ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

「少女革命ウテナ」3分の一時点での考察 

2018-12-01 07:05:50 | アニメ


キャラクターについて、と考えていた時に「少女革命ウテナ」を偶然見始めたのは天啓というべきでしょうか。まったくこのアニメの内容を知らなかったのですが、これはまさしく物語に必然なキャラ設定の見本のような作品ですね(まだ見終わっていないですが)アマゾンプライムで鑑賞中です。

作品には見る人に訴えたいテーマがあります。それを表現するための物語があり、物語という織物を巧みに織り上げるためにキャラクターが存在する。キャラクターは物語を紡ぐ糸でそれは多すぎても少なすぎても美しく織り上げられないし見る人を感動させるためにはその色合い、配置が適切であるほど素晴らしい出来栄えとなるのですね。
ただしあまりにもその考えが生で出てしまうと見るものをしらけさせることになるのも難しいところです。

「少女革命ウテナ」というアニメはそういった必要不可欠のキャラで構築されている作品であるとビンビン判ってしまうのですが、そのあざとささえも利用しながら作られているというのが怖ろしいところですね。
まだまだ3分の一ほどしか見てないのでこれからの展開が楽しみです。


さてこれからネタバレあります。




監督の幾原邦彦氏のウィキ見たらば、まったく自分のアニメ鑑賞史と被っておらず残念無念の後悔でありました。というか「セーラームーン」が主になっているのでそれを見ていなければ無理ですね。
もちろん「セーラームーン」を知らないわけではありません。アニメを見ていた日本人で「セーラームーン」を知らない人がいるとは思えません。それほどの有名作品ですね。
確かに「セーラームーン」は戦う少女、という最初のインパクトを与えた作品です。そこからもう少女革命だったわけですね。

私は少女マンガを読んでなかったわけではないですが、どうしてもやや男性的な方へ傾きがちの嗜好を持っていたためにいかにも少女マンガらしい作品を選んでこなかったのですよね。
それは好き嫌いなので仕方ないのですがここに至って「ウテナ」を見てちょっと後悔もします。
放送当時に「ウテナ」に気づいたとしてもいかにも少女マンガ的な作画に抵抗を感じて見なかったのではとも思われます。

この世界に男女の別があって男性にとって女性とは何か、女性にとって女性とは何か?また少女とは何か?
いかにもな少女マンガデザインの作画さえもこの作品には意味があります。
女性にとって少女にとって王子様とはどういう存在なのか。
王子様を好きになり憧れて王子様そのものになりました、というウテナは間違っているのでしょうか?

ウテナがステキな少女であることに救われます。でもウテナがこんな綺麗な容姿とプロポーションと運動神経でなかったら?いやそういう作品もまた会ってよいのではないでしょうか。地味でかっこ悪い少女の王子様も。

3分の一段階でのアンシーの存在は不思議で謎すぎだしややもするとちょっと不気味ですらあるのですが、実際の少女というのはアンシーであることを求められ本人もそうあろうと努力してもいると思われます。
一方ナナミは少女マンガのイメージでよくある意地悪な少女ですね。でもアンシーに比べると見ていて可愛くもあるし、一途すぎてほろりともします。


でも一番共感してしまうのは主人公のウテナです。優しくて強い王子様に憧れ自分が王子様になろうと決意する。でも男性になろうとしているわけではなく出会った男性に王子様なのでは?と思って胸をときめかせる。自分自身はウテナにそっくりだったと思えます。たぶんそういう少女はたくさんいるのではないでしょうか。
先に書いたように現実はなかなかウテナのようにステキにはなれないのが悲しいですが。

少女ものに絶対登場のプチペット、学校やお城の美しい描写、キャラの綺麗なプロポーション、ありがちな数々のエピソード、真逆にあり得ないぶっ飛び展開の豪放さ、驚天動地の胸のすく演出、これは確かに名作と言われるべきアニメ作品だとこの時点ですでに確信しています。

創作をするためのキャラの立て方の勉強としても本作は凄く良いのではと思われます。



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