこれも西洋の映画では繰り返し表現されてきたものですね。
なにか素晴らしいものを見た、神の存在を感じた、という表現なのだと思います。


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