ふうてんの猫の猫耳東風的フリチベ生活

働きながら和製MBAと工学博士取得をしていた自称苦学生バックパッカーの日記。
今は学位もとって大阪で技術戦略考えてます

後味の悪い問題 眠れない夜

2005年05月29日 | 徒然なるまま(日々雑事)
こんばんわ。猫です。(あたりまえです。猫のblogですからw)

「代々木公園・テントの強制撤去」 都に申し立て

という一つ前のビッグイシューとホームレスで紹介した村上知奈美さんのblogや
ミッドナイト・ホームレス・ブルー Plus One
を読んだりして、眠れなくなってしまいました。

この記事、ちょっと気が滅入りますね。(それは後述)

ところで、上記のミッドナイト・ホームレス・ブルーを読む前に
博士が100人いる村を是非とも読んでください。かなりお勧めの創作童話です。(社会派として)

さて、みなさん、この創作童話を読みましたね。
感想はどうですか?


ここで書いてある100人の博士のうち、8人が自殺か行方不明という数字が、僕の中では違和感ないんですよね。
僕は研究職なのに、修士しかでていませんが、知人や同僚には博士がごろごろいるわけですが、
やっぱりこの数字に違和感がぜんぜんありません。なかには同僚の博士が「おれの同期8人の中にいるぅぅ」 と話すような状況です。

真相は明らかではありませんが、路上博士がblogで分析をしていてもぜんぜんおかしくない時代です。
なんて考えていると、この国の暗澹たる将来を考えずにはいられないわけです。

でも、何で眠れないかというと、最初にあげた村上さんのサイトのホームレスの強制撤去の話を読んで、僕は公園管理事務所の人に同情してしまったからです。
普通の人なら、きっと仕事としてもホームレスの強制退去なんてしたくないだろうし、きっと家に帰って布団に入っても、いやな思いを思い出したりしているんだろうな。
って考えてしまったからです。

記事を読むとプロ市民がホームレスと都との争いを煽ったのでは?という気もしないでもないのですが、いずれにしろ、ホームレスの方々と都の職員の方々の両方の人生を考えてしまいました。
排除されるがたにも排除する側にもそれぞれの人生があって、お互いに思うようにならないのだろうなってことです。
僕にはなぜか公務員の友人も多く、また、昔僕が愛した人は公務員だったし、僕が洒落で受けた政令指定都市上級にそのまま入っていたら・・・・と思うと、行政を行って矢面に立たされる下っ端の人にも同情を禁じえません。

例は極端かもしれませんが、ベトナム戦争にしろ、イラク戦争にしろアメリカ兵は世界から非難されるし、実際に僕はこの二つの戦争を清教徒の侵略戦争だと思いますが、帰還したアメリカ兵は、悪夢を見たり、薬や酒におぼれたり、社会生活に支障をきたしたりと、本当の当事者は大変な人生を歩んでいるようにも聞きます。(そしてアメリカ兵は食うにこまった人や、市民権が欲しいマイノリティーたちのような下層の人たちです)
そうすると戦争に反対しても無邪気にアメリカ兵を責める気にもなれません。

そんな世の中の大きな流れ、生きていく苦悩の波に翻弄される我々を嘆かずにはいられず、なんか眠れなくなってしまいました。
そんなに強く無い人が、さらに弱い人を叩かなければいけない、そういうのって、きっと本人も後味が凄く悪いだろうなと思うと悲しくなります。

でも僕のそういう悩みには、ラオスやビルマ、敬虔なイスラム国の人々の暮らしが、答えのヒントをくれそうな気がします。
まぁ、愚痴っていても仕方ないので、上で紹介したサイトの管理者の村上嬢と同姓の村上春樹氏が愛しるウイスキーの助けを借りてそろそろ眠りたいと思います。
でも、読む本は村上龍だったりするんだよなぁ(笑)

ビッグイシューやホームレス

2005年05月29日 | 政治・経済・社会現象
最近、私の(あまり更新されない)blogにビッグイシューなどの記事にTBをいただいていました。
☆ブログ版☆ 「東京ホームレス」 村上知奈美
というサイトからTBいただいていたのですが、きっと僕のblogを読んでくれる人なら、このサイトも好きになるのじゃないかと思います。よければ、この先を読む前に読んでみてください
(サイトの管理人さんは僕と年齢も近い上に、美人です < たぶん)

僕の場合は新宿都庁の前で売っている方から、ビジネススクールへ行く途中に購入するのですが、
授業前に買っていったりすると、「へぇビッグイシュー買っている人始めてみた」
と言われたりします。結構、みなさん、知ってはいるみたいですね。
(みんな買ってみてくださいね)

ただ、最近はあまり売っている時間に会えなかったので(今日もいなかった)先日は最近変えていなかった近刊3号分まとめて三冊買ってきました。
狭い我が家で一週間ぐらい放置プレイを受けたビッグイシューたちは、「家に置いておいても読む暇無いし、職場においておこう」という猫の試みにより、職場に運ばれていきました。(猫の小屋は狭いので、最近はやりの王子様のようなプレイをするほど広くないのこれぐらいが限界です。

以前は、職場で「ビッグイシューと陽気なホームレスの復活戦を貸し出していたこともあるのですが、今回は雑誌を共用机の上においておきました。

反応は上々のようです。


とここまでは、標準的なビッグイシューネタのblogだと思うのですが、では僕がビッグイシューやホームレスにすごく理解を示しているかというと実はそうでもないのです。ビッグイシューについて聞かれると少々居心地の悪さも感じるのもまた事実です。

フリーペーパーのR25とかと比べれば確かに中身もしっかりしているし、販売員の人たちのインタビューだけでも私は払う価値を見出しています。
でも、読者の声欄にあるような、幼稚なリベラルの匂いが、あちらこちらに漂ってくるこの雑誌はどうも苦手なのです。

僕がビッグイシューを高く評価しているのは、書評で以前blogに書いたように

私は誰でもホームレスのような不幸と困難を背負う可能性はあると思っています。
私は左翼的な人が言う奇麗事としてではなくて、本当に肌の感覚として、人の人生は一寸先は闇だと思っています。
自分が大学生時代に倒れた経験から強く感じられるのですが、一見順風に来ていても、ふとしたところで、道に穴が開いていたりするものです。
自分はきれいに生きているつもりでも、愛する人の死を防ぐことはできませんし、自分に起こる不幸も防ぎようはありません。

一見きれいに見える道を歩んでいたら、足元に大きな穴が口をあけて待っていて、落ちてしまうこともあるように思います。
ある種の福祉というのは、その穴に落ちた人に、上からご飯を投げ与えるようなものだと思います。
しかし、手に血をにじましても、その穴から抜け出したいと思う人たちに、ロープを垂らすような試みが、ビッグイシューだと思います。
上りきるのは大変だけど、今、この瞬間にも頑張って上っている人がいて、その人たちが躍動感ある文章で描かれています。
ビッグイシューを支える人、立ち直ろうと頑張る人、新しい仲間を支えるホームレスの販売員たちの等身大の姿が描かれています


という思いです。

心の弱いリベラリストはこういう問題を語るときに二言目には「日本という国は冷たい」と口にしますが、ホームレスの問題は、先進国、途上国を問わずに普遍的に存在しますし、日本も過去よりそういう事例は多々ありました。(乞食といういまは差別用語として、出版物に使えなくなった言葉の存在が示しているように、古くからある問題です。)
なのに、行政や政府、社会を批判して、自分を良き側に形式的においただけで、問題の思考を閉じてしまう人々。
たとえば、リベラリストたちが行政が悪いというなら、彼らにはホームレス全員に生活補助をするという公約を掲げた政治家を当選させて、法案を成立させその分を増税でまかなう覚悟があるのか?
そうした高福祉政策が、ホームレス化や無職化を仮に増加させてしまっても、必要なコストは労働者からの増税を繰り返す覚悟があるのか?
ないなら、いつ、どのタイミングで打ち切るべきかの議論をする用意はあるのか?
朝日新聞などを読みすぎるとこういうときには
「防衛費やイラクへの拠出をなくせば良い ← 決して中国へのODA削除とは言わない(笑)」
などというが、こうした拠出のうちいくらかは、確実に、日本が国際社会で生きていくために必要な経費です。

知性ある良識派を自負する我々は
問題があるとしてそれを解決するとすれば、誰がどのような責任と権限をもって、どういうコスト構造でそれを遂行するのか?
ということに大して、真摯に問うことが必要です。 
しかし、ボランティアなどをすることもなく単に行政を批判する連中にそんなものがあるとは思えない。

たとえば、炊き出しなどをするボランティアは「私が、私の可能な時間と費用で、私が出会う人の食事ぐらいは提供していける」という答えをだされているのかもしれませんし、その人の答えは真摯な問いの結果なのだと思います。
(しかし、そういう真摯な問いと、行政と戦いたいというブサヨの欲求の道具にホームレスなどを利用する悪しき意図とを我々は見極めなければいけない)

そして、ビッグイシューのような試みは、
「株式会社ビッグイシューが、会社として明確なコスト構造を持ち、販売員がトラブルを起こさないよう、可能な限りの責任をもって、ホームレスの自立を促す」
というわかりやすい理念を持っていると思います。

だから私はビッグイシューを強く支持していますが、やっぱり読者の投書は、読んでいて気持ち悪くなることがありますね。

しかも、私は働きたい人が時給700円ぐらい貰ってどうにか自立して働けるような社会を作りたいと思う。
そういうベースが整わないときに、安全な側にいる我々が、一方的に
「彼らは怠け者だ」とか「自業自得だ」というのは、卑怯だと思う。
たとえば日雇いの仕事があれば働いて自立したい、という人に、そういう心ない言葉を浴びせることは公正さを欠くと思うし、それは私にとっての正義に反する。

ビッグイシューを立ちっぱなしで売ったり、アルミ缶を拾ったりするような仕事は「怠け者」の僕にはとてもできそうにありませんし、風邪を引きやすく、不自由ない生活の中でも2年に一度ぐらいは風邪で寝込む僕には、冬空の下で眠るなんてことがとても「気楽なこと」には思えません。

でも、ホームレスが公園を占拠することの正当性もないんですよね。
私はやっぱり公園は安心して子供が遊べて、心が和む場所であって欲しいとも思う。
そして、東京のような場所で公園を維持するコストは、時価を考えたらわかるように、非常に高いコストを社会が担っているわけです。

だから、結局、経済の問題なので10人いるけど、8人分しか座席がないときにどうすか?
という解の無い問題を解こうとしているのかもしれません。

そういう難しい問題だからこそ、ホームレスやそこから立ち直った人たち、それを支える人たちの奮闘を、陰ながら応援しています。