ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

鹿に出会う

2019-02-15 06:17:58 | 映画
欧米の映画を見ていると主人公が鹿に出会う、という場面があります。はっとするほど美しい場面であることが多いように思えます。

鹿は日本でも神聖な生き物、として見られているとは思いますが映画の中で西洋のものほど印象的に登場していることがあるのでしょうか。私が知っている限りでは「もののけ姫」だけのようです。

以下、ネタバレになるかもしれませんのでご注意を。





昨日見ました「ポリーナ、私を踊る」ではラストで主人公ポリーナが室内でバレエを踊るのですが美しい彼女のアップの後で森の中に立ち去る大きな角の鹿が映し出されます。
映画はそこで終わるのですが、なかなかバレエを上手く踊り切れずにいたポリーナが新しい出資者の前でパートナーと素晴らしいバレエ作品を作り上げて踊り切った後のいわばイメージ映像です。
それまで特に鹿が関係している映画ではないのですがポリーナはロシアの田舎の出身でしばしば森へ行っていたのですね。
森の中の鹿は、天才とは言い難いけど地道にバレエを続けてきたポリーナが成長したのだ、という比喩ではないでしょうか。
欧米の作品では「主人公の成長」というのが「鹿」によって表現されているように思えます。

ディズニーの「バンビ」では小さな少年だったバンビが立派な大人の鹿になります。「小鹿物語」では少年が小鹿を撃つことで大人になることが示されます。
スティーヴン・キング「スタンド・バイ・ミー」では主人公が冒険の旅の途中で鹿に出会い、このことは誰にも話すまい、と思います。
アメリカでは少年が鹿を撃つことで一人前になったとする通過儀礼もあることも思い出されます。

しかし「鹿を撃つ」ことができれば大人になれるわけではありません。
そういうような儀礼的なものではなく「鹿を見る」ことで「スタンド・バイ・ミー」の少年ゴーディは旅の途中で鹿を見て畏敬を感じ、バレエダンサー・ポリーナは「森の中に消える鹿」のような自由さを魂で感じたのです。

角のない小鹿が大きな角を持つことが成長の印と見えるのでしょうか。
鹿に自然と自由を思い重ねるのでしょうか。

日本ではあまり見受けられない「鹿が成長を表すイメージ」そこには自然の力、畏敬の念、そしてそこに神を感じているようにも思えます。
神を感じるのは東洋でも同じなのは面白いところです。

「鹿の登場=縁起が良い」というような表現が厳か、というより日本では古めかしくおかしく思ってしまうので映像にならないのかもしれません。
欧米の場合は鹿をもっとロマンチックに美しく思っているような気がします。
畏敬、というイメージでしょうか。



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